クレール=レドワンスは、自分が呪われた人生を送っていると確信していた。
 ケチのつけ始めは出生直後。
 それまで順風満帆だった両親の経営する飲食店が、クレールが生まれて間もなく
 潰れてしまった。
 しかも、それが原因で両親が離婚。
 姉と共に見捨てられてしまった。
 幸い、親戚の叔父に引き取られ魔術の研究を行うまでに成長したが――――
 アカデミーの学費によって資産を圧迫された叔父は、焦りもあって横領に手を染めてしまう。
 そして極めつけは、最愛の姉ピッツ=レドワンスの不幸。
 クレールにとって、ピッツは母親代わりの存在でもあった。
 そんな彼女が料理人の道を選んだのは複雑だったが、姉の料理が褒め称えられるのは
 誇らしく、そして嬉しかった。
 だが――――いつの頃からか、ピッツの料理は三人に一人の確率で劇薬と化す
 奇妙な産物となってしまった。
 これを呪いと言わず何と言うのか。
 自分の恩人が、大好きな人達が、自分といることで不幸になっていく。
 人生を踏み外していく。
 耐え難い現実だった。
 この世にいるべきではない、そう思った。
 だが――――死ねなかった。
 クレールは自分を殺せるほど強くも弱くもなかった。
 それでも、ピッツが自分を見捨てたなら、選択できるかもしれないという思いはあった。
 いっそ見捨てて欲しい。
 クレールという人間がこの世にいることは罪だと、誰かにはっきりと告げて欲しかった。
 魔術の研究なんて、大勢がやっていること。
 自分がいなくなったところで、何が変わるでもない。
 なら、この世界からクレール=レドワンスが消えることでの損失はなく、
 他人の損失機会を減らす分だけ健全な世の中になる。
 死ぬことで貢献できる。
 もう、それしかない。
 それしか――――

「君の呪いに興味がある。私の下で働く気はないか?」

 救いの手は、強面の男によってもたらされた。
【ウェンブリー魔術学院大学】の助教授ミスト=シュロスベル。
 若くして魔術の研究領域を広げる野心家だった。
 心の何処かで魔術の研究を続けたいと願っていたクレールにとっては、まさに救世主。
 姉のピッツはイヤな顔一つせず、大学の近くに店を構えることを決めた。
 自分にもまだ存在価値はある。
 必ず報いてみせる。
 自分の研究が成果をあげれば、ミスト研究室
 ミスト助教授を教授にするのが、姉の店を有名にするのが、これからの自分の
 生き甲斐だ――――

「……受け取って下さい」

 そう信じて生き続けたクレールの手には、辞表が握られていた。
 用意した辞表は二通。
 既に一通は姉に渡してある。
 そしてもう一通は今、上司であり既に教授となったミストの手に渡った。
「残念だな。君は優秀な研究者になれると信じていたのだが」
 惜しむ言葉とは裏腹に、ミストはクレールの辞表を躊躇なく受け取る。
 既にこの男の中に、自分の存在はないも当然――――いや、最初からなかったのだろうと
 クレールは確信した。
 同時に、今になってようやく確信に至った自分に呆れてしまう。
 本来なら、とうの昔に気付かなければならなかった。
 恩を愛情と履き違えた時点で、クレールの目は曇ってしまった。
 或いは、その前からなのかもしれないが――――
「大学を辞めて、他に行く宛はあるのかね?」
 ミストは机越しに、クレールの目を見ながら話す。
 その目には、冷ややかさも暖かみもない。
 他人と話す時、人間はいちいち温度を目に宿したりはしない。
 そういうことなのだろう――――といちいち確認する自分に、また苛立ちが募る。
「いえ、特には」
「なら研究は止めて、家の手伝いをするのかね?」
「それも違います」
 既に姉にも伝えている。
 クレールはこの一日で、料理店【ボン・キュ・ボン】の店員も、大学の研究員も
 辞めてしまった。
 姉からは慰留され、何度も今後の生き方を問われた。
 答えは同じだった。
「……一人で生きられるようになりたいんです」
 切に、そう願っていた。
「具体性に欠ける展望だな。余り感心できない判断だと言わざるを得ん」
 ミストは呆れる風でもなく、淡々と意見を唱える。
 教師のような心持ちで諭している訳でもない。
 単に自分の考えを述べているに過ぎない。
 それはわかっていた。
 わかっているのに――――
「……私にはもう、貴方の研究室に居場所はありませんから」
 クレールは感情的な反論を試みてしまった。
 一方的な感情の吐露は、生産性を認めない。
 男と女の会話によくある、堂々巡りだ。
 だがミストはそれを踏襲するほどお人好しではない。
「そう君が思うのなら、そうなのだろう」
 案の定、いとも容易く切り捨てた。
 それは人によっては優しさと受け取るのかもしれない。
 でもクレールには、そうは思えなかった。
「ミスト教授には感謝してます。私を拾ってくれてありがとうございました」
「私は、君の呪いに興味があったに過ぎない。礼を言われることは何もしていないよ」
「なら、私が掴み損ねたんですね」
 研究者としての人生を。
 或いは――――他の何かを。
 クレールは納得し、一礼した。
 最初から、取っ手などそこにはなかったのだと納得できたから。
 同時に、心を締め付けるようにして感情を抑え込んだ。
 それができたのは、成長だったのかもしれない。
「ミスト教授」
「何かね?」
 だから、一つだけ。
「その教授っぽい喋り方、似合っていませんよ」
 ほんの一つだけ反撃し、クレールは踵を返した。
 反論はなかった。
 それが一抹の寂しさとなり、クレールの頬を汚し――――

 一つの季節が終わりを告げた。

 

 

 - LA VIE CLAIR -

 

 

「……私、何やってんだろ」
 ポツリと呟くクレールの耳には、聞き慣れた言語の聞き慣れない喧噪が響きわたる。
 大学を辞め、店を辞め、クレールは旅に出た。
 自分探しの旅――――などという逃避に隣接する一人旅ですらない。
 敢えていえば『揺蕩い』だ。
 自分を繋ぎ止めていた二つの糸を切り、ユラユラと風に揺られ彷徨っているだけ。
 目的はおろか、願望すら何もない。
 そんな心理状態で辿り着いたのは、一度も足を踏み入れたことのない
 第三聖地サンシーロ。
 かつてレヴィが拠点としていた場所だったという記憶は、実際に訪れて
 数日経ってから蘇った。
 レヴィは自分が信じたもの、自分が認めたものを過剰に賛美する性質を持っている。
 逆に、自分を認めない、自分を排除しようとする存在へは容赦なく牙を剥く。
 そんなレヴィの言葉を回想するに、彼にとってサンシーロという区域は
 居心地の良い場所ではなかったようだが、やはりそれは主観に過ぎなかったらしく、
 ウェンブリーと比べサンシーロの市民はクレールにとって接しやすかった。
 距離感が合う、というべきかもしれない。
 道を聞く時にしても、酒場で声をかけられるにしても、
 必要以上に踏み込んでこない。
 かといって余所者に冷たいということもなく、サッパリとした受け答えに終始する。
 長く居れば悪い面も見えてくるのかもしれないが、現状ではクレールの性格との
 相性は悪くない、そんな場所だ。
 とはいえ――――水が合う、合わないというのと、その場所に根付くこととは別問題。
 まして、クレールが旅に出た目的は自分の居場所を見つけることではない。
 どれだけの間このサンシーロに居るのか、居て何をするのか、今のクレールには
 全く見えていない。
 本当に何をやっているのだろうと、偶々見つけた飲食店のテーブルに突っ伏しながら
 クレールは自嘲気味に溜息を吐いた。
「お客さん、体調が悪いのかい?」
 料理を運んできた中年の女性店員が心配そうに声をかけてくる。
 クレールはゆっくり顔を上げて、ブンブンと左右に首を振った。
「ならいいけどねえ。なんか元気がないみたいだし、これでも食べて英気を養いな」
 ニッコリ微笑み、店員はトレイに乗せた鶏肉のスープと赤いパンを
 テーブルに並べ出す。
「あの、パンは頼んで……」
「サービスサービス。美味しいから食べてみなよ」
 笑顔のまま、店員は厨房へと引き返していった。
 他に店員の姿はないし、厨房にはシェフもいない。
 一人で調理から接客までこなしているようだ。
 クレールは戸惑いつつもその背中にペコリと頭を下げ、まずスープを一口
 口に含んでみる。
 悪くはない。
 しかし、鶏肉の煮込みが足りないのか、コクが不足しているように思えた。
 何しろ、姉がウェンブリー随一の料理人。
 クレールの舌はかなり肥えている。
 やはり料理人だった両親がどの程度の腕前だったのかは記憶にないが、
 恐らくは子供の頃から質のいい料理を食べてきたのだろうという自覚はあった。
 これまでは当たり前のように日常の中にあった姉の料理。
 今後は常にその極上の味と比較していかなければならない。
 それはそれで非情な現実だ。
 思わず心中で苦笑しながら、赤く染まったパンを手に取る。
 黒パンでも白パンでもない、珍しい色のパン。
 或いはここの特産品かもしれないと思いつつ、小さくちぎって口に入れてみる。
「……美味しい」
 仄かに甘く、僅かな苦味がそれを引き立てている。
 更に、噛み締めるうちに別の甘みが生まれ、より味に深みを持たせる。
 赤ワインを生地に練り込んでいることは想像に難くないが、
 それ自体は然程珍しいことではない。
 何より、通常のワインではここまではっきりと赤くはならない。
 他に何か、この深い味わいには理由がある。
 一体何が――――
「あ……」
 そう考えているうちに、赤いパンは全てクレールの胃の中に
 収まってしまった。
 ここまで食に没頭するのは久々のこと。
 クレールは思わず立ち上がり――――
「あの!」
 他の客のテーブルにトレイを運び終えた先程の店員に声をかける。
「はいはい。あ、シェフを呼んでくれって言われても困るよ?
 ここ、私しかいないからさ」
「やっぱりそうだったんですか。あの、お名前は……」
「フリュー。フリュー=ラヴィよ。ちなみに、この店の名前は【ラヴィの小枝】。
 私より店の名前を覚えていってね」
「は、はあ……」
 なんとなくレヴィと似た名前だったので、複雑な心境でクレールは頷いた。
「それで用件はなにかしら?」
「あ、はい。先程のパンなんですけど……ワインを使ってますよね?」
 不躾とは思いつつ、問わずにはいられなかったクレールに対し、
 フリューと名乗った女性は嬉しそうに微笑んだ。
「あら、随分と舌が肥えたお客さんだったのねえ。確かにアレはワインを
 使ってるけど、ただのワインじゃないよ」
「高級なワインなんですか?」
「まさか。こんな場末の寂れた料理店でそんなの使ったら営業できないってば」
 高笑いするフリューに、常連客と思しき男も同調して笑う。
 実際、昼飯時にも拘らず空いたテーブルも多く、お世辞にも流行っているとは言い難い。
 とはいえ、スープはともかくパンの味は絶品。
 あのパン目当てに客が殺到しても不思議ではないくらいだ。
「あれ、実はイチゴのワインを使ってるのよ。〈ヤリイチゴ〉っていう、
 普通のより見た目長い特殊な野イチゴなんだけどね」
「ヤリイチゴ……聞いたことあるような」
 料理店で長らく仕事をしていたクレールは、稀少な素材について耳にする機会が多い。
 ヤリイチゴもその中の一つだった。
 味が気候に影響され過ぎるため、栽培は不可能。
 自然の中で偶然、濃厚かつ素朴な甘さを持つ果実として成長した物だけが
 素材として高い価値を持つヤリイチゴになるという。
 それをワインに使うとなれば、相当に贅沢。
 更にそれをパンの材料にするとなると、贅沢というより道楽に近い。
「実はあのパン、私の思い出の一品なのさ。私が子供の頃、まだヤリイチゴが
 高級素材になるって知られてなかった時代、近所のワイン商人が変わったワインを
 作りたいってんで、ヤリイチゴを素材にしてみたら中々の物ができてさ。
 その町の名産品になったんだよ」
 独創的な物が必ずしも素晴らしいとは限らないが、独創性は常に必要だ。
 でなければ、前には進めない。
 魔術の研究も同じだ。
 クレールの研究は、独創性とは無縁のものだった。
 野イチゴでワインを作る。
 そんな発想が自分にあれば――――そう思わずにはいられなかった。
「でもワインだから、子供は飲ませて貰えなくてね。それで、パンの出番って訳さ。
 パンにヤリイチゴのワインを練り込んでみたら、これがまた美味しいのなんの。
 でもま、ヤリイチゴが高級素材になってからはワインにするなんてとんでもない、
 パンに使うなんて頭がおかしい、って言われるようになっちゃってね。
 時代の流れってのは不思議なモンだ。子供の頃に当たり前に食べてた物が
 大人になって食べられないってんだからさ」
 フリューはおどけた仕草で現実を憂う。
 それは、クレールにも共感できる寂しさだった。
 子供の頃の情景は、当たり前のように記憶の中にあっても、現実はそうはいかない。
「……いいんですか? そんな高い、しかも大事なパンをサービスなんて……」
「いいのいいの。あのパンはね、私が広げたい味なんだからさ。正規の
 値段で出したってだーれも頼まないんだから。アンタみたいな初めてここに
 来てくれたお客さんにはなるべく出すようにしてるのさ。美味しかったかい?」
「はい。今まで食べたパンの中で、一番」
「ならいいんだよ。ありがとうね」
 私の町の歴史を、思い出を褒めてくれて――――
 フリューは、屈託ない笑顔でそう語った。
 本当に嬉しかったのだろう。
 ただ――――
「よかったよ。あれが最後のヤリイチゴパンだったからね」
「……最後?」
「もう市場には殆ど出回ってなくてね。仮に出たとしても、貴族やら
 富豪やらがまとめ買いで持って行っちまうのさ。これも時代の流れってこと。
 あのヤリイチゴが、お金持ちの有り難がる素材になるってんだから、わからないモンよね」
 そう言って笑っていたフリューの顔には、同時に寂しさも滲んでいた。
 それを察してしまった以上、クレールのとるべき行動は一つ。
 どうせ今、やりたいことはない。
 なら、一時の感情に身を任せてもいい。
 一昔前のクレールには全くない発想だったが――――
「あの……私、もう一度あのパンを食べたいです。だから、探してきます」
「ヤリイチゴをかい? 無理だよ。一般市民にはもう手が出ないよ」
「でも野イチゴなんですよね? なら、群生地に直接採取に行けば……」
「それも無理だね。とても女が一人で行けるような場所じゃないよ、確か」
 今の自分なら、こういう生き方も試してみるべきだ。
 そう自分に言い聞かせるようにして、クレールは決意を表明した。
「大丈夫です。私、魔術士ですから」






 

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