マガンダンウマガー。
 マガンダンウマガーーーーーッ!
 マガンダン…………
 ウマガーーーーーーーーーッッッ!

 俺はいつか必ずタガログ語が日本で流行ると信じている。
 そんな先見の明に照らされた深淵を慧眼でじっくり穴が開くまで見つめ続ける男、
 お気付きの方も多いだろう、そう、狭間十色だ。
 そんな俺が最近、座右の銘を思い付いた。

 空は青けれど、青に染まることなかれ。

 どうだろう、中々ウイットに富んでいる表現じゃないだろうか。
 モチーフは『朱に交われば赤くなる』と『青は藍より出でて藍より青し』だけど、
 意味はどちらとも全く違う。
 空の青ってのは、要するに『誰でも直ぐに確認できる真実』ってヤツだ。
 そこに見識や洞察は必要なく、まして聡明さなど無関係。
 そんな絶対的真理にさえ染まることなく生きる人間だけが、
 新たな発見を得られるんじゃなかろうか、って思うんだ。
 先入観を捨てろ、とか、固定観念は良くない、とか、よく人は言う。
 でも実際問題、それらを完全に排除すると、それはそれで弊害が多い。
 一言で言うと、疲れるんだ。
 探偵って職業柄、その機会はかなり多いんだけど、先入観を捨てて
 真っ白な状態で物事に取り組んだりあれこれと考えたりするのは、ひっじょ〜に精神を消耗する。
 例えるなら、買ってきたジグソーパズルを作るにあたって、まず一つ一つのピースに
 欠損部や歪みがないか調べるようなもの。
 普通はそんな手間のかかる事はせず、当然普通に完成するものだと決めつけてから
 組み合わせ始めるけど、そこに疑いの目を向けるのが、俗に言う『先入観を捨てろ』の条件だ。
 正直、面倒臭いと言わざるを得ない。
 でも、探偵という仕事はこれが必須。
 兎に角、なんにでも疑いの目を向けなくちゃならない。
 そして、これが更に厄介な問題なんだけど――――その疑いの目を他人に悟られちゃいけない。
 疑り深い人物ってのは基本、嫌われるからな。
 探偵は信用第一の職業であり、ある種の接客業でもある。
 人間性も当然重要となってくる為、嫌な性格だと思われちゃいけない。
 自分の行動、自分の心理、自分の価値観、自分の、自分の、自分の――――
 そういう全ての『my』を覆い隠さなくちゃならないんだ。
 ……とまあ、兎に角俺が今就いている職業ってのは、色々と厄介な事が多い。
 それでも我が【はざま探偵事務所】は、これまで数多くの事件に挑み、そして多くの依頼者へ
 安寧と健やかな未来を提供してきたという自負がある。
 その実績の中には、異世界へ旅立った人間を探す依頼や殺し屋を自称する女の子からの
 相談など、奇抜な内容の仕事も少なからずあった。
 それらは全て、空の青に自分の瞳を染めているようじゃ
 到底太刀打ち出来ないようなものばかり。
 太陽光の青と緑の波長が散乱し、水色となっている……という理屈をこねても、
 目の前の現実は何も変わらない。
 世の中には、空が青く見えない人もいる――――そういう観点で挑んだ結果、
 様々な難事件に対して一定の戦果をあげてきたつもりだ。
 
 さて。
 前置きが長くなってしまったけど、俺は今、一つの事件を抱えている。
 それは内容だけを見れば、この上なく凡庸でありふれた案件。
 普通に考えれば、解決策は数秒で頭に浮かび、それを伝えた時点で俺の役割は終了となる。
 そういう依頼だ。
「……詐欺?」
 依頼人が、はざま探偵事務所の固いソファーに腰掛けながら呟いたその単語は、
 探偵が非常に良く聞く言葉であり、おなじみのワードの一つだ。
 そして、その依頼人もまた――――この事務所にとっておなじみの人物だった。
「和音ちゃん、本当に詐欺だったの? 間違いない?」
 助手の胡桃沢君がそう問いかける相手は、白鳥和音(カノン)。
 彼女の数少ない友人であり、俺にとっても顔見知りの女子高生。
 常にジト目で、後ろ髪が長く不健康そうな外見の彼女は、以前見かけた時より
 更にやつれ病的な雰囲気を漂わせていた。
「間違いないにょん」
 そして語尾も相変わらずだった。
 普通、こんな話し方をするような変人とはまともに会話する気になれないんだけど、
 彼女の場合はちゃんとした事情がある為のやむを得ない処置……だと俺は解釈している。
 というのも、この白鳥和音は解離性同一性障害を患っている。
 世間的には『二重人格』や『多重人格』という表現を用いられる事が多い。
 二面性のある人物とか、それを意図的に演じ分けている事を指して使われる事もあるが、
 れっきとした解離性障害という精神疾患の一種だ。
 とはいえ、薬を飲んで治すというタイプの疾患でもない。
 薬はあくまで補助的なもので、精神療法が中心。
 ……とまあ、そんな講釈は兎も角として――――
 白鳥和音には、三和(ミカ)という別人格が内在している。
 その三和と自分自身で区別する為、意図的に、或いは無意識の内に奇妙な
 話し方をするようになったのではないか、と睨んでる訳だ。
 そして彼女には、隠された『第三の人格』も存在する事が示唆されている。
 まだ実際に見た事はないけど、解離性同一性障害の性質上、生まれる人格が一つ(計二つ)
 である事は寧ろ稀で、通常はもっと多くの人格が生まれるらしいから、
 そういう意味でも第三の人格が既に存在している可能性はかなり高い。
 で、その白鳥和音が今朝、事件を携え【はざま探偵事務所】へとやって来た。
 今日は平日。
 まだ彼女達の通う高校が始まる前の早朝とあって、かなり眠い。
「これはれっきとした詐欺にょん! 許せないにょん! 探偵さんの力で撲滅するにょん!
 いつまでもドローンとした目でボケーッとしてないで、話を聞けにょん!」
「正規の依頼で正規の料金支払ってくれるのなら、直ぐにでもシャキッとするんだけどな」
「身内からお金を取る探偵なんていないにょん」
「それは漫画の世界だ! 現実は何かと金要りなの!」 
 そもそも助手の友人を身内のカテゴリーに入れる事すら抵抗あるってのに……ま、いい。
 最近依頼からも事件からも遠ざかって、いよいよ二日に一食ペースじゃないと
 生活費やべーってところまで堕ちてる俺だし、ここはリハビリも兼ねて和音の話を聞くとしよう。
「で、詐欺ってのは一体なんだ? 青緑色の壺でも買わされたか?」
「違うにょーん。電話が掛かってきたにょん。私の家が契約してる大手電話会社を名乗ったにょん」
「エンヌ・チー・チー?」
「そうにょん。エンヌ・チー・チーから」
 妙だな。
 あそこから電話掛かってくるなんて普通はないんだけど。
「なんか『今御利用のインターネットサービスを値下げする事になったから、ご連絡差し上げた』
 とか言ってたにょん。そんで、『プランの変更をする為にモデムの設定を変更する必要が
 あるから、技術者があらためて連絡を入れる。1時間後に別の者が電話入れるから、
 パソコン立ち上げて待ってるように』って言われて、そこで一旦電話が切れたにょん」
「……あー、実質的な詐欺ってヤツだなそりゃ」
 直ぐにピンと来た。
 ここ数年、特に1〜2年前からよく注意喚起がされている『乗り換え詐欺』だ。
「それで、どうなったんですか? あらためて掛かってきた電話で『オレオレ。車に撥ねられて
 死んじゃったから線香代くれくれ』って言われたとか?」
「胡桃沢君、そんな幽霊詐欺ないから」
 助手としての役割を果たしたい衝動はわかるけど、訳のわからん介入はしないで欲しい。
「オレオレ詐欺とは違うにょん。二回目の電話でもちゃんと名乗ったにょん。
 ただし、エンヌ・チー・チーじゃなくて別の会社名だったにょん。確か、株式会社スローインとか」 
「変な名前だな。検索しても……うん、やっぱり出て来ない」
 あからさまな偽名だ。
 それだけでも、真っ当な会社じゃないのはわかる。
 そしてその後の手口も手に取るようにわかる。
「で、そのスローインの人が『このアドレスを入力して下部にある"同意する"って書いてある
 部分をクリックして下さい』っていうから、よくわかんないけどクリックしたにょん。
 そしたら後日、なんか『契約を締結しました』って書類がスローインって会社から来て、
 勝手に契約した事になってたにょん! そんで工事費か何かを払えとか、
 プラン変更にはエンヌ・チー・チーとの契約書に書いてあるIDが必要だから教えろとか、
 訳わかんない機械送ってきて『新しいプランではその機械を使うからその分の金払え』とか
 言ってきたにょん!」
 まさに予想通りの展開だった。
「こっちは書類にサインした覚えもないし、契約するって言った覚えもないにょん。
 腹立ったからエンヌ・チー・チーに電話したら、『その会社とウチは無関係です』ってのを
 やたら丁寧に言われたにょん。ショックで三日夜食が喉を通らなかったにょん……」
「あんまり深刻さが伝わってこないんだけど」
「兎に角、こんな詐欺行為許されないにょん! あのスローインって会社を潰す為に
 この人生捧げるにょん!」
「そ、それは止めておいた方がいいよ和音ちゃん」
 今にも暴れ出しそうな和音を胡桃沢君が必死で説得する間、俺はこの件について
 簡単に脳内を整理していた。
 まあ、悪質なのは間違いない。
 恐らく株式会社スローインってのは偽名だし、エンヌ・チー・チーとも無関係なんだから、
 偽証なのは確かだ。
 ただ……この件で罪に問うのは難しいだろう。
 まず、今回の詐欺事件の骨子だけど、これは近年増加の一途を辿っている『光回線サービスの
 卸売に関連する勧誘トラブル』に該当する。
 光回線サービスの卸売ってのは、要するにインターネットを使用する環境の一つである
 光回線サービスをエンヌ・チー・チー及びその代理店だけじゃなく、他の事業者に回線を
 貸し出して、その事業者が販売出来るようにした制度の事だ。
 要は電力の自由化と似たビジネスモデルだな。
 それ自体はごく真っ当なもの。
 問題は、その制度につけ込んだ悪徳業者による詐欺まがいの行為でトラブルが
 多発している事にある。
 んで、こっちが更に問題なんだけど、同じトラブルでも色々ある。
 比較的大人しめ……Lv.1のトラブルの例としては、『エンヌ・チー・チーと提携している××社の
 ○○ですが』という電話に対し、受け手がエンヌ・チー・チーの社員と勘違いして、
 契約をしたケース。
 これは説明不足でもなければ不実の告知でもなく、単に受け手の勘違いな訳だから、
 勿論詐欺でもなんでもない。
 Lv.2のトラブルの例としては『エンヌ・チー・チーの関係でお電話をさせて頂いた○○ですが』
 くらいの表現の場合。
 エンヌ・チー・チーの社員だという誤解を与えかねない曖昧な表現で、『あまり物事を
 深く考えない奴だったらそう受け取ってくれるよね』という意図が透けて見える。
 でもこれを詐欺だと言うのは、やはり無理がある。
 実際、光回線サービスの貸し出しを受けているのであれば、エンヌ・チー・チーの関係で
 電話したというその説明は、誤りどころかグレーゾーンとさえ言えないだろう。
 で、Lv.3。
『わたくしエンヌ・チー・チーの○○ですが』――――つまり今回の件だ。
 これはハッキリと詐欺だろう。
 代理店が代理店と言わず本店を名乗る場合、エンドユーザーに対する説明としては
 不誠実だとは思うが、一応社会通念的には許されているところはある。
 けれど、和音に対し二度目の電話で名乗った会社とエンヌ・チー・チーは無関係だという
 証言が事実なら、紛れもなく詐欺って事になる。
 その後の指示、ネット上で『同意する』ボタンをクリックさせたのは、契約に同意したという
 証明にする為。
 恐らくそのページに契約条項が書いていたんだろけど、その説明を詳しくしているとも思えない。
 或いは早口で『目を通して下さい』くらいは言ったのかもしれないけど。
 なんにせよ、そうやって契約の証拠をまんまと取ってから、次は書面で契約した事を伝え、
 向こうが言うところの"プラン変更"――――実際には光回線サービスの移行(転用という)を
 行う為に必要なIDを聞き出し、勝手に移行を行おうとしていたのは明白だ。
 仮に、IDを聞き出せず移行出来なくても、悪徳業者にとっては全く問題ない。
 既に契約は行われているから、そのプラン分の料金を毎月請求する。
 解約したいと言われれば、高額の違約金を請求する。
 ここまでがセット――――というより、寧ろこっちが本命だろう。
 で……この骨子を元に、今回の和音の件を考えてみる。
 彼女は『契約した覚えはない。詐欺だ』という主張をしているけれど――――
「和音。落ち着いて聞けよ。恐らく契約は成立している」
 俺はそう結論付け、オブラートに包む事なくそう伝えた。
「……な、なんでそうなるにょん!? 書類にサインとかしてないにょん!」
「契約ってのは双方の合意が認められれば、口頭だけでも成立するんだよな、確か。
 多くの場合、契約書にサインする必要はないんだ」
「で、でも、私合意してな……」
 そこでようやく、和音は己の過ちに気付いた。
 ネット上で『同意する』ボタンをクリックしてしまった事だ。
 一見すると、形式上はワンクリック詐欺と同様のもので、その契約は無効とする事が出来そうな
 内容だ。
 でも今回の件では、和音は電話で誘導を受けている。
 恐らく彼女は電話口から聞こえてくる説明の多くを良く理解していなかった筈。
 適当に生返事で受け答えしていたのは想像に難くない。
 けれど、相手にしてみれば話がわかった上で相槌を打っていると解釈するだろう。
 そんな状態で、指示に従い同意ボタンを押してしまった以上、相手の『同意のもと契約が
 結ばれた』という主張は、残念ながら通る可能性が高い。
 明確な拒絶をしていた上でのクリックならまだしも、それまで話を聞き続けた上での『同意する』
 は、仮に本人にその気がなかったとしても、その主張は通らない。
「勿論、録音してあるならその内容から検証出来るけど……」
「してないにょん」
 恐らく向こうはしてる筈。
 けれど、悪徳業者の可能性濃厚な現状では、開示を求めても断られるのは火を見るより
 明らかだ。
「で、でも、向こうはエンヌ・チー・チーを名乗ってたにょん! それって詐欺じゃないにょん!?」
「そうですよ所長。偽証罪とか、そういうのないんですか?」
 胡桃沢君も納得していないらしく、憤慨した顔で詰め寄ってくる。
 友達の為の怒りなんで、その矛先が理不尽だろうと受け入れよう。
 俺ってホラ、器大きいから。
 盛皿探偵・狭間十色だからね!
「厄介なのは、一度目の電話と二度目の電話で違う人間が対応してるところだ。
 つまり、株式会社スローインに対して『エンヌ・チー・チーを騙りやがって!』とは言えない。
 そして、一度目の電話の人間とは恐らくもう、連絡は繋がらない」
「な……」
 和音だけでなく、胡桃沢君まで絶句していた。
 今は早朝だからどっちにせよ繋がらないだろうけど、いつ掛けようとまず繋がるとは思えない。
 そして二度目の電話相手――――株式会社スローインと名乗った人物に『お前に電話を
 掛けさせた奴がエンヌ・チー・チーを名乗ってたぞ』と言ったところで、ウチはそんなの知らん、
 関係ない、当人に言え、としか言われないだろう。
 勿論、実際には一度目の電話相手も二度目の奴も同じ会社の人間に違いない。
 そこまでが一パッケージの詐欺だからな。
「仮に一度目の電話相手と繋がっても、エンヌ・チー・チーという名前の別会社でした、
 とか言い出すかもしれない。アホみたいな話だけどな」
「そんな……それじゃ泣き寝入りするしかないんですか?」
「なら、せめて契約をキャンセルしたいにょん。手続きメンド臭そうだけど……」
「それどころか、違約金請求されると思うぞ」
「……………………………………………」
 殺意が可視化されそうなほど、和音の周囲の空気は淀んでいた。
「所長。どうにかして下さい。所長得意じゃないですか。悪人よりあくどい方法で
 悪人に精神的苦痛を与えるの」
「そんな特技披露した覚えないから! 勝手にアンチヒーローにしないでくれ!」
 そうは言いつつも、相談を受けた以上は解決に導くのが探偵の勤め。
 そしてこの件に関しては、確実に穏便に済ませる方法が存在する。
「消費生活センター、国民生活センター、消費者ホットライン。好きな所を選んで電話して、
 今俺にした説明をすればOK。それで万事解決」
「……それだけにょん? お金は?」
「掛からん掛からん。似た案件で山ほど相談受けてるだろうから、話もスムーズに行くと思う」
 どの相談窓口を利用しても、株式会社スローインと上手に交渉してくれるだろう。
 こういうトラブルは行政に頼るのが一番だ。
「あの……これで終わりですか? この事件」
「うん、終わり」
 胡桃沢君的には、もう少しドラマティックな展開を期待していたらしい。
 生憎、探偵事務所にはこういう『取り次いで終わり』的な中身の薄い依頼も多い。
 どうしていいかわからない人を、然るべき機関や窓口に案内するのも、探偵の仕事の一部だ。
「うー。せっかく和音ちゃんに良いトコ見せるチャンスだったのにー」
「友達相手にカッコ付けたい気持ちはわかるけど、胡桃沢君が活躍する場面って基本ないから」
「あ、あります! 私どっちかっていうと縁の下の力持ちタイプだから、
 報告書に載せるような派手な活躍はしてないだけです!
 縁の下の力持ちタイプだから、キャラが薄くても良いんだもん! えーん!」
 最終的には縁の下の力持ちタイプである事しかアピールせず泣き出してしまった
 我が助手の未来が心配だ。

 ま、そんな訳で。
 我がはざま探偵事務所には、こういう地味な依頼もちょくちょく舞い込んでくるんですよ、
 ってお話でしたとさ。

 ――――と、そう締めくくれれば、報告書に記すまでもない事件だったんだ。


 けれど、現実はそうはならなかった。
 いや……報告書に記す必要はなかったかもしれない。
 はざま探偵事務所への依頼、という点では、今回の件はここで終わっているからだ。

 でも、俺にとって、そして――――依頼人である白鳥和音にとって、
 重要なのはここからだった。


 彼女から依頼を受けた日の四日後。
「お邪魔しまーす」
 彼女は一人で事務所にやって来た。
 再訪じゃない。
 本日初めての来訪だ。
「お前は……三和か」
 姿は和音と何らか変わらない。
 本質的な意味では同一人物。
 けれど、彼女は和音とは別の人格であり、性格もまるで違う。
 解離性同一性障害によって生まれた、和音の別人格だ。
「お久ー。なんかもう何年も会ってなかったって感じよね」
「それは気の所為だ。で、何の用だ? 詐欺の件なら特に問題なく解決出来ただろ?」
 この手のトラブルは、消費者側に落ち度があったとしても、
 基本的にはそれほど大事にならずキャンセル出来る。
 電気事業法の改正で、契約書を受け取ってから八日以内なら事業者の合意なく
 所定の手続きを行えば解約が可能になったからだ。
 この場合、違約金の支払いは原則不要。
 ただし、手続きを行う前にサービスを利用していたら、その分の料金はかかる。
 その他、事務費や工事費も上限はあるものの支払う必要がある。
 和音のケースではサービス移行を行う前だったから多額の請求はされないだろう。
 最低限の事務費は必要かもしれない。
 仮にそうだとしたら、例え少額でも支払いが生じた以上は詐欺被害に遭ったと
 言えなくもないけど、本人の不注意による損失と考えれば、妥当な落とし所。
 今後への戒め、教訓という意味では、実害があった方が効果がありそうだし。
「そうね。その件に関連する事でもあるし、ただ主題とは別なんだけど……
 取り敢えずコーヒーくらい出してよ。一応、普通に依頼人として探偵さんに
 お仕事の依頼をしに来たんだから」
「マジでございますか!? 今すぐ我が社最高級の和菓子と珈琲をお出ししますので
 ソファーにゆったりと腰掛けてお待ち下さいませ!」
「……なんなの、その必死な接客」
 ドン引きされたが、久々の無料相談以外の依頼人となればテンションも上がるってなもんだ。
「お待たせ致しました。粗茶ですがどうぞ」
「最高級和菓子って……もしかしてこの金城の一口ようかん……?」
「バツグンに美味いから」
 一パック200円弱でありながら、誰に出しても恥ずかしくない見事な甘みだ。
「せめて練り切りとか……まあ、美味しいけど」
「それではご用件を伺いましょう」
 ブツクサ言いつつも二つペロリと一口ようかんを食べ、三和はあらためて
 俺の目を睨むように上目遣いで眺めてきた。
 和音の半眼は眠そうな印象だけど、三和の場合はヤンキー的なニュアンスを感じる。
 同じ人物なのに、不思議な話だ――――
「四日前の和音の話。アレね、嘘よ」
 と思った矢先、今度は更に不可解な話が鼓膜を透過し脳にダイブして来た。
「……どういう事だ?」
「言葉の通り。全部が全部嘘って訳じゃないけどね。詐欺まがいの電話が掛かってきたのは本当。
 でも、勝手に契約されてたってのは嘘。二回目の電話、出なかったの」
 電話に出ない。
 それは、詐欺まがいの相手に対する対処法としては一応正しい。
 けれども――――現実的には難しい。
「向こうの手口はこうよ。二人目の電話の相手が電話口で指示を出して、
 和音に自分のパソコンを使って、サービス移行に必要な"転用番号"ってのを取得させる。
 この番号は本人じゃないと取得出来ないから。いわゆる『遠隔操作』の一種ね。勿論、
 まともな説明は一切ナシ。『プラン変更に必要な手続きです』としか言わないそうよ」
 三和の説明は、俺が既に確認した『光回線サービスの卸売に関連する勧誘トラブル』の
 典型例に一致していた。
 彼女も独力で調べたんだろう。
 転用番号とやらがわかれば、あとは本人じゃなくても勝手に本人と偽り申込をして
 エンヌ・チー・チーから自分の所にサービスを乗り換えさせる事が出来る。
 要するに、ネット使用者がその料金を支払う相手が、エンヌ・チー・チーから
 悪徳業者へと変わる訳だ。
 当然、料金もサービス内容も変わる。
 回線速度が落ちたり安定しなかったり、勝手にオプション付けられて割高な料金を
 請求されたり、トラブルの種類は実に豊富だ。
 今や日本におけるインターネットの普及率は、全人口の80%以上。
 その割にまだまだ契約内容への理解が行き届いていない為、この手の話は
 後を絶たないという。
「二度目の電話に出なかった事を後悔してるのか、あの子それから落ち込んでるの。
 一度目の電話で向こうが勝手に『契約に了承した』と解釈して契約を進めているんじゃ
 ないかって不安に思ってるのかも」
 そう。
 これが、二度目の電話を無視するのが難しい理由だ。
 人間の心理上、疑心暗鬼を簡単に打ち消す事は出来ない。
 悪徳業者と知った時点で、例え『契約』という言葉を一度も使っていなくても、
 適当に相槌を打ったあの生返事が『契約に同意した』と受け取られているかもしれない……
 そんな不安を呼び起こしてしまう。
 ハッキリと断っていないからだ。
 悪徳業者の中には、『結構です』と断った相手に対して『結構ですは受諾の意味だと思った』
 と無理矢理な解釈を押し通し、契約したと訴える理不尽な連中もいる。
 和音は、二度目の電話に出てハッキリ断れば良かった――――
 そう後悔しているのかもしれない。
「それはわかったけど、どうしてまた俺にそんな嘘を? 今の話をそのまま伝えてくれれば、
 相応の対応を出来たんだけどな」
 実際、解決法は何も変わらない。
 消費生活センターや国民生活センターに連絡して、契約を勝手に結ばれていないか
 業者に対して確認をして貰えば、それで済む話だ。
 心ならずも契約されて、契約書が送られてきた――――その嘘に何の意味がある?
「探偵さん。貴方は"あたしたちみたいなの"がどうやって生まれるか、知ってるんでしょ?」
 不意に質問されたその内容は、理解するのに然程時間は掛からなかったが、
 質問そのものとは別の興味深い内容を孕んでいた。
 あたし“たち”……だと?
「まさか、例の"第三の人格"とコンタクトを取ったのか?」
「その前に、質問に答えて。質問に質問で返したら手首残して爆発しちゃうかもよ」
 ……現実でジョジョネタ言う奴、初めて見たな。
 ああ、確かにこりゃダメだ、なんかゾワゾワする。
 ジョジョはジョジョ以外で楽しもうとしちゃダメなんだな。
「それは兎も角、お前みたいな主人格以外の人格が生まれるプロセスなら、
 ある程度は知ってるよ。解離性同一性障害に限らず、解離性障害全般に言える事だけど、
 基本的には『ストレスに代表される苦痛への反応』として発生する症状だ」
 例えば、解離性健忘。
 思い出すだけで正気を保てないほどの苦痛を伴う出来事があった時、
 その苦痛から自分自身を守る為、出来事そのものを完全に忘れてしまい、
 部分的に記憶喪失になるというケースだ。
 自分の心が壊れかねない凶悪な出来事に対し、『自分は自分である』『自分の知覚や記憶、
 感情は自分自身のものである』という人間としてごく当たり前の前提条件、いわゆる
 自己同一性を薄め、自分をさも他人であるかのように捉えることで、自分の痛みではないという
 意識を働かせて苦痛を和らげる。
 これが解離性障害の根本的なメカニズム……かどうかはわかっていないが、
 一つの説として一定の支持を得ている。
 解離性同一性障害は、ある意味ではその究極系だ。
 何しろ自分ではない別の人間を自分の中に生み出す訳だから。
「なら、話は早そうね。あたしが依頼したいのは二つ。一つめは『あたしと和音以外の
 人格が本当に出現しているか』を調べて欲しいの」
 つまり、コンタクトは取れていないらしい。
 以前、三和は俺に"ある文章"を見せた。
 それは紛れもなく暗号であり、その暗号には
『さんにんめのじんかくいる』
 こんな表記が隠されていた。
 元々、その暗号は和音から三和へと向けたメッセージだった。
 つまり、和音は第三の人格の存在を感じている。
 けれど三和には把握出来ていない、という状態だ。
 なら直接和音に聞けと言いたくなりそうなところだけど、事はそう単純じゃない。
 わざわざ暗号にして伝えてきた以上、和音には他者にその件を悟られたくない理由がある筈だ。
 その相手が『第三の人格』なのか、他の誰かなのかはわからない。
 ただ、三和に対しわざわざこんな伝え方をしたということは――――
 和音は自分の中にいる他の人格を完全に"他者"として扱っている、って事になる。
 三和を自分の一部と捉えているなら、自分が作った暗号文を解かせても意味がない。
 そして、副人格を自分ではない別人として扱っているという事は、少なくとも現時点においては
 解離性同一性障害の治癒には程遠い状態だって事だ。
「そして二つめは……」
 きっと、いや間違いなく三和はその事を理解している。
「和音を、普通の……一つの人格しかない一人の人間にしてあげて」
 全てを理解しているからこそ、その依頼を聞いた俺に込み上げて来た感情は――――
 切なさだった。

 


 三和からの依頼を受けた翌日。
「はあ……」
 俺は事務所で一人、彼女と和音の事ばかり考えていた。
 最初に出会ったのは、胡桃沢君が助手になったばかりの頃。
 確かあの時、俺は39度の高熱を出して寝込んでいた。
 所持金も底をつき、まさに死の寸前。
 しかもそんなコンディションで大家さんから家賃を請求される精神的圧迫を受け、
 恐らく当時の俺の魂はマグ・メルあたりを彷徨いていただろう。
 そんな時、一本の電話がはざま探偵事務所に掛かってきた。
 依頼の電話だ。
 俺はその依頼を二つ返事で受けた。
 驚く大家さん。
 慌てふためく胡桃沢君。
 そんな二人に俺は言ってやったさ。
『探偵って職業に、体調なんて関係ない。私用なんてのもない。まして、休みなんてある筈もない。
 依頼人からの電話が届いたその時から、仕事は始まる。それが、【はざま探偵事務所】の方針だ』
 ってね。
 いや、照れるね。
 こういうトコあるよね、俺。
 ……まあ不毛な自画自賛はこの辺にしておくとして、この時に依頼の電話をしてきたのが、
 白鳥和音の御両親だった。
 記憶喪失状態で引きこもりの彼女をどうにか回復出来ないか、といった内容だ。
 早速和音の部屋にお邪魔してみると、そこにはゲーム機や本、パソコン等といった
 引きこもりの人間がよく愛用する娯楽らしき物はなく、カーテンも薄めの素材で、
 余り引きこもりの部屋らしくなかった。
 結論としては、御両親は嘘を吐いていた。
 和音は引きこもりなんかじゃなかったんだ。
 彼女は――――両親から虐待を受けていた。
 その苦痛から、精神的な負荷から逃れる為、彼女は別人格を宿した。
 それが三和だ。
 二人は結託し、一度は虐待を止める事に成功した。
 その後暫くは平和だったが、やがて再燃。
 けれどその時も、記憶喪失を偽る事で『いつ記憶が戻り、自分がポロッと他人に虐待の件を
 漏らすかわからない状態』であると両親に思わせ、その蛮行を食い止めた。
 両親にとって最も厄介なのは、和音をコントロールできない事。
 多くの虐待においては、報復への恐怖からか、養って貰えなくなる事への不安からか、
 或いは他の理由があるのか、被害者から他人に告げ口される事は少ないという。
 だけど記憶がない状態なら、その恐怖や不安の支配下にはない。
 上手に対処したと思う。
 ただ、幾ら両親からの虐待がなくなっても、和音が幼少期に受けた心の傷は癒えていない。
 そして皮肉な事に――――その傷が完全に癒えた時、解離性同一性障害は完治し……
 三和という人格は消滅する。
 これを人格の統合と表現する事もある。
 "死"と表現する事も出来るだろう。
 他人の視点では、解離性同一性障害によって生まれた別人格は本人そのものに過ぎない。
 実際、この疾患には常に詐病の疑いが付きまとう。
 要するに、別の人格を"演じている"と思われがちって事だ。
 ある時代には、解離性障害とは全て演技によるものであって疾患じゃないという説が
 優勢だったとも言われている。
 けれど、和音本人にとって三和という存在は、決して『演じている別人格』じゃない。
 力を合わせて両親の理不尽な蛮行に立ち向かった仲間であり、最も信頼出来る相手。
 確固たる他者であり、一人の人間なんだ。
 本人に確かめた訳じゃないけど、きっと失いたくないと思っているだろう。
 そしてそれは、三和だってわかってる。
 自分が消える事を、和音は望んでいない。
 寧ろ悲しむだろうと。
 それでも尚、三和は解離性同一性障害の完治を望んだ。
 自身の消滅を望んだ。
 自分が彼女の中に居続けるより、自分がいなくなる事で健全な白鳥和音に戻る事を……
 俺に依頼した。
 これがどれだけ重大な、そして難解な依頼なのかは理解している。
 何故、そんな依頼を俺に託したのか。
 俺が解離性障害に対してある程度の知識を持っているから?
 多少なりとも関わって、一定の信頼を寄せてくれているから?

 ……いや。
 俺が今解き明かすべき事はそれじゃない。

 俺には俺のやり方で、依頼人である彼女達と向き合うとしよう。
 三和からの依頼は二つ。
 その内の二つめ――――人格の統合については、今は考えない。
 精神科医でもない俺に、合理的かつ建設的な治療方法は到底思い付かない。
 今、俺に解決出来るのは一つめの依頼だ。
 三人目の人格が存在しているか否かの調査。
 実のところ、俺は既に一つの確証を得ている。
 そして、その確証を突きつける為に、本人をここへ呼びつけた。
 そろそろやって来る頃だ。
「ういーい、来たにょん」
 訳のわからない挨拶と共に、彼女はやって来た。
 五日前にここを訪れた際の彼女の証言には、怪しい点があった。
 それは、報告書「file.03 コイワズライ」と矛盾する内容だった。
 俺の記憶とも。
 とはいえ、その矛盾はあくまで彼女の周囲の環境が当時のままだったら、という前提だ。
 その確認の為に、今日はわざわざ来て貰った。

 一体、彼女の証言の何が矛盾していたのか。
 どうして彼女は俺に奇妙な嘘を吐いたのか。
 何故、三和はその嘘の理由を聞き取るよう俺に依頼しなかったのか。
 そして、それ等が意味するのは――――

 真相はこれから直ぐ、明らかになる。








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