『忙しくなるんでな。時間が惜しい』

 不意に――――アウロスの頭の中に響いた言葉。
 それはヴィオロー魔術大学で行われた、魔術研究の論文発表会でミストが発した最後の一言。
 そして、アウロスが最後に聞いたミストの声でもある。
 今、ミストの声が何故再生されたのか、その理由はわかっていた。
 出発点が最後の戦いの場。
 魔術士にとって重要な催しが行われる会場。
 アウロス=エルガーデンがその名を魔術国家の歴史に刻めるか、その瀬戸際となる舌戦。
 あの時と実に良く似た状況だった。
 けれどもアウロスは、それを数奇な運命だとは微塵も感じていない。
 自分は臨戦魔術士ではなく研究者。
 魔術で戦って勝つのが最終目標と直結する訳ではない。
 研究者には研究者の道理がある。
 研究者が自らの野心を叶える為の武器は――――研究成果だ。
 なら結局のところ、武力行使でどうにかなるものでもないのだから、行き着く先が
 机上での戦いとなるのは必然だった。
「俺がここへ来た方法、だったな。答えは簡単だ。次期教皇候補から選挙会場を聞いて、
 安全にこの部屋まで来られる手段を教えて貰って、こうして無傷でやって来た」
 後は、そこまでどうやって持っていくか。
 仮説を立て、それからその仮説が正しいと立証していくまでの過程――――
 研究論文の構成を考えるような気分で、アウロスは頭の中で筋道を組み立てて行った。
「ふむ。ならばそれはやはり、ロベリアから聞いたのだな?」
 違う。
 タナトスはそう思っていない。
 彼は『ルンストロムから聞いた』という答えを期待している。
 アウロスがルンストロムを倒し、ここの情報を得た――――そう認識している。
 タナトスが"本当に"蹴落としたいのは、ロベリアではないのだから。
「いや。ルンストロムだ」
 その期待に応える形で、アウロスは即答した。
 そしてそれは、事実だった。
「ほう……? つまり君は、ロベリアを教皇にする為にその競争相手であるルンストロムを
 倒したと言う訳かね。それは最早、選挙違反では片付けられない問題だ。教皇選挙において
 このような事が起こったとなれば……暗殺の線も考慮せねばなるまい。いよいよロベリアの立場が
 危うくなってきたようだ」
 獰猛な牙が、いよいよアウロスの喉元に突き立てられようとしている。
 ルンストロムが唱えていた、魔術の輸出による国力の増強。
 それがタナトスによる案なのは、最早疑いようもない。
 尤も。
 タナトスの狙いは魔術を世界に広め、魔術と魔術士の必要性を他国へ訴え、魔術国家としての
 存在感を高めると共に、魔術という技術を世界へ輸出し、経済面での安定を目指す――――
 等というものではない。
 それはあくまで絵に描いた理想。
 そしてその絵は、タナトスの真の野望を叶える為の道具だ。
 彼の野望は、この国そのものさえも交渉のカードとしている彼の野心の行方は――――
「ロベリアじゃ、戦争に勝てないか?」
 アウロスのその一言が、寸分の狂いなく指し示した。
「……何の話だね?」
 タナトスは動じない。
 だが、今までの彼にはなかった言動。
 アウロスの発言に含まれている全ての背景を、己の知識と経験、そして洞察で看過して来た
 タナトスが初めて、主導権を主張しない平凡な疑問符を使った。
 核心だからだ。
「その『何の話』かについて話す前に、言っておく事がある」
 アウロスは勿体振る事なく、自身の持つ最大の武器を投入する事にした。
 ミストとの対決の時――――自分は何も出来なかった。
 偶々、あの場所には多くの見物人がいて、敵がいて、それが場を収束させるきっかけとなった。
 あの論文発表会と良く似た今の状況。
 しかし決定的な違いがある。
 ここには二人しかいない。
 味方も、援護してくれる存在も、この空間にはいない。
 頼れるのは自分だけ。
 けれど心細さはない。
 あの時の無力だった自分を超えてやる――――そんな昂ぶりもない。
「俺は政治家じゃないし、この国の未来について思うところはあっても、それが最優先じゃない。
 俺にはやるべき事があるし、それを達成するまで例えどれだけ崇高な主題を持った話だろうと
 知った事じゃない。だからお前の思想も、今の俺には無関係な話だ」
 論文には様々な考証と実験が記載され、その大半は仮説の実証報告と言っていい。
 けれども、その全てを記載し終えたのち、最後に書かなければならないのは、総括だ。
 常に客観性をもって研究し、実証し、そして成果を淡々と綴っていく研究者も、そこだけは持論を、
 思う事をそのまま書く事が出来る。
「お前は、ガーナッツ戦争で敗れた事が悔しいんだろう?」
 けれども、この自身のマラカナンでの総括とも言えるこの場で、アウロスが指摘したのは――――
 決して思いつきや鎌かけの類ではなく、客観的な思案の末に行き着いた結論だった。
「……何を言い出すかと思えば、ここに来てそのような俗物的な話を……どれだけ大人びていても、
 やはりそこはまだ二十歳にも満たない子供。底の浅さを露呈したものだな」
 心底落胆した、と言わんばかりに肩を竦めるタナトス。
 折角自分と渡り合える珍しい敵と出会えたというのに――――そんな空気を自然に漂わせる
 その手腕は、やはり年の功だ。
 だが、アウロスは動じない。
 最初からそうであるように、動じる理由はない。
「俺はこのマラカナンに来て、グランド=ノヴァという人物の存在を知った。融解魔術という
 途方もない力を持った魔術の研究に、自らを実験台とした魔術士だ」
「無論、知っておる。この聖地の魔術士なら誰もが彼を偉大だと認識しておるだろうな」
「本当にそうか? お前はそうは思っていないだろ? ルンストロムに自分の代行を
 やらせてるくらいだからな。まるで違うやり方だ」
 タナトスの眉が――――微かに動いた。
 それは動揺とは違うものの、何らかの感情の揺れだった。
 アウロスはそれを、見逃さなかった。
「随分と持ち上げられていたみたいだが……実のところ、グランド=ノヴァの目的は『永遠の命』だったと
 俺は思ってる。やがて朽ちる肉体を融解し再生を繰り返す。若しくは、別の肉体に自分の精神を移す。
 どちらでも、成功すれば擬似的だが永遠に生きられる。誰より早くそれを実現させる為、
 グランド=ノヴァは融解魔術の実験を自ら行った」
 そしてその見解を伝える事で、必ず好機が生まれる事を確信した。
「年食っても人間は俗物的なんだろう。お前も例外じゃない。『タナトス=ネクロニアが積極的に
 関与しなかったから戦争に敗れた』なんて言われてるらしいけど……そんな訳がないよな。
 自分の国が蹂躙されていて、我慢出来るようなタマじゃないだろう?」
「……前言を撤回しよう。これは非常に珍しい事だよ。儂が過ちを認めるなど、な」
 それは、事実上の肯定だった。
 戦争に負けた事が悔しくてたまらない。
 なら、その悔しさは何処へ持っていく?
 借りを返すにはどうしたらいい? 
「儂はこの命がある内に、このデ・ラ・ペーニャを戦勝国にする。それが儂の、残された最後の野望だ。
 儂は裏方としてその野望を果たす。そしてその表の中心となるのが――――新たな教皇だ」
 アウロスは、タナトスの――――魔術国家が進もうとしている血塗られた未来を、
 フォン・デルマの最上階へと引きずり落とした。








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