例えば世襲制が顕著な例だが、この世界にある命が全て期限付きである以上、継承という概念は必須だ。
 特に研究という分野において、継承は最重要課題の一つ。
 何かの研究が、最初に着手した人物一人の手によって完結する事は思いの外少なく、派生する事もあれば、そのまま別の人物が引き継いだりもして、長い年月の果てに一つの結論へと収束していく。

 勿論、幼い子供達を連れて行く遠足の際に幾つかの休憩地点を設けるよう、途中途中に小さな到達点はある。
 あるが、研究者というのは往々にして壮大で仰々しいテーマを掲げたがるもので、一代で全てを終わらせるのが困難な生き方を好むのは、ある種の職業病。
 そして、この継承という概念は、何も命の期限に直結したものばかりではない。

 また、継承が必ずしも両者の意思の疎通によって成り立つとは限らない。
 中には、当の本人が知らないところで、勝手に受け継がれるものもある。

 ウェンブリー魔術学院大学。

 第二聖地ウェンブリーを代表する、高い評価を得ている大学における継承といえば、誰もが官職に関するものか、研究に関するものだと想像するだろう。
 例えば教授が去り、代わりに助教授が教授へ昇進する場合。
 或いは、とある研究者が志半ばで引退し、その弟子達が研究を引き継ぐ場合。

 実際、ウェンブリー魔術学院大学においても毎年必ず誰かしらがこういった継承を経験し、その連続性によって大学という研究機関は社会的価値を保持し続けている。
 けれども、中には全くそれらとは主旨が異なる継承が行われるケースも存在する。
 極めて稀だが、存在する。

「……」

 ウェンブリー魔術学院大学魔具科・クールボームステプギャー研究室に所属する魔具技師ウォルト=ベンゲルは、今まさにその"継承した者達"を目の当たりにしていた。

「………だったら、その研究は完成させることが出来るというの? 貴方のその腐ったパンに群がるカビを好む腐れカビ虫にも劣る頭で」

「これまで何度となく、似たような質問を受けてきた。時には呆れ果てた目で。時には嘲笑混じりにな。そして、どんな聞き方をされても俺の答えは一つしかないね」

 そのやり取りは、文言こそ異なるものの、妙に聞き覚えのある内容に思えた。

「完成させる。それだけだ」

 今度は――――文言まで一致した。

 尤も、それは当然の事でもあった。
 彼は継承している。
 かつて、ウォルトと組んでこの大学でとある研究をしていた魔術士を。

「………無理よ。貴方のその腐ったパンに群がるカビを好む腐れカビ虫にも劣る頭じゃ」

 そしてもう一人。
 そんな彼と言い合いをしている少女もまた、かつてこの大学に在籍していた女性を継承している。

 ただし、継承しているのは、その不遜な態度のみ。
 しかも、表層だけをすくい取り、井戸水で希釈し、川に投げ捨て、湖で拾い上げたような薄っぺらさで。
 言うなれば"模倣"だ。

 ここは、ウェンブリー魔術学院大学【ヘレンチア研究室】。
 教授へ昇進したミストに代わり助教授に抜擢された若き研究者ヘレンチア=ベレーボの下、五人の研究者が魔術研究に勤しんでいる――――
 と、いう事になっている。

 まだ発足して間もない研究室とあって、スタッフも皆若く、平均年齢は十九歳。

 その中で二番目に若く、アウロス=エルガーデンに憧れているという十六歳の少年――――
 オルフェ=レアライン。

 最年少の十五歳で、ルイン=リッジウェアを信奉している少女――――
 リラ=ウィクロース。

 けれど、彼らを眺めるウォルトの目には既視感こそあれ、旧懐を覚える温かな眼差しはない。
 あるのは困惑と、未来への不安のみ。

 彼らは、圧倒的に能力不足だった。


 


 - 魔具技師ウォルトの研鑽と病巣 -


 


 一日前。

「ミストの小僧には儂から断りの返事をしてやったぞい。これでウォルト、貴様は正式にオーぅトルぅーリングの研究からは外れる事となった」

「……ありがとうございます」

 自身の上司であり、師でもあるクールボームステプギャー教授に呼び出されたウォルトは、申し訳なさと安堵と逡巡が入り交じる混濁した表情で、深々と頭を垂れていた。

「その面を見るとぅ、手放しに貴様の選択を支持出来んのう。敢えて問ぅーのを控えとぅったが……本当ぅーにこれでよかったのか?」

「はい。今の僕の精神状態で、ミスト教授に協力するのは難しいです」

「最早ミスト一人の研究ではなくなったんじゃがな」

 ヴィオロー魔術大学で先日開催された【第三十五回 魔術学会前衛術研究論文発表会】――――
 その会場でミスト=シュロスベルの研究論文が大々的に発表会され、二週間が経過した。

 ウェンブリー魔術学院大学は現在、オートルーリングという技術の普及を目的とした研究・開発スタッフを大学の内外から招集し、本格的に普及へ向けて動き出している。
 その中心にいるのが、ミストだ。

【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】。

 すなわちオートルーリング。

 魔術の発動を簡易化・半自動化するこの研究論文は、発表会時に多少の混乱こそ招いたものの、それ以外の問題は特になく、かつて一攫千金論文と揶揄されていたのも今や昔。
 着実に、現実のものとなりつつある。

 普及が実現すれば、間違いなく魔術史、そして魔術士が変わる。
 魔術発動時のロスが限りなく小さくなるのだから、臨戦魔術士――――戦場で戦う魔術士にとってその恩恵は計り知れない。

「貴様も参加したオーぅトルぅーリングは既にこの大学の売りになりつつある。既に主要な研究員が借り出され、最優先で研究が進められとぅるからのう。当然、魔具科も今後はそういう流れになるじゃろう。オーぅトルぅーリング用の魔具の開発が本流、基本線とぅなる。そこから外れる意味は理解しとぅるな?」

「はい」

 短く潔いその返事にすら、迷いは容易に見て取れるほど、ウォルトの苦悩は明瞭だった。

 オートルーリングという新たな技術を実用化させるにあたり、ウォルトはその研究に深く関与していた。
 その果たした功績は決して小さくはない。

 魔術は魔具を使用し、体内の魔力を具現化・出力する技術だが、オートルーリングは既存の魔具を一切使用出来ない為、材料の選出から魔具開発を行わなければならない。
 これは現代の魔術研究においては例外的で、実際、大学内における現在進行中の研究で魔具を一から作り直すような研究は他にはない。

 その研究を、魔具科の一員として、また一研究員として初期から支えてきたウォルトは、間違いなくオートルーリングの主要スタッフであり、その専用魔具の開発に関しては自他共に認める専門家。
 ウォルト自身も強い矜恃を持っている。

 だがそれでも、ウォルトは納得出来ずにいた。
 オートルーリングの発案者であり、研究における共同者――――アウロス=エルガーデンの処遇に。

「あの研究はアウロス君の物です。彼が不当に論文から名前を外され、本人も大学を追われる身となった今、僕だけがのうのうと甘い汁を吸うなんて……無理です」

「無理じゃろな。貴様の性格からして。やれやれ、その糞真面目な所は誰に似たものやら」

「僕が真面目な性格なら、アウロス君と一緒に大学を辞めてますよ。僕はその程度の人間です」

 自嘲を込めた訳ではなく、ウォルトにとってその言葉はただの本音。
 けれどもそれは、葛藤の末に選んだ道でもあった。

「クールボームステプギャー教授、申し訳ありません。僕の我儘で多大なご迷惑をおかけしてしまって……」

 そしてその道は、自分以外にも少なからず影響を及ぼしていると、ウォルトは知っていた。

 幾ら理論が既に構築されているとはいえ、初期から関わり原理・構造について全て知り尽くしているウォルトには、引き続き主要スタッフとして参加して欲しいと大学側は望んでいる。
 無論、ミストもだ。
 それを突っぱねるのは、大学への反逆行為に等しい。

 クールボームステプギャー教授は先程、簡単に『断りの返事をしてやった』と言っていたが、大学内、更には魔具技師全体においても最古参の部類に入るクールボームステプギャー教授が各方面へ頭を下げ、粘り強く交渉したからこそ実現したのは明白。
 それは決して簡単な事ではない。

「儂の給料には部下の要望を通ぅーすのに使う労力分も含まれとぅる。貴様が気にする事ではない」
「でも……」
「儂を気遣うより、自分の将来を心配せい。これから何をするつもりじゃ?」

 オートルーリングの研究から外れる意味。
 大学の意向を突っぱねる意味。

 今後、ウォルトは冷遇されても何一つ文句の言えない立場になる。
 少なくとも、大学内に味方は殆どいなくなるだろう。

 クールボームステプギャー教授の手伝いをする事すら、迷惑になりかねない。
 尤も教授本人は、手伝いたいと言えば断りはしないだろう。
 でなければ、ウォルトの為に身を砕く筈もない。

「……暫く考えさせて下さい」

 だからこそ、ウォルトは即答出来なかった。

「ダメじゃ。給料泥棒は許さんぞい」

 だが――――クールボームステプギャー教授は受け入れなかった。
 真面目な性格のウォルトを熟知しているからこそ。

「何もアテがないのなら【ヘレンチア研究室】と組んでみろ。あそこはまだ出来たてで、魔具技師を入れちょらんからな。貴様への風当たりも強くはなかろう。儂が話を付けておく」
「で、でも……そこまでご迷惑をおかけする訳には」
「形式的にはほぼ左遷じゃ。迷惑も糞もないじゃろ」

 身もフタもない物言いではあったが――――今のウォルトにとって、その言葉は寧ろ救いだった。

「……わかりました。明日、訪ねてみます」

 深々と頭を下げ、ウォルトは踵を返す。
 その背中に向け、クールボームステプギャー教授の穏やかに問う。

「父親の具合はどうじゃ?」

 ウォルトは一瞬考え、最も適切な言葉を選出した。

「今のところ、小康状態です」
「ふむ……ならば転院も視野に入れる時期かもしれんのう。第一聖地マラカナンのエルアグアに良い病院があると聞くが――――」

 寝耳に水なその発言に、ウォルトは思わず振り向く。

「――――などと言われる事があっても、決して挫けるでないぞ」

 クールボームステプギャー教授の表情は毛に覆われわからなかったが、ウォルトは反射的に苦笑いを返した。
 苦くとも、久々に笑った自分を自覚したのは、その日の夜の事だった。


 


 翌日。
「本日よりお手伝いをさせて頂く事になったウォルト=ベンゲルです。よろしくお願いします」
 ウォルトはクールボームステプギャー教授の推薦を正式に受理し、ヘレンチア研究室へと赴く事になった。

 ヘレンチア研究室は魔具科ではなく、後衛術科の研究室。
 勿論、鞍替えではなく協力という形での派遣となる。

 前衛術科にしろ後衛術科にしろ、魔術研究を行う以上、魔術を使う為に必要な魔具を開発する魔具科との連携は必須。
 その為、各研究において最低一人は魔具科の人間を入れるのが通例となっている。
 "研究室"単位となる事は滅多になく、基本は"研究"単位だ。

「あー。君が。うん。了解。じゃ」

 だから、その研究室の主である教授または助教授のいる教授室を訪ねた際に自分が受け持つ研究についての説明を受けるのが一般的な流れなのだが――――
 綺麗に片付いた教授室で唯一の椅子に腰掛け、資料らしきものを熟読中のヘレンチア=ベレーボは、何一つ具体性のない返事で手をヒラヒラさせるに留まった。

 ヘレンチア研究室の長である彼女はまだ二〇代半ばの女性で、官職は助教授。
 容姿の基礎部分は十二分に整っていて、特に切れ長の目は異性より寧ろ同性の憧れになりそうなくらい美しいが、長く伸びた髪は一切手入れしていないのか、所々寝癖がついているし、身につけている白衣にも汚れが目立つ。

 ミストが助教授から教授に昇格した際、空いた助教授の席に彼女が就く事となったのはウォルトも知ってはいた。
 だが、その一目でズボラとわかる人物像までは知らなかった。

「あの……『じゃ』と言われても。僕は一体どの研究をお手伝いすれば」

「適当で」

「いや、その」

「呼ぶし」

 要するに――――魔具が必要になったら呼ぶ、という事らしい。

 彼女が欲しているのは魔具科との取り次ぎを行う伝達係。
 実際、ウォルトが訪ねてきてもヘレンチアは一度も目さえ合わせず、自分の作業に没頭したまま。

 とはいえ、そういう研究者は珍しくもない。
 こういう職業には変わり者が多いのは常だし、自分の世界に没頭し、他者との関わりを最小限にしている人物は他の職より明らかに多い。
 彼女もまたその一人なのだとしたら、食い下がるのは時間の無駄だ。

「……わかりました。では研究室の皆さんに挨拶をさせて頂いてもよろしいでしょうか」

「どぞー。いればね」

 不穏なその返事を最後に、ヘレンチアは別の資料を手に取り、唸り始めた。
 蔑ろにされるのは覚悟の上。
 ウォルトは最後まで一度も自分を見ようとしなかった助教授に頭を下げ、教授室の隣にある研究室へと足を運んだ。

「失礼します……」

 ノックに何の反応もなかったが、人の気配はあった為、恐る恐る入ってみる。
 幸いにも、室内に人はいた。
 二人ほど。

「………だったら、その研究は完成させることが出来るというの? 貴方のその腐ったパンに群がるカビを好む腐れカビ虫にも劣る頭で」

 一人は、黒髪を長く伸ばした幾分垂れ目の幼い容姿をした少女。

「これまで何度となく、似たような質問を受けてきた。時には呆れ果てた目で。時には嘲笑混じりにな。そして、どんな聞き方をされても俺の答えは一つしかないね」

 もう一人は同じ黒髪だが短髪で、細身で背も低く、あどけなさを残した顔つきの少年。
 その二人が、何かを言い合っている最中だった。

 問題はそのやり取りだ。
 言葉の内容、イントネーション共に、妙に懐かしさを覚える発言の交差。

「完成させる。それだけだ」

 ――――特にその次に発せられた言葉は、ウォルトの記憶の中に刻み込まれたものだった。

 アウロス=エルガーデンと最初に出会った際、ウォルトは彼の研究、そして彼自身に猜疑的だった。
 一攫千金論文。
 そのような研究に着手する人物を量りかねていた。

 だが彼は断言した。

『完成させる。それだけだ』

 そして実際、完成させた。
 協力した自分を誇らしく思えるほど、充実した研究だった。

 とはいえ、想い出に浸るような状況ではない。
 何故、今目の前にいる少年が、アウロス=エルガーデンの言葉を模倣しているのか。

「………無理よ。貴方のその腐ったパンに群がるカビを好む腐れカビ虫にも劣る頭じゃ」

 更にもう一人、言い合いをしている少女もまた、アウロス=エルガーデンと縁のある女性、ルイン=リッジウェアの佇まいを模倣しているのか。
 理解し難いその光景に、ウォルトは暫し絶句していた。

「ん? 誰かいるぞ」

「………またそうやって話を逸らして………あ」

 二人の視線がようやく、入室者のウォルトへ向けられる。
 白熱した議論は一旦冷却され、そこに残ったのは――――

「だ、誰だ!? こんな辺境の研究室に人が来るなんて……! もしかして借金取りか!? あの甲斐性なしの助教授、ついにそこまで……!」

「………ぱき」

 狼狽し混乱する少年と、固まったまま動かなくなった少女。
 アウロスとルインの模倣が解けた二人の素は、こんなだった。

「あの、何か誤解があるようだし、初対面でまだ自己紹介もしてないけど、その前にまず一つだけ聞かせて欲しい」

 ウォルトは生真面目な性格で、それは自他共に認めるところ。
 余り融通が利かず、視野が狭いと自覚する事もある。
 けれども、その彼であってもピンと来るものがあった。

「君達もしかして、アウロス君とルインさんに憧れてるの……かな?」

 そしてその指摘は、目の前の二人に驚愕と首肯をもたらした。







 

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