魔術国家デラペーニャ、第一聖地マラカナンの水没都市エルアグア。
 その教区を治めるエルアグア教会を再度訪れたアウロスが
 しみじみと感じたのは、この上ない場違い感だった。
 魔術士の拠点たる教会を、常に敵地と感じてしまう。
 例えそこに実際の敵がいなかったとしてもこの感覚に変化はないだろうと、
 そんな確信さえ抱いてしまう程、圧倒的に馴染まない。
 教会の外観を視認してから目的の部屋まで辿り着くまでの間、
 アウロスはその根本的な理由についての考察を張り巡らしていた。
 とはいえ、理由そのものは最初から明瞭ではある。
 自分は魔術士ではない、とこれまで主張してきた通り、自分の中に
 魔術士としての自己同一性が存在しないからに他ならない。
 要するに、魔術士たる哲学を持ち得ないのだから、教会に
 親近感や故郷を感じる筈がない、という訳だ。
 ただ、その説明だけでは今一つしっくり来なかった。
 もっと大きな、もっと根深い理由が存在するのではないかと、
 歩を進め、自分の足音を聞きながら己に問いかけ続ける。
 その結果――――デウスの部屋の前に着く頃には、一つの結論が出ていた。
 こんな事をわざわざ考えている自分の性格が、そもそも教会のような
 信仰心を育む場所とは極端に相性が悪いんだろうと。
 一方で、ヴィルノー総合魔術研究所は妙に居心地が良かった。
 研究の前提は既存を疑う事。
 つまりは、性格の悪い人間が馴染みやすい場所。
 大学もまた、然り。
 そんな納得いく答えを得たアウロスは、迷いなく目の前の扉をノックした。
「開いている。入れ」
 言われるがまま扉を開けると、以前まで目にしていたデウスの部屋とは
 内装が違っている事にまず気付いた。
 以前は質素な内装だったが、今は観葉植物や美術品で武装し、
 机や椅子も高級な物に入れ替えている。
 選挙を意識し、応接室を兼ねた部屋にしているのは想像に難くない。
「話はサニアと研究所の内偵に聞いている。試作品の欠陥を修正するらしいな」
 その部屋の奥、中央に陣取る司祭用の机に肘を付き、
 デウスは笑顔なき顔をアウロスへ向けていた。
 そのデウスの顔もまた、今までアウロスが見てきたものとは違っている。
 表情ではない。
 目の近くに傷痕があった。
「内偵の存在をバラしてもいいのか?」
 だが、アウロスはその傷に興味を示さず、言葉の方に問いかける。
 デウスは一つ大きな鼻息を吐き、応接用に新調した長机へと
 視線で誘導しながら腰を上げた。
 引き出しから、綺麗に綴じられた一冊の本を手に取って。
「お前の事だ。説明の前半は省略しても問題ないだろう。
 選挙も佳境を迎えているんでな。なるべく無駄を省きたい」
「そうか。なら、手短に用件を話す」
 ほぼ同時にソファーへ腰かけ、お互い向き合い――――
「論文を返せ。お前にはもう不要だろう」
「そうだな。"この論文"だけでは、融解魔術は発動出来ないようだ」
 その間にある机に、論文が放られる。

【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】

 これまで長らく制作者の手元を離れていたその論文の原本が、
 いともあっさりと、そしてようやく、アウロスの元に戻った瞬間だった。
「ティア達を俺の所へ返してくれた礼だ。礼というよりは、見返りと
 言った方がお前好みかもしれんがな」
「……」
 デウスの言葉は、アウロスの感情を見事に言い当てていた。
 その事に特別感情が波立つ事もなく、アウロスは机上の論文を手に取り
 中身を確認する。
 綴じ方は変わっていたが、間違いなく原本だった。
 第一聖地マラカナンに足を運び、約四ヶ月。
 長いのか短いのか、アウロスにはよくわからなかったが――――
「さて、ここからが交渉本番だ。お前もそのつもりで来た筈だな?」
「ああ」
 論文を取り返す。
 当然、それも大きな目的ではあったが、同時に最低限の目的でもあった。
 重要なのは、この原本を使って自分がオートルーリングの開発者だと
 証明し、ミストの発表を訂正させる事にある。
 そしてその事は常に、原本を取り戻す為に奔走したこの四ヶ月の間、
 ずっと考えていた事でもあった。
「俺はお前のオートルーリングを選挙に利用したい。当然、利用するのは
 融解魔術の発動と制御の為だ。あれだけの数のルーン、しかも現在は
 使われていないルーンを使用する以上、手動でのルーリングじゃ
 心許ない。幾ら俺が世界一の魔術士でもだ」
「何より、扱いを間違えばこの水没都市の水を更に増やしかねない、か」
 全てを融かす、ある意味究極の魔術。
 これを諸外国への脅威、自国防衛の切り札として掲げるのなら、
 最低でも完璧な制御を実証しなければ話にならない。
 デウスはその為に、オートルーリングを欲していた。

 そういう"外殻"を成している――――アウロスはそう理解していた。

「どうにか融解魔術を制御する方法がないか模索していたところに、
 古い知り合いがルーリングの自動化と高速化の実現を大々的に発表したと
 知ってな。競争相手もいたが、どうにか競り落とす事が出来た」
「原本に拘ったのは、単にオートルーリングを使えるというだけじゃなく、
 この技術を融解魔術の制御方法として応用出来るという証明の為か」
「そうだ。研究の権利を保有していれば、今後ボロが出ても俺の指導の元に
 修正可能。それだけで、ある程度の茶々を封殺出来る」
 融解魔術の使用と制御――――それは、魔術国家デ・ラ・ペーニャで
 あっても未知の領域だ。
 よって、抑止力として掲げるには、相応の説得力と同時に
 リスクを回避出来るという証明も必要になる。
 オートルーリングの専門的な解説書であると同時に、問題が生じても
 直ぐに専門のスタッフを使い原因究明と改善を行える証として、
 論文の原本は必須だった。
 それが手元にあるという事は、オートルーリングについてただ知っているという
 だけでなく、開発者と近しい関係にあるという事だからだ。
 それこそが、デウスが論文原本を欲し、ミストから入手した最大の理由。
「融解魔術は、選挙戦の切り札だ。それ故に、俺がオートルーリングを
 欲している事も含め、準備段階では全てを秘密裏にする必要があった」
 そして、ミストからデウスへの譲渡方法が奇妙だった理由の一つでもあった。
 ミストと接触せず、かつミストの目論見も容認した上で、論文原本を手に入れる。
 ここまでは、デウスの計画通りだった。
「制作者のお前がこの地に現れたのも俺にとっちゃ朗報だった。
 早速引き込もうとしたんだが……どうにも研究者ってのは変わり者が多くて困る」
「悪かったな」
「とはいえ、良い具合につかず離れずの関係にはなった。そこまではまだ、
 許容範囲だったんだがな……」
 デウスの語調が弱まる。
 ここからは、誤算の話が始まるという合図でもあった。
 とはいえ"試作品に問題が生じた"事は、デウスにとって想定の範囲内だった。
 研究畑の人間ではないが、そういう事が往々にしてあり得る事は
 十分に理解していたし、仮に問題が生じてもリカバリー出来る体制を整えてもいた。
 それがアウロスとの関係性を保っていた理由でもある。
 当然、このマラカナンで製造した試作品ではない、ウェンブリーで
 製造され、実際に使用されているアウロス所有のオートルーリング専用魔具を
 手に入れられればベストだったが、仮にそれが叶わなくても、アウロスがいれば
 生じた問題に対応出来るという目算があった。

 誤算だったのは――――







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