「いやー、まさかあの伝説の魔具技師、ウォルトさんとお仕事が出来るなんて! あ、俺オルフェ=レアラインって言います!」

「………リラ=ウィクロース。目標はリッジウェア様に一歩でも近付く事、です」

 一通り自己紹介は終了。
 ウォルトの指摘通り、二人はアウロスとルインに憧れている新米研究者だった。

 オルフェと名乗った少年が十六歳。
 リラという少女は十五歳。
 どちらも、大学の研究者としてはかなり若い。

 ただ、それよりも問題は――――

「伝説の魔具技師は幾らなんでも大げさ過ぎるよ。僕はただ、アウロス君の手伝いをしただけなんだから」

「そんな事ないです! あのアウロス先輩の研究を支えた人なんですから。俺にとっちゃ伝説ですよ! うわ俺泣きそう!」

 初対面で妙に懐かれてしまった事。
 オルフェの目は、ウォルトが眩しく感じるほどキラキラ輝いている。
 今のウォルトにとって、彼の向けてくる純粋な光は有害だった。

「と、兎に角、僕は魔具技師として君達のお手伝いをするよう言われてる。もし良かったら、今抱えてる研究を見せてくれないか? ヘレンチア教授からそのあたりの説明を受けてないんだ」

「……」「………」

 視線を逸らしながら、当然の要求をするウォルトに対し――――
 オルフェとリラの反応は先程の快活さとは打って変わり、お互い顔を見合わせ、困ったような表情を浮かべていた。

「説明が難しいかい? 論文を見せて貰えれば、ある程度こっちで把握出来ると思うんだけど」

「論文は……すいません。まだ最初の最初、本当に最初の方しか書けてません」

 力ないオルフェの説明。
 まるで宿題を忘れた生徒のようだった。

「そうか、まだ出来たての研究室だから仕方ないよね。なら、テーマだけでも教えて貰えるかい? 参考にしている過去の論文や資料があれば、それで十分……」

 ウォルトは別に難しい事を要求している訳ではなかったが、自分が話す度に表情が曇っていく二人に、違和感と同時にある種の危機感を覚えた。

 彼らには、研究者としての自信がまるで見えて来ない。
 目的に向かって進む人間特有の、意思の一貫性が感じられないからだ。

「………わかった、です」

「リラ!」

「………どうせ隠しても無意味よ。貴方のその腐ったパンに群がるカビを好む腐れカビ虫にも劣る頭では。いずれバレてしまうのなら、今バレるのが一番マシじゃないの?」

「ぐっ……」

 今回の言い合いはリラが制したらしい。
 冗長極まりない同じフレーズをずっと使い回しているのは、他に中傷の語彙がないからなのか、単にお気に入りなのか、現時点でのウォルトには判断が付かなかった。

「………これを」

 そのリラが研究室の机の引き出しから取り出してきた論文を受け取ったウォルトは、礼もそこそこに早速その中身を確認してみる。
 既に一冊分の記述がなされており、彼らの書いた論文ではなく、参考にしている過去論文なのは明らかだった。

 タイトルは【魔術行使による人体への影響に関する一考察】。
 要するに、魔術の使用が魔術士本人の身体にどれほどの負担をかけているかという考察だ。

 それ自体は、研究テーマとしては当然あって然るべきもの。
 けれども、その論文を読み進めるウォルトの顔は、明らかに困惑していた。

「この論文は……」

「皆まで言わないで下さい! 俺もわかってるんです! それが"死に論文"なのは!」

 その理由を指摘する前に、オルフェは目を瞑り耳を塞いで悶え始めた。

 死に論文――――それは一言で言えば『価値を失った論文』を指す。
 魔術の歴史は長く、途方もない年月の中で途方もない数の研究が行われてきたが、その研究の全てが実を結ぶ訳ではなく、寧ろ実際に役立つ研究の方が少ないくらいで、過去多くの論文が無意味だと結論付けられ、灰の山と化してきた。
 それらを揶揄する表現として"死に論文"という言葉が用いられている。

 実を結ばなかった理由は様々だが、例えば実験が上手くいかなかった研究、予想していたデータが得られなかった研究については、決して無意味という評価にはならない。
 失格の烙印を押される研究は主に『研究テーマそのものが稚拙』『研究結果に不備がある』『研究者の能力不足で検証や考察の程度が低い』『既に他の研究で立証・発表された内容の後追いや下位互換』等が挙げられる。

 特に最後の"論文被り"は多く、一つの論文が発表され公式に認められた瞬間、魔術国家デ・ラ・ペーニャの各研究施設で数多の論文が死に絶えると言われている。
 勿論、過去に一定の評価を得た研究が、その後の研究によって実は誤りだったと判明すれば、その瞬間に過去の研究は死に論文となる。

 ウォルトが見る限り、【魔術行使による人体への影響に関する一考察】は、過誤こそないものの、過去既に幾度となく検証が行われ、立証された理論の上書きに過ぎない内容だった。

「わかってるんです。例え切り口や視点を変えても結論は変わらない、臨戦魔術士の役には立たない研究だって」

「それがわかってるのなら――――」

「………私たちがヘボ研究員だから、です」

 ウォルトの追撃は、リラの開き直った発言によって食い止められた。

「俺たちまだ新米だし、頭も別に良くないし、難しい研究は出来ません。だからこういう、実験観察が簡単で理解しやすい研究しか参考に出来ないって言われて。それに、大学の都合でその論文は誰かが引き継がないといけないそうで」

 それは、余りに本末転倒で――――同時に研究施設において過去・現在問わず散見される問題だった。

 研究を進める過程で、その研究を完結させたところで何の成果もないと判明するケースはままある。
『実験してみたが上手くいかなかった』ならば、"そのやり方では成功しない"という有益なデータになるが、そういった失敗例にすらならない、本当の意味で無意味なケースだ。

 その場合、早々に見切りを付け、新たな方法を模索・着手するのが合理的な研究者としての在り方だが、現実問題、そう簡単に切り替えは出来ない。
 何故なら、研究は通常、一人で行うものではないからだ。

 大学において研究を行う場合、そのテーマが研究するに相応しいかどうか、学長が最終判断を下し許可を出す――――という事になっている。
 少なくとも規定ではそう定められている。

 けれども現実は、研究を開始するのにわざわざ学長自ら判断を下す事はない。
 申請すればほぼ無条件で認可される。

 それでも、規定上は一度始めた研究は『学長が許可した』研究。
 その研究を無意味だと途中で投げ出せば、許可を出した学長の判断が誤りだったという事になる。
 誰がそう指摘せずとも、そうなってしまう。
 その為、安易に――――或いは安易でなくとも、研究を途中で終わらせるのは難しい。

 また、魔術研究には協力者が必須で、魔具技師は勿論、資料や材料の提供、他の研究施設との共同開発など、研究を進めていく内に様々な繋がりが生まれていく。
 ある程度まで進んだ研究なら、実用化を目指し出資者を募り、その繋がりは更に広がる。
 途中で研究を辞めるとなると、こういった繋がり全てを裏切る事になる。

 特に出資者が少しでも金を出した研究は、もう止められない。
 出資が無意味だったと宣告されれば、二度とその研究施設には協力しないだろう。
 そうならない為にも、『研究は継続中だ。いずれ実を結ぶ』と言い続けなければならない。

 こういった事情もあり、死に論文はいつの時代も無数に生まれ、現代においては燃やす事も許されず、亡霊のように彷徨い続けている。

 どれだけ労力を費やしても、魔術史には残らない研究。
 けれども出資者との繋がりや大学のメンツを保持する為に止まれない研究。
 彼ら若き研究者が、その保持の為だけに程度の低い研究を命じられているケースは決して少なくない。

「……ヘレンチア助教授ともう一度話をして来る」

 これでは若い芽は育たない。
 こういう事は、させちゃいけない。
 自身もまだ若い身空ではあったが、ウォルトの性格が衝動的に働く。

 だが――――
「違うんです! ヘレンチア助教授は関係ないんです!」

 その足を、オルフェの悲鳴に似た叫びが絡みつき、止めた。

「俺たち、ヘレンチア助教授からそうしろって言われてこの研究を参考にしてる訳じゃないんです」

「……そうなのかい?」

「はい。本当は、俺はアウロス先輩の研究を、リラはルイン先輩の研究を参考にしたいんです。でも、俺らの能力じゃどう参考にして良いかもわからなくて……だからといって、何もしない訳にはいかないし」

「………研究室の諸先輩方に薦められて、この研究を引き継ぐ準備をしてる、です」

 リラがオルフェの述懐を補足する形で、ウォルトから論文を引き取り、それを掲げてみせた。
『薦められて』という表現を用いていたが、彼女の声と表情は、それが適切ではない事を如実に示している。
 強制的に押しつけられたのは間違いない。

「ヘレンチア助教授は何て言ってるの?」

「好きにしろ、と。どんな研究をしてもいいけど、全部自分で決めてやれ、って」

 どうやら本当にヘレンチア助教授は関与していないらしい。
 ズボラな上に放任主義が過ぎるものの、悪人ではないようだった。
 なら諸悪の根源は――――

「その諸先輩方っていうのは今、何処に?」

 努めて冷静に問いかけたつもりのウォルトだったが、二人は回答に数分を要するほど怯えていた。


 


「ただいま、父さん」

 勤務環境が劇的に変化した派遣初日をどうにか終え、ウォルトはウェンブリー魔術学院大学から徒歩一時間の場所にそびえる【クラル総合病院】の病室へと"帰って"いた。
 といっても、彼自身の身体が病院を必要としている訳ではないのだが。

 第一聖地マラカナンのエルアグアに良い病院があると聞くが――――

 病室で一息ついたウォルトは不意に、クールボームステプギャー教授の言葉を思い出した。

 もしその言葉を、彼ではなく他の教授や学長に掛けられれば、その意味するところは転院の薦めなどではなく『大学を移れ』という勧告。
 今のウォルトにはいつ、それが告げられても不思議ではない。
 幸いにも今日はその最悪の事態を免れた。

 とはいえ、この病院よりも治療実績に優れた病院は実際に存在する。
 だが仮に転院したところで、劇的な改善は望めない。

 それがわかっていたとしても、ウォルトには『逃げる』という選択肢はなかった。
 この地で、ウェンブリー魔術学院大学で働いて、働いて、働いて、回復を目指す。
 ウォルトの生きる目的でもある。

 しかしその目的に不利な状況を生み出すとわかっていても尚、ミストの行いを享受し彼に協力する訳にはいかなかった。
 それは、アウロスだけでなく自分自身をも裏切る事になるから――――

「今日はね、ちょっと特別な日になったよ。働く場所が変わったんだ」

 ウォルトは毎日、病室で一日の出来事を語る。
 そうすればいつか目が覚める、などとは思っていない。
 自分自身の心を整理する、半ば儀式のようなものだ。

「――――そういうのを"死に論文"って言うんだけど、それを後輩に押しつけた研究者達に会ってきたんだ。でも僕は彼らに……何も言えなかった」

 だがこの日は、整理が付かなかった。
 オルフェとリラに死に論文を薦めたのは、同じ研究室の先輩である三人の研究者。
 男ばかり三人の彼らは全員、平日の日中だというのに、大学の外にある酒場でカードを用いた賭博に興じていた。

 一目でわかる腐り具合。
 大学に勤める研究者であっても、こういった落ちこぼれの集団は稀にいる。
 だが、その理由を問い質したウォルトに返ってきた言葉は、そんな彼らを責められない内容だった。

「彼らは、オートルーリングの犠牲者だったんだ」

 三人の研究者は合同で、魔術の効果とルーリングの際の肉体・精神状態の関連性を研究していたという。
 つまり、ルーリングを行う魔術士の体格、健康状態、心理状態といった要素が、魔力を魔術に変換する作業であるルーリングにどのような影響をもたらすか、という研究だ。

 この研究自体は既に過去何度か行われているし、オルフェ達が押しつけられた死に論文【魔術行使による人体への影響に関する一考察】に類似する内容でもある。
  けれど、こちらは魔術が人体に与える影響ではなく、人体のコンディションがルーリングに与える影響を調べる研究。
 人間の生活環境が時代と共に移り変わり、平均的な体格も大昔と比べ大きくなっている現代において、過去と全く同じ結果になるとは限らない。
 体格だけでなく怪我の具合や年齢、性差など、より項目を細かくして実験する事で、画期的ではないにしろ十分に価値を認められる研究だった。

 ――――オートルーリングの実用化が始まるまでは。

 ルーリングの大半が省略可能となるオートルーリングを大学の主要研究にすると決定した時点で、彼らの研究は大学の方向性にそぐわないものとなってしまった。
 少なくともウェンブリー魔術学院大学においては死に論文だ。
 オートルーリングの犠牲となって。

『ミスト教授は余計な事してくれたよ』

 最後に三人の中の一人が言い放った言葉は、ウォルトを睨むようにして発せられた。
 彼らは当然知っている。
 オートルーリングの開発にウォルトが関わっていると。

 何も言えなかった。
 彼らの堕落が自分の研究に起因する以上、言う資格がない、と反射的に思ってしまった。
 もしこれがアウロスだったら――――

「彼ならきっと、『お前等が堕落するのは勝手だが、後輩を巻き込むな。見苦しい』って何も悪びれずに断言するんだろうけどね」

 そう語るウォルトは今日初めて普通の笑顔を浮かべた。
 アウロスを模倣していた少年オルフェとの出会いもあり、アウロス達と共に研究した日々が鮮やかに蘇ってくる。

 充実していた。
 同じ時間はもう二度とないと思えるほど。
 達成感もあった。

 その全てが――――奪われてしまった。

「僕は……まだ、次の一歩を踏み出せそうにない」

 ウォルトの苦悩は尽きない。
 今日もまた、クラル総合病院の一室が彼の寝床となった。







 

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