朝陽の刺すような光は、研究者にとってしばしば『就寝の合図』となる。
 しかしこの日がそうであるように、アウロスにとって最近はもっぱら
 目覚めの合図となっていた。
 デウスを見張っていた監視、そしてデクステラやマルテとの争いから一夜明け、
 疲労困憊だったにも拘わらず、僅か二時間の睡眠を経ての起床。
 要因は幾つかあるが、かなり久々に体験した宿泊施設以外での睡眠だった事が
 一番大きかったのは明白だ。
 そんな事態になった原因は、間違いなく――――ラディ。
 チャーチが一を説明する度に、ラディが三、四と無駄な話を増やしていった結果、
 新たに宿をとる事も出来ないくらい深い時間になってしまった。
 戦いの場となった空き屋も、天井に穴が開き風が入ってくる状態。
 そもそもまともな寝具自体存在しない。
 エルアグア教会に帰る事も出来なかった。
 とっくに扉は魔術によって施錠されているだろうし、それを強引に開ける訳にもいかない。
 何より、帰れない理由がもっと明確に存在した。
 とはいえ、女性陣を野宿させる訳にはいかない。
 その結果――――
『ボクが借りてる部屋に雑魚寝ならいいんじゃない? 女性だけならだけど』
 というチャーチの言葉を採用する形で、ルインとラディ、そしてフレアは
 エルアグア教会の近隣にある宿の一室に寝泊まりする事となった。
 ちなみに、ルンストロムが利用していた宿だったのでルインは最後まで難色を示していた。
 向こうの要求を断わる際に口汚い言葉で罵ったのは想像に難くない為、
 もしバッタリ出くわしていたら大惨事だっただろうが――――時間帯が深かった為、
 不運な再会は発生する事なく夜は更け、無事に朝を迎えたらしい。
 らしい、というのは、アウロスの視点。
 女性陣がチャーチの部屋で一夜を過ごしたのに対し、アウロスはそのまま
 天井に穴の開いた空き屋で寝ていた。
 毛布もなく、ただ床に転がるだけの就寝。
 それでも、野ざらしじゃない分野宿より遥かにマシだった。
「あ……あの……おはよう、ございます」
 寝ぼけ眼で暫く天井を見上げていたアウロスの耳に、元々頼りない声を更に絞り出した
 かのようなか細い声が聞えてくる。
 敢えて視認するまでもなかったが、上体を起こし視野に入れると、そこにはやはり
 隻腕の少年――――マルテの姿があった。
 昨日のマルテとは明らかに表情が違う。
 いつものマルテに戻っていた。
 尤も――――
「いつもの、ってのが今のお前とは限らない、か」
「え? え?」
「こっちの話だ。あと、お前の事はチャーチやデクステラから聞いてるし
 謝るつもりなら不要だ。グランド=ノヴァの意識が混じり込んでいるらしいな」
 眠りが浅かった事もあり、比較的意識が沈み込んではいなかったらしく、
 アウロスの覚醒は早かった。
 だから、マルテがどんな気持ちでいるのかを想像するのも容易かった。
「それとも、お前の意思で俺を襲撃したのか?」
「ちちちち、違うよ! なんで僕がアウロスのお兄さんを襲うのさ!」
「ならいい」
 それだけをぶっきらぼうに言い放ち、アウロスは疲労の回復具合を確かめるべく
 立ち上がった。
 全身に力は入る。
 ただ、脚は明らかに筋肉痛。
 幸い、風邪を引いているような様子はないものの、体調としては万全ではない。
 とはいえ、これから誰かに襲われる予定もない為、特に問題はなかった。
「……でも、正直言って自分で自分がわからないんだ……」
「昨日の記憶は何処まであるんだ? 教会を出るまでは普通だっただろ?」
「うん。記憶は、あるような……ないような。なんか夢を見てるみたいな……」
 マルテは自分に起こった変容について、自覚している部分とそうでない部分が
 あるらしく、うんうん唸ってばかりいた。
 グランド=ノヴァの一部が混入している――――そんな通常ならばあり得ない状態を
 果たしてマルテはいつ頃から自覚していたのか。
 アウロスはそれを聞く事に躊躇いがあったが、今後の事を考えれば聞かなければならない。
 マルテが敵で、倒すべき相手ならば話は別なのだが、そういう訳にもいかないのだから。
「どうやら単純な人格交代とは違うみたいだな。戦場では割とよく聞いた話だから
 その辺の知識は多少あるんだが……」
「そ、そうなの?」
「例えば、四方教会のサニア。あの性格がコロって変わる女だけど、あれは多分
 自分の中に別人格がある事を自覚して、その上で処世術として受け入れている状態だ。
 普通はああはならないんだけどな」
「ふ、普通って何さ?」
「戦場でのストレスや苦痛に耐えかねて、そこから逃避する為に別人格を生み出す
 ってのが多重人格の基本プロセスなんだが、大抵は自分がおかしくなった、気が触れたと
 思い込んで離脱するか、別人格がある事を自覚出来ないままでいるかのどっちかだ」
 少年期のアウロスは、戦場で常に最前線を駆け抜けていた。
 だからこそ、そのような状態の戦士を何人も見てきた。
 とはいえ、当時からその仕組みについて理解していた訳ではない。
 実は、同じような状態になった人間は研究者の中にもいた。
 共通するのは、ストレスの発散場所を持たずに閉鎖的な世界で生きてきた真面目な人物。
 そんな人達を見てきた事で、アウロスは彼らの抱える問題の本質を理解出来た。
「お前の様子は、その連中とは少し違う。人格がハッキリと切り替わるってより、
 段階を踏んで戻ってる感じもしたしな。全く別の人物が色濃く出て来たり、
 薄まったり……そんな印象だ」 
「確かにそんな感じかも……で、でもそうだとしたら、僕ってグランド=ノヴァって人の
 幽霊に取り憑かれてるようなものだよね……?」
「ある意味、生霊だな。しかもお祓いは無効だ」
「ううう……なんでこんな事に……」
 絶望に浸るマルテ。
 しかしその一方で、何処か安堵した様子も見受けられた。
 アウロスもまた、その様子に若干気を軽くする。
 器用なのか不器用なのか、自分自身ですらよくわからない会話ではあったが、
 マルテの精神状態が安定したのは救いだった。
「実際、いつからそんな事になったんだ? 昨日が初めてって訳じゃないんだろ?」
 マルテの中にグランド=ノヴァの意識が混入している事は、デクステラもチャーチも
 把握していた。
 なら当然、その証左となる何かが表面化している筈だ。
「えっと……自分で自分がなんでこんな事知ってるんだろとか、なんでこんな事
 言ってるんだろっていうのは、ずっと前からあるんだ。お兄さんと会うよりずっと前から」
「そうか」
 聖輦軍の紋様を知っていた事も、その中の一つに含まれるのだろう。
 更に言えば、教皇の孫という血統でありながら長らく一般人に紛れて生活出来ていた
 ところにもグランド=ノヴァの存在が見え隠れする。
 その血を利用すべく近づいた人間は一人や二人ではない筈。
 その度に、グランド=ノヴァの意識がマルテを"守った"のだろう。
 当然それは、マルテを守るという訳ではなく、自分自身を守る為。
 融解しても、生存本能は健在だったという有力な証だ。
「彼がいつ、如何なる方法でグランド=ノヴァの意識と混じり合ったのか、
 それはテュルフィングの情報網でも掴みきれていない」
 不意に、そんな補足めいた言葉が空き屋に響く。
 とはいえ、天井がにポッカリ穴が開いている為、反響は殆どないのだが。
「デクステラか」
 いつの間にか傍まで来ていたその男は、お馴染みとなりつつある白い仮面を被っていた。








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