【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】

 世に蔓延る魔術士であれば、誰しもが失笑と侮蔑の対象としていたオートルーリングの研究は、
 アウロス=エルガーデンという名の魔術士の登場をもって真逆の存在へと裏返った。
 今となっては寧ろ、疑問を呈する方が正気を疑われかねないほど、魔術国家デ・ラ・ペーニャにおいて
 常識に属する技術として浸透している。
 そして――――第二聖地ウェンブリーで行われた研究発表会以降、オートルーリングの普及は
 着実に進んでいた。
 製作に携わった全ての人間の想像を超える速度で。
 特にここ半年ほどで急速に使用者数は増加し、専用魔具の製造が全く追いついていないのが現状だ。
 最大の要因は、国家方針の劇的な変化にある。
 前教皇ゼロス=ホーリーの崩御により、新たな教皇を決める教皇選挙が第一聖地マラカナンで
 行われ、その結果推挙されたロベリア=カーディナリスは『攻撃魔術至上主義撤廃』を宣言。
 攻撃魔術にこだわらず、また戦闘にこだわらず、生活のあらゆる局面で役立つ魔術を
 研究・開発するよう志を改めよと、国内全ての魔術士に対し勧告が行われた。
 本来、このお達しに則るならば、攻撃魔術への支援を念頭に置いて生み出されたオートルーリングの
 重要性は寧ろ低下して然るべき。
 だが実際には教会の全面的な後押しで普及は推進され、現在に至る。
 その理由とは――――
「教会、特に保守派の中にはロベリア聖下の方針に嫌悪感を示す者が多いようでのぅ。それに、
 攻撃魔術でメシ食っとぅるギルドの連中も。当然、攻撃魔術を研究しとぅるこの大学も例外じゃあるまい。
 その不満への対応策として、オーぅトルぅーリングに白羽の矢が立った訳じゃな」
 オートルーリングを生み出した事で、今やその名を知らない者は魔術士の間にはいない程の
 知名度を獲得したウェンブリー魔術学院大学。
 その大学における最年長にして名物的存在のクールボームステプギャー教授は、大学近隣の
 料理店【ボン・キュ・ボン】で夕食に舌鼓を打ちながら、眼前にいる教え子へ向けて持論を唱えていた。
「オートルーリングを支援する事で、撤廃するのは攻撃魔術『至上主義』であって攻撃魔術そのものを
 軽視する訳じゃない、と喧伝する為ですか」
「ふむ、察しが良くなったのぅ。その様子なら、魔具科を安心して任せられそうじゃ。ぐぉぉぉぉぉぉぉ……」
 クールボームステプギャー教授はまるで孫でも見るかのように、愛弟子の成長に目を細める。
「実際、攻撃魔術以外にも問題なく活用出来る技術ではありますけど、自動編綴による
 ルーリング作業の短縮化は戦闘が最も恩恵を受けます。その技術の普及を押し進める事は、
 攻撃魔術を切り捨てないという何よりの証になります」
「うむ。じゃが、そうなるとぅ逆に『オーぅトルぅーリング推進は攻撃魔術至上主義撤廃とぅいう公約とぅは
 相反する施策だ』とぅいう意見も出てきおる。じゃが、オーぅトルぅーリングにはその意見を黙殺出来る
 切り札があるからのぉ」
「経済効果ですね。国内の魔具を総入れ替えするんですから、恩恵を受ける人は多い」
 その弟子――――ウォルト=ベンゲルは師の持論に賛同の意を示しつつ、注文した
 マキナ鶏の煮込みスープを口に含んだ。
 彼にとって、主力スタッフとして完成に貢献した自負のある、思い入れ深いオートルーリング。
 けれども、その普及に対しては懸念がなかった訳ではない。
 生物兵器を使用している点や、魔具の生産体制と管理の問題など、障害となる要素は
 少なからずあった。
 本来なら、生みの親であるアウロスと協議を重ね、一つ一つ取り除いて行くべき事。
 しかしミストはウォルトに相談するまでもなく、それらの問題を一人で解決していた。
 それが、最大の懸念材料だった。
「だからミスト教授は、オートルーリングを自分の物にしたかったんでしょうね。大学外にも影響を
 与える力を得る為に」
 オートルーリングの抱えていた諸問題に対し、大学内の他の研究室と殆ど連携せず
 自ら取り組んでいたのは――――私物化する為だ。
 教授である彼は、本来『育成』を第一に考えなければならないのに、オートルーリングという
 最高の教材を独り占めしていた。
「ふぅむ……圧倒ぅー的な経済効果を持つ研究は、一大学の手にゃー余るからのぉ。魔具の
 生産体制を確保するのは大変じゃ。教会に働きかけ、大学から所有権を買い取ぅるよう
 仕向けるつもりじゃったのかもしれんな」
「僕の心証では、それ以外考えられないというのが本音です。ミスト教授の目は、大学には
 向いていないように思えましたから」
 金を生み出す研究は、大学内のみならず、他のあらゆる産業・組織が欲しがる。
 当然、教会も例外ではない。
 だが教会は表立って大学と交渉は出来ないし、大学の研究である以上、オートルーリングの
 所有権は当然ウェンブリー魔術学院大学に帰属する為、教会側がオートルーリングを欲したとしても、
 干渉は出来ない仕組みになっている。
 一方、大学側としても支援者抜きにオートルーリングの実用化と普及を進めるのは困難。
 仮にミスト以外の大学関係者がオートルーリングに精通していれば、大学内でより研究を進め、
 もっと低コストで普及出来る方法を模索出来たかもしれない。
 ミストは狡猾にも、私物化する事でその可能性を消していた。
 オートルーリングの研究を何処まで進めるかは彼次第。
 どれだけ大学側がより普及し易い方法を模索せよと命じたところで、ミストが『無理です』と
 突っぱねればそれまでの話だ。
「恐らくミストは、大学を辞めて教会へ移籍する腹づもりだったんじゃろう。オーぅトルぅーリングを
 手土産にな」
 大学を辞めれば、教会はミスト個人との交渉が可能となる。
 そしてミストがネゴシエーターとなれば、大学と教会は間接的に交渉が出来るようになる。
 例えば教会がオートルーリングの所有権を高値で買い取る契約を結ぶとなった場合も、
 ミストに一度所有権を移し、それを教会が買い取るといった方法が成り立つ。
 いずれにせよ、ミストは教会にとってなくてはならない存在。
 諸手を挙げて歓迎されただろう。
「ええ。でも結果として、その移籍は――――」
「叶わぬ夢になった、って訳ね」
 不意に二人の会話に割って入る、若い女性の声。
 大学の人間でなければ理解出来る筈もないやり取りに、平然と介入してきたその人物に――――
 ウォルトは思わず席から転げ落ちそうなほど仰天した。
「く、クレールさん!? どうして……!?」
「一応ここ、私の実家なんだけど」
 狼狽するウォルトに、クレールは意地悪な半眼で含み笑い。
 向かいのクールボームステプギャー教授も、ウォルトほどではないが意外そうな表情を浮かべていた。
 両者の驚愕は必然。
 というのも、彼女は既にこの【ボン・キュ・ボン】から引っ越していたからだ。
 それどころか大学も辞めてしまっていた。
 現在、クレールはウェンブリーからも離れ、第三聖地サンシーロにある【ラヴィの小枝】という
 パン屋で働いている。
 ウォルトは手紙を貰い、一度休暇をとってそのパン屋に足を運んだ事があった。
 驚いた事に、クレールは魔術士を辞めていなかった。
 臨戦魔術士でもなく、研究者でもない、パン屋勤務の魔術士。
 魔術を使ってパンを焼くという、大学在籍時のクレールからは想像も付かない、常識の枠を越えた
 職種に就いている。
 けれど、攻撃魔術至上主義を撤廃するというロベリア新教皇の政策と図らずも一致。
 結果的に彼女には先見の明があった訳だ。
「新作のパンが出来たから、どうしてもお姉ちゃんの感想が聞きたくて帰郷してみたの。お二人とも、
 もし宜しければ注文してね。期間限定メニューで出してるから」
「金取ぅるんかい。まぁ、土産に貰うとぅしようかのう」
「僕は今直ぐ頂きます! 一〇……いや二〇個!」
 給仕用の前掛けを身につけ、妙にフリルが目立つ服を着て接客するクレールに不意打ちを食らった
 気分のウォルトは、緊張でカチカチになりつつも好感度を上げるべく大量注文した。
「承りました。お姉ちゃん、『魔術焼き』四〇個ね」
「はいー」
 相変わらず脳天気で間延びしたピッツ嬢の声が、【ボン・キュ・ボン】の賑やかな店内に響きわたる。
 パンの名前や注文数に対して何か言いたそうな顔をしていたクールボームステプギャー教授も、
 その声に脱力し、溜息混じりに諦めクレールへ温かい目を向けた。
「大学には寄って来たんか? 大分様変わりしたじゃろ?」
「はい。だけど……変わってるのか変わってないのか、それも良くわかんないですね」
「そ、そうですよね。中にいてもそんな感じです。ところで……」
 ようやく落ち着きを取り戻したウォルトの視線は、今日に限って珍しく食事に誘ってきた
 クールボームステプギャー教授を捉えていた。
「なんじゃい、その恨めしそうな目は。儂ゃ何も知らんぞ。彼女がここにいたのは偶然じゃい」
「本当ですか……?」
「全く。頑固なのは兎ぅも角、女に全く免疫がないとぅころまで父親に似なくとぅもいいじゃろうに」
「父の話をして頂けるのは嬉しいんですけど、そういう遺伝は余り知りたくなかったです」
 クレールの視線を気にしながら、困り顔で呟くウォルトに苦笑しつつ、クールボームステプギャー教授は
 足下に置いていた自身の鞄へ手を伸ばす。
「元々今日は、コレを貴様に渡す為にメシに誘ったんじゃよ」
 そして、そこから一冊の本を取り出した。
「それは?」
「教会の敷地にあった研究室らしき小屋から、貴様の父の手記が見つかった」
「!」
 ウォルトの顔が、先程と全く異なる驚愕で歪む。
 最期は余りにも呆気なかったが、例えそれでもウォルトの記憶の中にいる父は常に厳格で、
 格好の良い男だった。
 だから――――父の人生について、余り深く立ち入りたくはなかった。
「手記によると、教会がミルナ総大司教に人体実験を強制させていた際、貴様の父親にも
 協力要請があったようじゃな」
「それって……」
 ここで話しても良い内容なのか、とクレールが目で問う。
 けれどウォルトは既に答えを知っていた。
「辞退したそうじゃよ。その結果、家族を路頭に迷わせた訳じゃから、善し悪しの判断は困難じゃがの」
 それが、父の下した判断。
 汚い金で家族を養うより、誇りを胸に共に苦しむ方を選んだ。 
 頑固な父らしい選択。
 ウォルトの胸に、万の納得と一の怨恨が去来する。
 ただしその怨恨は、自分達を潤してくれなかった事への不満ではない。
「出来れば、本人から言葉にして伝えて欲しかったんですけどね」
 それだけ。
 本当に、たったそれだけの事だった。
「今からでも遅くはなかろう。ホレ、その胸に刻みつけるんじゃな」
 クールボームステプギャー教授は丁重に手記を扱い、ウォルトの手に直接渡す。
 乾燥と腐敗によって、重量は見た目以上にない。
 けれど、ウォルトにとっては何よりも重く、そして大事な物だった。
「教授、一つ教えて下さい。これは……ミスト教授が貴方に?」
 そう考えるのが、最も自然だった。
 先程クールボームステプギャー教授が話した内容は、教会の弱みそのもの。
 この手記は、人体実験が教会主導で行われた証拠品になり得る。
 ならばその教会と交渉をしていたであろうミストが探し、保管していたと考えるのが妥当だ。
 だが、クールボームステプギャー教授は首を横へ振り、愉快そうに口角を釣り上げた。
「賢聖じゃよ」
「え……? 彼が?」
 驚きを見せたのはウォルトだけではない。
 クレールもまた、その言葉に目を丸くしていた。
「以前、こっちにいた頃に偶然発見したそうじゃ。貴様に渡すべきかどぅーかずっと悩んどぅって、
 儂に手紙で相談してきたんじゃよ」
「そ、そうだったんですか」
「おう。言ってやったぞい。『その程度で落ち込んで潰れるほど儂の後継者はひ弱じゃないぞ』ってな」
 後継者――――そう口にしたクールボームステプギャー教授に、ウォルトは更に驚きの色を濃くする。
 何しろ、初耳だった。
「教授の弟子は沢山いるじゃないですか。どうして僕なんですか?」
「そりゃ、見所あるからに決まってるじゃない。そうですよね?」
 クレールに肩を叩かれ、ウォルトが完全に固まる。
 その余りに免疫のない様子に心配しつつも、クールボームステプギャー教授は深々と頷いてみせた。
「貴様はずっと、オーぅトルぅーリングは自分の手柄じゃない、自分は賢聖に言われた事をやっただけ、
 と言っておるが、儂はそうは思っちょらん。賢聖の奴も手紙で『貴様がおらなんだら完成してなかった』
 っつっとぅったぞ」
「アウロス君が……」
 お世辞やおべっかを言う人間じゃない事は、ウォルトも良く知っていた。
 だから素直に喜べる。
 自分の助力が確かな貢献であったと。
「賢聖、か。ホント、信じられないっていうか、信じろって方が無理よね。まさかあのアウロス君が
 そんな事になっちゃうなんて」
 ようやく緊張が多少緩んだウォルトの肩を揉みながら、クレールが感慨に耽る。
「今頃あの子……あの子は失礼か。彼、どうしてるのかな? 賢聖って何して生活してるのか、
 全然想像も付かないのよね」
「九十四年ぶりの授与でしたからね。誰にもわからないと思います。でもきっと、彼は上手くやってると
 思いますよ」
「そっか、そうよね。でも私は、賢聖より研究者の方が似合ってると思うんだけど……ね」
 呟きながらクレールは、陽光の差し込む窓の外へ目を向けた。
 僅かに見える木の枝に、鳥が留まっている。
 暫く綺麗な囀りを披露してくれたその鳥は、暖かい風に乗って大空へと飛び立った。
 一面に広がる曇り空の上。
 そこはどこまでも広がる蒼の原野。
 帆翔する鳥の真下には、美しい氷晶の絨毯。
 永遠と刹那の狭間で、翼は揺れながら風を集めていた。
 翼があれば、何処へだって行ける――――それが間違いである事を、鳥は知っている。
 だから、それ以上高く飛ぶ事を拒み、空が統べる世界の下、地上へと舞い降りた。

 


 そこは――――

 


「よう! 賢聖。久しぶりじゃねーか」
「その呼び方止めろ」
 ――――第一聖地マラカナン、水没都市エルアグアの郊外にひっそりと存在する、古ぼけた墓地。
 アランテス教では死者は等しく天国への旅人である、とされ、例え犯罪者でも死した後は一般墓地に
 眠る事が許されている。
 しかしその寝床は平等とは言い難く、墓石はあったりなかったりで、半数以上の墓標は
 腐りかけた木の柱。
 神聖な雰囲気は微塵もなく、今にも悪霊が襲って来そうな荒れ具合だ。
 そんな場所で陽気に手を振り回し近付いて来る傭兵ラインハルト――――"魔術士殺し"の異名で
 かつて恐れられていた男に、青年はウンザリした様子で溜息を落とした。
 青年には名前がない。
 そして自分の正確な誕生日も知らないので、実際に今何歳かも知らない。
 大体二十歳くらいだと認識している。
「……つーか、祝いにやって来て到着早々こう言うのも不躾だけどな。お前大丈夫か?」
「本当に不躾だな。失礼にも程がある」
「そうは言ってもよ、言いたくもなるってなもんだぜ。賢聖っつったら、この国じゃ超有名人なんだろ?
 エチェベリアの"剣聖"……要は最強の騎士なんだが、それと同じくらいの。そんな奴がよう、
 なんでまたこんな場所に住んでんだ?」
 ラインハルトの言う通り――――青年は今、この墓地で生活を営んでいる。
 と言っても当然、墓石をベッドにして寝息を立てるような真似はしていない。
 彼の知り合いがかつて使用していた、この墓地の地下にある隠れ家で暮らしている。
「今やってる研究を進める上で最適の場所がここだった、ってだけの話だ。ここだと人が立ち入る事も
 滅多にないから、集中して考え事が出来る」
「いや、そういう問題じゃなくてな……ま、変わってないって事はよくわかったから別に良いか。
 賢聖になってもテメーはテメーだな」
 半ば呆れ気味に、半ば嬉しそうに、ラインハルトは苦笑いを浮かべる。
 その視線が、青年の傍にある墓石へと向けられた。

 賢聖 アウロス=エルガーデン ここに眠る

 そう刻まれている墓石は、光沢を帯びるほどに美しい。
 今し方綺麗に掃除し終えたばかりで、しかもそれが日課となっている為、埃一つない。
「何だ? 今から墓の予約か? そいつはまた斬新な思いつきだなオイ」
「全然違う。まあ……自己満足って意味では、そうも言い切れないか」
 死者は何も語らない。
 何も望まない。
 なら死者への餞も祈りも、全て生者の我儘に過ぎない。
 この墓も、そしてその隣にある同じように綺麗に掃除された墓もそうだった。
「にしても、まさかお前が賢聖に……なあ。いや、よくよく考えたら当然か? 何しろ
 最強の"魔術士殺し"と噂されてた偉大な剣士に一泡吹かすっつー大快挙を成し得た
 幸運の持ち主だ。そりゃ……って、聞いてねーだろテメー!」
 一仕事終えた青年は、日の光を風のように浴びながら天を仰いでいた。
 空は広い。
 広く、一つしかない。
 だから何処にでも繋がっている。
 第一聖地と第二聖地も。
 それ以外の聖地全ても。
 教会、そして教皇は今、そんな空と同じ事をしようとしている。
 しかもそれは主目的ではなく、目的の為の準備段階。
 全ての聖地をまとめ上げ、国家全体で新たなデ・ラ・ペーニャを作り上げていく。
 途方もない物語だ。
 本来なら、アウロス=エルガーデンはそんな壮大な夢に関わる魔術士ではなかった。
 魔術がひとりでに綴られ、出力される。
 そういう技術を生み出した魔術士として語り継がれる――――それが彼の人生の筈だった。
 けれど、賢聖となった人物がその後、何もせず何も成さずの人生を送ってしまっては、
 肩すかしもいいところ。
 自身の生み出したオートルーリングの悪用も許してはならない。
 思いの外、整合性を保つというのは大変な作業だった。
「本当は、こんな称号は要らないんだろうけどな」
 青年の目には、かつてその最期を見届けた日の光景が焼き付いて離れない。
 もしあの時――――そんな思いと共に、一生残り続けるのだろう。
 けれども、名を借りたのは、その光景をかき消す為ではない。
 まして償いでもない。
 初めて出来た友達に、彼が喜ぶ事をしてあげたい。
 それだけだ。
「ま、そう言わずに折角貰ったんだから有意義に使えよ。そういやまだ祝ってなかったな。
 目出度ぇ目出度ぇ」
 おざなりの拍手が墓地に響く事なく乾いた音を立てる。
「ンで、賢聖ってのは給料どれくらい貰えるんだ? どうしてもそれが聞きたくてよう、
 わざわざ第一聖地までやって来たんだよ俺」
「借金でも作ったのか? なら、その辺の墓標がない場所に好きに潜って貰って構わないが」
「借金苦で死のうとしてねーよ! つーかそんな斬新な人生の終わり方あってたまっか!
 それ以前に借金で困ってる親友を平然と見捨てるんじゃねーよ! 別に困ってねーけど!」
 墓地で遠慮もなくがなりたてる、決して親友ではないその男に対し、青年は懐かしさの付随する
 疲労感を覚え、自らの手で自らの首回りを叩く。
 ここ最近、連日明け方まで資料を読み耽っていた為、身体全体に気怠さがあった。
「ま、折角来たんだ。ゆっくりしていけ。ほぼ相手は出来ないけど」
「あん? そんなに忙しいのかよ。教会絡みか?」
「そっちは別に。教会はまだ新体制の下地作りで右往左往してる段階だからな。忙しいのは
 俺自身の問題だ」
 青年にはかつて、目的があった。
 それは途方もない夢であり、光のように掴み所のないものだったが、幸運も重なり、
 無事果たす事が出来た。
 けれども、それで全てが終わったわけではない。
 幸運の中には、人との出会いも含まれている。
 そしてその出会いによって、新たな目的が幾つも生まれた。
 今は、当初の目的の達成に力添えしてくれた数人に対し、恩返しの意味も込めて微力を尽くしている。
「そんな訳なんで、ゆっくりしていってくれ。出来るものならな。俺なら罪悪感と肩身の狭さに押し潰されて
 到底無理だが」
「……暗に帰れっつってねーか?」
「暗くした覚えはない」
「こ、この野郎ハッキリ言いやがった! 俺はテメーを祝う為だけにここまで来たんだぞ!?
 この友情をもっとありがたがってくれよ! 笑顔をおくれよ!」
 実際には金銭の絡んだ好奇心を満たす為なのは明白なので、青年は一切ありがたがらない事にし、
 いい歳して泣き喚くラインハルトに背を向けた。
 そんなじゃれ合いを、呆れながら眺める目が二つ。
 黒い髪の毛を腰まで伸ばしたその女性の双眸は、以前より少しだけ優しくなっていた。
 かつて『死神を狩る者』、或いは魔女と呼ばれたその女性は、その名残でもあるトレードマークの
 三角帽子を脱ぎ、ゆっくりと近付いて来る。
「何をグチグチ言い合ってるの?」
「おお! 嫁さんからも何か言ってくれよ。折角遠路はるばる駆けつけたってのに、つれねーんだよコイツ」
「嫁じゃない」
 即刻否定する青年の頭を、面白くなさそうにルインが小突く。
「相変わらず、こっち方面には素っ気ねーな。そう言う話、全然しねーのか?」
 ラインハルトの無粋な指摘にルインはまた一つ不快感を募らせ、今度は青年の脚を膝で蹴った。
「見ての通り甲斐性なしだから。指輪まで贈呈した癖に」
「あれはそう言う指輪じゃないだろ……」
 オートルーリングの使用を可能とする魔具。
 既にある程度は生産が進み、現在では教会の戦闘要員や魔術士ギルドの一部が
 所持するまでになっていた。
 とはいえ、市販されるまでの普及となると、依然として多くの問題が残っている。
 先は長い。
「かっかっか。この様子じゃ結婚式はまだまだ先になりそうだな」
 ラインハルトの冷やかしは青年には余り効果がないが、ルインは確実に赤面する。
 かつて自分を仕留めたあの魔女が、今はからかい甲斐のある女性に変貌している――――
 その事実に、ラインハルトは感慨に耽らずにはいられなかった。
「珍妙極まりないその顔をこっちに向けないで頂戴。数ある死に方の中でも、
 笑い死にだけは回避したいの」
 ただし悪態は標準装備したままだった。
「それよりも、これ。今朝エルアグア教会に届いたそうよ」
 そんなルインが大事そうに抱えていた封書を、青年は眠たげな目で受け取る。
 しかし差出人の名を見た瞬間、その目が思い切り見開かれた。
「ラディから……?」
 頷くルインを確認し、中身も確認する。
 青年が彼女と別れたのは、今から約一年前の事。
 あれから――――状況は随分と様変わりした。
 ずっと借りていた名前を、本人に返還出来る程には。
 ただし、まだまだ目的の達成には程遠い。
 近況報告をする訳にもいかない事情もあり、この一年ずっと疎遠になっていたが――――
「……」
「どした? なんか嫌な事でも書いてあったか? 借金したから金貸せとか」
 この上なく無遠慮に青年の肩を掴み、ラインハルトはその手紙を流し読みした。
「なになに……教会の現体制を疎んじてる勢力が、賢聖の命を狙ってるらしい、だと? そりゃまた
 随分と物騒な話だな。やっぱ九十四年ぶりってだけあって目立つんだろなあ……って、
 賢聖お前じゃねーか! お前じゃねーか命狙われてんの!」
 絶望的に気付くのが遅いラインハルトを尻目に、ルイン努めて冷静に補足を行っていた。
「攻撃魔術の研究規模縮小を嫌がる勢力の仕業……とは考えられないのでしょうね。賢聖を
 殺したところで大した意味はないし、一般市民を敵に回すだけだもの。妥当なのは、この国が
 賢聖という光に照らされて活性化するのを嫌がってる連中」
「外国からのお客さんか。お隣か?」
「そうとも限らないでしょう。手紙にも具体名は載ってないし、複数の国が手を組んで貴方を
 暗殺しようとしているのかも」
 かなり突飛な発想だが、そのルインの発言は決して大げさでも何でもない。
 賢聖という称号には、それだけの影響力がある。
 だからこそ、九十四年もの間、その座は空白となっていた。
 教皇よりも目立ってしまうから。
 けれども、厳密には教会の所属ではないという性質上、暗殺した場合の政治的な面倒さが少ない。
 結果、暗殺の標的にされやすい存在なのは間違いなかった。
「つーか、冷静に話し合ってる場合かよ! どーすんだ!?」
「どうするも何も、相手が何者なのかさえわからない以上、逃げるしかないだろ」
 ここにいる三人は、戦闘能力に関してはある程度の水準に達している。
 しかし、本意気で命を狙われた場合、それを回避出来る保証など何処にもない。
 何よりまだ志半ば。
 ここで殺される訳にはいかない。
「墓守、どうする?」
 唯一の心残りを、青年はルインに尋ねる。
 彼女はそれには答えず、『アウロス=エルガーデンの墓』の隣に跪いた。
 そして、まだ新しい花束が置かれたその墓石に向かって手を組み、瞑目する。
「貴女の魂は、如何なる時も私のここに」

 ――――フローラ=レンテリウス

 そう刻まれた名を心で呼び、帽子を胸に当てたまま暫く祈りを捧げていた。
「……科白とか姿勢は綺麗だけどよ、この場面だと何かすげー都合の良い解釈に聞こえるよな」
「行きましょう」
 大男の呟きは無視し、青年はルインと共に墓地を離れ、エルアグアの街へと続く細い野道を力なく歩く。
 元々質素な暮らしをしていたので、身軽に移動出来るのは好都合だったが――――
「やれやれ。到着早々移動かよ。ま、墓地でゆっくりするよりゃマシか」
「何故付いてくる?」
 やたら重く響く大きな足音に、振り向きもせず青年が問う。
「お前らだけじゃ心許ないだろ? 幾らオートルーリングが使えるっつっても、魔術士は基本
 ひ弱だからな。移動疲れでヘロヘロ、集中力も散漫、足腰フラフラ、ストレスで胃もボロボロ。
 そんな時、身も心もタフな戦士の出番がやって来るのさ」
「意味がわからないのだけれど」
「くっくっく。これまで散々放置して来た事を後悔しやがれ。良いか良く聞け! 俺はなんと、
 隣の国エチェベリアで最強の称号"剣聖"を冠する男の――――」
「へーい! そこの紳士淑女! これから何処へ行くつもりだい?」
 公道に出た所で、聞き覚えのある軽い口調の声が一同の鼓膜を揺らした。
 確かに軽いのに、一度聞いたら忘れられない、怨霊のようにしぶとい声。
 情報屋ラディアンス=ルマーニュ――――本名グラディウス=ルーワット――――が一年前と
 何ら変わらない風貌で、やたら仰々しく手を振っていた。
 その直ぐ横には荷馬車が控えてある。
 交通手段としては中々に豪華だ。
「……差出人が手紙と同時に来るか? 普通」
 色々と言いたい事はあったが、青年はまずそれがどうしても気になった。
「ふっふーん。あらゆる状況を想定して、何通りもの方法で伝達する。
 それが僥倖の情報屋たゆるえんにょ」
 余程この登場の仕方に手応えを感じていたのか、ラディは過去最高のしたり顔で胸を張る。
 が、最終的に行き着いた二つ名が偶然の幸運ではどうにも締まらない上、最後の方やたら
 噛み倒していた為、三者三様の冷たい視線に晒される悲惨な結果となった。
「と、兎に角! 早く乗って乗って! 時間的な余裕はまだあると思うけど、何事も都合よく事が
 運ぶって限ら……ないんだよね本当いつもいつも! あーもう! 来たよ敵!」
 ラディの叫びを聞くまでもなく、青年もルインも、ついでにラインハルトも気付いていた。
 まだ距離はあるものの、剥き出しの殺気を隠そうともしない黒装束の集団が、喜劇のような勢いで
 追いかけて来ている。
「あーこりゃまずいなー。このままだと、そこのガタイの良いお兄さんが『ここは俺に任せな。なあに、
 俺は不死身だから大丈夫だ。直ぐに片付けて後を追うさ。俺……田舎に婚約者がいてよ、
 
この戦いが終わったら結婚するんだ。傭兵なんて裏稼業からも足洗って真面目に働かなきゃな。
 もう怖いものなんて何もねぇぜ。さあ来やがれ! ここがテメーらの墓場だ!』的な科白を吐く
 一部始終を見届けなきゃならない展開に」
「なってたまっか! 勝手に長々と死に行く者の最後の見せ場とか想像してんじゃねーよ!」
 そう怒鳴りつつ、青年とルイン続いてラインハルトも荷台に乗り込もうと足を掛ける。
「貴方も一緒に乗るつもり? どういう理屈で?」
「当然って理屈だ! 逆にハブられる理由が知りてーわ! この俺が邪魔だっつーのかよ!?」
 ルインから露骨に拒否されたラインハルトは、救いを求め他の二人に審判を仰ぐ――――
「うん。重量的に邪魔」
 ――――直前、ラディの細くしなやかな脚によって蹴落とされた。
 直後、荷馬車が駆け出す。
「ぐああああああ畜生共め! お前ら絶対死なす! 覚えてやがれゲス野郎どもおおおおお!」
「三分の二が女だけどな」
 そんな青年の身もフタもない言葉を背に、ラインハルトは八つ当たり気味なヤケクソ具合で
 黒装束の集団へ飛び込んで行った。
「ささ、敵はあの元敵にお任せして、私達はさっさと逃げようぜ。御者の方、速度アゲアゲでお願い!」
 特に返答は帰って来なかったが、馬車はリクエスト通り加速して行く。
 ラインハルトがみるみる小さくなっていくその光景を暫く眺めた後、青年は呆れ顔でラディと向き合った。
「で、この茶番は何だ?」
「……え?」
「え? じゃないでしょう。まさか貴女、このタイミングで偶然敵に襲われた――――などと私達が
 本気で思っているとでも?」
 青年同様、ルインもまた呆れを通り越して二周目の呆れ顔でそう嘆く。
 案の定思っていたらしいラディは、痛恨の極みといった表情で頭を抱えた。
「な、なんてこったい。私の高度な情報戦術をもってしても及ばないなんて……成長したのね、二人とも」
「で、俺が狙われてるっていうのは結局本当なのか? それとも、そっちまで出鱈目なのか?」
「無視ですか。辛辣ですね……ま、そっちは本当の話。もうバレちゃってるけど、あの黒装束連中は
 私の用意した演出ね。どーせ平和ボケしてるだろうから、危機感を与える為に現地のゴロツキ雇って
 一芝居打って貰ったってだけ」
 そう説明するラディに対し、二人は懐疑的な視線を投げ続ける。
「……うー、わーかったよ素直に言うよ! あんな別れ方しといて一年でアッサリ再会するのが
 小っ恥ずかしかったから、ドサクサ紛れな感じにしたかったの! ウェンブリーで会おうって
 言われてたのに結局迎えに来てる感じも何かイヤだったし!」
 要するに――――
「照れ隠しか」
「照れ隠しね」
「その共同作業止めてくんない!? 二倍傷付くから!」
 ともあれ、ラディの狙いは兎も角として、再会そのものは彼女の願い通り重くはならずに済んだ。
「ま、この馬車ってウェンブリー行きだから、それほど的外れな再会じゃないでしょ?」
「ウェンブリーに? 貴方はそれで良いの?」
 ルインの問い掛けに、青年は迷いなく頷く。
「俺を狙ってる連中の素性が明らかになっていない、且つ確実に存在する。そういう事情なら
 現在地からは離れるべきだし、余り長々と移動は出来ない。ラディ、そういう事で良いんだな?」
「おうよ。素性がわかんないからこそ、賢聖と教会の情報網にも引っかかってないんでしょーね。
 何処かに首謀者はいるけど、実像は見せないし探らせない。そんな厄介なヤツに狙われてるのは
 紛れもない事実。私の情報に間違いはなくてよ!」
 本来、教会が警鐘を鳴らしていない段階で、一介の情報屋の曖昧な情報に振り回されるのは
 愚の骨頂。
 けれど青年は猜疑心を微塵も持たず、そのまま受け入れた。
 何より、まだ具体的な仕掛けが何もない段階で危機を報せに来たラディの行動が、彼女の想いと
 この一年の過ごし方を雄弁に語っている。
「常に案じてくれていたのね」
 それを察したルインの言葉に、ラディは一瞬赤面したのち、プイッとそっぽを向いた。
「わ、私の事より、そっちはどうなの。そろそろ子供の名前とか一緒に考えてる頃合い?」
「え!? もう子供出来たの!?」
 ラディのそれは冗談だとルインも青年も瞬時に理解したが、それほど付き合いが長くない相手には
 通じなかったらしい。
 この場にいるのは、その三人以外にもう一人――――御者を務める人物。
 彼は左腕だけで器用に手綱を操っていた。
「……マルテか?」
「あ! もうバレちゃったかー。お兄さん、久しぶり」
 青年が大聖堂を離れて以来、こちらもほぼ一年ぶりとなる再会。
 身長が少し伸び、声は幾分か低くなっている。
 そんな成長期の少年との唐突な再会に、青年は驚きを隠さなかった。
「なんか私の顔見た時より驚いてるのが気に食わないけど……ま、いっか。マルテ君とはね、
 チャーチちゃん経由で連絡取り合ってんのよ。第一聖地の情報を貰う為にね」
「その見返りに、色々相談に乗って貰ってるんだ。それよりお兄さん、さっきの話は――――」
「あれはラディの冗談だ。こっちはようやく借りてた名前を返したばっかりで、そんな余裕はまだない」
 余裕が出来れば実行に移すのか――――という三者三様の視線に晒されつつ、青年は荷台の
 一番前方に移動し、マルテの背中へ問いかける。
「ラディに付いて来たって事は、目的が見つかったんだな?」
 マルテが大聖堂を出るのは、その時。
 馬車の操縦方法まで学んでいたのなら、それなりに入念な準備をしての事だ。
 案の定、マルテは前方を見ながらしっかりと頷いてみせた。
「僕、研究者になるよ。自分の為だけじゃなく、他人の為にも役立つ物を生み出したいんだ」
 それは青年にとって、少なからず衝撃的な発言だった。
「……何を研究するのか、決めてるのか?」
「一応。まだ言えないけど。でも、いつか必ずお兄さんには言うよ」
 ――――実のところ、青年にはその答えはある程度予想出来ていた。
 マルテにとって、自分の為にもなって、他人の為になる物。
 親や、周囲の人々の心配を著しく軽減させる物。
 けれども、口にはしない。
 マルテ自身が言うと約束したのだから、約束は約束のままである方が良い。
「そうか。なら、楽しみにしとこう」
 揺れの少ない馬車に揺られ、青年はそう微笑む。
 もう、それほど珍しい表情ではなくなっていた。
「お兄さんの方はどう? 今の研究、進展はあった?」
「ああ。その代償で天国には絶対に行けない身になったけどな」
 それに見合うだけの価値は十二分にあった――――そう青年は心中だけで呟き、視線を
 その恩恵を受けるべき相手へと向ける。
「ラディ。あの件だけど――――」
「何ー? って言うか、名前もう返しちゃったんだ。それじゃ今からあんたの事、
 元アウロス=エルガーデンとか新アウロス=エルガーデンって呼ばなきゃいけないワケ?」
 暫く馬車の揺れに身を委ねていたラディは、青年とマルテの話を聞いていなかったらしい。
 なら敢えて今話す必要もないし、優先的に告知すべき事項が一つ増えた為、青年は暫く
 心の中にしまっておく事にした。
「呼ぶのは自由だが、その度にお前の足の小指には氷の塊が落ちるからな」
「あー……それじゃ新しい名前を考えよっか。うん、今考えよう。直ぐ考えよう」
 冷や汗混じりに荷台の上で足の小指を靴の上から擦るラディ。
 その隣でルインは、妙に大人しくしていた。
「ルイン……?」
「んん、ん。何? 別に子供の名前を真剣に考えていた訳ではないのだけれど、何?」
「いや……」
 余りつつかない方が良さそうだと判断し、青年は視線を荷台の床板へと移した。
 頭の中に思いを巡らす際には、情報量の少ない所へ視点を向けるに限る。
 マルテと再会した事に誘発され、青年は第一聖地マラカナンで過ごした日々と、
 そこで出会った人々を思い返していた。
 デウスはあれから懸命なリハビリの末、二〇分ほど歩行出来る身体にまで回復した。
 まだ完全ではないが、自力での生活が可能となっているそうだ。
 そんなデウスに触発され、四方教会の三人もまた、弛まぬ努力で日々を過ごし、現在は
 エルアグア教会の特殊部隊として様々な任務に明け暮れている。
 ティアはつい先日、フローラの墓参りにやって来た。
 ルインと目を合わせ、決して微笑みはしなかったが、終始穏やかに思い出を語っていた。
 サニアは教皇選挙に向けた一連の緊張感の中でどうにも喋り過ぎたらしく、あれからずっと
 仕事以外の時にはボーッとしているらしい。
 ティアによると、デウス以外に会いたい人がいるとの事らしいが、真偽は不明だ。
 三人の中で一番若いトリスティは、将来を有望視され神学校へ通うよう強く薦められ、仕事の傍ら
 苦学生としての生活も営んでいる。
 遠い将来、彼がデ・ラ・ペーニャの中核を担う日が来るかもしれない。
 教皇となったロベリアは、新たな魔術の在り方を浸透させるべく苦心惨憺の日々を送り続けている。
 幸い、娘のフレアをもう命の危険に晒す事もない為、仕事に専念出来る現在の環境には
 満足しているそうだ。
 ただ、フレアの方は父親の力になれないもどかしさを募らせている様子。
 数少ない話し相手のマルテが出て行った今、彼女が一体どんな思いでいて、
 何をしようとしているのか――――実は近い将来明らかになるのだが、それはまた、別の話。
「お! 良〜いの思い付いちゃったよ。さすが私! これだから私!」
 不意に、自分に酔い始めたラディが歓喜の声を上げ、青年を現実へと引き戻す。
 次は第二聖地ウェンブリーの思い出を、と思っていたところだが、それはもう必要ない。
 これから、近況について語り合う機会は幾らでもあるのだから。
「ホラ、私アンタのこと"ロスくん"って呼んでたでしょ? コレいちいち変えるのメンドいじゃん?
 だから――――」
「何者かが前方に出現」
 ラディの考えた会心の名前の披露は、ルインの気配察知能力の鋭敏さに遮られた。
 直後、馬車が急停止。
 怯えた様子でマルテが振り返り、叫ぶ。
「ど、どうしよう!? 山賊だよっ!」
 その風貌は一般的に山賊と言われて思い浮かぶそれと殆ど誤差はなく、髭面だったり
 ボサボサの髪だったりと不衛生極まりない。
 魔術国家、それも第一聖地マラカナンだからといって、山賊まで魔術士であると言うケースは殆どなく、
 手には錆びた斧やこん棒が握られていた。
「ラディ。あれもお前の仕込みか?」
「違う違う! 風評被害も甚だしい!」
「自業自得だろ。ったく……」
 幸いにも暗殺を主目的とした様子は微塵もなく、ラディが提唱していた存在とは無関係の様子。
 絶体絶命時の状況には程遠い。
 何故なら、この馬車には最新の技術を扱う魔術士が二人も乗っているのだから。
「動かないで」
 マルテへ向けて告げたルインのその端的な指示に、青年は思わず昔を思い出した。
 ウェンブリー魔術学院大学で彼女と再会した際、初めに耳にした言葉。
 それに連なる次の言葉は、眼前の連中に相応しい内容だったと記憶していた。
 けれども、その言葉を現在の彼女に使わせる事に、青年はちょっとだけ抵抗があった。 
 だから率先して一人で馬車から降りる。
 山賊の人数は全部で八名。
 全員、例外なく品のない笑みを浮かべ、荷台に乗るルインとラディを凝視している。
 これから最高のパーティーが開かれるのだと信じ切って。

「……さて。確かこんなだったか」

 青年はそんな救いようのない連中に向けて、かつて自分が投げつけられた凶器の言葉を紡ぎ出す。
 一語一句同じ、という訳にはいかなかったが、概ね同じ内容で。

「目玉と脊髄と腸を燃やされて自分の焦臭に苛まれながら絶命するか。全身の部位を
 少しずつ切り刻まれて治療も出来ず腐臭に悩まされながらも寿命が尽きるまで生き抜くか」

 同時に、魔具をはめた右手の人差し指を目一杯伸ばし、たったの一文字を宙に綴る。
 するとその文字の隣に別の文字が現れ、またその隣に違う文字が現れ、それぞれの個性を
 そのままに連なっていく。
 一つ一つにも意味はあるが、連なる事で、繋がる事で、また違った力が生まれていく。

「好きな方を選べ。こっちはもう――――」

 それが魔術。
 そして、青年となった彼がこの世界に刻み続けてきた歴史の全貌だ。


「とっくに選び終わった」

 

 

 

 

 ――――少年は眠っている

 花の香り豊かに、鳥の歌声が軽やかに舞う温かな場所で、少年は静かに眠っている

 彼を示す名前は、長い年月を経てようやく刻まれた

 革命的技術オートルーリングの創始者として、そして史上最年少の賢聖として、
 その名は永久に語り継がれて行く

 しかしながら、彼がその偉業を成し遂げるまでの経緯は公式には記録されず、
 やがて消えゆく運命にある

 夢幻のように曖昧で不思議な、けれども確かに魔術国家の歴史の上に存在した、
 失われし一篇

 その一部始終を知る数少ない人々は、かの物語を振り返る時、
 穏やかな眼差しでこう締め括るだろう

 






           ロスト=ストーリーは斯く綴れり   Fin.








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