アウロスがヴィルノー総合魔術研究所に入って、一ヶ月が経過した。
 一ヶ月という期間は、魔術の研究に携わる人間にとって一つの節目でもある。
 魔術の研究も他分野同様、長い年月を費やして成果を出していくものだが、
 その成果までの道のりを見定める上で、一ヶ月という期間は基準点になる。
 当然、一ヶ月では触りにすら達しないような研究、実験も多々あるが、
 それでも経験豊かな研究員は最初の一ヶ月、初動と言える範疇のこの期間で
 何らかの手応えを欲するもの。
 もし何もなければ、そこで見限る者もいるくらいだ。
 そこまで極端に見切りを早めるのには理由がある。
 魔術の研究は、他分野以上に新陳代謝が早いからだ。
 魔術国家という冠を抱いているように、デ・ラ・ペーニャでは魔術の研究が
 盛んに行われている。
 というより、デ・ラ・ペーニャ以外では魔術研究など行われていないと
 言ってもいいくらいだ。
 なので、自然と国内において研究の進捗、内容などの情報は巡りやすくなる。
 そうなれば『あの研究が他の研究所でも進められている』とか『向こうの大学では
 あの研究に見切りを付けた』など、様々な情報が交錯し、より新陳代謝は早くなる。
 魔術という、一国に特化した技術だからこそ起こる現象だ。
「……」
 そんな事情もあり、この日アウロスはややピリピリしていた。
 一ヶ月前から始めたオートルーリング専用魔具の改良について、
 その研究成果が是か非かの審判が下る日だからだ。
 研究所は大学と違い、出資者の権力が圧倒的に強い。
 その出資者が指名した審査官が、定期的に研究の成果について審査を行い、
 もしそれをパス出来なければ研究はそこで打ち切り――――それくらい。
 完全に外様のアウロスは、もしこの研究において『芽がない』と審査官に
 判定されれば即お払い箱となる。
 この研究所は、アウロスがミストから論文を奪い返す上での命綱。
 失えば、今度こそ絶望的な状況になる。
「で、その結果っていうか、審判はいつ下されるの?」
 一方、ほぼ他人事のラディは比較的穏やかな顔でテラスに陣取り
 今日も鶏肉を頬張っていた。
 このヴィルノー総合魔術研究所は食堂が狭く、多くの研究員は購入した
 昼食を別の所へ持っていき、食べている。
 その多くは研究室だ。
 なのでテラスは割と空いており、ラディはすっかり常連となっていた。
「午後にメルオットが結果を聞いてくるそうだ。それまでは待機って
 事になってる」
「試験結果を待つ学生みたいな気分」
 アウロスの隣でサラダをつつくルインもまた、テラスの常連組の一人。
 要するに、アウロスも含む三人はほぼ毎日ここで昼食をとっていた。
「それで、もし成果が認められたら、次の段階に進めるって事でいいのかしら?」
「ああ。もしそうなった場合は一旦研究を全部メルオットのチームに預けるつもりだ」
「……なんですって?」
 机に肘を置きながら、アウロスがしれっと言い放ったその一言に
 ルインが右目の瞼を痙攣させる。
「自分の研究を他人に任せるなんて……随分と偉い身分じゃない」
「偉いも何も、俺はここでは完全に外様だ。ミストに命綱を握られていた
 ウェンブリー魔術学院大学時代よりずっと肩身狭いぞ」
 実際、率先してアウロスと仲良くしようとする研究員は所長のメルオット以外誰もいない。
 そのメルオット自体、この研究所では異端の存在だった。
 他人の論文を元に研究をするというのは、研究者にとって実は然程珍しくはない。
 だがその殆どは、学生や卒業したばかりの新人がする事。
 まだ研究とは何かを知らない為、まずはそこを学ぶべく他人の発想を借りて
 起案、実験、そして開発までを一通り経験するというのが目的だ。
 メルオットは三十代。
 研究者の中では若い部類に入るが、それでも新人とは言えない年齢だ。
 何より、所長という立場。
 彼がオートルーリングの研究の責任者なのは、少なくとも常道とは言えない。
 そこにはかなり深い事情がありそうだが――――
「生憎、他人の人生に片足突っ込んで苦心惨憺の日々を送るつもりはない。
 それは前の大学で懲りた」
「その他人には私も含まれているのかしら?」
 今度は左目の瞼が痙攣。
 ルインの三角帽子が小さく傾く。
 魔女が降臨した。
「ああ。お前は特に苦労した例だ。ハッキリ言って一番苦労した。本当に大変だった」
 だが、アウロスは魔女が相手でも怯むような性格でもなかった。
 一瞬、緊迫した空気が両者の間に流れ、ラディが顔を引きつらせるも――――
「だから、ああいうのはもういい。お前だけで十分だ」
「……そう」
 "お前だけで十分"という言葉が琴線に触れたのか、ルインの溜飲は下がった。
 そして口元を抑えながらサラダを食す。
「もしかして、ニヤけてない?」
 下世話な顔で問うラディを、ルインは一瞬だけ睨み付けるも、すぐにそっぽを向く。
 いつの間にか、アウロスの周りのピリピリした空気は消えていた。
「それでロスくん、さっきの話なんだけど……なんで研究、他の人に預けるのさ」
「ああ、それは――――」
 アウロスが説明をしかけたところで、やけに大きな足音が三人の耳に届いてきた。
「アウロス君! ここにいたんだね」
 息を切らしたメルオットが駆け寄ってくる。
 その顔は、既に笑みを堪えきれない様子で、それだけで十分次の科白が予想出来た。
「オートルーリングの改良の件、成果が認められたよ! 実験を継続していいんだって!」
「よかったです。研究室の皆さんが協力してくれたお陰です」
「とんでもない! 君が参加してくれて、この研究への評価が大きく上がったよ!
 正直、他人の研究をやらされているという思いが強くて挫けそうだったけど……」
「その辺の話は50年後にでもゆっくり聞くんで。それより、俺はここで抜けます」
「えええええ!?」
 今し方、アウロスの存在の重要性を語ったばかりのメルオットの目が飛び出そうなほど
 見開かれ、そのまま卒倒しそうになった。
 幸い、どうにか踏み止まったが。
「ど、どういう事だい? 納得いく説明を……」
「俺は俺で、他の研究をしなくちゃならないので。俺の名前が必要なら自由に使って下さい」
 この一ヶ月、アウロスなりにこの研究所内の人達を観察してきた。
 アウロスと仲良くしようとする者はほぼいない。
 が、排除しようとする人間もまたいない。
 良くも悪くも無関心。
 厄介ごとには首を突っ込まず――――そんな事なかれ主義の人間が三割。
 残りの約七割が、自分以外の研究には興味がないという、ある意味最も研究者らしい人物。
 アウロスにとって、どちらもありがたい人達だった。
 少なくとも、蹴落とそうと躍起になる連中よりは。
 よって、名前を悪用される恐れは低い。
「他の研究とは……?」
「オートルーリングに関わる研究です。詳しくは言えませんが、宣伝目的に
 近いかもしれません。ただし、現在進めている研究の範疇からは離れます」
「それは、君の目的としている事に、どうしても必要な研究なんだね?」
 不意に、今一つ頼りない印象だったメルオットが、所長という立場に相応しい目をした。
 人は変わる。
 それは恣意的な場合もあれば、意図的な場合もある。
 何にせよ、人は変わる。
「そうです。どうしても必要です」
 アウロスもまた然り。
 正直に話す事で理解を得るという、余りにも直接的な方法は最も苦手とするところだったが、
 今はそれを相手によっては行使出来るようになっていた。
「……わかった。ただし助言は求めるよ?」
「それは頼まれずとも。俺の論文なんですから、当然の責務です」
 アウロスが責任逃れをしている訳ではない――――そう悟ったのか、メルオットは
 深く一つ頷き、テラスを離れていった。
 これから彼は、かなり忙しい日々を送る事になるだろう。
 だが、それはアウロスも同じだ。
「それで、他の研究って何よ」
 当然と言えば当然のルインの問いかけに、アウロスは手短に回答を掲げた。
「融解魔術専用のオートルーリングを構築する」









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