アウロスにとって都合のいい取引を持ちかけるのは、デウスに続き二人目。
 デウスの時は、ウェンブリー魔術学院大学で突然梯子を落とされた経験から
 首を縦には振らなかった。
 何より、デウスがミストと通じていた事が、信頼を持つに至らない最大要因だった。
 一方、今目の前にいるルンストロムはどうなのか。
 ミストは当初、彼にオートルーリングの論文を渡そうとしていた。
 ウェンブリーの魔術士同士、何らかの密約が既にあったのだろうと推察出来る。
 論文発表会の席でミストの肩を持っていたミハリク=マッカという司教が
 ルンストロムの部下だったのだろう。
 そこにテュルフィングがいた事も、その仮説を強く支持する事由だ。
 しかしミストはルンストロムとの交渉を諦め、デウスに切り替えた。
 当初アウロスはその理由を、ミストがルンストロムを切り捨てたからと考えていた。
 だが――――どうやら切り捨てたという表現は正しくないらしい。
『あの男の思想は危険すぎる』
 そんなミストの声が聞こえてきそうなほど、ルンストロムの第一聖地マラカナンに
 対する憎悪と劣等感は巨大だ。
 第一聖地と、それ以外の聖地の格差。
 そこに由来する差別。
 それが、ルンストロム個人の見解であるのか、国全体の抱える暗部なのか
 アウロスには判断するだけの材料がない。
 ただ、どちらが真実であろうと、答えは出ている。
「この期に及んで、俺がお前と組む理由があるのか?」
 既に一度殺されかけている。
 信頼関係など築ける要素は何処にもない。
 そしてその"信頼"とは、感情を抜きにした仕事上のみの関係も含んでいる。
 ルンストロムの約束とやらが果たされる可能性は皆無だろう。
「私はこの国からマラカナンの優位性、選民意識、特別視されている要素全てを
 取り除くつもりです。ウェンブリー出身の君が英雄となるのは、その目的に合致します。
 人間的な信頼は不要。君は私を利用し、名を残せばいい」
 それは一見、説得力のある提案。
 少なくとも、アウロス好みの申し出だったのは間違いない。
 そして同時に――――
「中々話術が巧みだな。流石、準元老院をたらし込んだだけはある」
 交渉相手への下調べも完璧。
 だからこそ、ここまでこれたのだろう。
 つまり、信頼以前に信憑性の段階で合意に値しない発言なのは明らかだった。
 甘い言葉というのは、相手へのメリットを提示する事だけではない。
 相手の性格を知り、相手が信じそうな言葉や理論を使う。
 それは研究者には余りない技術であり、その意味でルンストロムは研究者より
 政治家の方が向いていると言える。
「……選挙は明日なのでしょう? 彼の魔具を得る理由が何処にあるというの?」
 痺れを切らしたルインが、苛立ちを隠さず詰め寄るように問う。
 だが、それでも彼女からすれば自制している方だった。
「明日までに融解魔術を使用出来るようにする必要はありません。オートルーリングが使用出来る、
 そして融解魔術をその制御下に置ける、その証拠さえあれば。アウロス=エルガーデン。
 貴方と組めばそれが可能となるのです。私はそれを準元老院の連中に示せば良い。
 魔具を預ける勇気がなければ、私と共に来てくれるだけでもよいのです」
 勇気という言葉に挑発的な意味がある事は、ラディを含む全員が感じ取っていた。
 最早、交渉の体を成していない。
 なら一刻も早くこの茶番劇を切り上げ、マルテとフレアを治療するべきだ。
「断る。生憎と『光』なんて言葉を使う人間は信用出来ない性格なんだ」
 そう結論付けた以上、理由は何でもよかった。
 交渉は決裂。
 しかしそれは――――
「君は賢いと聞いています。あの小娘がそう紹介するのだから、相当なものです。
 ならば理解しているのでしょう。断れる立場にない事を」
 ルンストロムも織り込み済みだった。
 小娘がチャーチを指しているのは想像に難くない。
 そして、ルンストロムが『小娘』という揶揄と思しき表現を用いた事で、
 アウロスの返答の正しさは証明された。
 言葉とは裏腹に、ウェンブリーへの同胞意識は薄い。
「なら、次善策といきましょう。その魔具、君の右手ごと貰い受けますよ」
 それが証明されるのと同時に、ルンストロムは本性を剥き出しにしてきた。
 恐ろしい事に、明らかな殺意を口にしながら、表情も口調も、醸し出す雰囲気も
 今までと何ら変わりない。
 その為、ラディは驚く事すら出来ず、今発せられた殺害宣告を理解出来ず呆然としていた。
「え? えっと……まさか、これから戦う、とか?」
「この部屋の周囲は既に囲まれているのよ」
「え!? 嘘!?」
 ルインの発言は、気配を察知する自身の能力による裏付けもあったが、ルンストロムの
 立場を考えれば当然という認識もあった。
 アウロスもまた、ルンストロムがこの場に姿を現した当初から覚悟していた。
 選挙前日に敵陣営の元へ自ら乗り込む――――その理由は一つしかない。
 敵を根絶やしにするつもりでいる。
 その絶対的自信があるからこそ、こうして自ら教会内へ赴いた。
 そして、アウロスの持つ魔具を必ず持ち帰る。
 間違いがあってはならない。
 自分がそれを確かめる必要がある――――そんな執念も内含している。
「ここに至るまで、自分の全てを投げ打って来ましたからね。万事に通じる概念ですが、
 準備は何より重要なのですよ。研究者なら理解出来るでしょう。ルイン=リッジウェア。
 貴女の母親が、人体実験を行ってまで魔術の発展を目指したように」
「……これ以上、貴方の戯言に付き合う気はないのだけれど」
 数的不利は覚悟の上、ルインは今まで抑えていた感情を目に宿した。
 だが、目の前のルンストロムを一瞬で仕留めようとしても、周囲にいるであろう
 彼の護衛がそれを阻止しに来る可能性大。
 手負いのアウロスが何処まで戦力になるかは不明瞭。
 何より、ルンストロムの隣にいるゲオルギウスの存在が厄介極まりない。
 彼もフレア同様、戦闘力の底上げが行われているとすれば、常人離れした動きを
 見せるかもしれない。
 この場を切り抜ける方策が浮かばない――――ルインの苦悩が部屋内の緊張感を高める。
「……」
 その隣で、アウロスは頭に無造作に巻かれた包帯を外し、床に落とした。
「右に同じだ。これ以上時間を割くつもりはない」
 出血は――――止まっていた。
「……残念ですよ。その程度の判断力では、英雄の器はないと言う事ですね。
 まして魔術国家に名を残すなど、言語道断」
 ルンストロムの唇が、微かに蠢く。
 ネットリとした唾液が糸を引いていた。
「用意しろ。ゲオルギウス」
 その糸が切れる。
 刹那――――エルアグア教会に、崩壊の音が響いた。









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