崩壊音と同時に浮遊感に襲われたアウロスは、それが落下によるものだと
 気付くのと同時に、現状を正確に把握した。
 破壊されたのは床。
 床が抜けた事で、一階へと落下している。
 つまり、落下するのは一層分の高さ。
 そこから予測される落下時間を瞬時に導き出し、着地の衝撃に備える。
「……っ!」
 予測は正確だった――――が、着地には失敗。
 脚の筋力のなさが祟り、自重に耐えきれずその場に転がり込む。
 幸い、二階の床の砕片は細かくなり散布していた為、それで負傷する事はなかったが、
 足には激痛が残った。
 尤も、骨折などの深刻な負傷ではない。
 それを直ぐに確認したのち、アウロスは即座に立ち上がる。
 この破壊を行ったのは――――
「ルイン!」
「こっちよ」 
 その張本人は、応えると同時に教会の壁へ向けて黄魔術【雷槍】を放った。
 現在、アウロスが先程『エルアグア教会という名の魔具』を利用して出力した結界は既に消失している。
 その為、雷の槍は問題なく出現し――――直撃。
 同時に再び破壊音が鼓膜を蹂躙し、壁は決壊した。
 そこから直ぐ、風が吹き込んでくる。
 ルインの行動は、脱出口の確保。
 これで教会から外へと逃げられる。
「フレアは――――」
「ここにいる。マルテもだ」
 アウロスの死角から、そんな淡々とした女声が発せられた。
 視線を移すと、そこにはマルテを担ぐフレアの姿がある。
 先程までとは違い、普段のフレア。
 正気に戻っている。
「行けるか?」
 アウロスは敢えて深くは聞かず、それだけを問う。
 返答は首肯のみだったが、それで十分だった。
「あれこれ確認している暇はない。早くこんな場所から離れましょう」
「私の無事くらいは確認してもいいんじゃない!?」
 そう急かすルインに、一番離れた所からラディが叫ぶ。
 アウロスはそのラディに目を向けるついでに、この場所が何処かを確認した。
 エルアグア教会一階、医療室の隣にある集会室。
 上には先程までいた二階の部屋。
 そこからルンストロムの怒号が聞こえてくる。
 破壊された床の範囲はそれほど広くはない。
 そして、その破壊を行ったルインの目的は勿論――――脱出だった。
 自分達のいる範囲のみの床を魔術で破壊し、落下。
 それによって、ルンストロムの一味が周囲を固めていた二階から脱出。
 直前にフレアには通達済み、だからこそ円月輪での牽制が出来た。
「……大した行動力だ」
 普段は表に出さない心の声が思わず漏れる。
 理屈は単純明快だが、それを実行するのは決して容易ではない。
 一つ間違えば大怪我だ。
 特に、何も知らされていなかったアウロスは。
 だが、アウロスなら瞬時に事態を把握し、致命傷は避けるだろう――――
 そういう信頼があってこその大胆な策。
 尤も、それがどういう意味での信頼かは本人に確認する必要があるが、
 今はそんな場合ではない。
 アウロスはそんな事を考える一方で、ルインの後ろに続いた。
 危機は脱した――――など言える筈もないが、手詰まりな状況は脱した。
 問題はこれからどうするか。
 ルンストロムの護衛が上の破壊された床の穴から一階へ下りてくる前に教会を出られれば、
 深追いしてくる事はまずない。
 選挙前日に騒動を起こしている事を、周囲の住民に知られる事になる。
 だが、追跡が上手な特殊部隊がいる以上、足止めは必要だ。
「早く」
 ルインは脱出を急かしている。
 いち早く外へ出るのではなく。
 意図は痛いほどに理解出来た。
「……そこまでして、俺に借りを返したいのか?」
 思わずアウロスはそう問う。
 時間がない。
 それはわかっている。
 だが聞かずにはいられなかった。
「俺は、そこまでして返して欲しくはない。お前じゃなく、お前の母親にも同じ気持ちだ」
「……」
 アウロスは、押し黙るルインを睨むでもなく、慮る事もなく、ただ穏やかな目で見つめた。
 足止めは必要だ。
 この中でそれを最も上手くやれるのも、ルインで間違いない。 
 魔力量が少ない上に負傷していて、更に聖輦軍と一戦交えているアウロスには、不利な点が多過ぎる。
 だがそれでも、アウロスはルインの無言での提案を――――自分が足止めする間に
 逃げろという主張を拒否した。
「何!? ここで夫婦ゲンカはちょっと勘弁してよ! 逃げるの!? 逃げないの!? どっち!?」
 ラディがそう叫ぶのも無理はない。
 本来なら既に天井から何人か降りてきても不思議ではないくらい時間が経過している。
 それでも降りてこないのは、待ち伏せての集中砲火を警戒しているから。
 だがそれも時間の問題で、上で待機する班と階段を使い一階に下りる班に分かれ、
 もうすぐ挟み撃ちの体勢を整えてくるだろう。
 時間は――――ない。
「……フレア。ラディ。貴女達はここから逃げなさい。勿論マルテも連れて」
 ルインは嘆息と同時に、そう結論を出した。
 つまり――――足止めは二人。
 決して良案ではないが、足止め役が犠牲になる確率は微かに減る。
 勿論、人数は倍になるが。
「何言ってんのバカ! って言ってる暇もないんじゃしょーがない! フレアちゃん、逃げるぜい!」
「いや、でも私は……」
「いいから! こっちはこっちで大仕事があるの!」
 その叫び声に、アウロスは思わず口元が緩む。
 依頼する事なく、ラディはこれから頼もうとしていた事を理解していた。
 そろそろ付き合いも長くなった――――そう実感しつつ、アウロスは指にはめていた
 オートルーリング専用魔具をラディに渡した。
 敵の狙いはこの魔具。
 これを遠ざけるのが、何をおいてもすべき事だ。
「じゃ、頼む」
「おうよ! 勿論、依頼したからには支払いよろしく!」
 つまるところ――――生きてここを切り抜けろという無茶振り。
 アウロスはそれも承知で、力強く頷く。
 そして、ラディとフレアがルインの作った壁穴から外へ逃げたのを見計らい、通常の魔具を
 指にはめ、ルインの隣に身体を寄せた。
「魔具を変えた事を悟られないようにするには、俺が魔術を使わない方がいいんだろうが……
 多勢に無勢でそれは難しい。別の方法でここに連中を引きつけて、時間を稼いでから離脱する。
 いいな?」
「あら、生き残る気満々なのね。てっきり私と心中するつもりだと思ったけれど?」
「生憎『それもいいな』と言えるほど気が利く人間じゃない。悪いな」
「それでこそ、貴方よ。諦めの悪さが取り柄なのだから」
 誰も彼もよくわかってる――――そんな人間関係を構築出来た事に、アウロスはある種の
 充足感を抱いていた。
 同時に、ようやく本当の意味で悟る。
 ウェンブリー魔術学院大学で、弱くなった自分と引き替えに得たものの尊さを。
 そして、もう一つ。
 これは確実に合理性に欠ける感情だが――――
「教皇選挙が始まれば、この機会はなくなる。これが最後の好機だ」
「?」
 ようやく警戒を解き、穴から数人の刺客が飛び降りてきた。
 聖輦軍。
 アクシス・ムンディ。
 だが、それらの面々は目にも入らない。
 アウロスの目はただ一人――――この場にいないルンストロムだけを捉えていた。
「うちのガキどもを散々弄んだ上、俺の研究成果を悪用しようとしているあの男には、
 地獄の未来を見せてやらないと気が済まない」
 血は止まったが、右側頭の負傷は確実に体力と精神力を削っている。
 限界は近い。
 或いは、既に超えているのかもしれない。
「あの男の野望を阻止してやろう」
 アウロスはその中で、自分の最も信頼する魔術を放った――――








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