「答えろ――――フレア」
「……」
 フレアは答えない。
 その一方で、アウロスの言葉に身体で応えた。
 床を覆う絨毯の一部から埃が舞う。
 刹那――――二つの事が同時に起こった。
 フレアの身体が突如跳ね、入り口から見て右側の壁に――――左の壁に――――
 衝突音を繰り返しながら高速で転置する。
 それは、アルマセン大空洞以来となるフレアとの対峙の際、サニアに向けて
 仕掛けた時と同じ動きだったが、動きの質そのものは別物。
 今回は舞うという表現が使えない。
 少なくともアウロスは、フレアが宙にいる姿を視認出来なかった。
 それ以前に、視認する意識を奪われていた。
 ――――目前に迫る小型円月輪に。
「……!」
 避ければ背後のルインに直撃する。
 ルーリングは例え自動編綴であっても間に合わない。
 選択肢は一つしかなかった。
 腕を上げる事。
 円月輪がアウロスの左腕に、吸い込まれるように切り込んでいく。
「何!? 何が起こってるの!?」
 アウロスの真後ろにいるルインもまた、左右に跳ぶフレアを視認出来ていない。
 ただ壁を連打するような音に戸惑うのみ。
 ルインは、アウロスが円月輪による攻撃を受けた事も把握していなかった。
 何故なら――――アウロスが声一つあげず、後退りも一切しなかったからだ。
 左腕の激痛は相当なもの。
 だがその痛みを、危機感が凌駕する。
 ここで集中を切らせば――――死ぬ。
 目を逸らせば、自分以外の二人も無事では済まない。
 瞬時の確信だった。
 円月輪が刺さる左腕を見もせずに、アウロスはルーリングを始めた。
 どうして、フレアが。
 そんな葛藤は微塵もない。
 その余裕がないほど、フレアの動きは常軌を逸していた。
 同時に、殺気を一切感じられなかった。
 殺気のない攻撃に対して、本能的、反射的な保身は期待出来ない。
 故に頭で考えての行動となり、一歩遅れる。
 その一歩は致命的一歩。
 何かで補わなければ、絶対に防げない。
 アウロスは"決断の省略"で補った。
 信じ難い局面に遭遇した際、人間は驚き、戸惑い、迷い、躊躇い、決断を迫られる。
 その中で、アウロスは日頃から"戸惑い"と"迷い"と"躊躇い"を可能な限り端折ってきた。
 目的を持ち、その目的の為の精査を行い、最短距離を算出。
 それ以外の様々な道、景色、音を排除し、盲目的な環境を人為的に作り上げていた。
 当然、視界は狭まり、多くの可能性を失う。
 だがそれと引き替えに、決めた道へと特化したその生き方は光と化す。
 生命に、血に、魂に光を持たない凡夫が一時的にせよ輝きを放つ為の術。
 もしそこに崖があれば落下は免れない、屈折なき光。
 それに加え"決断"をも省略したアウロスの反応は、フレアの異常な速度に対応し得るものとなった。
「ぐっ……!」
 アウロスの眼前にフレアと結界が同時に現れる。
 左右への移動から突進へシフトしたフレア。
 アウロスのオートルーリングによって具現化した円盾結界。
 その二つが、完全に同時に重なる。
 一瞬でも遅れていれば貫通されていた。
 一瞬でも早ければ回避されていた。
 決断する事さえせず、ただそこに結界を出現させる事だけに没頭し、アウロスは絶対的な
 危機を回避した。
 が――――事態が好転した訳ではない。
 結界に阻まれたフレアは直ぐに後方へと跳び、再び横たわるマルテの傍で直立する。
 窓のないエルアグア教会。
 廊下から漏れるランプの炎による光で、かろうじて顔が確認できるものの、
 その目に宿すものが何なのかまでは不明だ。
「フレア……?」
「何? 何? フレアちゃんがどうしたの?」
 緊張感のない、廊下から聞こえるラディの声には反応せず、ルインがアウロスを
 押しのけるようにして部屋の中へ入る。
 刹那――――アウロスの足下にしたたり落ちる鮮血に気づき、目の色を変えた。
「何のつもりかは知らないけれど、貴女の仕業なのは間違いないようね」
 ルインの戦闘経験はアウロスを凌駕する。
 故に戦闘態勢への移行はアウロス以上に無駄がない。
 ほんの一瞬、炎が消える直前に膨張するように、微かな高揚のみでルインは眼前の
 フレアを"敵"へと置き換えた。
 これまでの認識を一切捨てて。
「待て、ルイン」
 だがそれをアウロスが制する。
 声に震えも淀みもない。
 しかし、呼吸の乱れは如何ともし難い。
 刺さったままの円月輪が血止めの役割を果たしてはいるものの、身体は空気を欲している。
「フレアにこの水準の攻撃は出来ない。明らかに異常だ」
「だから何だと言うの?」
 一撃目が不発に終わったフレアは追撃の態勢を整えていない。
 その隙にアウロスは現状把握に務めようとしていたが、ルインはそれを拒んだ。
「この状況下で貴方を攻撃したのなら、あの子が敵なのは明らかでしょう?
 それに、あそこに寝転がっているのはマルテじゃないの?」
「……ああ」
「なら決まりじゃない。迷う意味があるの?」
 冷徹故に正道。
 フレアの様子が通常と異なるのも、戦闘力の飛躍的上昇も、今ここにある危機に比べれば些事。
 ルインは感じ取っていた。
 現状のフレアを相手に気を抜けば、生命を持って行かれると。

 "死神を狩る者"

 そう呼ばれていた頃の彼女の主な仕事は――――
「あの子、魔術士殺しよ。同じ空気を持っているもの。私がこれまで仕留めてきた連中と」
 そうルインが断言するのなら、間違いない。
 アウロスはそう認める一方で、フレアの変質にも心当たりがあった。
 今まさに、目の前で動かず横たわっているマルテと同じ。
 デクステラと共にアウロスと一戦交えたあの時のマルテと酷似していた。
「彼女が私たちを欺いていたのか、何かの変化でああなったのかは関係ない。
 今、あの子は私達を攻撃してきた。殺気の有無も危険性とは無関係。連中はその次元にない」
 ルインは正しい。
 この場で重要なのが保身、すなわち敵の排除である事は動かし難い。
 背を向けて離脱出来るような状況でもない。
 そして――――手加減して戦える戦力差もない。
 マルテがグランド=ノヴァの意識を増幅させていた時とは、そこが大きく異なる。
「……彼女の相手は私がする。貴方は下がっていなさい」
 アウロスとフレアの関係を慮り、ルインが告げる。
 ただし、それは決して配慮だけではない。
 事実上の戦力外通告だ。
 左腕を負傷した今のアウロスは、ルインの足を引っ張りかねない。
「貴方は生きなければならないでしょう? 自分の名前を残す為に」
 そう。
 それがアウロス=エルガーデンの唯一の願い。
 ルインとミルナ=シュバインタイガーが住む屋敷の地下に監禁されていた
 行き着くべき光の終着点。
 それ以外の景色は全て遮断した。
 判断を間違えてはならない。
 決断を鈍らせてはならない。
「ああ。わかってる」
 見失った事など、ただの一度もない。
 無論、今も。
「こんな所で死ぬ人間は、名前なんて残らないからな」
 そう言い放ち、アウロスは――――こっそり自分の背中に右手を回し、ルーンを綴っていた。
「当然、ここで責任放棄して逃げ出すような人間も」
 綴られたのは、攻撃魔術。
 大半の魔術がそうであるように――――戦闘を目的とした魔術。
 自動編綴はそれを、僅か一文字で生み出せる。
「貴方……その怪我で何を言っているの?」
「フレアに何が起こっているのかは察しが付いている。俺がいて損はないだろ」
「そういう問題じゃないのよ! 貴方は……」
「あの子達は俺が助ける。それが、アウロス=エルガーデンを名乗る俺の意思だ」
 その意思は、自然発生したものだった。
 この第一聖地マラカナンに来て、暮らしてきた事で生まれた意思。
 一度芽生えた意思は、無理に曲げれば他の様々な信念に影響する。
 尤も、アウロスは今、そこまで考えられる余裕などない。
 助ける。
 あの、ぶっきらぼうで健気な少女を。
 あの、弱々しくもいじらしい少年を。
 それだけだった。
「ただし二対一だ。確実に無力化するぞ」
 年下の少女を相手に、数的優位の確保。
 誰が聞いても間違いなく恥。
 この上ない、人間として、男として余りに情けない愚行。
 アウロスは気にも留めていない。
 目的までの道連れだと、心中で微笑んだ。
「余力を残せよ、ルイン。本当の敵はここじゃない場所にいる」
「ちょっと! 全く……」
 一足先に仕掛けるべく身を屈め床を蹴ったアウロスに、ルインは心底呆れ果て――――
 誰も見ていないのをいい事に、口元を優しく緩めた。









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