魔術国家デ・ラ・ペーニャ。
 島国も含め、十七の国から成るルンメニゲ大陸の国家の一つであり、
 世界で唯一魔術の開発、魔術士の教育・管理を行う国。
 主な国土は第一聖地マラカナンから第六聖地ベルナベウまでの六つの聖地に
 区分され、アランテス教会の各支部が中心となって該当地域を治めている。
 魔術士に対する教会の権力は絶対ではないが絶大ではあり、本来それぞれ独立した母体を持ち
 外部からの干渉を禁じられている筈の大学・ギルドといった機関に対してすらその影響力は及ぶ。
 例えば、大学やギルドの方針に対し、教会が公的に不快感を示す表明をすれば、
 その方針を撤回ないし修正せざるを得ない程度には。
「……とはいえ、だ。我々は騎士の助手でもなければ、教会の狗でもない。
 このような勧告があったからといって、速やかに修正を行えば、ウェンブリー魔術学院大学の
 権威を著しく失墜させてしまうし、大学そのものへの悪影響も免れない。
 よって落とし所を設定し、こちらの言い分をある程度通す事で、教会の顔を立てつつ
 大学の権威を守る……君の意見は概ねこんなところかね。ミスト君」
 ただし、教会側から大学に対して方針の修正を求めるケースは稀。
 まして、運営ではなく研究に関しての指導は、現在の社会制度が確立されて以降、
 殆ど前例がないほどの"異常事態"だ。
 そして昨日、ウェンブリー魔術学院大学はその異常事態に見舞われた。
 内容は具体性に乏しく――――

『大学の研究体制および研究成果の開示に関して不適切な点が確認された為、
 その調査を内々で行うように』

 ――――との事。
 当然、調査とその報告を行ってそれでおしまい、という訳にはいかない。
 教会が特定の大学に対してこういった勧告を行うのは、その大学に何らかの問題が
 かなりの確度をもって存在し、かつその問題が教会に少なからず悪影響を与えかねないものだと
 教会側が認識している場合のみ。
 もし『調査の結果、問題はありませんでした』と報告すれば、虚偽の報告を行ったとして、
 更なる強硬手段と共に名指しで批判されるのは間違いない。
 その批判は、大学にとって致命的なものとなる。
 ウェンブリー魔術学院大学学長、フォーゲル=モウリーノは強い危機感をもって、
 教会からの勧告を受け止めていた。
 一方――――
「はい。教会は現在、新たな教皇を立て新体制を築こうとしています。
 この勧告は、その一環なのでしょう。ガーナッツ戦争以降、教会の権威は以前と比べ
 大きく下落しています。『君達は教会の僕なのだ』という威嚇や牽制の意味を込めて、
 大学、或いはギルド等へ向けてこのような実のない勧告文を送っているのでしょう。
 国内の一般人、また国外に対しても『新体制はこれまでとは違うぞ』というアピールに繋がる。
 平凡なプロパガンダに過ぎません……が、それを指摘する訳にもいきません。
 何かしら、彼等の望む『問題』とやらをこちらで用意し、改善すると報告するのが
 妥当な対処法かと存じます」
 学長室に呼び出され、見解を求められたミスト=シュロスベルは一貫して
 強気の姿勢を示していた。
 自分には関係のない問題。
 教会の勧告は実際にある大学内の不正を指しているものではない。
 だから調査の必要はなく、かといって刃向かうのも得策ではない為、
 向こうが満足する答えをこちらで用意すべき。
 そう主張するミストへ向けるフォーゲルの目は、明らかに冷ややかだった。
「君のその見解は確かに妥当であるし、教会との摩擦をいたずらに増やすべきでないと、
 私個人もそう考える。しかしだね、ミスト君」
「はい」
「私がここへ君一人だけを呼び出した意味は、当然理解しているのだろう?」
 そして視線だけでなく、声もまた冷然たる響きを放っていた。
「勧告の送り主を見たまえ。この大学へ教会が勧告文を送るのなら、
 署名はウェンブリー教会のルンストロム=ハリステウス首座大司教である筈なのだ。
 しかしこの勧告文は……聖下の御名が入っている。ロベリア=カーディナリスと。
 つまりマラカナン教会……本部からの勧告だ。何故このような事が起こるのかね?」
「私には見当もつきません」
「そうかね。ならば私の意見を述べよう」
 フォーゲルは声を荒げる事なく淡々と述べる。
 だがそれは、学長の格を保つべく無理して行っている虚構に過ぎないと、
 ミストは見抜いていた。
「先日行われた就任式で着座なされたロベリア教皇は、攻撃魔術至上主義の
 研究の在り方を根本から見直すと仰ったそうだ。これが何を意味するか、
 わからない君ではないだろう」
「……もし牽制やアピールが目的なら、具体性を欠く曖昧な勧告をする必要はない。
 その聖下のお言葉をそのまま引用した文章にすればいい、ですか」
「そうだ。つまり君の見解は誤りで、問題は実際に存在する。例えば――――」
 声と顔に熱が籠もるのを、フォーゲルは自制しなかった。
「――――大学教授と教会幹部の癒着」
 確証を掴んでいる。
 そう訴える目は、牽制独特の毒気を含んでいる。
 牽制とはこういうものだ、と言わんばかりに。
「そのような"疑惑"を持たれている可能性は否定出来まい。教会側が把握し、
 かつ確信をもって指摘する大学の問題となれば、それを第一に考えるのが妥当。
 そうは思わないかね?」
「……至極真っ当な判断かと」
 ミストは多少の間を置き、そう回答した。
 教会が把握している以上、教会も一枚噛んでいる。
 そんな大学の問題となれば、癒着が疑われるのは当然と言えば当然。
 そして、ここへミストが呼ばれたという事は、その疑いがミストにかけられている――――
 そうフォーゲルは主張している。
 これはフォーゲル自身がミストを疑っている事を明確に示唆する主張だ。
「オートルーリングの研究発表会の際、一悶着あったそうだが……その席で
 ウェンブリー教会の幹部がやけに君の肩を持っていたとの報告があったのでね」
「確かに、妙に私を擁護する人物がいたのは否定しません。しかしその直後に
 私がその人物を非難している事までは報告されていなかったようですね。
 何処にでもいるのですよ、青田買いを狙い愛想を振りまく輩は」
「その愛想に愛想を尽かして切り捨てた、のではないのかね?
 君は非常に上昇志向が強い。オートルーリングを手土産にこの大学を出て、
 教会で更なる高みを目指そうとしていても、私は驚かないよ」
 フォーゲルの発言は、明らかに踏み込み過ぎている。
 確信があっての事――――というよりは、感情が先走っているようにミストには見えた。
 飼い犬に手を噛まれた事への憤り。
 声を荒げないだけ立派、と心の内で拍手を送りながら、ミストは首を左右へゆっくりと振った。
「ウェンブリー魔術学院大学は私の最後の戦場。着任の際にそう申し上げた通りです。
 一介の臨戦魔術士に過ぎなかった私を拾って頂いた御恩、忘れる筈もなく」
「君がそんな温情を後生大事にする人物ならば、今のミスト研究室はないのではないかね?」
 ――――痛恨。
 そんな小さい声が、ミストの鼓膜を薄く撫でた。
「……どう思われていようとも、私は研究に邁進し、この大学がより高みへ昇る為に
 尽力するのみです。必要ならば、第三者による調査委員会を発足して頂き、
 私の周辺を隅々まで調査して下さって構いません。どのような結果であれ、
 何一つ異論なく受け入れる所存です」
 つまり、自分の調査をもって今回の勧告への対処とせよ――――ミストはそう示した。
 万が一、癒着の証拠が発見されれば、ミストの人生は終わる。
 その進言は決して軽いものではない。
 フォーゲルもその意味を理解し、深々と頷いた。
「考えておこう。だが大学側としては、無闇に身内を疑う訳にもいくまい。
 今や君はウェンブリー魔術学院大学の枢軸。その立場を考えれば余計にだ。
 無論、君もまた自覚しておいてくれ給え。疑惑を持たれる行動は慎むように」
「ありがたいお言葉、痛み入ります」
 ミストのその言葉を最後に、学長と新鋭教授の話し合いは終わった。
 最後のフォーゲルの言葉から、元々彼にミストを手放すつもりはなく、釘を刺すだけに
 留めておく予定だった事が露見していた。
 そしてミストもまた、当初からそれを見抜いていた。
 今やこのウェンブリー魔術学院大学は、ミストがファーストオーサーとなった
 オートルーリングの研究を看板とする機関になりつつある。
 今後オートルーリングが本格的に普及すれば、大学の権威は最高潮に達し、
 学長であるフォーゲルは大きな名誉を手にするだろう。
 だがその傍らにミストがいなければ、オートルーリングに関して何らかの問題が
 生じた際の対処が困難となる。
 実際、この少し前にマラカナンでオートルーリング専用魔具に関する欠陥が
 発見されたとの一報が、ウェンブリー魔術学院大学にも届いていた。
 環境、特に気温による材料の変質がもたらす不具合。
 ミストの指示によって材料の選定の見直しと保管方法の確立が円滑に行われ、
 その結果大事には至らなかったが、仮にミスト不在となれば決して小さくない混乱が生じただろう。
 加えて、ミストのような若くして成功を収めた人物がいるというだけでも
 大学における求心力が大きく変わってくる。
 ミストは、自分がどれだけ大学に必要な人材かを十分に理解していた。
 それ故に今回の件も、全く彼を動じさせる事はなかった。
 ただの定例報告を終えた時と同じ程度の、安堵感すら伴わない凡庸な疲労。
 それだけの精神的変化だという自己分析を終え、ミストは自身の教授室へ戻った――――
「……やはり来ていたのか」
 ――――そのつもりだった。
 けれども、現実は思惑通りに事を運んではくれない。
 ミスト自身、これまでの人生経験から一応学んではいる。
「学んではいるが……それによる苛立ちは中々無には出来ないものだ」
「それが正しい人間としての反応ですよ。感情を無にしても、出来上がるのは作業用の木偶人形。
 戦闘ですら一定以上の成果を得ない。確かに恐れを知らないのは利点ですけど、
 応用がまるで利かないですからね」
「フン。生物兵器の専門家ならではの説明といったところか」
 かつての戦友――――そんな言葉を、ミストは頭の中で打ち消し、その訪問者と向き合う。
 無断での室内への訪問という無礼も意に介さない"元部下"。
「リジル。盗み聞きの趣味も感心出来ないが、会話への介入となれば最早不快だ。
 ああいった事は今後控えて貰おう」
 その名を呼ばれた、外見上は十代の少年であるその男は、本来部屋の主が座る椅子に
 何の遠慮もなく腰掛け、机に組んだ脚を置きながら屈託なく笑った。
「介入って程のものじゃないでしょう。一言、貴方の本心を言葉にしただけですよ」
「……用件は何だ。さっさと言ってさっさと帰れ」
「つれないですねー。ま、苛立つ気持ちはわかりますけどね。最近、思い通りに事が運んでないでしょ?」
 まるでミストの生活までも盗み見していたかのようなリジルの物言いに対し、
 ミストは早足で近付き、無表情で見下ろす。
 だが、実際に彼が常に目を光らせていたのは――――
「"あの男"の行動力には驚かされる。まさかマラカナンに出向いてまで、論文を取り返そうとするとはな」
 この場にはいない、だがかつては何度となくこの部屋を訪れた、もう一人の無礼な元部下。
 ミストにとってその人物は、自分が追い出した後も尚、脅威と認識する存在だった。
「おかげで多少の支障は出ている。本来なら、今頃は自動編綴用魔具の大量生産に
 着手出来る手筈が整っていたのだが……随分とかき回されてしまった」
 フォーゲルからの追求にミストは脅威を感じていなかったが、彼の発言内容、
 そして疑惑自体は概ね正しかった。
 ミストは教会への移籍を望んでいる。
 その為に必要な足がかりこそがオートルーリングだ。
 だからこそ、次期教皇となり得る候補者へとその論文を送った。
 全員にいい顔をすれば軽く見られる為、誰が教皇となるかを見越し、その上で標的を絞る。
 そしてその人物の興味を絶妙なタイミングで惹き、新体制となった際に引き入れて貰う。
 仮に直ぐ移籍出来なくとも、約束を取り付けるところまでいけば問題なし。
 既にオートルーリングが候補者達にとって魅力的な技術なのも調査済みだった。
 選挙を管理する元老院の最高議長、タナトス=ネクロニアは戦争に勝ちたがっている。
 それも、ガーナッツ戦争の不名誉を返上しようとしている。
 なら、ガーナッツ戦争と同等以上の速度、つまり十日以内で勝利するのが理想。
 オートルーリングという技術は、それに最も適している。
 何しろ、事前に知られていなければ確実に先手を打てる技術。
 敵国の情報伝達を上回る速度で勝利と進軍を重ねれば、不敗神話を築いたまま王都まで
 攻め入る事が出来るかもしれない。
 そういう技術だからこそ、そしてタナトスという人物が教皇選挙を牛耳っているからこそ、
 ミストには大きな好機があった。
 天は我に味方している――――ミストはその自覚の元、入念に計画を進めていた。
 だが、ルンストロムの勝利で堅いと思われた教皇選挙は、最終的にロベリアの勝利で幕を閉じた。
 ミスト自身、地理的な問題に加え、オートルーリング専用魔具の不具合への対処などもあり、時勢の把握において万全ではないという自覚があった。
 特に不具合への対応は傷手となっていた。
 魔具に不具合があるという報告自体は、今後を考えれば寧ろ有用。
 けれども、それが大学側で見つけたものではなく、第一聖地マラカナンの研究所からの
 報告だったのは、厄介極まりない問題だった。
 オートルーリングの論文を第一聖地に流出させたミストの行為は当然極秘であるし、
 研究の所有権を持つ大学側にとっては完全な裏切り行為。
 その『言い訳』を用意し整合性を保たなければならない上、不具合の対処も速やかに行う
 必要があった為、他のあらゆる政治工作を一時的に凍結させなければならなかった。
 リジルが言った『思い通りに事が運んでない』という言葉は、何の捻りもなくミストの心情を示したものだ。「だが、それは仕方がない。誰が教皇になるかを決められる訳でもなければ、
 遠い第一聖地で起こっている事をくまなく把握出来る筈もない。苦労はさせられたが、それも"順調"の
 範疇だ。お前の面白がる事など、ここには何もない」
「自分が万能だと錯覚するほど浮かれる貴方でもないですしね。大学の教授程度じゃ尚更です」
「……」
 リジルの引っかかる物言いに、ミストは含みがある事を確信した。
 その含みが何か。
「僕がここへ来た一番の理由は、速報をお伝えする為です」
 ミストは直ぐに、その答えを知る事となった――――









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