エルアグア特有の寒風が、時折鳴き声のような甲高い音を立てる中、ラディは眼差しをやや沈め、
 口を真一文字に閉ざす。
 残念――――そう彼女が発した事に、アウロスは少なからず惑いを覚えていた。
 単に言葉だけを切り取れば、『ルインじゃなくて残念だったね』という冷やかしが解釈として最も妥当。
 けれど、ラディの妙に真剣な表情が、その妥当性を大きく下げていた。
「ロス君、どうして私を信用してたの? あんな大事な物を預けるくらい」
 そして次のこの発言が、完全に突き落とす。
 冗談を言っているような声ではない。
 ラディの全身から滲み出るような負の感情は、以前――――背後から首筋に短刀を当て、
 脅迫してきた時と酷似していた。
「ダメだよ。他人を簡単に信じちゃさ。ロス君はその辺り、ちゃんとわかってる人だって思ってたんだけどな。
 私が気さくで結構話しやすいタイプだから、思わず全幅の信頼を寄せちゃった?
 でも、本当はそうじゃないって知ってるから、違うのかな」
 ポツポツと、普段の口を開けば喧噪が舞うラディとは思えない小さな声で、囁くように呟く。
 そんなラディを、アウロスは瞬きせず、呼吸さえせずに眺めていた。
「何にしても、致命的だよね。だって私、情報屋なんだもん。怪しまれずにずっと行動を共に
 出来る強みもあるから、信憑性と継続性も完璧。だから――――」
 ラディが何を言わんとしているかは、指で砂を掬う程度には簡単だった。
 つまるところ――――
「ロス君の動きを各勢力に売るなんて簡単なんだよ? 特に、ロス君の身につけてる物を欲しがってる人は」
 アウロスの魔具を欲しがっていたルンストロムは、そのアウロスの動きを常に監視したがっていた。
 ならば、アウロスと同行している人物を籠絡するのが最も確実。
 その中で一番、言う事を聞かせやすいのは、金で動く情報屋。
 連絡も取りやすいし、場合によっては魔具を盗み出して来て貰える可能性さえある。
「私は自分の身体を元に戻したい。それにはただお金が必要ってだけじゃなくて、生物兵器の
 知識だって要る。そんな私が魔術士のお偉い人に付くなんて、メチャクチャ妥当じゃない?
 私にとって全部のメリットがあるんだから。こんな美味しい話、断る訳がないよね」
 だからルンストロムと組み、アウロスを監視し、逐一行動を伝えていた。
 今日、ルンストロムがエルアグア教会を訪れたのも、実際のところはアウロスを――――
 より正確にはアウロスの魔具を狙っての事。
 全ての辻褄が合う。
 ラディの話は、綺麗に筋が通っていた。
「もしそれが本当なら……」
「本当なら?」
 笑わず、しかし嗤いながらラディは問う。
 アウロスはその表情を微かに視界へ収めたのち、大きく息を吐き――――
「俺の負けだ」
 そう漏らした。
 そしてそれは、心から奏でる本音だった。
 ラディに騙されたのなら、負け。
 ラディに裏切られたのなら、終わり。
 その覚悟は、実のところ相当前に決めていた。
 それ以上言葉は発さず、アウロスはラディの目をじっと眺める。
 一つ、二つ――――風の鳴き声が聞こえる。
 街路樹を掻き毟るように時を刻み、やがて――――
「……………………だーっ、もう! 冗談に決まってるじゃない! なんで私が今更ロス君裏切るのさ!」
 ほぼいつも通りの喧噪が響き渡った事で、空気も一変した。 
「つーか『全幅の信頼』ってトコをグイグイ攻めて来やがれよもう! 『いつ俺がそんなもん寄せた』とか
『一幅も寄せた覚えはない』とか! いつも言うじゃん! そんな神妙にされるなんて思わないから
 こっちがドン引きじゃないの!」
「……悪いけど、音量落としてくれ。割と本気で具合が悪い」
「あ、ゴメン」
 疲労感は何故か消えてしまったが、負傷した頭部はまだ定期的に痛みがやってくる。
 決して五体満足ではなく、寧ろ満身創痍。
 今のアウロスにラディのけたたましさは毒だった。
「で、実際にはさっきの言葉を誰に言われた? ルンストロム自身が交渉してくるとは思えないし、
 教会へ行く前なら俺に報告してただろうから、ついさっきの事か。なら聖輦軍の連中か?
 だったら個人を特定する必要はないが」
「うっわ、勝手に正解まで辿り着いちゃったよ。本当何なの? アンタ。
 こんなヤツ誰が敵に回すかってのよ。あり得ないって」
 ――――が、同時に薬でもあった。
 ラディとの会話は、そういうところがある。
 本人はまるで気付いていないだろうが。
「勿論断ってスタコラサッサだったんだけど、でも結構的を射てるって言うか、実際私が裏切ったら
 ロス君終わりじゃね? って思ったんだよね。そこんトコどうなのよ、って思ってさ」
「……」
 実際、アウロスにとってラディは文字通り命綱だ。
 彼女の情報網に幾度となく頼ってきただけでなく、自分自身の情報も相当量伝えている。
 裏切られればあっという間に奈落の底。
 尤も、それを割り切る事自体は、アウロスの生き方として矛盾はない。
 問題は、割り切る相手をラディに決めた理由だ。
「こういう事聞くとさ、ロス君嫌かもしれないし、常識的にも嫌がられるのはわかってるんだけど……
 どうして私なのかなって。ロス君の性格的に、最初に紹介された相手だから惰性で、
 って訳じゃないのはわかってるけど」
「……こんな時に聞かれてもな」
「こんな時だからよ。中々ないでしょ? 私が真面目な話するの」
 そうラディが断言した事で、アウロスは現状をほぼ理解した。
 ここで立ち話をしていても、特に問題はない状況。
 すなわち――――既に魔具を奪われる心配はないし、奪われてもいない。
 ルンストロムが撤退するにあたり、アクシス・ムンディとかいう護衛団だけでは心許ないと、
 聖輦軍を呼び戻したのだろう。
 フレアも含め、逃げ切った証。
 マルテが無事にエルアグア教会まで辿り着けたのも、それが理由だ。
 とはいえ、一刻も早くルインを見つけ出さなければならないのは変わらない。
 回りくどい返答は出来ない――――そう判断し、アウロスは即本音を語る事にした。
 仕事が出来るから。
 仕事だけは何時だって真面目で間違いがないから。
 これまで何度も言ってきたそれが答えだ。
「お前が俺に、負い目を語ってくれたからだ」
 けれども。
 口を衝いて出るのは、違う内容だった。
「丁度、今と似たような雰囲気だったっけな。時間も同じ夜だ。あの日、お前が自分の身体について
 教えてくれた時から、俺の覚悟は決まった。お前が俺と同じで、やるべき事がある人間だったから
「……」
 意外な答えだったのか、予想の範囲だったのか。
 ラディは何も語らず、何も表情を変えなかった為、アウロスには判断が付かなかった。
「同情を誘う素振りすら見せずに"あの部分"を見せたのも、その決意があったからだと思った。
 俺を目的達成の為の仕事仲間だと割り切ってるなコイツ、って」
「……あー、そう取ったか」
「違うのか?」
「んーん。違わないよ」
 巧妙に儚く、ラディは笑う。
 アウロスはその儚さに、気付けなかった。








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