一目でそれは深傷だとわかった。
 流血の量――――というよりも、増加量。
 みるみる内に床が鮮血で染まっていく。
 仰向けに倒れており、出血箇所は見えない。
 ただ、出血の勢いから動脈切断の可能性が極めて高く、
 通常の止血方法では到底助からない。
 或いは、どんな方法であっても。
「痛みで死ぬのと出血死、どっちがいい?」
 倒れたままのデウスに、アウロスは声を荒げるでもなくそう問いかける。
 半ば返答は期待していなかったが――――
「……激痛死……などという死因があるのなら……それは壮絶な俺の人生に
 相応しい……幕切れだ」
 微かな音量ではあったが、実にデウスらしい返答。
 アウロスは躊躇なく倒れているデウスの右腕を掴み、その巨躯の向きを
 うつ伏せへ強引に変える。
 出血箇所は――――肩口。
 左鎖骨下の動脈から、泡を吹くように血が溢れている。
 躊躇は致命的。
 アウロスはオートルーリング用の魔具を用い、瞬時にルーンを綴る。
 ウェンブリー魔術学院大学在籍時、【パロップ】という街へと遠征に出た際、
 ラインハルトによって傷付けられた警備員に行ったのと同じ、傷を焼き血を止める
 焼灼止血法。
 余りの激痛にショック死してしまう事も少なくない、非常に危険な方法だ。
 ただし、実際の炎で焼く場合よりは魔術の炎で焼く方が致死率は低いとされている。
 魔術の炎と自然界の炎では、見た目は同じでも成分が異なるからだと目されているが
 真実は定かではない。
 案外、そういう研究をしてみるのも悪くないかもしれない――――などと思いながら、
 アウロスはデウスの傷を一切の躊躇いなく赤魔術によって燃やした。
「ぐぁ……!」
 あのデウスが、苦悶の表情で悲鳴を上げ、歯を食いしばる。
 だが、それだけ。
 激痛の度合いからすれば、この程度の反応では本来済まない。
 それこそ発狂しても不思議ではないし、むしろその方が正しい反応だろう。
 如何にデウスの精神力が強大であるかという証明だった。
 しかしながら、精神力だけでどうにか出来る負傷ではない。
 アウロスはかつて戦場で覚えた余りに強引な止血法を施しながら、
 悲観せざるを得ない現状を再確認した。

 致命傷。

 そう判断せざるを得ない。
 このデウスという規格外の能力を持った魔術士の生命力が仮に、その能力以上のもので
 あったとしても、助かる見込みは極めて薄い。
 その傷は、深さも場所も明確な殺意の下、命を奪う専門家に付けられたものだと
 強く推認出来るものだった。
 それだけに、アウロスは驚きを隠せない。
 庶子とはいえ、王族として生まれ各聖地を闊歩してきたデウスは、
 暗殺の対象としての経歴が長い。
 当然、これまで幾度となく斥けてきた事は容易に推察出来る。
 魔術士としての実力は最高峰。
 そんな人物にこれだけの傷を負わせる者が、今このエルアグア教会に存在している。
 考えられるのは――――
「止血は終わりだ」
 一度思考を止め、アウロスは大きく息を吐き、デウスにそう告げる。
 通常なら確実に意識を失う筈の激痛。
 声をかける意味などないのだが、アウロスは返答を待った。
「……頼む……」
 デウスの声が微かに聞こえる。
 その内容は――――
「…………マルテを……四方教会の奴らを…………」
 遺言。
 そう受け取るしかないものだった。
 だが、感傷に浸る訳にはいかない。
 今この場所には最悪の暗殺者がいる。
 そしてその手がかりを知る唯一の人物が、この今にも生を終えようとしている男だ。
「誰にやられたか教えろ」
 端的に、やや大きめの声で問う。
 アウロスが現在考える、最も可能性が高い敵は――――デウスの顔見知り。
 だからこそ油断した。
 油断したからこそ、不意打ちで致命傷を負った。
 それが一番しっくり来る。
「……」
 デウスは答えない。
 呼吸音も聞こえない。
「おい、デウス!」
 返事はない。
 気を失っただけなら呼吸が止まる道理はない。
「お前……! こんな所で死ぬ気か! まだお前にはしなきゃならない事があるだろ!」
 柄にもなく大声で呼びかけ、デウスの心音を探る。

 やはり――――聞こえない。

 この状況でも最低限の周囲への警戒を行っていたアウロスはそれを止め、
 心肺蘇生法を試みる。
 これもまた、戦場で覚えた技術の一つ。
「誰かいないか!? いるなら来てくれ! デウスが危ない!」
 喉を擦り切るつもりでそう叫び、同時にデウスの胸部を規則正しい律動で圧迫する。
 最早確率や可能性を論じる段階ではない。
 ただ、それをするだけ。
 次第に、遠くから足音が聞こえてきた。
 出来れば、それがマルテであって欲しくないと願いながら、アウロスは圧迫を続ける。
 デウスの体格上、肋骨の骨折を考える必要はない。
 遮二無二、長らく実行していなかった作業を続ける。
 次第に腕の筋肉が引きつり、力を失っていくが、それでも力を振り絞って。
 デウスの心臓は――――動かない。
「一体どうしたのです! 何があっ……」
 真っ先に駆けつけたのはティア。
 その後ろにはサニアとトリスティの姿も見える。
 願い通りだったが当然安堵など出来る筈もなく、アウロスは視線で現状を伝える。
「……! う……嘘……」
 刹那、ティアの顔色が蒼白になり、その場に倒れ込む。
 次に状況を察したサニア、そしてトリスティもまた、その信じ難い光景に顔を強張らせる。
 特にティアの狼狽と混乱は、一瞬にして二転三転するその表情からも明らかだった。
「アウロス=エルガーデン! あ、貴方が……!」
「よせティア! そうではない!」
 この場にサニアがいた事は、アウロスにとって幸運だった。
 サニアの目はデウスの流した血と、傷口に出来た火傷に交互に向けられている。
 赤魔術に深い造詣があるサニアがいなければ、彼らがこの混沌の最中に状況を正しく
 把握する事は出来なかっただろう。
「恐らく何者かに深傷を負わされたデウス師を止血した。そうだな?」
「詳しく話してる暇はない。デウスは今心臓が止まってる。心肺蘇生法を知ってるか」
「我は明るくない。ティア、貴様は一通りの治療法を学んでいるのではなかったか?」
「……」
「ティア!」
 動揺を抑えきれず、怒りの矛先をアウロスに向ける事で正気を保とうとしたがそれも断たれ、
 ティアは混迷の中にあった。
 サニアの呼びかけにも応じられない。
 その彼女を――――
「……」
 彼女の頬をトリスティが張り、乾いた音が地下に短く響く。
「今ここでデウス師匠を救えるのはティアっちだけだ」
 四方教会最年少の彼が、取り乱した様子もなく、切々と訴える。
 だがそれは決して不可解な行動ではない。
 有事に際し誰より冷徹に、状況を客観視出来るのは彼。
 アウロスも、彼ら四方教会の面々がフレアと戦った際にその一端を目撃していた。
「あ……」
 頬を張られたティアが、震えながらも現実を受け入れる。
「頼む。酷かもしれないが、代わってくれ。俺はもう腕に力が入らない」 
「わ……わかりました……」
 虚ろな目で、それでもティアはアウロスと入れ替わり、仰向けに倒れ瞑目したデウスの傍に
 腰を落とし、両手を胸部に添える。
 血の気のない唇が震え、浅い呼吸が何かを懇願するように忙しなく空気を揺らし――――
「う……うあああ……あ……」
 ボロボロと、涙を落とし嗚咽する。
 だが、それでも。
「ああ……あああ! 御主人様! 御主人様お願いです! お願いです戻って! 戻ってきて!」
 堰を切ったように、胸部への圧迫を開始した。
 デウスの意識は戻らない。
 ティアが腕に力を込める度に、力なく身体が振動する。
 生気のない人間の揺動は、何処か残酷なものに見えた。
 だが、もっと残酷な事を言わなければならない。
「……サニア、ここは頼む。トリスティは周囲を警戒しておけ」
 それでもアウロスはそうに告げる。
 ここを離れなければならない。
 この場にこれ以上の人数は不要だ。
 その合理性は、余りに無責任に思えた。
 それでも――――アウロスはそう告げた。
「デウスに傷を負わせた人間がこの建物内にいる。俺はそっちを追う」
 それが、デウスに託された言葉への回答。
 彼らを死なせない。
 暗殺者を見つけ出し、安全を確保しなければならない。
「……すまぬ」
 答えるサニアも自覚していた。
 今の精神状態では、自分たちは戦力にならないと。
 だから、アウロスへ託す。
 その思いを凝縮した返答だった。
「デウス師匠は死なないよ」
 トリスティもまた、全く同じ思いをその言葉に内包し、ポツリと呟く。
 返事はせず、アウロスは地面を蹴り地下の通路を駆け出した。








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