最も待つ事が苦手であろうティアが真っ先にそう発言した事で、アウロスの案は
 この場の全員に受理された。
「もし向こうにあの小娘が残っているのなら、指示を出せばよかろう……と言いたいところだが、
 それを考えぬ貴様ではない。信じようではないか」
「ほんの一時期だけど、オレっち達の上司になった事もあったしね。言われた通り粘ってやっよ!」
 意志が統一された時の四方教会は――――強い。
 融解魔術の浸食が殆ど進まないほど、間断なく三人の攻撃魔術が放たれていく。
 直撃する度に融け、あっさりと消えゆく魔術。
 けれども、決して儚くも脆くもない。
 その心強ささえ覚える光景を、アウロスはただじっと耐えるように眺めていた。
 この状況をひっくり返す方法はある。
 今すぐにでもそれを叫びたい。
 だが叫べば――――最悪の事態を招く危険もある手段だった。
 極限とも言えるこの状態で、アウロスは敢えて最も保守的で、最も危険度の少ない方法を選択した。
 それは例えば救世主や英雄と呼ばれる人間ならば、まず選ばないだろう。
 そしてアウロスは、そういう人間になるつもりなど一切ないのだから、当然の選択だった。
 待つ。
 ただひたすら、待つ。
 目の前に迫り来る、全てを呑み込み融かす最強最悪の魔術を前に、その強烈な重圧を
 目の当たりにしながら、アウロスはただじっと――――その時が来るのを待った。

 それが、正解だった。

「……あ! あ!」
「融解魔術が……!」
 ティアの目に、トリスティの目に、そしてサニアの目にも、その結論が映る。
 どれだけ魔術をぶつけても、無尽蔵に溶かし続けていた微細な粒達が――――
 融解魔術が、消えてゆく。
 ほぼ同時に、魔力切れを起こしたトリスティがへなへなと崩れ落ちた。

『やっほー。どう? 上手くいった?』

 この場にまるでそぐわない、軽々しくも頼もしい声。
 発信源は、アウロスの魔具だった。

『あれ? 反応なし? もしかして別の人の魔具に連絡入れちゃった? それとも、
 誰かと交換しちゃったとか……』
「問題ない。おかげさまで、融解魔術は消えた」
 気を抜けば落ちそうになる瞼に力を込め、アウロスはその声に応える。
 声の主は――――チャーチだった。
 この場における唯一の、救世主となり得る存在。
 アウロスは珍しく、そんな彼女へ向けて拍手を送った。
「助かった……のだな?」
 そう呟きながら近付いて来るサニアも魔力切れ寸前だったらしく、顔色が悪い。
 それでも間一髪ではなく、ほんの少し余裕を残している辺りが英雄とは縁遠い――――
 等と思いつつ、アウロスは首肯代わりに肩を竦める。
「……既に魔術が発動している以上、魔具内魔術無効の理論も通用せぬ。
 一体何をしたというのだ?」
 安堵よりも困惑が先に立ったのか、訝しげに問うサニアに対し、アウロスは
 嘆息混じりに前方を指差す。
 融解魔術が消え、視界が明瞭になったそこには――――ゲオルギウスだけが立ち尽くしていた。
 目は虚ろ。
 元々、自我がどの程度残っているか不明という状態だったが、
 ここまで意識が朦朧とした様子はなかった。
 そのゲオルギウスの大きな身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
 そしてその背後に、神杖ケリュケイオンを両手で握り締め、
 したり顔で笑むチャーチの姿が現れた。
「この杖を打撃用の武器として使ったの、初めてだよ。意外と攻撃力あるんだね、これ」
「……何……だと?」
 まだ状況を理解出来ず、唖然としているティアとトリスティを尻目に、
 サニアは暫し口元を引きつらせ、やがてそこから形容しがたい声を発し始めた。
「くく……ふはははは! 何たる皮肉事よ。魔術史上最悪の邪術を、そんな野蛮で
 原始的な手段を用いて防いだか!」
「大したものだよ、この人。後頭部、思いっきり殴りつけてやったのに、
 暫く立ってたんだから。案外こっちの方がグランド=ノヴァに近付いたのかもね」
 そう告げつつ、チャーチは自慢げにアウロスへ向け杖を掲げる。
 その殊勲者に対し、アウロスは軽く手を上げて感謝の念を伝えた。
 ――――賭けだった。
 視界が遮られていても、声で指示は出来たのだから、チャーチに向けて
『ゲオルギウスを殴り倒せ!』と叫ぶ事は出来た。
 だが、それは余りにリスクが大きかった。
 人影は一つしかなかったが、例えば部屋の入り口の傍の死角にまだ護衛が残っていたら?
 明らかにトランス状態とはいえ、ゲオルギウス自身がアウロスの声によって警戒心を強めたら?
 もしゲオルギウス以外にまだ敵が残っているのなら、アウロスがチャーチに叫んだ時点で、
 チャーチが捕縛対象となる。
 下手すればその場で殺されかねない。
 非戦闘要員と見なされていたからこそ、またグオギギ=イェデンの身内だったからこそ
 放置されていたが、ゲオルギウスへの攻撃性が認められれば、そういう訳にはいかない。
 チャーチなら、指示を出さなくても場に応じた最適な行動が出来る。
 そう判断し、アウロスは敢えて待ち続けた。
 仮に護衛の一人が残っていても、こっそりゲオルギウスへ近づき、渾身の一撃を見舞えると。
 実際には護衛は残っていないらしく、ゲオルギウスの隙を突く事に集中していたようだが。
「アウロスさん、アウロスさん。見事だったでしょ? この瞬時の判断力。
 やっぱりボクが将来の嫁に相応しいって思わない?」
「それは兎も角、大した物理攻撃力だな。いい腕力だ」
「あー! そこ褒められるのは困るよ! ボク華奢で頭脳派で可憐なのが売りなのに!」
 緩んだ空気が集会室に入り込む。
 それは、紛れもない勝利の空気。
 へたり込んでいたトリスティは、ようやく状況が飲み込めたらしく、ゴロンと床に転がる。
 そして、サニア同様魔力切れ寸前のティアは――――
「ご主人様! ご主人様っ!」
 脇目もふらず、這うようにデウスの元へと駆け寄った。
 そんな中――――
「……」
 アウロスは、倒れそうな身体と途切れそうな意識を繋ぎ止め、歩き出す。

 ――――まだ終わっていない。

 そう自分に言い聞かせながら、空気の緩みが自身に伝染するのを防ぐかのように、集会室を後にする。
 まだルンストロムを追跡しているルインが戦っている。
 まだ自分の託した魔具を持ち逃亡中のラディが戦っている。
 彼女達に危機が迫っていたとして、今更自分が駆けつけようとしても、間に合う筈はない。
 まして魔力切れの自分に出来る事など、何もない。
 それでも、もし自分が歩を進めれば、何かがあるかもしれない。
 幸運にも追いつく事が出来て、自分がひょっこり現れた事に敵勢力が驚いて警戒し、
 それがルインやラディを守る事に繋がる事だって、ないとは言い切れない。
 だから、進む。
 ひたすらに――――前へ。
 そうやって生きてきたのだから、何の迷いも躊躇もない。
 今日もそうだ。
 先程は待つ事で前進し、今度は進む事で事態の好転を待つ。
 全ては、目的へ辿り着く為に。
 全ては――――








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