「失礼しま……あれ?」

 その日の夜。

 定期報告の為にクールボームステプギャー教授の部屋を訪れたウォルトは、先客がいた事に驚きを禁じ得なかった。
 クールボームステプギャー教授は人格者だが、意外と人を選ぶ毛でもある。
 余り他人を教授室に招く事はしないのだが――――

「うい、お疲れ」

 その選抜された人物が、あのヘレンチアだった事が余計に驚愕の度合いを濃くした。
 尤も、彼女を評価しているのは発言内容からも明らかではあったが。

「どうだった? 殴り合い」

 そのヘレンチアが突然、物騒な単語を放り込んでくる。

「してませんよ、殴り合いなんて。何ですかいきなり」

「殴り合いでしょ? 研究者にとって議論は。腕力自慢のバカ共は物理的に殴り合って友情を温める非効率的な作業を賛美する傾向にあるけど、あたし達は言葉で殴り合って親交を深める。違う?」

「違いませんけど、貴女は本当にあのヘレンチア助教授なんですか……? 違う人としか思えない饒舌振りですけど」

「これが本来のこいつじゃ。小娘の頃からちーとぅも変わっとぅらん。誰に似たのやら」

「隔世遺伝じゃないの? 父さんにも母さんにも言われるよ。お前のその社交性のなさと極端さは、おじいちゃんに良く似てるって」

「儂を貴様とぅ一緒にするな。儂は人格者で通ぅーっとるんじゃ」

 そのやり取りを、ウォルトは何気なく聞いていたが――――

「……おじいちゃん?」

 その単語には、耳を疑わずにはいられなかった。
 話の流れから、その"おじいちゃん"が指すのは。

「ん? どったの」

「あの、つかぬ事をお窺いしますけど、お二人の関係は……」

「孫じゃ」

「おじいちゃん。っていうか、教えてなかったの?」

 特に驚く様子もなく確認するその淡泊で面倒臭がりな女性の名前を、ウォルトはあらためて頭の中で反芻した。

 ヘレンチア=ベレーボ。
 ベレーボ。
 ベレーボ……

「……何処かで聞いた姓のような」

「コラ! 目の前におるじゃろが! 貴様、上司の姓を忘れとぅるのか!?」

 憤慨され、ようやくウォルトは思い出した。

 クールボームステプギャー=ベレーボ。
 余りにも名の方のインパクトが絶大で、姓の方はすっかり失念していた。

「ま、紹介しとぅらんかった儂にも責任はあるが。とぅー訳で、あらためて儂の孫娘、ヘレンチアじゃ」

「ウォルト君のお噂はかねがね。『根暗だけど真面目で見所がある』とか、『婿にするならああいう誠実な男がいい』とか」

「な……」

「安心して。小言の多い男、あたし苦手だから。なんとなくわかるでしょ?」

 すっかり個性の死んだヘレンチアに、ウォルトはどう返して良いかわからずただただ狼狽えるばかり。
 とはいえ、これで合点がいった。

 何故クールボームステプギャー教授がここへ彼女を招いているのか。
 自分を彼女の元へ派遣したのか。
 結局のところ、甘々な人事だった訳だ。

「ま、そういう訳じゃから、今後もこのズボラな孫の面倒を見てやっとぅくれ」

「ズボラに関しては、おじいちゃんが世界一だと思うけど」

 体毛という体毛を伸ばし尽くし、最早それが本体の祖父に対し、ヘレンチアは――――意外にも屈託なく笑っていた。

「で、ウォルト。あたしが言った事、理解出来た?」

 不意に、不躾に放られる妙な質問。
 けれどウォルトは直ぐにピンと来た。

「『この世で最も醜いのは、素質がないのに研究を続ける事』ですか」

「そ。あの三人に起こった悲劇は、今後オルフェにも、リラにも起こり得る。きみならわかるよね。同じ思いをしてる筈だから」

 クールボームステプギャー教授の孫なら、その事情を知っていても不思議はない。
 ウォルトは小さく一つ頷いてみせた。

「そのきみの目から見て、オルフェとリラはどう?」

「……その質問の前提を覆させて貰います」

 飄々としたヘレンチアの目を、ウォルトは正面から見据え、その瞳に己を封じる。

「五人全員、可能性はあります」

 そして、そう断言した。

「あのリーダー格の研究員、『努力』って言葉を使ってました。スレてるようでまだまだ青臭い。他の二人もそんなリーダーを慕っている印象です。なら、まだ可能性はあります」

「どうして?」

「研究者の素質は、夢想者である事だと思うからです。どれだけ合理主義者でも、そして厭世家でも」

 それは――――アウロスやルインから学んだ事の一つだった。

「……おじいちゃん、やっぱ苦手、こいつ」

「じゃろ? 生真面目な癖して、はみ出すのに躊躇せん。変なヤツなんじゃよ」

「出来れば、素直な褒め言葉が嬉しいんですけど……」

 面と向かって苦手と言われて、それほど悪い気がしない。
 そんな世界が訪れた事を、ウォルトは歓迎した。

 何かが変わる。
 その予感があった。

「それじゃ、僕はこの辺で。ヘレンチア助教授がいるのなら、僕の報告は不要でしょう。殴り合いの現場を盗み聞きしてたみたいですし」

 この日の精神的疲労は計り知れず、一刻も早く帰って眠りたいウォルトが話を切り上げ、教授室の扉を開く。

「父親の具合はどうじゃ?」

 その背中に、クールボームステプギャー教授の質問が飛んだ。
 暫く熟考し、最適な返答を探す。

「小康状態です。でも、変わるかもしれません」

 結果、ウォルトはそう答え、扉をゆっくりと閉じた。

 ――――本日の主役が去り暫く経過したところで、ヘレンチアが怪訝な表情を祖父へと向ける。

「あれ? ウォルトの御両親って、確か……」

「死んどぅるよ。墓もあるし、ちゃんとヤツも定期的に参っとぅる」

「でも、さっきの会話……」

「ヤツもそれなりに闇を抱えとぅるのでな。なに、ありがちな話じゃ。大抵はそれに呑み込まれ、人間を辞めよる。研究者は常に、闇に憑依され生きとぅるのじゃよ」

「……ふーん」

 頬に指を当て、ヘレンチアはまだウォルトの残像が微かに残る瞼の裏を暫く凝視していた。

「そういうの、好きかも」

「……貴様も大概、良い趣味しとぅるわ」

 皮肉とも本音とも付かない、曖昧模糊とした空気が澱むウェンブリー魔術学院大学。
 その灯は今日も、赤と黄と青を緑に吹かれ、揺らしていた。

 


 翌日――――

「ちょっといい? 突然で悪ィけど」

 出勤中のウォルトは、背後からの声に呼び止められ、目の前に迫っていた大学の門から目を離し、眠い目を擦りながら振り向いた。

「貴方は……」

 その目が一気に覚める。

 面識はなかった。
 が、見覚えはあった。

 先日、ミスト教授の旧友として大学を訪れていた三人の中の一人。
 第三聖地サンシーロの宮廷魔術士だった。

 魔術士ではなく魔具技師とはいえ、宮廷魔術士はウォルトにとって雲の上の存在。
 一瞬で緊張感を纏い、背筋を伸ばす。

「そんな緊張しないでよ。オレ、別に怖くもないしさ。ホラ、フツーの気さくなあんちゃんじゃん? なのにどいつもこいつも堅くなっちって、地味にそういうの堪えるタイプなんよ」

「は、はあ……」

 気さくというより、奇妙なくらいサバけた宮廷魔術士に、ウォルトはそれまで自分が抱いていた先入観の見直しを強制された。
 少なくとも、官名の響きは余り当てにならないらしい。

「もう出なきゃダメだから、軽い自己紹介と質問だけ。オレ、グリムアールってんだ。親しいヤツはグリム、もっと親しいヤツはリムって呼んでっけど、まだ知り合ったばっかだからグリムアール"尊敬すべき大先輩"でヨロシク。一応、こっちが年上みてーだから」

「は、はい。わかりました」

「素直でいいね。ンで、質問。キミと昨日訓練してた二人の子供、その男の方。アイツ、研究員?」

「ええ。ヘレンチア研究室所属です」

 何故そんな質問を、宮廷魔術士がするのか。
 全く答えが想像出来ず、ウォルトは思考停止したまま事実だけを述べた。

 だが直ぐ、真相は判明する。
 そしてそれは、ウォルト自身、実のところ気付いていた事でもあった。

「進路間違ってるぜ。アイツは臨戦魔術士の卵だろ。それも化物の。あんな収束率の高い【黒点破】、滅多に見れねェよ。精度も完璧。久々に興奮しちった」

「……」

「ま、そんだけ。伝えるか伝えないかは自由だけど、一応頭に入れといて。第三聖地でちっとは名の知れたあんちゃんが、マジ惚れ込んだって」

 ウォルトの肩を強めに叩き、グリムアールは笑う。
 屈託はないが、明らかに少年のような笑顔とは一線を画した、大人の笑み。
 喋り方から受ける印象など先入観でしかないという、良い見本だった。

「あ、オレそっちのケじゃねェから。それだけは誤解しないどいて」

「……わかってます」

「そんじゃ、な。魔具科のエースさん。また会う時は"グリム"でいいぜ」

 軽い自己紹介と質問だけ――――それ自体は間違っていなかったが、とてつもない土産を残し、グリムアールはウォルトと大学から離れていった。

 彼があの広場での訓練の際、遠巻きに観察していたのは間違いない。
 リラの誤解を受け、ウォルトが実験棟へ駆けつけ彼らを見つけるより前に、彼らが先にウォルト達を見ていたという事になる。
 それ自体は全く不自然ではないし、偶々大学内へ移動する途中、目に入ったに過ぎないのだろうが――――運命とは数奇なもので、その目に入れたのが、魔術士の才能を一目で見抜く人物だった。

 オルフェの才能。
 その一端を、ウォルトはあの日の訓練で垣間見た。

 アカデミーを出ただけの、実戦経験皆無のオルフェが、使い慣れていない魔具を用いた魔術でアッサリと的の中央を射貫いていた。
 しかも、何度となく。

 普通はリラのように上手く制御出来ないもの。
 それだけでも驚異的だが、先程グリムアールが言っていたように、魔術の質も明らかに研究員のレベルではなかった。

 オルフェに内在している特別な才能は、研究者としてのものではなく、臨戦魔術士としてのもの。
 もし彼が魔術を乱用すれば、取り返しの付かない事になりかねない。
 怒りにまかせて出力した魔術が、彼を怒らせた研究員の急所を正確に射貫き、絶命に至らせる――――といった。

 彼には、そんな憂慮をせざるを得ないほどの潜在能力がある。
 だからウォルトは、アウロスのような冷静さが必要だと説いた。

「……どうしたものかな」

 その才能は、研究員として発揮される類のものではない。
 グリムアールの言葉を借りれば、進路を間違っている。
 アカデミーが見落してしまうほど、まだまだ原石の段階ではあるが、臨戦魔術士としての進路に送り込めば、いずれこのデ・ラ・ペーニャを支えるほどの輝きを放つかもしれない。

 本人に伝えるべきか、否か――――

「ウォルト先輩、おはようございます! 考え事ですか?」

 考えがまとまらない内に、ウォルトはいつの間にか自分の傍に当事者であるオルフェが近付いていた事に気付いた。

 満面の笑顔。
 これから始まる研究者としての生活に燃えている様子だ。

「………おはよう、です」

 その後ろからは、リラがおずおずとやって来る。
 人が多い門前とあって、研究室よりやや人見知りが発動中。
 それでも、ぎこちないながら笑みを向けてくれる。

「オルフェ。実は……」

「聞いてください! 俺、スッゲー研究考えついたんです。もしかしたらアウロス先輩みたいな誰も達成してない研究かも!」

「え?」

「青魔術で氷の盾を作るんです。分厚いの。これなら剣や槍も防げるし、赤魔術も相殺、青魔術も同レベルまで防げますよね。結界より使い勝手よくないですか?」

 余程自信があるのか、オルフェの目はかつてないほど輝いていた。
 罪悪感がある。
 この輝きを消してしまうのは――――

「その盾、どうやって持つんだい? 空中に浮かせるとしたら、一秒保持するだけで、とてつもない魔力を消費する事になるけど」

「………死に論文決定、です」

「嘘だろ!? うわぁ、昨日徹夜で考えた研究がもう死んだーーーーーーーーーーーーー!」

 けれど、その日が来てしまうのかも知れない。
 そしてそれが正しいのかもしれない。

 ウォルトは、いずれ結論を出すと心に誓い、一旦この件を胸にしまった。
 彼が研究者としてどんな成長を見せるか、まだそれを見定めていないから。
 どちらの才能が上か、なんてのは問題じゃない。

 どちらの道が、オルフェにとって――――オルフェとリラにとって、喜びの多い道か。

 こればかりは、省略する訳にはいかない。
 自動的に綴られてはいかない。
 自分の手で、一文字一文字綴っていくしかない。

 オルフェの才能が最悪の結果を招かないような魔具を――――暴走を防ぐ機能のある魔具を作ればいい。

「ま、これからだよ。思い付いた全てを試してみよう。オルフェ、リラ」

 例え時代に逆行しようとも、大学の方針から外れようと、自分の為に、そして仲間の為に。
 その新たな研鑽をウォルトは選んだのだから。

「………「はい!」」

 二人の後輩が声を揃え、応えてくれる。
 それだけで、進んでいける気がしていた。

「ウォルトさんって、何て言うか、でっかいですよね。安心出来るっていうか……まるでお父さんみたいですよね!」

「………オルフェ、それベンゲル先輩くらいの歳の人には普通に失礼だから。貴方のその腐ったパンに群がるカビを好む腐れカビ虫にも劣る頭でも、それくらいわかるでしょう?」

「え、マジで!? す、すいません! 俺またやっちまった……!?」

 お父さんみたい――――
 
「……かも、ね」

 その声は。
 ウォルトに巣くう優しくて温かい亡霊を、少しだけこの世界から遠ざけた。







 their brainstorming will go on...




 

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