――――数刻前。

『私が、マルテを監視?』

 エルアグア教会が魔具である事を確認し、仕様変更が可能かどうかを
 調べに行くと決まった直後、アウロスは外出の準備を一足先に終え
 研究所の外で待っていたフレアに、マルテのお守りをするよう頼んだ。

『ああ。マルテの中にいるグランド=ノヴァの意識の欠片がエルアグア教会へ行くと
 意識を色濃くするかもしれない。マルテの意識が変容しないか見張っていてくれ。
 もし怪しいと思ったらいち早く束縛してくれると助かる』

『だったら、連れて行かなければいい。マルテも事情は知ってるんだろ?』

『教皇選挙が終わるまで、マルテを別行動させたくない。何があるかわからないからな』

 マルテはデウスの実の息子。
 ルンストロムがマルテを人質にとる事を考えていないとも限らない。
 動揺させる為に刺客を放つ可能性もある。

 厄介なのは――――何処か安全な場所に匿うという行動に意味が薄い点。
 今のマルテは自分自身でさえ刺客となり得る。
 エルアグア教会へ連れて行くのは危険が伴うが、それが一番の安全策と
 現状では言わざるを得ない。

『わかった。あいつのお守りは私に任せろ』

 そう答えるフレアは何処か、嬉しそうだった。
 アウロスはそんな彼女の姿を微笑ましくも思っていた――――

 


「……」

 対峙する少女の瞳に、木訥で常に不安げだった頃のフレアの面影はない。
 同時に、仲間として一定の信頼関係を築いてきた彼女の面影もまた、見えない。
 空虚な薄闇が、円状に漂っているのみ。
 追撃の様相は、今のところ見られない。
 それを横目で確認し、アウロスは編綴し終えた魔術をどう使うか思案していた。
 同時に――――この異様極まりない状況を、ほぼ把握し終えていた。
 ルインとの会話で意思疎通を図る中、アウロスはそれとは別に
 二つの行動をとっていた。
 一つは、マルテの安否確認。
 最も重要な事だったが、現在のフレアの状態では、マルテに近づくのは危険と判断。
 薄暗い視界の中、慎重にマルテの胸部が上下している事を視認し、
 生存を確信した。
 マルテは生きている。
 デウスのような夥しい出血の痕もない。
 だからといって無事だという保証もないが、死が近いと判断する根拠は今の
 ところ、ない。
 その確認作業と平行して行っていたのが、フレアの意識水準の確認。
 現在のフレアは、以前マルテがグランド=ノヴァの意識に支配されていた時と酷似している。
 急激な戦闘力の向上。
 本人とは思えない人格の変化。
 そして、腑に落ちない行動。
 フレアがデウスやマルテを殺める動機は――――存在する。
 彼女は枢機卿ロベリアの娘。
 教皇選挙で敵対する相手を消すのは、立派な動機たり得る。
 が、それは暗殺に限られる。
 もしフレアが彼らを殺した事が明らかになれば、それはロベリアの名に致命的な
 傷を負う事を意味するのだから、極めて慎重に、そして確実に遂行しなければならない。
 これだけの人数と同行し、エルアグア教会という小さな空間の中で
 二人の人間を誰にも気付かれず殺すなど、不可能に近い。
 事実、アウロス達に目撃されてしまっている。
 そういった危険性を考えられないくらい思い詰めたフレアの暴走――――とは到底考えられない。
 彼女は確かに父親の力になりたいと願っていたし、一時はその想いに押し潰されそうに
 なっていたが、今は違う。
 ロベリアとの意思疎通も拙いながら出来ているし、関係は良好。
 思い詰めての蛮行という線はない。
 なら、やはり第一に考えるべきは――――別人格の暴走。
 フレアの中にもマルテのようにグランド=ノヴァの意識が入り込んでしまったというのが
 最も有力な説だ。
 原因は不明。
 これまでの経緯や原理から、マルテの中のグランド=ノヴァが移った、という事は
 まず考えられないが、何かしらの要因がある事は確か。
 ただそれを今考えるべきではなく、アウロスの行動はフレアの意識水準――――すなわち
 彼女の記憶や人格が何処まで残っているか、を確認する作業に注力していた。
 その答えはまだ出せない。
 ただ、物考えぬ殺人鬼に成り下がったというような事はない。
 今こうして、アウロスとルインの二人が並び立つ中で無闇に仕掛けてこないのがその証拠。
 彼女には、単にデウスとマルテを仕留めるだけでなく、彼女自身が無事にこの部屋を
 脱出する必要がある事の証だ。
 そこには明確な意図が存在する。
 そしてその意図は、紛れもなく教皇選挙との関係性が存在する。
 フレアはこの教会に何度もきている。
 なのに突然、今回に限って変容したのが、偶々選挙前日と重なったなどとは
 到底、アウロスは思えなかった。
 何かがある。
 誰かが、意図的にフレアを今の状態に――――
「来る」
 ポツリとルインが戦闘再開を予告。
 刹那、アウロスは思考を全て切り上げた。
 殺気を一切放たないフレアが仕掛けるタイミングを計るのは難しい。
 専門家といえるルインの判断を全面的に信頼し、迎撃態勢を整える。
 既に編綴し終えている魔術は――――結界。
 ルインとの共闘体制はウェンブリー教会でも経験しているが、本格的な戦闘は
 夜間のウェンブリー魔術研究大学での対ギスノーボくらい。
 それでも、お互いの戦力、戦術については知り尽くしている。
 性格を知っているからこそ、とも言える。
 ルインは攻撃性にかなりの比重を置いた臨戦魔術士。
 アウロスが守備面を担当するのは必然であり、ルインもまた何も語らずそう理解していた。
 故に迷いなし。
 フレアが仕掛けるべく身を屈めた瞬間、攻撃魔術を綴る。
 当然オートルーリングではない。
 それでも、ルインの編綴はすさまじく速い。
 黒く塗りつぶされたような瞳をそのままに、床を蹴り直線的に飛び込んでくるフレアが
 自身に到達する前に、ルーリングを完成させる自信が彼女にはあった。
 が――――
「……!」
 思わずルインの目が見開く。
 フレアの身体は、床を蹴った音と殆ど同時にルインの直ぐ傍まで移動していた。
 凶悪とさえ言える速度。
 左手には容易に人間を切り刻める円月輪。
 ルインはフレアのその突進に反応すら出来ず、呆然とその薄闇をまとった斬撃を
 眺める事しか出来なかった。

 ――――アウロスの結界と円月輪が衝突する、その火花の飛翔を。

 攻撃を防がれた落胆もなく、再びフレアは後方へ跳ぶ。
 身軽な彼女の戦法は接近戦ではなく、遠距離からの突進と後退の繰り返しが基本となるらしい。
 その動き一つ一つが驚異的に速い。
 アウロスが結界を編綴していた事も、自分をそれで守ろうとしていたのも事前にわかり切っていた。
 だから驚きも安堵もない。
 が、それにしてもフレアは速過ぎる。
 信じ難い程に。
 そしてもう一つ――――アウロスがそのフレアの速度に合わせて結界を出現させた事も。
 自分がまだ戦闘の速度についていけていない事を自覚し、ルインは瞬時にその調整を試みる。
 目の前の"敵"に敬意を払え。
 集中を高めろ。
 意識を研げ――――
「貴女は危険ね、フレア=カーディナリス」
 ルインは心中でそう呟き、久々に強い緊張感へと自身を没した。









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