「誤算だったのは、お前の"人間性"だ。アウロス=エルガーデン」
 デウスの顔に、綻びはない。
 これまでの彼ならば、常に微笑みを絶やさず、それ故に底知れない不気味さが
 常につきまとっていた。
 だが、今のデウスにはそれがない。
 尤も、それは余裕のなさや疲労が原因ではないとアウロスは踏んでいた。
「お前がキレ者なのは、直ぐにわかった。同次元で会話が出来る相手など
 久々だったんでな。つい、本題を忘れて日常を楽しむ自分がいたよ」
「嘘はいいから、話をとっとと進めろ」
 間怠っこしい説明を嫌い、アウロスが半眼で促すと、デウスはそれでも
 顔を崩さず、真剣な面持ちのまま一つ頷いた。
「とはいえ、俺はお前の目的である論文原本を所持している。当然、安売りする気は
 なかったから、暫く黙ってはいたが……お前がその事実を把握する頃合いには、
 俺に全面的に協力せざるを得ないよう外堀を埋めていた筈だった」
「俺をエルアグア教会に"軟禁"したのも、それが目的だったのか」
「軟禁とは、随分と被害者面しやがるな。ま、意図はその通りだ。お前を四方教会の
 代表代理に任命して、マルテを人質にしておけば、お前は必ず部下共々この教会へ
 やって来る。総大司教の娘に対するお前の接し方を見れば、お前がそういう性格なのは
 一目瞭然だったからな」
 つまり――――マルテ誘拐の真犯人は自分だったという自白。
 その事実を知ったアウロスは、少し大きめに息を落とした。
「ま、そう呆れるな。この教会は最近までミラー姉弟の支配下にあったんだ。
 お前を教会内に引き込むには、相応の理由が必要だったんだ」
「それくらい、どうにでも出来たんじゃないのか? 仮にも皇位後継者の候補として
 祭り上げられていた身分だったんだろう?」
「ああ。支配者があの二人"だけ"ならな」
 それは、実際には二人だけではない事を意味していた。
 そしてアウロスも直ぐに気付く。
 人間としての身体は二人分。
 だがそこには、三人分の人格が存在していた。
「グランド=ノヴァか」
「そうだ。あの化物じみた存在があるからこそ、正攻法は全て封じられた。その結果、
 俺の行動は随分と回りくどいものになっちまったって訳だ」
 ゲオルギウス=ミラーの体内に一部のみ、意識が溶け込んでしまっているグランド=ノヴァの
 存在は、デウスにとって非常に厄介なもの――――それはアウロスにも容易に想像出来た。
 何故なら、デウスは融解魔術を選挙の切り札の為、我が物にしようとしているからだ。
 グランド=ノヴァは現在も、融解魔術の実証実験を自らの身体で行っている。
 その最中に自分の研究を横取りされそうな状況で、黙って見過ごす筈がない。
 実際に横取りされた過去を持つアウロスは、デウスより寧ろグランド=ノヴァの気持ちを
 より近くに感じていた。
「奴に悟られないよう、随分とコソコソと動いたもんさ。何せ相手は100を超える人生の
 超熟練者だ。自認しているようだが、実際に"最強の魔術士"の一人には数えられるだろうよ。
 なら油断は出来ない」
「見かけによらず慎重派なんだな」
「用意周到と言って欲しいところだ。デカい事をするなら、相応の準備は必要だろう?」
 異論はなく、かといって頷く気もなく、アウロスはソファの背もたれに背中を深く沈めた。
「ま、それでもグランド=ノヴァに関しては想定内だった。ゲオルギウスの中の奴が
 本格的に動き出した頃合いを見て、こっちも仕掛けを打った。ここまではよかったんだがな……」
 デウスの目が、アウロスの右手を捉える。
 正確には、その五指の中の一つ、人差し指にはめられた――――オートルーリング仕様の魔具を。
「一応、確認だ。お前が俺との交渉を頑なに拒んだのは、不具合を自覚していたからか?」
「事前にわかる性質の不具合じゃない。知ったのはお前の元部下と戦った夜だ」
「……ならば、本当に賢聖になる気なのか? 枢機卿からその確約を得たのか?
 とてもそうは思えないがな」
 デウスが言っているのは、以前彼が枢機卿ロベリアの屋敷に直接出向いた際の話だ。
 あの時、アウロスはデウスとの交渉を決裂させた理由として、賢聖になるからと宣言した。
 賢聖になれば、例え手元に論文原本がなくても、ファーストオーサーの変更は問題なく行えるからと。
 それは明らかなハッタリだったのだが、デウスもそう理解しているのだが、敢えて口にした。
 という事は、僅かではあっても本当にそうなる可能性をアウロスが有していると認めている証拠だ。
 そして、そう認めさせた事で、デウスは一つ後手に回らざるを得なくなった。
 その結果、アウロスはデウスに一つ貸しを作る事になった。
 マルテやデクステラと戦い、デウスの部下達を救助した、あの一連の出来事だ。
「とてもそうは思えないが……ほんの少し、お前の人間性に微かな可能性を抱いちまった
 俺の失態だな。言い換えれば、最後まで底を見せずに逃げ切ったお前の勝ちだ」
 そしてその報酬は、アウロスの手元にある。
 この教会の地下で、デウスが目配せで依頼した部下の救出を達成した見返りだ。
 確かにその構図だけを見れば、アウロスの目論見通りという事になる。
 だが、アウロスは気付いていた。
 デウスが決して、自分を"敗者"と言わない事に。
「それで、お前が今ヴィルノー総合魔術研究所でやっている修正だが、どれくらいで
 目処が立つと睨んでいる?」
「完全な実証までは二ヶ月。実証実験の為の試作品の完成なら、一週間もあれば十分だ」
「一週間か」
「十日後を見越してるのなら、一応は間に合う計算だな」
 そう。
 デウスにとって、アウロスに論文原本を渡す事は、決して敗北ではない。
 デウスの目的は、融解魔術の解放と制御にある。
 それが達成出来るのなら、結局は勝利だ。
「お前には、オートルーリングのファーストオーサーとして名を連ねる目的がある。
 なら当然、不具合があればそれを修正する必要がある。そして修正後は、実際に不具合が
 消えたかどうかの実証が必要だ。研究とはそういうものだったな?」
 デウスはそこまで言った後、ゆっくりと立ち上がった。
「その実証を、俺が引き受けてやろう」
「融解魔術でか?」
 一方、アウロスは座ったまま。
 見下ろされたまま、自分より遥かに高い位置にあるその顔に向かって問いかける。
「そうだ。そうすれば、大きな宣伝になる」
 宣伝――――それは、アウロスの狙いそのものを凝集した言葉だ。
「融解魔術をも制御するオートルーリング。だがミストの発表した論文には不具合があり、
 当初は不可能だった。そこでお前がそれを修正し、その結果、全て上手くいった。
 不具合を放置していたミストと、新たな王の協力者として不具合を修正してみせたお前。
 どちらが正しいオートルーリングの開発者か? 答えは明らかだ」
 デウスの提案は明瞭だった。
 オートルーリングの不具合という、想定外の不都合があったからこそ生まれた交渉の余地。
 何より、デウスには時間がない。

 ここがデウスの"底"だ。

「どうだ? 今度こそ俺と組むだろう?」
 だが、アウロスは――――
「生憎、俺はロベリアを推してる身だ。お前と組む気はない」
 最後まで、デウスの手を取る事はなかった。
「……本気か? まさかあの男が、この敗戦国たるデ・ラ・ペーニャを立て直す事が
 出来ると、本当に思っているのか?」
「さあな。ただ、ハッキリ言える事が一つある」
 アウロスは地に足を付けた感覚で、徐に立ち上がる。
 それでも身長差で、同じ高さという訳にはいかない。
 尤も――――
「お前が"選挙以外"に融解魔術を使う気なら、それには手を貸す」
 アウロスのその一言で、二人の間にある高低差は完全に消失した。








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