まあ、ともあれ。
 死後の世界、なんて生前に腐るほど耳にして、自分なりに考えた結果、『ねーわ』と
 結論付けていたそんな空間に、今俺はいる。
 この場合、なんと言えば良いのか。
『ラッキー! 神様って粋だねえ! 下町出身だね!』
 そう叫んでも良いのかもしれないけど、なんとなくそう言う気分になれないのは、
 やっぱり一応俺なりに自分が死んだ事に対してのショックと言うか、何処か現実として
 受け入れられないトコロがあるんだろう、と自己診断せざるを得ない。
 俺は確かに死んだ。
 でも、心のどこかで、これは夢だと信じているフシがある。
 実際、自分が死ぬ夢なんて腐るほど見てきた。
 川に転落する夢。
 運転した事もない自動車を運転して、海に飛び込む夢。
 何処からか、落下している夢。
 ライオンに背中から飛びつかれる夢。
 ツナミのような炎が押し寄せてきて、飲み込まれる夢。
 不思議と、拳銃で撃たれたり、車に跳ねられたり、誰かに絞殺されたりという、
 ドラマでおなじみの死に様は一度も出てこなかったけれど、割と自分が絶命する
 シチュエーションって言うのは、定期的に夢の中に出てきていた。
 そして、その度に例外なく、これが夢であると言う事を自覚している。
 恐怖心や焦燥感は、致命傷を負う寸前まで。
 そこで、これが夢である、と言う事に気付く。
 すると、もう朝だった――――なんて事が、これまで幾度となくあった。
 余り夢って内容まで覚えているものじゃないんだけど、自分が死ぬ夢だけは、
 何故か詳細まで覚えていたりする。
 不思議なもんだ、と生前はちょっとだけ考察したりもしたっけ。
 で――――生前、なんて言葉をしれっと使ってはいるけど、今回の事も、
 その中の一種、つまり夢なんじゃないか、と思ってたりする。
 するんだけれど、違うとも感じている。
 何故なら、こんなベタな『あの世』は、夢の中には出てきた事がないから。
 足元には、雲のような煙のような、白いモコモコとした塊がある。
 俺はその上に、普段外出する時に着るパーカーとジーンズ姿そのままに立っていた。
 靴はローファー。
 かなり使い古してるから、底が浅い。
 でも、地面の感触は一切なかった。
 奇妙。
 夢なのか現実なのか、ハッキリしない理由の一つがコレだった。
 あと、周囲には誰もいない。
 三途の川とやらは、もう渡って来たのか、若しくは元々ないのか、それとも
 ここがやっぱりあの世じゃないのか、兎に角ない。
 一面、雲の絨毯。
 ただし、その上には空は広がっていない。
 ベージュがかった色が、薄いグラデーションを作りながら、一面を取り囲んでいる。
 立体的ではあるけど、何処か現実感を見出せない、のっぺりとした印象も残る。
 ますます、わかり辛い。
 つーか、困った。
 何をどうすれば良いのやら。
 これだったら、もっとベタに、それこそ閻魔大王の前に頭の上にワッカの浮かんだ
 連中が、行列を作っている光景の方が、よっぽど納得出来る。
 自分が死んだと自覚出来るだろう。
 中途半端な!
 取り敢えず、このままボーっとしてても仕方ない。
 誰かいないか、何かないか、探すしかないだろう。
 夢なら、覚めるまで待っても良いんだろうけど、別に待たなくても問題ない。
 だったら、能動的になるべき。
 まあ、そこには自分が死んでいるものと仮定して動くと言う前提条件が付くから、
 能動的だけど超ネガティブと言う、自分でもワケわからん状況に身を置く事に
 なるんだけど、それも致し方なし。
 元々、暇を持て余すのが苦手なタイプなんだ。
 取り敢えず、今向いている方向に――――
「すっ、すすすすす、すいません!」
 突然の、外部からの音。
 耳が震え、心臓が跳ねる。
 心臓……動いてんじゃん!
 うおう、これは流石にテンションアップ!
 これはもしや、生きてる証拠!?
「2010年10月11日、14時36分45秒62に死んだ方ですよね?」
 ……死んでたらしい。
 100分の1秒単位で死んだ時間を言われた日には、認めざるを得ない。
 確かに、それくらいの時間だった気がするし。
「ああ。確かに死んだな。悪いか? 俺が死んだら悪いのか?」
「ぴきゃーっ!? すすすす、すいません! すいませーん!」
 何気ない俺の問い掛けに、声を掛けてきた何者かが怯える。
 えらくビビリだな。
 まあ、それには俺の声が少なからず原因の一つとなってるんだろう。
 俺は、声が低い。
 ただ低いだけじゃなく、周波数が低すぎて人の聴覚で感知出来る範囲外だ
 とさえ言われるほど、低いらしい。
 そこまでじゃないと思うんだが、実際『高い音は聞こえないが低い音は抜群に聞こえる』
 と評判の、老人性難聴気味の近所のジジイにも、偶に聞き取れない音があるとか言われて、
 かなりショックだった日の事は今でも覚えてる。
 こんな声、89年生きたが聞いた事ない、とさえ言われた。
 結果、ついた渾名が『未確認生物』。
 ただ、コレだと不本意極まりないんで、最終的には『ユーマ』で落ち着いた。
 これならまあ、人の苗字とも名前とも取れるしな。
 実際はこんな名前じゃないけど。
「あ、ああああの、あああああの、あああああの、すいませんごめんなさい。
 もうしません。もうしませんからぁ。もうしませんからぁぁぁ」
 にしても、ビビられ過ぎだと思う……遺憾だ。
 遺憾の意を表明しようと口を開きかけたけれど、慌てて閉じる。
 ここで何か言えば、またビビらせかねない。
 俺は満面の笑顔で、敵意がない事をアピールした。
「ぴきゃーーーーーっ!」
 泣かれた。
 赤ん坊みたいに泣かれた。
 不本意だ。
 いや、俺、顔は怖くない筈だぞ?
 声は100歩譲ってダイナミック音源だけど、顔は寧ろ童顔だ。
 そのギャップが怖いって言われた事はあるけど。
「はうはう。すいません、今のは間違いでした」
「どんな間違いだ……」
 向こうさんの手違いだったらしい。
 まあ、良くある事か。
「ともかく、俺は元からこう言う声なんで」
「は、はい。承知しています。ただ想像以上だったので、思わず縮み上がって
 発狂しかけただけなのです」
 えらい言われようだった。
 俺の声は、気を狂わせる作用があるってのか。
「ともあれ、失礼しました。わたくし、これから2010年10月11日14時36分45秒62に
 お亡くなりになった貴方を案内する、43番目の女の子と申します。いましばらくのあいだ
 お見知りおきなど」
 いきなりツッコミどころ満載な自己紹介をされた。
「いや、俺を呼ぶ時毎回それで行くってんなら、止めはしねーけどさ」
「そ、そそそんな! 皆さん、流石にコレはイヤだって言って本名を名乗ってくれますけど!?
 ちなみにわたくし、規則で貴方のお名前を言う事が出来ないのです」
 どう言う規則だ……
「ユーマって呼んでくれ。本名じゃないけど、そう呼ばれてた」
「ああ、アダ名ですね。それはとっても助かります。では、ゆーまさん、とお呼びします。
 わたくしのことは、気軽に43番目の女の子とお呼び下さいね♪」
「スゲー嫌なんだけど……」
「ど、どどどどうしてですかっ」
 気軽に呼べるかよ、そんな卑猥な連想しか浮かんでこない呼び方。
「では、43を語呂合わせして、ヨミとお呼び頂ければ」
 えらく用意が良いのは、恐らく他にも拒絶の構えを見せた奴がいたからだろう。
 まあ、それなら別に問題ない。
「で、ヨミさん。ここは一体何処で、俺は一体どんな状況なのか、教えてくれるんだよな?」
「えええと、はい。ただ、わたくしは説明は超苦手なので、他の方にお任せします」
 ……はい?
 突然ヒョイと狂言回しのような物言いで現れて、ここでいきなりバトンタッチするってのか?
 最近の女子はわからない……
「ちょっとお待ち下さい、お手間は掛かりませんから……んと、はい、そゆ事です。
 ええ。ええ。ういうい。はい、お願いします」
 ただ――――確かに、手間は掛からなかった。
 寧ろ、一瞬だった。
 俺は、不安と言うか懸念と言うか、自分の生死の判断すら出来ていない自分の不安定さを
 暫く忘れるくらい、目の前の奇妙な光景に目を奪われていた。
 眼前にいるのは、女。
 変わらない。
 外見も変わらない。
 肩まで伸びたフワッと仕上がっている髪が特徴的な、ほんわかした雰囲気の子。
 その顔の造形も、一切変わってない。
 格好も、別に白装束とか着物とかを着てるワケじゃなく、普通のツインワンピース。
 しかし表情が一変している。
 そして、まとう空気も別物になっていた。
「パーソナリティナンバー43が失礼しました。人当たりの良さから、初対面の方には"彼女"が
 対応しているのですが、どうにも要領を得ませんで……」
 そして、口調もまるっきり変わっていた。
 一方、声は同じ。
 そして俺は、なんとなく、ピンと来た。
 ただ、その答えには二通りの解釈が出来る。
 演技か、否か。
 いずれにしても、この状況で導き出される答えは一つ。
「二重人格なのか」
「いえ違います」
 即座に否定されたーっ!
 決め付けた上に『二通りの解釈が出来る』なんてカッコつけたのがバカみたいだーっ!
 口に出してなくてよかった……末代までの恥かくトコだった。
「私は、108重人格者です」
 ……は?
「私の中には、108の人格があります。ジェニーに比べれば、まだまだ少ないのですけど」
「いや……多くね? 寧ろ途方もなくね?」
 二重人格説は、数で圧倒されてしまった。
 108て。
 煩悩の数だけ人格がある、って事なのか?
「尚、私はパーソナリティナンバー30に該当します。ミオとお呼びください」
「はあ……なんて言うか、苦労したんだな」
「皆さんそうおっしゃってくれますが、死人に言われる筋合いもないんですよね」
 軽く毒を吐かれた気がしたが、まあ良い。
 多重人格過ぎるこの女の事も、さて置くとして。
 まずは、自分の事を知ろう。
「では、改めて、ユーマ様の現状について報告します」
 微かに身体が強張る中、俺はミオとやらの説明に暫し耳を傾けた。
 俺が死んだのは、さっきヨミが言ってた2010年10月11日14時36分45秒62との事。
 場所は、家の近所。
 俺は現在大学一年生なんだけど、この日、学校は休みだった。
 自分に合った学力の公立大学を選んだ結果、自宅の割と近くだったものの、
 いろいろあって一人暮らしを始めたのが七ヶ月ほど前の事。
 期待三割、不安七割で挑んだ大学生活は、見事に友達も出来ず、ただ
 漫然と、講義のある日に大学へ行き、講義を受け、そして街でウロウロした後に
 一人暮らし中のアパートへ帰るという、それだけの日々を過ごしていた。
 大家とも、初めてそのアパートに入った日以降は会ってない。
 この日、俺が死んだのも、恐らく誰も知らないままじゃないだろうか。
「……自転車で走行中、右側走行して来た老人の覚束ない運転の自転車を
 少し大きめに膨らみながら交わしたところ、その背後から救急車に追突され、
 そのまま意識不明に。衝突から3分12秒後、死亡が確認されました。ちなみに、
 この場合現場にて死亡したので、即死と言う表現が使われています。よって、
 ユーマ様は救急車に跳ねられ即死、と言うのが死亡診断書の記載となるでしょう。
 この場合は、死亡時刻と事故発生時刻を同じとするケースに該当するので、
 事故発生時刻が真実より3分12秒遅れると言う事に……」
「いや、その辺はどうでも良いけどさ」
 自分が死んだ状況を克明に聞かされるってのは、スゴくヤなもんだなとわかった。
 更に困った事に、若干だけれど、記憶がある。
 自分が跳ねられた瞬間ってのは、わからないけど、その後に道路に倒れこんで
 暫くの間生きていた時間。
 それは、まだ生々しく記憶の中に残っていた。
 それが、自分の死を自覚させる。
「……っ」
 堪らなく押し寄せてくる感情は、悲しみ――――じゃなかった。
 恐怖。
 今頃になって、身体が震え出す。
 理由は良くわからない。
 何を怖がっているのか、どうして今更怯えなきゃならないのか。
 自覚のない震えが止まらない。
「それは、身体が死の瞬間を思い出す事で起こる、条件反射のようなものです」
 醜態を晒す俺に、ミオは静かに告げた。
 恐らく、こう言う状態になった人間を、何度も見てきたんだろう。
 そう言う、冷めた反応だった。
「……俺が死んだのはわかった。で、ここは何処で、アンタは何者なんだ」
「直ぐに切り替えられるのは、大したものです」
 余計な褒詞に顔をしかめると、ミオは一瞬表情を崩し、そして直ぐに
 朴念仁のような顔つきで微かに目を細めた。
「ここは、恐らくは貴方も予見している通り、死後の世界となります。
 特に名はありません。生前の世界をそう呼ばないように、ここも特に死後の世界とは
 呼んでいません。便宜上、そう呼ぶことはありますが」
「じゃ、アンタは差し詰め水先案内人、ってトコか?」
「いえ。それは、ここまで貴方をお連れする者の俗称です。死んだ人間の意識を
 最小のデータになるまで分解し、それを運び、ここで再生すると言う働きをする者ですね」
「データ通信みたいだな……」
「似たようなものですね。そして、私はその運び込まれた死者、つまりは貴方に対して
 別の案内を行う仕事をしている、ムネモシュネと言う職種の者です」
「ムネもシュッとね?」
「……」
 蹴られた。
 無言で。
 顔面を。
「私はヨミと違い、その手の冗談には手が出ます。以後注意を」
「手じゃなくて足が出た気が……って言うか、冗談じゃなくてただ噛んだだけなんだけど、
 なんかすいません」
「謝られると余計蹴りたくなる……」
 事務的な、冷静沈着な対応に終始していたミオという人格は、一皮剥けると
 やけに凶暴だった。
 つーか、108も人格あるんだから、もっとのっぺりとしてろよ。
 一つの人格がそんな複雑に入り組んでて大丈夫なのか?
「取り敢えず、職種のことはさておき。貴方にはこれから、消えて貰います」
 急にしれっとえげつない事を言われた。
 消えて貰います?
 どう言う事?
 ここ、あの世じゃなかったのか?
 死者って普通、あの世で無事に暮らしましたとさ、めでたしめでたし、じゃねえのか?
「所詮は死人ですから。いつまでも居てもらっては、生きている方々の迷惑になります。
 酸素だって食料だって有限なんですから」
「……死人って、酸素吸入したり食事したりしないとダメなのか?」
 もう肉体は機能を停止してるんだ。
 つーか、今ここにある俺の身体だって、昨日までの身体じゃない筈だ。
 もしそうなら、相当損傷してる筈だしな。
「いえ。恐らくご想像の通り、その肉体は貴方がこれまで使用していた肉体ではありません。
 貴方の記憶が投射しているモノです。イメージしている、と考えてみてください。
 ですから、食事をしなければ、或いは呼吸をしなければ、その肉体が衰弱、そして
 崩壊すると言う貴方のイメージも同時に投影されるんです」
「なるほどね」
 それは納得した。
 でも、消えなきゃいけないってのは、どうにも納得出来ない。
 つまり、また死ねってコトだろ?
 何が悲しくて、二度も死を体験しなきゃならないんだ……不憫すぎるだろ。
「誰もが通る道です。ガマンして下さい」
「そうなのかよ……生き残る方法とか、ないの?」
「ありません。何故一度ここへ魂とも呼ぶべき今の貴方が訪れたのかと言うと、
 消える前に一作業行って貰う必要があるからです」
 一作業……なんだろう。
 書類でも書かされるのか?
 私は確かに死にましたので、身体の方は好きに焼いて埋めちゃってください、とか。
「貴方には、これから自分の人生の分岐点へ立ち返って頂きます。そして、
 その中で一つだけ、一度だけ、その分岐点で現実と違う選択をして貰います」
 そのミオの解説は、俺の理解力を超えるものではなかった。
 難しい言葉は一つも使ってない。
 だが、全く意味がわからなかった。
「……まず、何故それが可能なのかを聞きたいんだけど」
「それは単純です。貴方の記憶を逆走します」
 記憶、ね。
 それも脳ミソの中だとしたら、本来なら俺とはもう切り離されてる訳だけど。
 ただ、俺には実際のところ、生きていた頃の記憶が丸々残ってる。
 記憶ってのは、脳内で行うものじゃないってコトなのか?
「何故、今の貴方に記憶があるか。それも単純明快。イメージです」
「何でもかんでもイメージか。都合が良い話だ」
「実際そうなのですから、私に皮肉を言われても困ります。貴方は、
 まだ生きている貴方が投影したイメージですから」
 ……何?
「この場所は、時間の概念がありません。正確には、ない訳ではないけれど、
 あってないようなもの、なんです。ここでの時間の流れは、貴方がこれまでの
 生活の中で感じていた速さとは比較にならない遅さで進んでいます。
 貴方の生きていた世界の時系列で、この世界の1秒後に辿り着く事はありません」
 今度は一転、チンプンカンプンだ。
 微分積分のようなものなのか?
「わかり易く言えば、時計が何億年かに一度、秒針を一つ前に進めるようなものです」
「……マジか」
 確かに、殆ど止まってるようなものだな。
 つまり、ここには時間というものがない、と考えても良いらしい。
 ってコトは――――
「貴方はまだ死んでいません。死ぬ寸前ですが、その状態でここに人格だけが
 運ばれました。ただ、人格は自分が築き上げてきた身体を常にフィードバック
 しています。結果だけでなく、そうなるに到った過程も伝達しているんです。
 ですから、人格は記憶も投影すると言う事です。良くわからないのであれば、
 死ぬ瞬間に見ている夢とでも思っていてください」
「そうする」
 深く考えても仕方ない。
 これが、例えば俺が寝てる間に綿密に打ち合わせされたドッキリで、
 目の前のこの女性が役者か何かだとしたら、そのドッキリを見破る為に
 隠しカメラでも探し出そうと考える。
 でも、そんな気にはなれない。
 あり得ない事だから。
 俺は、確かに救急車に轢かれた。
 そして、致命傷を負った。
 その生々しい記憶は、忌々しい事に、結構な鮮度で残っている。
 これは、否定出来ない現実だと訴えるかのように、くっきりと。
 だったら、この多重人格を自称する女の発言が電波だろうが真実だろうが、
 それに大した意味はない。
 俺はもう、死んだんだから。
「……人格を変えます」
 そんな、俺の諦観の念を感じ取ったのか。
 ミオはそんな宣言と同時に、両目をゆっくりと閉じた。
「お願いします。私には、この役割は出来ませんので……はい。そうです」
 そして、さっきもやってた、自分同士の会話。
 でも、不思議と違和感は一瞬で消えた。
 恐らく、何度も何度も行ってきたんだろう。
 やけに自然な口調だった。
「私だって、慰めるのは苦手なんだけどね」
 口調が、先程のミオよりもややフランクになっている。
 でも、ヨミとも雰囲気は違う。
 何処か大人びた、掴みどころのない空気。
 外見に変化はないが、表情と顔つきは別人だった。
「はじめまして。私は23番。フミ、が一番名前っぽい呼び方だから、そう呼んで
 くれると良いよ」
「あ、ああ。フミ、だな」
 今度はフミさんか。
 なんとなく、さん付けしたくなる人格だった。
 つーか、ホントに108も人格あんのかよ。
 どんな頭の中になってんだ?
「えっと、名前は……そうそう、ユーマくんって呼ぶんだったね。
 あんまり悲観的になる事はないよ。人間誰だって死ぬし、そうすれば割と高確率で
 ここに来る訳だし。ミオっちじゃないけど、誰もが通る道なんだよ」
 フミと名乗った人格は、比較的話しやすい雰囲気を持っていた。
 なるほど、だからこの人格にバトンタッチしたのか。
 俺を慰める為に。
 俺が、その言葉を聞き入れやすいように。
「わかったよ。でも、もう一つ聞きたい事があるんだ」
「良いよ。って言うか、切り替え早いね。君くらいの年齢だと、殆どの人は
 自分が死んだ事を自覚するのに何日も掛かるんだけどね。ま、ここに時間の概念は
 あってないようなものだから、何日っていう表現もおかしいけど」
 そりゃ、そうだろう。
 俺は偶々、自分が『こりゃ死んだだろ』って記憶が残ってるから、割り切れる。
 自殺した奴等なら、余計そうだろう。
 でも、中には、自分が死んだ瞬間を記憶しないで死んだヤツも、ごまんといる筈。
 病気で、あと3ヶ月の命とでも言われたヤツだって、キッチリ3ヶ月後に死ぬ訳じゃない。
 そう宣告されても尚、生き延びるかもしれないと希望を持ってるヤツだっている。
 そんな中で、突然発作が起きて気を失った場合、自分がその後死ぬなんて
 果たして思えるだろうか?
 多分、思えないだろう。
 自分が死んだ、なんて、そうそう認められるもんじゃない。
 そう言う意味では、俺は運が良かったのかもしれない。
 死を自覚する事が、何かに役立つとも限らないけれど。
「じゃ、早速。俺がこれからさせられる事には、何か意味があるのか?」
 記憶を逆走して、自分の人生を振り返る。
 その中のターニングポイントに立ち返り、それを見ていく。
 そして、その中の一つだけ、現実に行ったコトと違うコトをやってもいい――――
 ミオがそんな説明をしていたが、それに何の意味があるのか。
「えっと。理由は二つあるかな。一つは、自分が死んだ、っていう自覚をして貰う事。
 自分の半生を振り返る事で、そう言うムードになるからね。そしてもう一つは……
 これは、今は言えない、かな。言うとこれからする事がムダになるからね」
 そう言う事らしい。
 まあ、無理に聞き出しても仕方ない。
 正直、そんな元気も残ってないしな。
 これでも結構、落ち込んでるんだ。
 正直な所、自分が死んだなんて、思いたくない。
 記憶や状況、様々な要素が、客観性をもって俺の死を伝えている。
 でも、認めたくはない。
 認めなければ、どうにかなるかもしれない――――そんな途方もないような
 願望さえ、俺の中で一縷の望みとして、燦然と輝いていたりする。
 もしかしたら――――この女の言う通りにして、何か正しい選択でもすれば、
 生き返るコトが出来るんじゃないか、って言う、何の根拠もない、淡い期待。
 何かしらの不可思議なイベントがある場合、それには御褒美が付随すると考えるのが、
 人間として当然の思考回路なんじゃないだろうか。
 ただ――――俺は、それを聞けずにいた。
 否定されれば、希望は全て消える。
 そうなると、今から何かをするにしても、もうそれを行う気力は残らないだろう。
 最後の希望は、本当に死ぬまで心の中に残しておきたい。
「それじゃ、過去への案内役に代わるね……うん、そうそう。えっとね、けっこう
 大丈夫だと思うよ。うん、そんな感じ」
 俺の葛藤を見抜いてか、一区切り付いた所でフミさんは別人格と話を始めた。
 この人とはもう少し話をしたかったけど、仕方ない。
「……ん。あ、はじめまして。パーソナリティナンバー7番のナナです。
 これからユーマさんをユーマさんご自身の過去へご招待します。ヨロシクお願いします」
 今度は、ナナか。
 今迄で一番おっとりしてるな。
 なんとなく、外見のイメージとピッタリはまる感じ。
 この人も話しやすそうだ。
「では、早速殴らせて頂きますね」
「待て待て待て! フタを開けりゃ一番の危険人物じゃねーか! どう言う脈絡だよ!」
 ナナと名乗った女は、人懐っこい笑顔で生粋のインファイターのような構えを
 取り、顎を引いていた。
「あれ? 説明、受けていませんでした?」
「何の説明だよ! つーか、どう言う説明があっても、殴られる事を享受する
 つもりはねーよ!」
「えっとですね。過去へ遡るには、気絶してもらわないとダメなんです。
 ですから、殴って気絶させないと……ふつふつ」
 ナナは沸々と燃えていた。
 ってか、口に出すヤツは初めて見た。
「気絶、しなくちゃいけないのか……?」
「はい。本物の肉体ではありませんが、ユーマさんが『殴られた』と自覚すれば
 痛みは感じますし、『殴られたらこうなる』と言うイメージを持っていれば、
 それも投影されるので、アザとか出血とかもしますけど、そこはグッとガマンしましょう!」
「アホかあああああっ! 何で黙って女に殴られて出血しなくちゃなんねーんだよ!」
 理不尽だ。
 ただでさえこの若さで死んで、死ぬほど理不尽な思いしてんのに、その上
 女に無抵抗で殴られるのをガマンしろ、ってか。
 これは断固拒否だ。
 俺のなけなしのプライドが立ち消えちまう。
「仕方ありません……であれば、実力行使でゆきますよ」
 ナナは、口調や表情、或いはその名前から受ける印象とは裏腹に、
 凶悪なまでに歪んだ笑みを浮かべ、身体を揺すり始めた。
 ホントにボクサーの動きだ!
 女子ボクシングって、確か割と最近プロ化してたけど、まさかその選手じゃないだろうな。
 だけど、俺だって男の子!
 しかも、もう19歳!
 そう簡単に殴られる訳には行かない。
「いきますよー。とー!」
 こんニャロ、突っ込んできやがった!
 嘗めやがって、そう簡単に殴られてやるものか。
「ザケんな、返り討ちにしてやる!」
 俺も腰を沈め、対抗。
 格闘経験はない。
 運動神経は、並よりは上。
 体育は大抵5段階評価で4だったし。
 だから、避けるくらいは――――
「くらうのですよー! とあーっ、はうーっ!?」
 出来た。
 しかも、避けた俺の脚に引っかかって、勝手にコケた。
 そして、頭から雲みたいな地面に突っ込んだ。
 そのまま――――動かなくなった。
「……あれ?」
 良いのだろうか、コレで。 
 なんか、自分でも『やらかしちゃった』感が尋常じゃないくらいある。
 話が進まないぞ。
 ここは、大人しく殴られて気絶したほうが良かったんじゃなかろうか……
「おい、しっかりしろ。おい!」
 取り敢えず、倒れこんだナナを起こしに近付く。
 罠、じゃないよな……
「きゅ〜」
 気絶していた!
 気絶させると言って息巻いてたくせに、自分が気絶してどうすんだ!
「おい! なんか悪かったって気もするけど、そっちもそっちで
 結構無責任だろ! 起きろ!」
 身体を揺する。
 女の子の身体を触るなんて初めてだ。
 ちょっと緊張。
 いや、かなり。
 でも、それどころじゃないのも確か。
 複雑な気分で揺り動かすが、一向に起きる気配はない。
「つーか、こう言う時は都合よく別の人格に代わったりするのが多重人格者の便利なトコ
 じゃないのかよ! 誰か別の、出て来いや!」
「出てきておる」
 のわっ!?
 突然、ナナの目が開いた!
 ってか、ナナじゃないな、今のは。
 声が急に低くなった。
「おのれ、いたいけな女子の身体を傷付けおって……ブツブツ」
 今度はなんか、お姫様口調の人が出てきた。
 すげーバリエーションだな。
「一応、自己紹介をしておくか。妾は、103番の女。トミ、と呼ぶが良い」
 トミさん、ですか。
 大正生まれの女性のような名前なんで、ある意味口調とマッチしていた。
「さて。自己紹介したところで……このうつけがっ! 気絶しなくては話が
 進まないというのに、妾を気絶させてどうする!」
「いや、俺が気絶させたのはナナって女であって、アンタじゃない」
「やかましいわっ! ほんに、初対面で妾の多重人格を言い訳に利用するなんぞ、
 流石に貴様が初めてじゃぞっ! この不埒モノめがっ!」
 超怒られた。
 初対面の人間をいきなり殴りつけようとした相手に。
 理不尽すぎやしないか。
「とは言え、そこまで殴られるのがイヤと言うのなら、致し方あるまい。
 妾も鬼ではない。良き方法を授けよう」
「あるんなら最初から出せよ! ったく……ん、何だ、何処へ行く?」
 嘆息する俺を尻目に、トミさんはトテトテと俺から離れて行った。
 方角がわからないし、何か目標物があるわけでもないんで、その目的が
 一向に読めない。
 あ、戻ってきた。
 ますますわからな――――
「な、なななななななななな」
 思わず身体が震える。
 トミさんは――――いったい何処から用意したのか、巨大なハンマーを持ってきた!
「コレで有無を言わせずぶん殴れば、女子に殴られて気絶と言う屈辱からは
 回避する事が出来ようぞ」
「格好の問題じゃねーよ! 待てって、マジでそんなので殴られたら死ぬ!」
「もとより死んでおるわ! さあ、いい加減観念……しろーーーーーーーーーーっ!」
 俺の身体よりでかいんじゃないか、と言う木製のハンマーが振り下ろされ――――
 そこで、俺の意識は完全に途絶えた。







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