アウロス=エルガーデンとルイン=リッジウェアによるフォン・デルマ襲撃事件。
 教皇選挙の根幹を揺るがしかねないその騒動は、誰の口からも公にされる事はなく、
 魔術国家デ・ラ・ペーニャの歴史から弾かれ、闇に葬られる事となった。
 そして、それ故に、教皇選挙管理委員会の代表者タナトス=ネクロニアが新たな教皇に
 枢機卿ロベリア=カーディナリスを指名した事は、様々な憶測を呼んだ。
 前教皇亡き後、幹部位階二位の枢機卿こそが最高位であり、そのロベリアが
 教皇になるのは至極当然――――といった意見は少数派で、本命と見込まれていた
 ルンストロムや、前教皇の息子デウスではなく彼が選ばれた事を訝しがる声が大半を占めていた。
 だが、公式発表から一ヶ月が過ぎる頃には、猜疑の目はほぼ完全に消え失せていた。
 一般市民、更には一般的な魔術士に教皇選挙の実態など見える筈もなく、そもそも
 ルンストロム優位という世論もまた、彼を教皇にしたい勢力による情報操作であった為、
 同じ事をすればいとも容易く世相は変わる。
 結果、他国との交流に消極的な姿勢を貫いていた魔術国家デ・ラ・ペーニャの閉鎖的な社会が
 抱える問題点が浮き彫りになる事になった。
 惑わされやすく、流されやすい。
 それはある意味、攻撃魔術ばかりを研究してきた国家の歴史そのものを裏付ける出来事でもあった。
「随分と薄情だな。元四方教会の人間でこれだけ見舞いに来るのが遅かったのはお前くらいだ」
 ――――そういった社会情勢とは無縁の、ミラーグロ研究病院の一室に、
 半ば呆れた、そして半ば嬉しさを滲ませた声が響き渡る。
 積極的にリハビリを行い、他の患者へ好影響を与えている人物として
 院内でも評判の入院患者――――デウス=レオンレイは、見舞いにやって来たアウロスを
 苦笑と共に歓迎した。
「生憎、こっちは忙しい身だ。リハビリ以外やる事のないお前と一緒にされても困る」
「相変わらず口の減らない奴だな。若い頃の俺でも、もう少し年上には敬意を払っていたぞ?」
「敬意を言葉遣いで示すべき相手にはそうしてる」
 手土産の果物を棚の上に置き、アウロスはベッドで寝たままのデウスを見下ろす。
 長年鍛えに鍛えたその肉体は、一ヶ月前と比べ明らかに萎んでいる。
 積み上げて来たものが瓦解するのは一瞬であり、アウロスもまたその経験者。
 その事実をあらためて目の当たりにし、思わず苦い過去を思い出したアウロスは、
 同時に自分がようやくその経験をしっかり呑み込めたのだと理解した。
「で、その忙しい身のアウロス少年が何の用だ? ま、大体の予想は付いてるがな」
「なら話は早い」
 頭の中を切り替え、言うべき事を言う。
「ロベリアに協力してやってくれ。出来れば全面的に」
 そのアウロスの言葉に対し、デウスは特に表情を変えなかった。
「……選挙戦では政敵でも、選挙が終われば敵味方の区別なし。確かに清々しくはあるがな」
「出来ないか?」
「俺は元教皇の実子だ。庶子とは言っても、そんな俺がのうのうと教皇の下に付けば、
 要らん火種を作る事になる。お前の事だから、それを勘案した上での頼みなんだろうがな」
 全てを見越した上での交渉。
 緩い時間が二人の間に流れる。
「火種を火種の内に消せるくらいの危機管理能力はロベリアも十分持ち合わせてると思うが。
 そこまで侮らなくてもいいだろ」
「侮っちゃいたが、今は違うぜ。選挙っていう名の戦争で俺に勝った相手だ。寧ろ誰より
 評価しているつもりでいる。特にお前を見込んで取り込んだ点はな。俺も悩んだんだぜ?
 お前に全てを打ち明けて、俺と同格の仲間として協力して貰おうか。ま、部下の手前
 それは出来なかったがな」
 そのデウスの言葉が本心なのは明らかだった。
 彼の策略によってエルアグアに半ば幽閉される事もあったが、フォン・デルマでの出会いから
 今に至るまで、デウス本人は一度として、アウロスに武力行使を行わなかった。
 臨戦魔術士として、この国で彼と並ぶ実力者など殆どいない。
 けれどその実力をひけらかす事は一度もしなかった。
 そしてその理由も、アウロスは理解してた。
「ただ、俺とロベリアでは理想が違う。俺は"王"を目指した。教皇として新たな時代を作ろうとする
 あの男と同じ道は歩めん」
 王は国の長であるのと同時に、国政の決定権を持つ政治家。
 武力行使でやっていける世界ではない。
 デウスは最初からそこまで見越していた。
「そうか。なら仕方がない。邪魔したな」
 そんな誇り高き生き様を知っているからこそ、アウロスは無理強いをするつもりはなかった。
 尤も、背を向けた時点で、まだ会話が終わらない事は想定済み。
 案の定、退室しようとするアウロスをデウスは苦笑混じりに止める。
「……淡白過ぎやしねぇか? さてはお前、ロベリアに頼まれて嫌々やって来たな?」
「嫌々じゃない。マルテに会うついでだ。あいつに大事な話がある」
「ついでかよ……と言いたいところだが、息子に会いに来たのなら大歓迎だ。
 アイツも会いたがっていた。話相手をしてやってくれ」
 息子――――そうマルテを呼ぶデウスの表情は、先程とはまた違う穏やかさを前面に出していた。
「親子関係は良好みたいだな」
「お陰様でな。その点に関しては、俺はお前に頭が上がらん。まさかまた、アイツを息子と
 呼べる日が来るとは思わなかった」
 天井を見上げたまま、ポツリとデウスは語る。
「……腕を失ったアイツを最初に見たのは、戦争が終わって二ヶ月後だった」
「遅い、とは言わない。敗戦国の教皇の子供だ。いつ処刑されても不思議じゃない」
 そしてそれは身内にも及びかねない。
 デウスが暫く身を隠すのは、主にその余波を防ぐ為に必要な事だった。
「妻……アイツの母親の葬儀にも出られず、合わせる顔もなく、遠巻きに眺めるだけだったよ。
 俺はあの子の変わり果てた姿を見て、親としての自分が死んだのを実感した。デ・ラ・ペーニャ
 始まって以来の天才と持て囃され、嫡子とその取り巻きから恐れられ、全ての中心にいたと
 思っていた自分が、子供一人守れやしない矮小な存在だと思い知らされたさ」
「四方教会を作ったのは、その現実の埋め合わせか?」
「もうマルテに合わせる顔はない……が、あの子をそのままにしておく訳にはいかない。
 なら、あの子が一生誰からも腕の事を揶揄されない立場にする事がせめてもの贖罪だと思ってな」
 既にアウロスが看過していた、デウスの本当の目的。
 その為の執念は、アウロスの目にも目映く移っていた。
「にしても、テュルフィングまで抱え込むなんて、随分思い切ったもんだ。連中の立場では、
 魔術の才能があり過ぎるお前は絶対に教皇にさせてはいけない人物だった筈だ。
 だから裏でコソコソ動かれるより、敢えて懐に……だったんだろ?」
「まあな。ま、余所の勢力と繋がってるのはデクステラだけじゃなかったんだがな」
「……何?」
 珍しく驚いた様子を表面に見せたアウロスに、デウスは必要以上に満足げな顔で口を両端同時に
 釣り上げる。
「俺を除く四方教会の主な四人。ティア、サニア、デクステラ、トリスティの四人は、全員が
 いずれかの勢力の間者だった」
 実際、アウロスが驚くのも無理のない、異常な事実の告白だった。
「……呆れて物も言えないな。当たり前だが、偶然って訳じゃないんだろ?」
「勿論だ。親がいない事、何処かの勢力の間者。その二つが四方教会のメンバーに共通する
 背景って訳だ。ま、若くして間者なんざやってる奴は大抵、親と呼べる相手もいねぇ。
 集めるのにそれほど苦労はしなかったさ」 
「その間者コレクションにはどんな意味がある? まさか全員二重間者になるよう
 仕向けるつもりだった訳じゃないんだろ?」
 各勢力の情報を深く知る上で、それは一応筋が通る理論ではある。
 少数精鋭、最小限の人数しかいないデウス側には、情報が筒抜けになるデメリットが少ない事も含め。
 とはいえ、それでも非常識な手法。
 アウロスの懐疑的な眼差しに、デウスは否定の意味を込めた笑い声を返した。
「不思議に思った事はないか? 俺は"王"になると言っているにも拘らず、四方"教会"なんて名前を
 自分の組織に付けている。矛盾だろ?」
「皮肉とばかり思ってたが」
「ああ、そうだ。皮肉さ。俺が王になった暁には、四方教会は俺直属の特殊部隊になる予定だった。
 ウェンブリーにもいる聖輦軍、あれに近い立場だな」
 名称は違えど、どの国にも存在している暗部――――特殊部隊。
 ただ戦闘能力の高いだけの組織ばかりでは、国の運営はまかり通らない。
 いわゆる『必要悪』とされる存在でもある。
「特殊部隊は極めて重要な仕事を扱う部隊だ。国家機密に触れる機会も多分にある。そんな役職を、
 何処の馬の骨ともわからん連中には任せられん。誰より俺を信頼する人物じゃなけりゃな」
「……それはわかるが、その為に集めたのが各勢力の間者ってのは意味がわからない。
 幾らなんでも無茶苦茶だ」
「間者って事は、その勢力の情報をかなり深い所まで握っている。そいつらが集まれば、
 国際的な特殊部隊として華々しい活躍が期待出来るだろ?」
 まるで冗談のような物言いだが、デウスは至って真剣にそう語る。
 特殊部隊の重要性を見越し、その素養を持った人材を集め、鍛える。
 それはかつてアウロスも体験した、墓地の地下に拠点を構え行っていた頃の四方教会の
 活動内容とも一致している。
 例えば、デクステラと行った酒場での奇抜な布教活動は、一般市民の集団心理に触れ、
 情報操作の方法を学ばせる為――――ではない。
 既に間者として活動していた彼等は、情報の取扱いについては十分に基礎が出来ている。
 寧ろその基礎が先入観となり、通り一辺倒の行動しか出来なくなるのを防ぐ為、敢えて滑稽なくらい
 風変わりなやり方を命じ、矯正していた――――と見なすのが妥当だ。 
「加えて、各勢力の機密を知っている間者を籠絡すれば人質にも抑止力にもなる、か。そう言われれば、
 無茶な中にも道理はあるな。無茶には変わりないが」
「そうでもない。勝算は十分にあった」
「自分の色に染める絶対の自信があった、って訳か?」
「それもないとは言わんが、それくらい出来ないようでは教皇を王には出来ないと判断したまでだ。
 俺の目的は俺が王になるだけでは達成出来ない。最低でも五〇年、この国が滅びないようにしておく
 必要があった」
 すなわち――――マルテの人生を全うさせる年月。
 彼を一生支える基盤を築く上で、特殊部隊に若い人材を求めたとなれば、理屈も通る。
「ま、結局デクステラは完全に懐柔出来なかったし、夢も儚く散っちまったがな。俺を信じて
 付いてきてくれた三人には何て言って詫びればいいのやら。こんなになった俺に、
 それでもまだ尽くしてくれているってのに」
 それまで絶対的自信を常にひけらかしていたデウスが、珍しく自嘲じみた言葉を発する。
 実際、彼が一ヶ月前に負った怪我は紛れもなく致命傷だった。
 命が助かったのは、その人並み外れた体力と、生き残る執念の賜物。
 けれども、その怪我がなかった事になるほど甘くはない。
「もう戦えないのか?」
「三分間、自力歩行出来るところまで辿り付ければ奇跡、だとさ。俺としちゃ、普通に歩けるように
 なるつもりだが……それが当面の俺の戦いだな」
 自嘲じみた言葉は、あくまで"じみた"言葉だったらしい。
 デウスの目は上を向いている。
 どれだけ落とされようと。
 アウロスはそんな彼の姿勢に共感を覚え、同時に何故当初から彼が妙に自分へ
 親近感のようなものを抱いていたのかを理解した。
 似た者同士というのは、何も性格だけではないらしい。
「って訳で、俺に期待されても困る。ロベリアにはそう伝えておいてくれ」
「実は、そう返された時の伝言も預かってる。『なら代わりに戦える三人を貸せ』だとさ。
 他に働き口がなければだが」
「……ロベリアの野郎」
 先読みされた事への不満は、感謝に比べれば微小。
 デウスの顔に浮かんだのは、概ねそんな感情だった。
「二つ条件がある。一つは全員に確認をとり、全員が条件面で納得する事。もう一つは……」
「お前の治療費や老後の生活費の為に働かせる事がないようにしろ」
 次はロベリアではなく、アウロスの言葉。
 ずっと寝たままだったデウスは上半身を持ち上げ、呆れ気味に首を左右へ振った。
「それでいいな?」
「ああ、それでいい」
 予定調和の交渉は、予定調和のまま終わる。
 与えられた役目を無事こなしたアウロスは、それでも多少の安堵感を得て、小さく深い息を吐いた。
「怪我人相手に長々と話し込んで悪かった。俺の用はこれだけだ」
「なら、今度は俺が聞き手の番だな。一応、短期間だが俺の組織に属していた以上、今後の
 身の振り方くらい報告するのがマナーってもんだぜ?」
 何処か他人を擽るような物言いで、デウスはアウロスを見上げる。
「お前がロベリアの右腕として働くんなら、部下を預ける身としちゃちっとは安心なんだがな」
「どいつもこいつも、俺を政治家にしようとしたがるのは何なんだ?」
 タナトスもそうだった。
 実はロベリアからも早々に打診を受けている。
 研究者としての自分を常に喧伝していたアウロスにとっては、心外極まりない評価だったが――――
「お前がそれに向いてるのは明らかだから仕方がない。その性格で普通の仕事に就けると思うなよ。
 世間様は甘くねぇぞ」
「お坊ちゃまとして育った人間にそんな事言われる筋合いはないんだが……」
「全くだ」
 とはいえ、様々な地域を放浪した人生の先輩のありがたい金言。
 それを頭の中に仕舞うアウロスへ向け、デウスは顔を引き締め、告げる。
「……ま、お前がこれからどう生きるにしろ、これだけは言っておく」
 それは――――
「俺の顔を覚えておけ。損はしない筈だ」
 それは以前、初めて二人が出会った時に発した言葉と同じもの。
 だが意味は全く別のものに変わってしまった。
 その変化を楽しむように、デウスは朗らかに笑う。
 アウロスは暫く考え、その時とは違う返事をした。
「ならそっちは、俺の名前を覚えておけ。そして事あるごとに自慢しろ」
 ただし"アウロス"ではない、そしてもう少年でもない自分の言葉で。
「アウロス=エルガーデンって名前の偉大な魔術士と少しだけ、仲良しだとな」








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