魔術研究の歴史において、魔力を魔術に変換し、出力するまでの経緯の中には
『魔術化したエネルギーが出力前に身体および魔具に影響を及ぼすのでは?』
 といった懸念が常にあった。
 つまり、攻撃魔術を綴った際、その魔術を放つ前に自分や装備品がダメージを
 受けるのではないか、という尤もな仮説だ。
 ただ、現実としてそういった事態は起こらない。
 起これば魔術の存在意義がなくなるのだから当然といえば当然なのだが、
 起こらないのであれば、その理由があって然るべき。
 その為、魔術が術者の身体、装備品に影響を与えないのは何故か、といった研究は
 魔術史の早い段階で行われ、そして一定の結論が出ている。
 ただ、その結論は兎も角、原理については知っていようがいまいが
 魔術を使用する上では特に意味がない為、研究者であっても頭に入れていない
 者も多い。
『魔術は完全に出力された後でのみ効果を発揮する』
 とさえわかっていればいいのだから。
「成程。魔具内魔術無効の理論ですか。確かにそれなら今起こった現象の
 説明が付きます」
 それでも、流石にルンストロムほどの熟練魔術士なら知識として有しているらしく、
 納得した面持ちで冷静さを取り戻していた。
 そして、彼の精神状態に安定をもたらした声の主は――――
「久方振り、という程ではないが、挨拶くらいはしておこうと思ってな」
「……デクステラか」
 見届ける、という言葉を残し、一度は舞台から降りるようにしていなくなった男が
 テュルフィングの仮面を被り、再び目の前に姿を現わした。
 その事実に、アウロスは困惑や焦燥を覚える事こそなかったが、
 何処かやりきれない感情が芽生えているのを自覚せざるを得なかった。
 今、ここでデクステラが敢えて姿を見せた意味を考えると、尚更に。
「フレアとマルテをあの状態にしたのは、お前か」
 ある種の確信をもって、アウロスは問う形すらとらずにそう口にする。
 融解したグランド=ノヴァの一部を取り込んだ人物は、このエルアグア教会内にも
 数名いるが、彼らが"覚醒"――――という表現が適切か否かはともかくとして、
 グランド=ノヴァの人格が色濃く全面に出た状態となるケースはまちまちだ。
 この教会に近づくと、その状態が出やすいという傾向は見て取れたが、
 あくまでも傾向。
 実際には、教会から離れた場所で"グランド=ノヴァ化"したマルテの例もある。
 場所以外に何らかの理由、条件があると考えるべきだ。
 チャーチの証言によると、グオギギ=イェデンがいるとグランド=ノヴァの人格が
 前に出てくる傾向が認められるという。
 ならば、つまり――――
「"彼ら"は自分と全く異なる存在を取り込んでいる為、常に不安定な存在状態にある。
 そして、『自分自身を自分であると認識する』という、通常であれば当たり前の事が
 無意識下において出来ていない。他人が混ざっているのだから無理もない話だが。
 その不安定さをより顕著にする事……自分が行ったのはその程度だ」
 デクステラの返答は、納得出来る内容だった。
 自己認識の揺らぎ。
 それは日常生活においてはまず起こり得ない。
 だが、例えば『本来の自分』とは程遠い自分を意識するような機会があれば、
 その自己認識は大きく傾くだろう。
 状況でも、環境でも、或いは暗示においても、その精神状態が生まれる可能性はある。
 人間、自分は自分だと認識するのは、呼吸するのと同じように、こうしようとしなくても
 勝手に自覚しているもの。
 その地盤が存在しない人間の抱く不安や恐怖を他者が想像するのは困難だが、
 理屈としては理解可能だ。
 何らかの暗示や唆しによって、他者がその不安を増幅させるのも、そう難しくはないのだろう。
「つまり……間接的にデウスやマルテを傷付けたのは、お前の仕業って訳か」
「仕事、という事だ」
 仮面の下のデクステラの表情は、わかる筈もない。
 ただ、声には一切の感情が含まれていなかった。
 尤も、それ自体が不本意である証明とも読み取れるが――――真実は定かではない。
「その指に装着してある魔具を、こちらに渡すといい。命まで取る事はしない」
「……デクステラ?」
 意識の齟齬があるのか、デクステラの発言に最初に顔をしかめたのはルンストロムだった。
 彼としては、確実にオートルーリング用の魔具を手に入れたいというだけでなく、
 アウロス達をこの場で始末しなければならないという強い意志を持っている。
「最早、生かしておいても反乱の種にしかならない者達を生かしておく必要が何処にあるというのです?
 政敵たるデウスには、後々不要な疑惑を向けられるというリスクがありますが、奴らは……」
「彼らをここで始末し、デウス=レオンレイ及びその部下に目撃される事なく死体を処理すれば
 選挙に支障はない。そう言いたいのか?」
「……違う、というのですか?」
「違わない。が……彼らを余りに甘く見過ぎている。ここに自分が来たからといって、
 或いは周囲に配置している護衛が万全だからといって、確実に勝てるとは限らない。
 ここで万が一、自分が無力化される事にでもなれば、貴殿も危ないのではないか?
 それとも、そこまで"寄せ集め"の護衛を信頼しているのか?」
 デクステラはやはり感情なきくぐもった声で、説得するかのようにルンストロムを制する。
 寄せ集めの護衛――――それは以前、アウロス達が首脳会議の際に見かけた
 聖輦軍や、多国籍護衛団アクシス・ムンディを指していると思われる。
 彼らの戦闘力は、それほど脅威ではない。
 寧ろ、教皇選挙に出馬するような人物が雇う護衛としては、心許ない戦力とさえ言える。
 だが、明らかに国家の正義に反する行為に手を染めているルンストロムが、ウェンブリーの
 宮廷魔術士を従えるのは難しい。
 特殊部隊や他国の用心棒を雇うのは、やむを得ない選択肢だったと推察出来る。
「無論、信頼していますよ。彼らは私の望む働きをしてくれるでしょう。無論、この場においても」
「……なら自分は何も言うまい」
 呆れ口調ではないが、微かに感情の灯火が見えるデクステラの返事に、
 ルンストロムは満足しているようだった。
 彼らの足下には、先程アウロスが仕留めたゲオルギウスの身体が横たわっている。
「いや、一つだけ忠告をしておこう。この状況で彼らが助かる方法は一つ。貴殿を人質に取る事だ。
 貴殿が敗れるとすれば、それは貴殿の責任という事だ」
「無用な心配ですね。そのような愚行――――」
 長い相談が終わり、今まさに詰めの段階へ移行しようとしていたルンストロムが、自身の言葉に詰まる。
 彼の視界は常に、アウロスとルインの二人を捉えていた。
 それは危機管理の観点から正しいと言えるものだったが、結果的には誤りだった。
 アウロス、ルインのそれぞれ外側から――――ルンストロムめがけ小さな円月輪が飛来する!
「な……」
「危ない!」「うぬっ!」
 絶句し動けないルンストロムに対し、一歩下がった位置にいたデクステラは全く動かない。
 だがその脇をすり抜けるようにして、何者かが部屋へ突入してくる。
 それも二名。
 聖輦軍の髭面の男と、同じく髭を蓄えた護衛団のクワトロ=パラディーノ。
 両者は示し合わせたかのように、同時にルンストロムを伏せさせ、円月輪を各々の得物で弾いた。

 刹那――――

 部屋中に大きな破壊音が響き、アウロス達はその場から姿を消した。








  前へ                                                             次へ