「負傷の治療が必要ですかな? アウロス=エルガーデン」
 ルンストロムの蠢くかのような低く震えた声が、室内を蹂躙する。
 それがアウロスを気遣っての言葉ではない事は、その歪みきった表情からも明らかだった。
「……必要ない」
 無論、治療する時間を与えるつもりなどある筈もなく、アウロスは
 滲んだ血で真っ赤に染まった包帯をそのままに、短く言い放つ。
 出血具合からして、長居出来る状況にはない。
 それに、負傷しているのはアウロスだけではない。
 マルテの容体は不明、フレアも意識を失っているのだから軽傷ではないだろう。
 そして、この場にはいないデウスも深傷を負っている。 
 一刻も早くこの場から立ち去らなければならないが――――その希望を叶えるのは
 容易ではなかった。
「貴方が、彼女を操っていたの?」
 それなら次善策。
 そう言わんばかりに、ルインが早々に核心を突く。
「その表現は適切ではない……が、彼女を導いたのは私ですよ。実に良き働きをしてくれました。
 無能な人間が余りに多過ぎる中、称賛に値するでしょう」
 これほど、褒め言葉を下劣に表現出来る人間も珍しい。
 剥き出しになったルンストロムの本性に、ルインとラディは同時に顔をしかめる。
「その枢機卿の娘は、隣国エチェベリアで鍛えられた『枢軸殺し』。
 国家の中心、或いはそうなり得る要人を始末する事に特化した技術を有する。
 故に、標的が誰であるかを決して悟られぬよう仕込まれている。その技術を可能としたのが――――
 我が国の最終兵器、融解魔術なのですよ」
 得意げな顔で解説を始めたルンストロムの傍らで、ゲオルギウスは瞬き一つせずに佇んでいる。
 意識があるのか、ないのか。
 生気すら感じさせないその異常な佇まいは、先程のフレアと酷似していた。
「本来なら明日、教皇となった最初の演説として準元老院の老害共に聞かせる予定でしたが……
 いいでしょう。その予行練習も兼ねて簡単に話してさしあげます。少なくとも二名、
 聞く権利のある魔術士がいるのですから」
「……」
 アウロスとルインを交互に見やり、ルンストロムはその表情を引き締めた。
 決して驕り高ぶった者の顔ではない。
 首座大司教、そして次期教皇候補という肩書きを持つだけの格を、その様相が放っている。
 アウロスは確信していた。
 選挙を明日に控える中、危険を冒してまでこの男がエルアグア教会に現れ、
 自分達にわざわざ説明をしようとしている事には相応の意味があると。
 無論、それは予行練習などではないだろう。
 そして、この場において自分が攻撃され殺されるという可能性は万に一つもないという
 自信も見て取れる。
 アウロスはルインに横目のみで会話を試みる。
 ルインはそれだけで察し、一つ頷く。
 彼女は既に察知していた。
 目の前には見えない、別の場所にいる敵の存在を。
 アウロスには気配を感じ取る事が出来ないが、この部屋の周囲には手練れの護衛がいる。
 ここでルンストロムを襲おうとすれば、その連中が間に入ってくる。
 だからこそ、ルンストロムは敢えて自らこの部屋へ入ってきた。
 そう理解したからこそ、アウロスは出血したまま彼の話に耳を傾けざるを得なかった。
「私が何故、教皇を目指したか。その理由は至って単純。敗戦国たるこのデ・ラ・ペーニャの
 権威と活気を復活させ、魔術士の権威を取り戻す為です」
 ルンストロムの演説が始まる。
 その声には、第二聖地ウェンブリーでアウロスと敵対した司祭、ウェンデル=クラスラードのような
 芝居じみた抑揚はない。
「だが、私が教皇になる事は不可能と言われていた。何故だかわかりますか?」
「そりゃ、そちら様の力量不足じゃない? フツーに考えて」
 噛みつかんばかりに、ラディが真っ先に答える。
 しかしルンストロムはまるで意に介さず、微笑みさえ浮かべコクコクと二度頷いてみせた。
「そう見なした者が大多数を占めていた、という意味では正解ですね。私に近しい者から、私の事など
 知りもしない赤の他人まで、あらゆる人間がそう考えていました。理由は――――」
 ルンストロムの黒眼が、ギョロリと上を向く。
 その眼球の動きにラディは思わず身を竦ませた。
「私がウェンブリー出身だからです。第二聖地の魔術士がデ・ラ・ペーニャの長となれる筈がない。
 また、その器であっていい筈がない。それが出発点。私の教皇選挙の始まりでしたよ」
 ルンストロムの言葉には、感情がまるで見えてこない。
 怒気や怨念がこめられて然るべき内容であるにも拘わらず、揚々とした口調だった。
「第一聖地マラカナン出身である事を誇る魔術士が未だ多いのは、時代錯誤を通り越し滑稽でしか
 ありません。最早この国そのものが権威を失いつつある中、出身地を誇るなど愚の骨頂。
 が、それが未だ根深いのも事実。何より、そうしなければ偉ぶる事も出来ない程、
 この国は追い詰められていると考えれば、哀れにこそ思えど腹も立ちませんがね」
 本来ならば早々に長話を遮り、攻撃の一つでも仕掛けそうな気性のルインでさえ、
 ルンストロムの演説に沈黙のまま耳を傾ける。
 それは、先程彼が言った『聞く権利のある魔術士』という言葉にも起因していた。
 ルインには、このルンストロムの話を聞く理由がある。
 そして――――アウロスにも。
「私は一計を案じました。選挙に勝ち、この国の全ての垢を洗い流すにはどうすればいいか。
 準元老院をたらし込み、票を操作すればそれでいいのか。答えは否。ただ選挙に勝つだけでは、
 この国は変えられません」
「ちょ、ちょっと待ってよ……今サラッとエグい事言わなかった?」
 ラディが反射的に演説を止めるのも無理のない話。
 ルンストロムはハッキリと、自分が票操作をしていた事を認めた。
 誰が何を強いた訳でもないのに。
 それが何を意味するか――――アウロスも、ルインもとっくに察していた。
「選挙とはそういうものです。君が何者かは存じ上げませんが、まさか選挙が清廉潔白な者のみで
 行われる純粋な催しだとは思っていないでしょう?」
「んく……」
 絶句しつつも、ラディは認めざるを得ない。
 情報屋である彼女は、この世に現存するあらゆる選挙に関する裏、闇の部分をある程度は
 把握している。
 綺麗な政治、綺麗な選挙の頻度など、道端に宝石が落ちている確率よりも
 低いかもしれない――――
 そう思う事に大した抵抗を感じない程度には、この世界はくすんでいる。
「準元老院に借りを作ったまま教皇になっても、傀儡になり果てるのみ。真の意味で
 奴らの上に立たなければ意味がない。その為、あらゆる布石を惜しまずに生きてきたのですよ。
 このルンストロム=ハリステウスは……」
 全ては計算上の出来事。
 ここに至る、あらゆる事項が目論見通り――――
「その布石の一つがフレア=カーディナリス。融解魔術によってグランド=ノヴァの一部を取り込み
『人でない人』となった暗殺者の利用なのです」
 その自信が、ルンストロムの語調を幾分か強めていた。







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