探偵という仕事において重要なのは、如何に殺人事件や怪盗による盗難事件などのような
 派手な事件――――とは無関係の人生を送っている一般市民の方々に自分の存在を
 知って貰えるか。
 それに尽きる。
 定期的な収入を得るには、街の人々が気軽に依頼を出来るような探偵事務所でなければ
 ならない。
 殺人事件の犯人を探して捕まえるのは警察の仕事であり、探偵の出る幕はない。
 だからといって、様々な事情で警察とは距離を置いているマイノリティな方々を
 ターゲットにしたビジネス体系を確立させたところで、安定した依頼数は望めない。
 これまでも幾度となく主張してきたけども、俺のスタンスは常に『街の探偵さん』。
 だからどれだけ貧困に喘ごうと、一日の食費に割り当てられる金額が三桁を切ろうとも、
 電話での相談は30分まで無料、というサービスは継続しなければならない。
 しかも、どんな相談でも嫌がらずにしっかりと対応。
 例えば『遺産相続で揉めてる兄弟を合法的に資産管理能力のない状態にするには
 どうすればいいか』という相談にも適切な助言を用意したし、『クソつまらない
 オリジナルストーリーで原作の雰囲気をブチ壊してキャラの欠点をご丁寧に誇大描写して
 暴言まで吐かせて作風とかけ離れた結末を用意した挙げ句放送後ウダウダと自己弁護に
 終始するアニメスタッフを合法的に引退へ追い込むにはどうすればいいか』
 と早口で捲し立てる若干興奮気味な相談者にも、考え得る全ての手段を伝授してきた。
 そんな我が『はざま探偵事務所』に今回、新たな相談が届いた。
 相談者は――――
「熊実高校野球部の監督さんですか。それはまた、ほうほう」
 この熊実高校、地元ではそれほど有名な学校って訳じゃなかった。
 まして野球部が強いなんて話は聞いた事がない。
 けれども今年の夏はどういう訳か勢いとノリで勝ち進み、ついに昨日行われた
 全国高等学校野球選手権地方大会(夏の甲子園の県予選)決勝で勝利し、
 初の甲子園行きを決めたそうだ。
 昨日から地元のニュースはこの話題一色で、全国ニュースでも取り上げられているほどの
 フィーバーぶり。
 詳しくは知らないけど、相当劇的な勝ち方をしたらしい。
 その、今や時の人となってる監督さんが一体何の相談を……?
『生徒の怒り方をね、相談したいんだわ』
 監督さんは年配の男性らしく、声を聞く限りでは60前後。
 そんな予想を立てている間にも、目の前にあるスマホでネット検索をかけて、
 熊実高校野球部およびその監督の情報を収集している最中だ。
 ちなみに電話相談は全て固定電話で承っているんで、右手も左手も電話操作中。
 今流行の二刀流ってヤツだな。
 ん……年齢は53歳か。
 印象より若いな。
 やや嗄れたダンディな声とは対照的に、見た目はヒョットコみたいなオジサマだ。
「生徒の怒り方、ですか。承りました。その生徒は野球部の部員という事でよろしいですか?」
『おう』
 思っていたよりは若いと言っても、53歳となれば教師としては大ベテラン。
 恐らく監督としてもかなりのキャリアを積んでいるだろう。
「そうですか。では具体的に、その生徒が何をしでかしたのか教えて下さい」
 そんな人が怒り方で悩んで探偵に相談するってのは、普通ではあり得ない。
 とはいえ、初の甲子園出場という特殊な状況である以上、普通という前提は成り立たない。
 どうやらこの監督さんは、メンタル的な強化を図って甲子園に乗り込もうとしている――――
 探偵としての俺の勘がそう告げている。
 奇跡的な初出場を果たしたとはいえ、強豪校じゃないんだから勝算は薄い。
 そこで、今までとは違うアプローチで選手を鼓舞し、最高の状態で大会に送り込もうとしている。
 その中で、怒り方がネックになった――――そんなところか。
 だったらメンタルトレーナーでも雇えって話だけど、元々強い野球部じゃないから
 予算も大してないんだろう。
 だから、30分無料のこの【はざま探偵事務所】の相談窓口に白羽の矢が立った。
 フッ、我ながら手応えのある良い推理だ。
『代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打を打った生徒を何つって叱ればいいんかねえ?』
「はい?」
 ……推理が外れたことは認めよう。
 けれども、今はそんな事を論じている場合じゃない。
 日常生活でまず聞く機会のない奇妙奇天烈な言葉が聞こえた気がした。
 ええと、代……何だって?
『代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打。探偵さん、野球あんまわからん人かい?』
「いえ。バッターが空振りしなくても振り逃げが成立する事がある、ってのを知ってる程度には
 精通してます」
 別に野球部に入っていた訳じゃないけど、少し前に町内会主催の草野球で審判やってくれと
 依頼された事があって、その時に一通りの知識は蓄えた。
 ただ、そんな俺でも"代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打"という言葉には
 思わず耳を疑う。
「だから当然、代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打の意味はわかります。
 でも、代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打なんて実際に起こり得るとは
 到底思えないというか」
『なんだ、おめえさんニュース見てないのかい? 昨日の決勝、それでウチ勝ったんだわ』
「……本当だ」
 色々調べるまでもなく、試合から丸一日が経過した今もヤフーのトップを飾ってるトピックだった。
 劇的な勝ち方だとは聞いてたけど、まさかここまでとは……
 打ったのは二年生の北川君という子らしい。 
「代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打が実在する事はわかりました。で、その
 代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打を打った二年の北川君を叱る必要性について
 伺ってもよろしいですか?」
『サイン無視で打ったんだわ』
「サイン無視……ですか。成程」
 そこでふと、俺は『星野くんの二るい打』という話を思い出した。
 小学生の道徳の教材として使わていた物語、だったと思う。
 確か、野球の試合で監督がバントのサインを出したんだけど、選手である生徒が
 それを無視してバントせず強振、結果ツーベースヒットを打って、そのおかげで
 試合に勝ったんだけど、監督のサインを無視した罰で次の試合その選手は干された……
 って話だったっけ。
『オレはな、バントのサイン出したんよ。スクイズのな。けどあんの野郎、それ無視して
 クッソ思いっきり振りやがったんだ。1球目を空振りした時点じゃ「ああ、アイツこのシビれる
 場面で緊張し過ぎて見落としやがった」くらいに思ってな、もう一回スクイズのサイン
 出したんよ。そしたらお前、またフォロースルーで背中にバット当たるくらいの
 マン振りしやがって……』
 マン振りというのはフルスイングって意味らしい。
 そして、二球連続でのサイン見落としは現実的じゃない。
 故意と考えるのが妥当だろう。
「試合後に北川君と話は?」
『そりゃ問い詰めたさ。まあ案の定、「緊張してて見落とした」ってしらばっくれてたけどな。
 で、翌日にもう一回聞いたら今度は「バントを決める自信がなかった」なんて言い出しやがってよ。
 そんでオレは確信したんだ。この野郎、やりやがったなって』
 監督も同意見らしい。
 当然ながら、供述が二転三転する人間は信用出来ない。
 とはいえ相手は高校生。
 そこに矯正すべき悪意や慢心があるか否かを判断するのは簡単じゃない。
 感情に流されず、こうして第三者に相談を持ちかけるこの監督さんはかなりの人格者と見た。
『かといってなあ……頭ごなしに怒鳴り散らしても、最近の子供はすーぐSNSで名指し批判
 しやがるからこっちも迂闊に怒れないんだわ。若い頃なら蹴っ飛ばしてガン付けて
 恫喝してたもんだが、今じゃ撮影されて画像上げられてこっちが一巻の終わりってなワケよ。
 世知辛ぇなあ』
 ……単に時代の所為だったらしい。
 まあ依頼人の人格はこの際関係ない。
 問題は、頭ごなしに叱れない理由が他にあるという現実の方だ。
 なにせ、サイン無視の結果が代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打。
 代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打だ。
 下手に叱ろうものなら、英雄の功績にケチ付ける老害とか言われかねない。
 ――――が、問題の本質はそこじゃない。
 この件のポイントは二つ。
 このまま叱らず放置した場合、北川君が今後、何事においても『結果オーライ』とする人間に
 なってしまうのではないか、という教育的観点。
 そして、サイン無視をした選手を見過ごせばチームに悪影響を及ぼす可能性大、という
 監督的視点。
 論点にすべきはここだ。
 此度のサイン無視から始まった代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打の当事者である
 北川君は、レギュラーじゃなくベンチメンバー。
 しかも九回裏までベンチに残っていた野手だ。
 守備位置との兼ね合いもあるとはいえ、監督からのバッティング評価および信頼度は
 低いと見なすべきだろう。
 つまり、こんな推察が成り立つ。
 彼は、どうしても監督にアピールしたいという強い欲求を持っていた。
 ここでスクイズを成功させたくらいでは、来年もレギュラーにはなれないという危機感も。
 だから、つい衝動的にヒッティングを選んでしまった。
 ここで打って『俺はこういう場面で打てるヤツなんだ』と監督に、チームメイトに、そして
 自分自身に誇示したかったんだ――――と。
 仮にそうだとしたら、話は簡単。
『自分を殺してチームに尽くせ。命令無視は一切許さん。監督の指示は絶対だ』と叱ればいい。
 お前一人を特別視は出来ない。
 もしサイン無視を無罪放免とすれば他の選手に示しが付かない。
 サイン通りにしなくても大した罰はないんだとわかれば、皆自分の願望通りにプレイしてしまう。
 チームをバラバラにしない為にも規律は必要だ。
 ――――と、そんな正論を添えて。
 実際、大抵はこれで納得し、反省もするだろう。
 でも今回のケースで、反省は果たして心からのものとなるだろうか?
 何しろ、命令無視の結果が代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打。
 代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打だ。
 ただのホームランやサヨナラヒットとは訳が違う。
 恐らく北川君にとって、今後の人生も含め最も輝いた瞬間となるだろう。
 そんなとてつもない偉業を、『チームの和を乱しかねない悪行だから駄目』と
 監督に言われたところで、ああそうですね、と高校生が思えるだろうか?
 そうは思えない。
 高校生じゃなく大人でもだ。
 理屈ではそれが正しくても、反省の態度を示したとしても、心の中では『いいや、あそこで
 打ったのは大正解だね。俺がこのチームを甲子園に連れて行ったんだ』と確信しているんじゃ
 ないだろうか。
 なら、幾ら反省を促したところで無意味。
 少なくとも、北川君にとっては。
 そこでもう一つのポイント――――チームへの影響がより重要となる。
 サインを無視してまで打ちに行った北川君に対し、他の選手はどう思っているのか。
 甲子園に連れて行ってくれた殊勲者だと英雄視するだろうか?
 規律を破ってまで良いカッコしようとした自分勝手なヤツ、と思うだろうか?
 答えはわからない。
 わからないけど、恐らく全員がどちらか一方に偏っているとは思えない。
 チーム内での立場や北川君との友情・人間関係によっても変わってくるだろうから。
 劇的過ぎる甲子園出場で盛り上がるその裏で、様々な思いが交錯し、選手内のムードは
 実のところ混沌としているのかもしれない。
 そんな彼らに対し、監督はどうするのが最善なのか?
 北川君を叱れば、やっぱりサイン無視は駄目だよなと納得し、ビシッと引き締まると推察出来る。
 普通ならそうなる。
 でも、代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打によってマスコミから注目を集めている
 現状では、必ずしもそうなるとは限らない。
 今、北川君を叱責し、その監督の行動が明るみに出れば、北川君の
 代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打は『サインを無視して打ったもの』と
 世間から認識される。
 仮に箝口令を敷いても、マスコミ慣れしていない高校球児が全員遵守出来るとも思えない。
 現にサイン無視という形で既に規律違反が起こってるくらいだし。
 んで、もし誰かがポロっと漏らせば、サイン無視の件は各所で議論の的となり、
 こういうケースではまず間違いなく正論である『サイン無視は駄目』の方が優勢になると
 思われる。
 多少の擁護意見はあっても、焼け石に水。
 結果、北川君は勿論、チームの盛り上がりにも水を差すという流れになりかねない。
 これが果たして、甲子園を目指すチームにとってプラスになるだろうか?
 彼らは甲子園常連校じゃない。
 実力よりも勢いとノリで勝ってきた高校のように思える。
 なら、マイナスになる可能性が高い。
 チームを率いる監督として、それは正しい行為と言えるのか?
 ――――こういった問題がある以上、安易なアドバイスは出来ない。
 正論も役に立たないだろう。
 代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打ってのは、それだけ特別な出来事――――
 事件なんだ。
 ならば探偵として、より深い分析と洞察を試みるとしよう。
「監督。サヨナラの時の映像って残ってますよね。宜しければこちらの事務所にお送りして貰っても
 いいでしょうか? 届いたら折り返しこちらから電話を差し上げます。
 勿論、その間は相談時間に含まれませんので」
 甲子園大会地区予選の決勝は、ローカル枠で確実に放送されている。
 学校側も録画してるだろう。
『それは構わねぇけど、なんでまた?』
「北川君の緊張の度合いとか、ちゃんとサインが見えていたかとか、そういった確認の為です。
 メディアはDVD、Blu-ray、USB対応のHDD、どれでも問題ありません。
 着払いも可能ですが、そうでない選択肢もあります」
『……それ暗にこっちで送料負担しろって言ってんのかい?』
「着払いも可能です。ただし、そうでない選択肢もあります」
『わーったよ! そんくらい払うから、しっかり確認してくれよな』
 とても紳士的な対応をしてくれた監督に手厚いお礼を述べた翌日、DVDの入った
 ゆうメールが届いた。
 早速パソコンでチェック。
 冒頭から九回裏だ。
 どうやら該当場面だけをピックアップした編集版らしい。
 九回表が終わった時点で2対5。
 3点のリードを許した中で九回裏を迎えた形だ。
 熊実高校にとっては絶体絶命。
 けれども、相手も甲子園を目の前に緊張している様子で、特に投手は投球練習の時点で
 暴投するなど落ち着きがない。
 案の定、先頭バッターのボテボテのピッチャーゴロをお手玉。
 更に死球、四球であっという間に無死満塁。
 次のバッターはサードゴロでホームゲッツー確実かと思われたが、キャッチャーの送球が
 バッターランナーの後頭部に直撃し、ボールはなんと右中間へ。
 走塁に違反はなく、一気に二者生還。
 しかもバッターはボール直撃にもめげず三塁まで走る根性を見せた。
 この時点でスコアは4対5、一死三塁。
 すると、一点もやれない相手投手がナーバスになり過ぎ、またドラマティックな展開になると
 急にストライクゾーンが狭くなる謎のジンクスがここで炸裂し、連続四球。
 一死満塁になったところで、代打北川君の登場となった。
 ……ノーヒットで2点かつ満塁か。
 敵チームの浮き足立つ姿が痛々しい。
 しかもここで更に地獄へ突き落とされるかと思うと気の毒でならない。
 でも待てよ。
 北川君にはスクイズのサイン出したって言ってたよな。
 満塁でスクイズ?
 野球に詳しくない人にはわからないだろうけど、満塁でスクイズってのは余りやらない。
 タッチプレーじゃなくホースプレーっつって……要は三塁ランナーをスゴくアウトにしやすくて、
 スクイズをするのに圧倒的不利だからだ。
 とはいえ、奇襲でやって成功するケースもそこそこはある。
 特に犠牲フライが期待できない非力なバッターの場合、守備位置を確認の上やらせるのなら
 そこまで悪い手じゃない。
 絶対に最低一点は取らなくちゃならない状況だからな。
 俺はこの時点で更なる分析を試みる為、監督へと電話した。
「DVD届きました。今お時間は大丈夫でしょうか?」
『あー。ついさっき取材が終わったとこよ。いや参ったな、すっかり有名人になっちまったな。
 明日はテレビ生出演の予定だしなあ。あー参った参った。昨日も二時間しか寝てねぇし』
 御年53の痛々しい寝てないアピールは無視するとして、問題はここからだ。
「北川君にはスクイズのサインを出したんですよね。そこまで信頼がなかったんですか?」
『っつーよりは、次のバッターとの兼ね合いだな。決勝って事もあって総力戦でな、
 野手は大方使い尽くして、北川が第二捕手以外で最後の一人だったんだわ』
 これは想定内。
 やはり北川君への期待度は相当低かったらしい。
『で、次は今大会29打数1安打、打率.034、出塁率.034のキャッチャー山根。阻止率も.083、
 捕逸も決勝含む7試合で16……どうしようもないヘボキャッチャーなんだが、何故か
 エースからの信頼だけ無駄に厚くて、他の捕手と組ませてもエースの投球がどうにも
 パッとしないもんだから、仕方なく使ってるキャッチャー山根。
 テイクバックの瞬間に目を瞑るクセがあって、まともに球筋を見ようともしないブラインド打法で
 味方も相手ベンチも大ウケのあのキャッチャー山根だ』
 その山根君が今まさにネクストバッターズサークルで素振りをしている瞬間が映し出されていた。
 素人でもわかるくらい、スイングが貧弱だ。
 というか、素振りの時点で目、瞑ってないか。
「第二捕手は残ってたんですよね。もしその山根君に回ってたら、代打で出せば
 良かったんじゃないですか?」
 高校野球の地区予選でベンチ入り出来るのは18〜20人。
 第三捕手まで入れてるチームは稀だろう。
 よって第二捕手は最後の生命線で、もし怪我すればチームから捕手がいなくなる。
 そんな事情から、第二捕手を代打で出す場合は相当追い詰められた場面に
 限定されるけど、この決勝九回裏は紛れもなくそれに該当する場面だ。
 とは言え――――
『そいつは難しいなぁ。補欠のキャッチャーは今大会一度も打席に立ってねぇのよ。
 そんな生徒を決勝の九回裏、1点差の二死満塁で出すのは可哀想だろ?』
「ですよね」
 所謂『思い出代打』以外では中々打席に立つ機会がないのが第二捕手の宿命。
 そんな選手にチームが生きるか死ぬかの命運を託すのは酷だ。
『他じゃ口が裂けても言えねぇけどな、ここだけの話、ウチはエースのワンマンなんだわ。
 その決勝でも、もし延長ならエース続投、エースと心中って決めてたから、
 キャッチャー山根に代打ってのはどのみち無理だったろうな。
 この辺は弱小高校ならではの層の薄さっつーか、どうにもならねぇところなんだわ。
 せめてキャッチャー山根がもうちょっとシャキッとしてりゃ楽に勝てたんだがなぁ。
  あの野郎、コミュ力だけは妙にありやがって、エースだけじゃなく内野陣からも
 やたら信用されてて、特に根拠もねぇのに『リードが良い』『リードが良い』って
 口揃えて褒めやがるから、こっちも使わざるを得ねぇ訳よ。けどなぁ……
 アイツを甲子園でも使わにゃならんのは本当に辛いんだわ。
 ネットでダブリューダブリューダブリュー言われると思うと今から胃が……はぁ』
 後半ほぼ山根君への執拗なバッシングで埋め尽くされていたものの、シチュエーションは
 ほぼ理解出来た。
 もし北川君で点を取れず、二死満塁で打率.034の山根君――――となると、
 得点の可能性は一気に減る。
 だからリスク承知で、監督は代打の北川君にスクイズを命じた。
 犠牲フライでも一点なのに……と見ている側は軽々しく言うけど、一死満塁で
 犠牲フライを打つのは難しい。
 守備側はホームゲッツーの為のシフトを敷く状況だし、当然ゴロを打たせる配球になる。
 高校生の投手がそのリード通りに投げられるかというと、決してそう上手くは
 いかないんだろうけど、少なくとも普段以上に低めに集めようとするのは間違いない。
 まして、外野フライを打とうと力めばプロでもミスショットが増える。
 総合的に見て、スクイズという選択肢は最善かどうかは兎も角『アリ』な場面だと思う。
 つまり、監督の愚策に対する反抗として北川君がサイン無視を行った可能性は極めて低い。
 ま、これは元々考慮に入れてなかったから、あくまで念の為の確認ってところだ。
 一方、北川君の心理はさっきも想像したように、目立ちたかったってのが最有力だ。
 少なくとも、チームを第一に考えた献身に起因する選択とは到底思えない――――
『……あ、コレまだ言ってなかったな。実はな、今年甲子園に出られなかったら野球部は廃部、
 オレはクビになる予定だったんだわ。色々あって』
 ――――と思いきや、新たな事実がここで判明!
 北川君の打席には、思った以上に重い責任がのし掛っていたらしい。
 もしサインを無視してまで打ちにいった結果、ゲッツーで試合終了なんて事になったら
 彼は今頃とてつもないバッシングに遭っていたかもしれない。
 そう思うと、我欲だけでサイン無視をしたとはちょっと思えなくなってきた。
 甲子園出場、レギュラー奪取、自己顕示欲の充足、野球部存続、監督の今後の生活。
 何を優先すべきか検討しようにも、一個一個が重すぎて天秤がぶっ壊れそうだ。
 混乱する頭を整理する間もなく、パソコンの画面上では高校野球の歴史に残るであろう
 代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打の瞬間が刻一刻と迫っていた。
 北川君は右バッターらしい。
 投手も右、やや腕を下げて投げるタイプだ。
 1球目はアウトローの変化球……多分スライダーだろう、それを空振り。
 監督の話にあったように、フルスイングだ。
 目を擦ってる素振りもなく、サインを見落とすほどガチガチにも見えない。
 サインを確認している様子も見受けられる。
 この映像を検証する限りでは、見落としの可能性はゼロだ。
 そして2球目。
 恐らく1球目と同じコース、外の低めを狙ったボールが真ん中へ入ったところを
 再びフルスイング。
 完璧に捉えた打球は、あっという間に左中間へと消えていった。
 そこそこ入ってる観客も大興奮。
 当然、熊実高校野球部はそれ以上にヒートアップ。
 打った北川君はまるでウンコ漏らしそうな三段跳びの選手が必死で気を逸らそうと
 ピョンピョン跳ねているような動きでダイヤモンドを一周していた。
 究極の重圧と、究極の解放。
 頭の中は真っ白だろう。
 最早、彼本人に話を聞いても、当時の本当の心境を語るのは難しいんじゃないだろうか。
 まして他人が推し量るなんて不可能に近い。
「監督の苦悩、お察しします。これを一人で判断するのは無理です」
『わかってくれるか』
「教育の観点から言えば、叱らない訳にはいかないでしょう。なんでもかんでも命令に従うのが
 正しいって訳じゃありませんが、ならサイン無視を結果論で正当化していいのか、
 というのは別問題です」
 高校の部活は教育の一環。
 勝つ事の大事さを学ばせる一方で、勝つ為のプロセスや勝敗が決した時の心の持ち方なども
 しっかりと教えなくちゃならない。
 そして教育である以上、一方的に命令して守れなかったら処罰、という安易なシステムを
 採用して良い筈もない。
「とはいえ、こんな人間の感情の花火大会みたいな歴史的名場面にケチを付けるような真似は
 私としても気が進みません。それに、一本のホームランによって監督も野球部も救われた事実は
 大き過ぎます。貴方の立場で叱っても、北川君の心には恐らく響かないでしょう。しかも今、
 熊実高校は全国的に、それも大々的に取り上げられてフィーバーになってます。
 その盛り上がりに水を差すのも……」
『そうそう、それだよ! 水差し野郎にだけはなりたくないのよ。そうか、わかってくれるか。
 アンタ、オレの苦しい立場をわかってくれるか……』
 電話の向こうで監督は感極まっていた。
 実際、それくらい追い詰められていたんだろう。
『そりゃ、甲子園出場は嬉しいさ。でもな、こんな脚本を用意した神様をオレは恨むよ。
 全くなんて事してくれたんだ、ってな』
「お察しします。とはいえ、神様の所為にばかりしても何も解決しないんで、
 俺なりの結論をお伝えします」
『おお、頼む。そこまでオレの気持ちをわかってくれてるアンタに従うよ……』
 今度は俺に重い責任がのし掛ってきた。
 まあいい。
 探偵たるもの、時に泥を被るのも必要だ。
「総合的に考えて、今回に限っては例えサイン無視という重大なルール違反であっても
 監督は怒らない方が良いと思います」
『そ、それで本当に良いんかい?』
「はい。とはいえ監督の立場上、何も言わないって訳にもいきません。
 そこで、抑えておきたいポイントは、『北川君の増長』と『チームへの悪影響』。
 この件を乗り切る上で、監督が絶対にしちゃいけないのはこの二つです。
 特に、代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打というマモノを北川君に
 取り憑かせてはいけない。『結果さえ出せば何しても良い』と彼が思わないように
 しなければ。その為には、怒る代わりに――――」
 俺なりに考えた最良の策。
 それは、コレだ。
「『オレが悪い』。関係者全員にそう言ってください」
『……は?』
「まず北川君に、今回の件に触れ『お前のサイン無視な、あれはオレが悪い』とだけ言って下さい。
 他の選手、部長、コーチがいるなら彼らにもです。ところで監督のチームに
 女子マネージャーっています?」
『あ、ああ。いるけどよ』
「なら、その女子マネには特に強調してください。あと、校長や教頭、マスコミなどの関係者が
 代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打について何か聞いてきたら、サイン無視には
 一切触れず『あれはオレが悪い』とだけ言ってください」
『そ、それで解決するものなんか?』
「恐らく。それを徹底するのが、今貴方に出来る最善です」
『……わかった。それでやってみる。ありがとう』
 釈然としていない様子だったが、前言を撤回する事なく監督は電話を切った。
 サイン無視から始まる代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打事件。
 果たしてその結末は如何に。
 というか、俺は今日何回『代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定本塁打』と言ったんだろう。
 一生分言った気がする。
 いや、普通の一生を送ってたら一回も使わない言葉なんだろうけど。
 そもそも、より正確には代打逆転サヨナラ満塁甲子園出場決定廃部回避本塁打、か。
 ま、正式名称はどうでもいい。
 何にせよ、今年の夏はちょっとだけ楽しみが増えた。
 頑張れ熊実高野球部。
 逆風に負けるな熊実高野球部。
 その心からのエールをもって、俺はこの日の業務を終えた。








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