『魔術の規模や殺傷力と魔力の消費量は比例する。だが魔力の消費量が少なくても、
 制御が面倒な魔術は疲労が大きくなる』
『カップに入った珈琲を、カップに大きな負荷や過度な熱を与える事なく、尚且つ
 珈琲の質を損なう事なく適度な温度に温めるなんて、面倒な作業だと思わない?』

 ――――かつて、アウロスがウェンブリー魔術学院大学に所属して
 間もない頃の会話。
 魔術を使って珈琲を温められないか、というリジルの問いに対し、
 クレールと共に示した見解だ。
 固有魔術に関して、ルーリングによって威力、範囲などの『個性』を
 変化させる事は出来る。
 だが、それを自分にとって都合の良い、丁度良いところに落とし込むのは
 実のところ、かなり難しい。
 まして攻撃以外に使用するのは非常に困難。
 それは机上の空論では意外と見落とされがちな点ではある。
 攻撃魔術が主流となっている現在の魔術は、『力加減』という概念を
 余り重要視していない。
 殺傷力は大きいに越した事はない、威力の調整は魔術の種類によって
 使い分けすればいい、という考えが基本となっている為、一魔術に対し
 威力に幅を持たせるというルーリングの仕方は、アカデミーでも深くは教えていない。
 まして、敵を倒す以外の使用の仕方など、発想として存在はしても
 それを実用化させようという動きは殆どない。
 だが、戦場で自らの身を危険に晒す魔術士――――臨戦魔術士は知っている。
 攻撃魔術であれ、時に攻撃以外の使用を迫られる事態が存在し得ると。
 騎士の助手ではなく、自分自身が自分の命に責任を負う魔術士であるならば、
 あらゆる状況に自らの力で対応出来なければならないのだから。
「出来るだろ。お前なら」
 だからこそ、アウロスはデウスに頼んだ。
 人一人を一階分、魔術で作り出した風圧によって宙に浮かす。
 それも対象者が天井に激突したり、魔術そのもので大打撃を受けないような
 絶妙な力加減で。
 そのような用途で生み出された魔術など存在しない。
 攻撃魔術で応用しなければならない。
 簡単なようで、その実非常に困難な魔術を、この切羽詰まった中で
 成功させる事が出来るとすれば――――国内最高峰の魔術士と自他共に認める
 デウス以外にない、という判断の下に。
「……死にかけの俺に随分と……無茶な事言いやがる……」
「御主人様は死にません!」
 融解魔術の進行を魔術の連続出力で必死に食い止める最中、ティアが叫ぶ。
「フローラが死んだと知って、自暴自棄になっていた私に言ったじゃないですか!
『俺はこの国で誰よりも強い、だから俺は死なない』って言ったじゃないですか!
『お前らは俺と共に国を変えるためにここにいる』って言ってくれたじゃないですか!
 御主人様は死にません! 死なないんです!」
 それは最早、駄々っ子のような絶叫だった。
 けれども、サニアもトリスティも、声こそ発しないものの、ティアと同じ目をしていた。
 自分達が慕い、信じて付いてきた人物がこの世からいなくなるなど、あり得ない。
 それは幻想に過ぎないと悟っていても、逃れられない。
 そして、幻想は――――デウス本人にもとっくに伝染していた。
「ま……当然だな。死にかけだろうと死なねぇのが……魔術士最強の俺って奴だ……」
 崩れかけた意識を、部下の声が繋ぎ止めたのか。
 床に伏していたデウスは身体をゴロンと転がし、仰向けになる。
「だが……ルンストロムを追いかけるなら……向こうの穴からでいいんじゃねぇか……?」
 デウスの言う穴とは、先程ラディ達を逃がす為に空けた壁の穴。
 確かにそこから抜ければ、教会の外に出て回り込める。
 しかしアウロスは即座に首を横へ振った。
「ルンストロム一人ならまだしも、護衛もいる。今は『待ち伏せ』がいる可能性大だ」
 ここに抜け道があるのは、敵側にも筒抜けになっている。
 対処しない筈がない。
 一方、二階からの追跡は彼らの頭にない筈。
 追いかけるなら、それが最良にして唯一の手段だ。
「成程な……飛ばすのは……そこの女で良いんだな……?」
「待って」
 一刻を争う状況なのは、ルインも十分承知していた。
 だが、どうしても聞かなければならない――――そんな目で、アウロスを睨む。
「私を選んだのは、私を融解魔術から逃がす為?」
「標的は手負いの老人でも、護衛がいる。街中には聖輦軍も」
 アウロスもまた、睨み返す。
 まるで喧嘩腰に――――
「この場合は、俺よりお前だ」
 目的に直結する大仕事を預ける。
 その絶大なまでの信頼を、ルインへと言い放った。
「……ならせめて、魔具を。少しでも間を空ければ一気に空間を削がれる
 この状況なら、オートルーリングは役立つ筈よ」
 早口でまくし立て、大学から持ち出して来たその魔具をアウロスの魔具と
 交換するよう訴えたルインに対し、アウロスは即座に手で制した。
「使い難くないんなら、使ってくれ。それは今のお前にこそ必要だ」
「でも……」
「指輪交換は……本番までとっとけ……ってこった」
 いつの間にかルーリングを終えたデウスが、軽口と共に魔術を放つ。
 一瞬表情を崩しかけたルインが、その緑魔術で生まれた風の渦に飲まれ――――
 凄まじい勢いで宙へと舞った。
 その魔術の名は【神の祝福】。
 本来は、凝縮された竜巻で敵を蹂躙する緑魔術の中でも上級に属する威力を持っているが、
 デウスが放った竜巻は、ルインを正確に天井に空いた穴へと導き、そして立ち消えた。
 ルインの身体は二階の天井にまで達する事なく、二階の床へと難なく着地。
 そして――――言いたい事は山ほどあっただろうが、即座に駆け出した。
「中々……シャレが効いてるだろう?」
「ああ、この期に及んで本当に大した魔術士だ。お前は」
「本当に……本番を迎える予定があるなら……仲人くらいはしてやる……ぜ……」
 最後まで軽口を叩きながら、デウスは仰向けのまま目を瞑った。
 力尽きたその身体は、徐々に熱を失っていくのだろう。
 けれども、ここでそれを口にすれば、ティア達が集中力と生きる希望をを失う。
 アウロスは意を決して、"後始末"の為に立ち上がった。
「ティア! サニア! トリスティ! 消費魔力の少ない、体積の大きな魔術を使え!
 融解される速度はぶつける魔術の威力には関係ない! デカい魔術の方が時間を稼げる!」
 そう大声で指示しながら、自分も三人の中へと加わる。
 元々魔力量に乏しい上、既に戦闘で少なくない魔術を使用したアウロスは、
 融解魔術を食い止めるという意味での貢献は殆ど出来ない。
 だが、効率的な方法を模索し、提案する事は出来る。
 決死の覚悟で、冷静に現状を洞察する。
 それが――――アウロスの生きる道だ。
「この戦況でそれを瞬時に……恐ろしい奴め」
 サニアは一瞬の疑いもなく、ティアと入れ替わりに広域に及ぶ魔術【炎の天網】を放つ。
 威力はほどほど、消費魔力もほどほど。
 しかしアウロスの言うように、これまで放っていた魔術と比較し、融解魔術の進行が
 停止する時間は増えた。
「ここで全員朽ち果てる事になろうと、我には悔いはない。全てやりきって及ばぬのなら天命。
 デウス師と貴様がいるのなら、そう思える」
「縁起でもない事言うなよサニアっち! オレっちまだやりたい事山ほどあるってのに!」
【炎の天網】が消失した瞬間、今度はトリスティの【細氷舞踏】が、同じような形状の融解魔術に
 向かって放たれる。
 触れた瞬間に融けていくが、その体積はかなり大きく、やはり進行を妨げるのには最適だ。
 指示されたように瞬時に魔術を選ぶのも、簡単なようで難しい。
 実戦で相当に鍛えられているからこそ可能な事。
 戦闘力は必ずしも高いとは言えないが、四方教会の面々は十分に優秀な魔術士だった。
「……」
 その中の一人は今、どうしているか。
 アウロスは融解魔術によって視界不良となっている向こう側に目を向けた。
 人影となって確認出来るのは――――ゲオルギウスのみ。

 そこに、デクステラの姿はなかった。








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