「それじゃ、今日はこれくらいにしておこうか」

 初めての実戦訓練は一時間丁度で終了。
 かなり連続で魔術を放った為、オルフェもリラも相当疲弊していた。

「………私、何か甘い物を貰ってくる、です」

 どうやら体力回復を一刻も早く図りたいらしく、リラは重い足取りで学校内へと入っていく。
 彼女なりに、今日の訓練の発案者であるウォルトに余り辛い顔や疲労困憊の姿を見せないよう、気遣っているのかもしれない。

 洞察に優れた彼女は、臆病さを慎重さに、人見知りを奥ゆかしさに変える力を持っている。
 どちらも研究者には必要なもの。
 その後ろ姿を頼もしく感じ、ウォルトはまだ緊張感を残したままのオルフェへ目を向けた。

「俺、もしかして言い過ぎましたかね……?」

 その緊張の原因は、どうやらリラにあったらしい。
 意外にも、オルフェは彼女への言動を結構気にしていた。
 なら喧嘩腰にならなければいいのに――――等という野暮な事を言える筈もなく、ウォルトは口元を緩めつつ首を左右へと振る。

「よかった……俺、昔やらかした事あったから」

「やらかした?」

「はい。リラ絡みなんですけど……あいつ、アカデミーで虐められてたんです」

 俯いたまま、オルフェは過去を語り始めた。
 それが余り良い話でない事は明らかだったが、ウォルトは身構えずに聞く事にした。

「人見知りであんま喋らないし、俯いてばっかだから、格好の標的にされたって感じで。特にクラスの男子に一人、やたらリラに絡むヤツがいて。辛気臭いだの、笑えだの」

 それは本当に虐めだったのか――――やや疑問だったが、敢えて話を止めずウォルトは聞き手に徹する。

「俺、我慢出来なくなって……そいつの事ぶん殴っちゃったんです。思いっきり」

「あー、暴力はちょっと時期尚早だったかもね」

「反省してます。それで、ちょっとクラスの雰囲気悪くしたりして、俺も浮いちゃったんです。結果的になんかリラを……なんつーか、好きだから庇ったんじゃねーの的な……それで、冷やかされたりもして、余計にあいつの立場悪くしちゃったんですよね」

 バツの悪そうな顔で過去の失敗を嘆くオルフェに、ウォルトは少々驚いていた。
 これまでの彼の言動や態度は、決して頭に血が上りやすいとか、喧嘩っ早いといった傾向が見えるものではなかった。

 頑張って抑えていたのかも知れない。
 或いは――――短気が原因ではなく、当時は単にリラが特定の男子に弄られるのを我慢出来なかっただけ、だったのかもしれない。
 なんとなく後者の可能性が高そうだと、ウォルトはこっそり心中で微笑んでいた。

「それ以来、どうにか自分の感情を抑えないとって思うようになって。沈着冷静でいられるにはどうすりゃいいのかなって考えて……そういう人を真似てみたら、答えがわかるのかもって思ったんです」

「成程。だからアウロス君なんだね」

「はい。結局抑えきれなかったですけど。すぐキレる研究者なんてダメですよね」

「良くはないね。研究員は討論会や発表会に参加する機会が山ほどあるし、研究へのダメ出しも頻繁に食らう。その度に激高してたら身が持たないし、心証も悪くなる一方だ」

 仰る通り、と言わんばかりにシュンと項垂れるオルフェ。
 そんな彼に、ウォルトは力強く言い放った。

「なら、静かにキレればいいんじゃないかな。アウロスくんみたいに」

「……え?」

 その提案の内容が余程意外だったのか、オルフェは銀貨のように目を丸くしていた。

「彼、冷静に怒るから。声を荒げる所なんて見た事ないし、言葉の半数以上は理詰めだけど、自分やその周辺の人の敵には容赦ないし、照れる時は照れるよ。笑った顔は……見た事ないけど」

「そ、そうなんですか。なんか意外です。大学に入った後も、お二人が実験してたの遠くからリラと何度も覗いたりしてたんですけど、全然そんな風には見えなかったなー」

「覗いてたんだ……」

 まさか自分が後輩からずっと見られていたとは夢にも思わず、ウォルトは妙に気恥ずかしい心持ちになり、天を仰ぐ。

「なんにしても、冷静さを保つのは必要だよ。怒りにまかせて魔術を放つなんて事は絶対に避けないといけない。特に君の場合、それが高確率で悲劇を招く」

「え? それってどういう……」

 視界に映る青い空に、当時の記憶が映し出されていったその時――――

「………大変、です」

 沢山の果物を抱えて戻って来たリラが、控えめな声ながら興奮気味に捲し立てた。

「………大学の中に武器を持った人達がいて………怖い、です」

「え!?」

 流石にウォルトも驚きを禁じ得ない。
 魔術大学の敷地内に武器を持った人物が侵入。
 間違いなく大事だ。

「リラ、どこでそれを見たの?」

「………実験棟の近く、です」

「わかった。オルフェ、君はリラと一緒にこの事をヘレンチア助教授に伝えて」

「だ、大丈夫ですかね、あの人で」

「あー……クールボームステプギャー教授にもお願い! 僕は様子を見てくる」

 それだけを告げ、ウォルトはオルフェの返事も待たず大学内へと向かった。

 このウェンブリー魔術学院大学には以前、部外者が侵入していた事がある。
 しかも複数人。
 その全てをウォルトが知っている訳ではないが、一部に関してはウォルト自身が当事者でもあった。

 教会の幹部、ウェバー=クラスラード。
 司祭ウェンデル=クラスラードの実弟で、大学の情報を得ようとウォルトに接触してきた男。
 最終的には情報を漏洩させずに済んだものの、ウォルトは危うくその男の脅しに屈するところだった。

 苦い記憶。
 けれど、アウロス=エルガーデンという唯一無二の仲間との出会いの記憶でもある。

 大学は、戦場となり得る。
 それもまた、学んだ事の一つ。
 ウォルトは両親をも盾にとって脅してきた男の顔を思い浮かべ――――

「……っ」

 息が詰まるような感覚に、思わず一瞬立ち止まる。
 立ち止まらせたのは、ウェバー=クラスラードではなかった。
 アウロスでもない。

 彼にとって、最も愛すべき――――亡霊だ。

「……大丈夫だよ、父さん」

 頭を自分の手で鷲掴みにし、歯を食いしばりながら呟く。

「僕はもう、大丈夫だ」

 何度も、何度もそう言い聞かせる。
 少しずつ、けれど確実に、亡霊は薄れていった。

「……ふぅ」

 一つ息を吐き、再度駆け出す。
 呼吸に問題はなかった。

 単に休憩なく走り過ぎて呼吸器が悲鳴を上げただけ。
 そう思う事にした。

 今は自分の問題について悩む時じゃない。
 廊下を疾走し、中庭を経由し、自分の体力がやや衰えているのを実感した頃――――

「いた……」

 実験棟の前で佇む三人の男女を視認。
 確かにその内の一人は、軽装ではあるものの、物騒なほど巨大な剣と装飾豊かな槍を手にしている。

 だが、大学に攻め入ったという様子はない。
 周りも騒ぎになっていない。

 何より――――彼らには一切の敵意も、猛りすらも感じられない。
 そもそも表情が朗らかで、明らかに談笑している。

「やれやれ。学内に入る時くらいは武装を解いて欲しいものだな。相変わらず常識が欠如した連中だ」

 決定的だったのは、息を切らし三人の様子を窺っていたウォルトの背後から、やや張った声で発せられたその言葉。

「ミスト教授……」

「彼らは私の知り合いだ。要らぬ誤解をさせてしまったようで申し訳ないな。昔、臨戦魔術士としての私をお守りをしてくれた冒険者達だ。今はそれぞれ違う職に就いてるそうだが、な」

 ミストはウォルトの肩を一つ叩き、その三人と合流を果たす。
 かなり親しい間柄なのか、ミストが普段見せないような穏やかな表情で話しているのが印象的だった。


 


「……で、結局リラの早とちりで、彼らはミスト教授の旧友だったんだ。しかも全員腕前も肩書きも一流。元々は冒険者だったけど、今は第三聖地サンシーロの宮廷魔術士が一人、第五聖地アンフィールドの守護騎士が二人。第一聖地マラカナンで教会選挙が行われるのが決まったから、情報収集の為に向かう最中にミスト教授を訪ねたそうだよ」

 ――――今日もウォルトは、クラル総合病院の一室で夜を過ごす。

 かなり体力を浪費してしまった為、眠気はいつもよりも強い。
 けれども、一日の報告が終わるまでは寝られない。
 その一心で、普段以上に濃密だった今日の出来事を語る。

「その後は……リラにこっちが申し訳ないと思うくらい謝られて。彼女は洞察に長けるけど、今回はそれが裏目に出てしまったのかな。でも、彼女の対応は正しかったと思う。結局は誤解だったけど、僕が疲れるだけで済んだんだから、何も失ってないしね。オルフェはここぞとばかりにリラをからかってたけど、こっそりフォロー入れたりして、今日一日で二人の関係性が良くわかった気がする。きっとオルフェは、自分以外の男の子が彼女をからかうのが我慢出来なかったんだね。アカデミー時代の彼は自覚してなかったみたいだけど……今もかな?」

 苦笑混じりに後輩達の微笑ましいエピソードを語ったところで、一息。
 ウォルトの顔から、笑みと生気が同時に抜けていく。

「……改めて思ったよ。僕は、とてつもない人を相手に抗っているんだって」

 宮廷魔術士。
 守護騎士。

 いずれも国を代表する役職であり、実力。
 守護騎士を教会内に配しているのは第五聖地のみで、魔術士以外の戦士を教会の守護者として雇用する事で、デ・ラ・ペーニャ国内の数少ない非魔術士でありながら戦闘能力に秀でた人材を半ば独占している。
 つまり、魔術士以外の戦士としては国内最高峰の実力者だ。

 そんな人物達に一目置かれ、自身も驚異的な速度で出世しているミストの力は計り知れない。
 彼ならば、ウォルトがいてもいなくても全く変わりなく、オートルーリングを実用化、そして普及まで持って行けるだろう。

 だが彼がそれを望んでいるかは微妙なところ。
 仮にオートルーリングという技術を、普及させる以上に使い道があると判断すれば、躊躇なくその方向へシフトするだろう。

 例えば、教会に技術ごと売り渡す代わりに、自身のポストを用意させる、など。
 けれど、それを止める手立てはウォルトにはない。

「僕がミスト教授を拒絶しても、何も変わらない。僕の反抗は子供じみた自己満足に過ぎないんだろうか……」

 そう問いかけてみても、答えは返ってこない。
 くる筈もない。

「いや、違う」

 心が萎んでしまいそうな時。
 今がまさにその時だが、ウォルトは『否定』をする事で自分を保ってきた。

 最初、アウロスに協力を要請された時。
 ウェバー=クラスラードに取引の返事を迫られた時。
 ミストに手を貸すよう打診された時もそうだ。

 流されずに確固たる"我"を保持するには、否定が必要だった。

 正しいかどうかはわからない。
 間違いの方が多かった気もする。
 けれど、否定する事で、その否定する自分を認識する事で、どうにか踏ん張る力を振り絞る事が出来た。

 ラディアンス=ルマーニュからは『自分に酔っているだけ』と言われたが、その時の返答は本音だった。
 確かに的を射ていた。
 自分に酔えば、少なくとも自分がここに在るとハッキリ認識出来る。

 逆を言えば――――ウォルトはそれを無自覚では出来ない人間だった。

「オートルーリングの研究が少しでも遅れれば、アウロス君に逆転の機会が生まれるかもしれないじゃないか。僕の選択は無駄じゃない……筈だ」

 アウロス=エルガーデンは今、第一聖地マラカナンにいる。
 彼がそこで何をしているのか、ウォルトは全く知らない。
 ファーストオーサーどころか名前が論文に載る事すら許されず、大学を追われ、ウェンブリーからいなくなったアウロスが、ここから逆転するにはどうすればいいのか、ウォルトには想像もつかない。

 いや、不可能だ。
 そう言い切らざるを得ない。
 だから、少しでも早く次の一歩を踏み出すのが、正しい人生の進み方なのだろう。

 それでも、ウォルトは立ち止まった。
 否定し、流されないよう踏ん張った――――つもりだった。

 けれど結局は流され、行き着いた先はヘレンチア研究室。
 そこで出会った二人は、アウロスやルインに憧れる少年少女。

 数奇な運命だと思った。
 彼らを正しい道へと導くのが、自分の新しい道だと理解しつつあった。
 その楽しさも、既に芽生えていた。

 それなのに、消えてくれない。

 ――――亡霊は――――消えてくれない。

 一時的に薄れても、またすぐ現れる。
 亡霊なのだから、当然なのだろう。

「僕にはまだ……変えなきゃいけない事があるんだろうか」

 そう呟いた刹那、頭の中に浮かんだのは――――あの淡泊な助教授の顔だった。







 

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