アウロスにとってこの戦いは、これまで幾度となく体験してきた魔術による戦闘以上に、
 危機感を抱き臨まなければならないものだった。
 敗北すれば、それは自身の死だけに留まらない。
 自分と関わっている数多の人間の未来を奪う事に繋がる。
 タナトスとは、そういう相手だ。
 ミストとも、ルンストロムとも、その他のあらゆる敵とも違うのはその一点。
 魔術国家内において、彼にはそれだけの権力がある。
 ウェンブリー魔術学院大学に所属する前は、背負うものは一つしかなかった。
 背負う名前の事だけを考えていれば良かった。
 今は違う。
 それを自分自身、弱くなったと自覚した事もあった。
 今にして思えば、それは文字通り只の弱音でしかなかったと、現在のアウロスは理解していた。
 背負うから弱くなるのではない。
 背負うから強くなるのでもない。
 背負う分だけ――――攻め手が増える。
 カードの枚数が増える。
 増え過ぎれば、管理するだけでも大変だし、まして使いこなすのは容易ではなくなる。
 けれども、挫折を味わい、苦心を重ね、魂の摩耗と引き替えに手に入れた経験則を使い、
 知略の限りを尽くせば――――
「ロベリア=カーディナリスを次期教皇にして貰う為に、俺はここに来た」
 全ての持ち札が、道を開く鍵となる。
 扉を蹴破る武器となる。
 アウロスに最早、迷いはなかった。
 目的へ辿り着く為の道を、自分は真っ直ぐに進んでいる。
 それは確信を超え、理念に達していた。
「ほう……?」
 一方、タナトス。
 その浮ついた返事とは裏腹に、アウロスの目を凝視するその眼に、今までにない胆力を据えていた。
 それは紛れもなく、敵を見る眼。
 戦場ではなく、教皇選挙が行われるこの一室において、本来タナトスに敵はいない。
 彼だけが支配する空間であり、彼だけの権威がそこにはある。
 アウロスの返答が、タナトスの意識をそれだけ一変させた。
 同時に――――まだ二〇歳にも満たない、自分より遥か下の世代の魔術士に対し、
 タナトスは敵である事を認めるのに些かの躊躇もなかった。
「実に興味深い発言だ、アウロス=エルガーデン。儂はほぼ十割、デウスこそが
 君の背後にいるものだと思っておったよ」
「惚けた事を」
 この場所は紛れもなく選挙が行われる部屋だが、タナトス以外の机や椅子は用意されておらず、
 アウロスは立ったままで腰掛けるタナトスを見下ろす。
 視線が上を向く者、下を向く者。
 そこに序列は最早、ない。
「ふむ。ならば儂は君をこれからロベリアからの刺客として接すれば良いのだね?」
「どっちでも良い。お前がそう取りたいなら、そうすれば良い」
 デ・ラ・ペーニャ最高峰の地位に君臨する者を相手を、アウロスは『お前』と呼んだ。
 当然だ。
 敵に遜る理由は何もないのだから。
「それで、俺は選挙に参加させて貰えるのか?」
「無論、そのような権利は君にはない……が、折角の来客だ。こう見えて人付き合いは
 嫌いではないのでね。興味深い話が聞けるのであれば、考えよう」
 なら話は早い――――そう言わんばかりに、アウロスは不遜な態度のままタナトスへと
 一歩、二歩と近付いていく。
 しかしタナトスはまるで動じない。
 臨戦魔術士でもないと言うのに、威風堂々と構えている。
 一方、アウロスの方も遠慮する気はない。
 今回の戦いにおいて、出し惜しみをする気はなかった。
 交渉は駆け引き。
 力技もまた、無数にある駆け引きの中の一手。
 そしてこれからアウロスがやろうとしている戦い方もまた、その中の一つに含まれる。
「この国を"何処へ売るつもりだった?" タナトス=ネクロニア」
 放たれた第二波は、確実にタナトスを抉った――――筈だった。
 魔術ではない故、爆破は起こらないし血飛沫も舞わない。
 そして、百戦錬磨の老練家とあって、手応えは全く感じさせない。
 けれどもこの攻撃は絶対に、何があっても効力があると、アウロスはわかっていた。
「……そうか」
 惚ける気もないらしく、タナトスはアウロスの言葉を咀嚼し、呑み込む。
 それだけ、アウロスが単身でここへ乗り込んできた意味は大きい。
 化かし合いなど最早時間の無駄でしかない事を、タナトス自身認めていた。
「ルンストロムを仕留めたか。アウロス=エルガーデン」
 だが無論、敵と認めた相手に無条件降伏などあり得ない。
 まして無抵抗で攻め続けられるほど、丸腰の筈がない。
 タナトスは『国を売る』という自身の目的を早々に認める事で、アウロスから主導権を奪った。
「答え合わせの必要はなかろう。今の一言で、君がルンストロムと敵対し、その結果勝利した事まで
 儂にはわかる。それだけではない。ここに至る大局を見極めたと理解せよ。
 若いなアウロス=エルガーデン。気が逸り過ぎだ。儂が狼狽すると思ったかね?
 それとも、惚けるとでも夢想していたのかね? そして更なる君の畳みかけに動揺し、
 口を滑らすとでも思ったかね?」
 長々しいタナトスの言葉は、しかし焦りなど微塵もなく、終始落ち着き払った様子で言葉を紡ぎ続けた。
「しかしその上で、問おう。君はどうやってここへ来た?」
「こっちの質問に答えて貰っていないが」
「いや、答えるのは君だ。わかっておろう? そうせねば、君の質問の答えは何時まで経っても
 出てこない。一文字ルーンを綴り忘れた魔術が、どれだけ待とうと出力されぬようにだ」
 その忘れた一文字が、自分の質問に対する君の返答だ――――タナトスの圧力が、そう迫ってくる。
 事実、交渉の流れはタナトスによって構成されつつあった。
 先程のアウロスの質問。

『この国を"何処へ売るつもりだった?" タナトス=ネクロニア』

 これは本来、ルンストロムに向けられるものだ。
 彼こそが、融解魔術を土産に他国へ魔術を、魔術国家の象徴を売ろうとしていたのだから。
 つまり、アウロスのこの質問は暗に『タナトスはルンストロムと同じ目的を持っている』事を示している。
 同時に『タナトスの意思こそが目的の本質である』事も。
 それらが何を指し示しているかというと――――タナトスこそが首謀者であり、ルンストロムは
 その実行役に過ぎない、という事実。
 タナトスはルンストロムに弱みを握られ、教皇に彼を選ばざるを得なかった"訳ではない"。
 その構図もまた、タナトスの策略の一つだった。
 そうする事で、ルンストロムこそが『売国奴』であると、国民に、或いはテュルフィングを通して
 各国に示す事が出来る。
 超一流の傀儡師であり、闇の中で魔術国家を支配する人物――――それがタナトス=ネクロニア。
 アウロスのたった一つの質問は、そこまでの意味を孕んでいた。
 そして質問の意図は当然、売ろうとしている国を知る事ではなく『自分は深い所まで知っているぞ』と
 誇示した上で、『こいつはどこまで知っている?』という疑心と動揺を誘い、失言による情報漏洩、
 そして犯罪の確証を手に入れる事。
 けれどもタナトスは、その全ての意味と意図を瞬時に理解し、切り返しに出た。

『君はどうやってここへ来た?』

 この質問も、含まれる意味は言葉の数とは裏腹に少なくはない。
 アウロスがルンストロムを倒した以上、彼から相当多くの情報を引き出したという推察が成り立つ。
 ならば、教皇選挙の行われる場所は勿論、警備体制、抜け道、更には選挙自体の"真の姿"についても
 知らされているのではないか――――そういう質問だった。
 ルンストロムから情報を得ている前提でなければ、アウロスの発言には根拠がない。
 根拠のない発言に対し、応じる義務はない。
 これは雑談などではなく、交渉なのだから。
 尤も、アウロスがルンストロムを倒したと認めれば、つまりそれは――――
「重大な選挙違反があり、そしてそれはロベリアの仕掛けだと断定せざるを得ないのだよ。
 この状況では。どうなのかね、ウェンブリーの魔術士よ」
 認めようと、認めまいと、アウロスに次の手はない。
 タナトスはそう確信し、それでも威圧感を緩めない。
 研究畑の元枢機卿――――その理詰めの修羅が、アウロスの息の根を止めるべく獰猛な牙を剥いた。








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