融解魔術が発明されたプロセスについて知っている者は、既にこの世にはいない。
 この魔術を生み出すのに際し、どんな狙いと願いが込められていたのかなど
 最早詮索する意味もない中、グランド=ノヴァが関心を抱いたのは
 人間への有用性だった。
 一方、融解魔術の存在を知ったグオギギ=イェデンが最初に、直感的に
 その魔術へ対して抱いた感想はというと――――
「魔術国家デ・ラ・ペーニャの崩壊。ジジイはそれを連想したんだって」
「へ? なんでさ」
 チャーチの説明に真っ先に食いついたのはラディだった。
 夜風に晒され、自分を抱くようなポーズで問う天敵に、チャーチは心なしか
 怯んだような仕草を見せつつ、引きつった笑みを浮かべる。
「危険過ぎるからだよ。余りにも危険な魔術は使用者の身を滅ぼすし、
 最終的には魔術士そのものを滅ぼすってジジイは考えてたみたい。
 ボクもそう思うよ。だって魔術士が憎いって思う相手で一番多いのは、やっぱり
 魔術士だろうしね」
 そのチャーチの見解に異論を唱える者はいない。
 幾らデ・ラ・ペーニャが近隣諸国と険悪であっても、また魔術士がトゥールト族と
 憎み合っていても、それ以上に憎悪を抱く可能性が高いのは『身近な人物』。
 例えば上司。
 例えば親兄弟。
 例えば――――友達や恋人。
 本来ならば敬ったり親しみ合ったりするべき相手こそ、最も憎しみを抱く機会が多い。
 些細なケンカ、主張の食い違い、売り言葉に買い言葉。
 近くにいる存在だからこそ、常にその危険を孕んでいる相手でもある。
 融解魔術は通常の魔術のように、魔術士なら誰でも使えるというようなものではない。
 だが、もし偶々使用できる力と器を持った魔術士が、周囲に対し不満を抱いていたら?
 この国を自分が支配したいという野心に囚われていたら?
 日頃から鬱憤を募らせ、それを発散させたいという衝動に駆られたら?

 そんな人物が、生物兵器の生みの親たるトゥールト族と結託したら?

 グオギギ=イェデンの懸念は、決して不当でも大げさでもない。  
「実際、そういう動きがあった訳だからね。だからジジイはそれを阻止しようとしてたんだよ。
 その為に、こうしてエルアグアまでやって来たんだよね。といっても、ジジイは知っての通り
 もう自力では動けないから、調査するのは主にボクなんだけど。ただし秘密裏に」
「で、コソコソ何かしてる事を私に悟られた、と」
「はいはいそうですよー。どうせボクはヘッポコですよーだ」
「拗ねない拗ねない。あはは、生意気だって思ってたけど、結構可愛いトコあるじゃん」
 いつの間にかラディとチャーチの会話によって説明が展開していたが、
 割と和気藹々と話が弾んでいる為、アウロスは口出しせず黙って聞いていた。
 というか、疲労の為余り口を開きたくなかった。
「この教皇の孫の中にグランド=ノヴァの意識が混じっているというのは、
 貴女が調べた事なの?」
 代わりにルインが介入する。
 総大司教ミルナ=シュバインタイガーの娘であるルインは、同じく総大司教として
 長らく務めていたグランド=ノヴァへ少なからず関心があるようだ。
「ううん。それは後になってわかった事だよ。グランド=ノヴァが融解魔術で自分を融かした
 ってのは知ってたけど、それ調べたのもボクじゃなくてジジイ。ボクがジジイの手伝いを
 するより前に、ジジイは色んな諜報機関と精通して秘密裏にデ・ラ・ペーニャ全土を
 調査してたから。現役時代に稼いだお金、それで食い尽くしたって笑ってたなー」
「うっわー……なんか如何にも昔の大物って感じよね。やる事がいちいちデカいっていうか」
「考えなし、と言えなくもないけれど」
 現代っ子のラディとルインは若干引いていたが、チャーチは何処か誇らしげ。
 高祖父に対する敬意がそこに見て取れた。
「ジジイが言うには、グランド=ノヴァが融解魔術を研究して手中に収めようとしていた事とか、
 実験の為に自分自身を融解させた事とか、そのあたりは割と直ぐわかったんだって。
 ま、腐っても総大司教だから、国内の秘密事なんてどうにでもなるんだよね。
 でも……融けたグランド=ノヴァの意識が他の人と交じり合ってるっていうのは、
 流石にわからなかったみたい」
「つまり、貴女は"融解魔術の今"について調べる為にエルアグアを訪れたのね」
 問いかけというより尋問のような口調のルインに、チャーチは気圧されつつも頷く。
 一方、ラディはそのあたりは既に聞いていたらしく、特に表情を変えずにいた。
「グランド=ノヴァの実験が成功したのかしてないのか、今も実験中なのか、実験中だとしたら
 それを計測してるのは誰か、支援してるのは誰か、途中経過はどんな感じなのか……
 そういうのを調べて、ジジイの頭の中に伝達する。それがボクの本当の目的であり、役目。
 それを果たす為には、エルアグア教会で権力を持っている人を懐柔するのが手っ取り早いから、
 そこで寝てる教皇の孫と接触を図ったんだ。そしたら……」
 チャーチの視線がアウロスへと向けられる。
「理想の結婚相手が見つかったって訳。ボク、ビックリしたよ。結婚相手を探すっていうのは
 カムフラージュだったのに、本当に見つかるなんて」
「何を言っているの……?」
 不意に闇が蠢く。
 ラディはその蠢動に思わずビクッと身体を震わせた。
「貴女は、結婚相手など見つけていないのだけれど」
「え? あ。あ……」
 何かを悟ったチャーチが目でアウロスと会話を試みる。
 アウロスは目を据えて、一言『そういう事だ』とだけ伝えた。
「う、うーん……でもボクは諦めないよ! 気の合う異性なんてそうそう見つからないしね!」
「震えるくらいなら、止めておいた方がいいと思う」
 話に中々ついて行けてなかったフレアが思わずそう助言するくらい、チャーチはルインに怯えていた。
 それでも宣戦布告するくらい気概のある姿を見せたのは、彼女なりの意地。
 それをルインは――――
「そう。なら、好きにしなさい」
 埃を振り払うかの如く受け流す。
 意にも介さなかった訳ではなく、そう答えるしかなかったのが実状だったが、
 それが余裕の態度に映ったらしく、チャーチは生唾を呑み込むほど戦々恐々としていた。
「ま、まあそれはいいとして……」
「あ。逃げた。これじゃ先が思いやられるよねー」
「もうラディさん、余計な事言わないでよ! あーもう、ボクこの人達苦手! 苦手だよ!」
 これまで、その才覚から年上相手でも怯む事なく舌戦を繰り広げてきたチャーチにとって、
 自分を軽くあしらうルインとラディは異質の存在だった。
「余計な話は後にしてくれ……それで、当初の予定ではどうするつもりだったんだ?」
「余計な事?」 
 急所を刺すようなルインの視線を背にしつつ問うアウロスに、チャーチはパッと笑顔を作る。
 別に愛想を振りまいた訳ではなく、今の話題から早く抜け出したかったらしい。
「えっと、教皇の孫を籠絡しとけば、その父親のデウス=レオンレイとかエルアグア教会の責任者の
 ミラー姉弟とも話が通しやすくなるから、まずはそれを目指そうかなって。そしたら、なんか
 ジジイが攫われるし、教皇の孫もいなくなるし……犯人がデウスなのは直ぐわかったけど」
「それで、テュルフィングと組んだのか」
「うん。この人達がデウスの動向を探ってるのは知ってたしね。ジジイにとっては敵だけど、
 ボクにとっては利用すべき相手。だから何の問題もなかったよ」
 ずっと沈黙のまま話を聞いているデクステラを指差し、臆面もなくチャーチはそう言ってのけた。
「で、ジジイの居場所とかは直ぐわかったんだけど……」
「けど、何? まさかもう死んでた……とか」
 おどけた口調で冗談を入れてきたラディに、チャーチは肩を竦め余裕の表情。
「あのジジイの歳じゃ、いつぽっくり逝っても大往生だけど、それはなかったよ。ただ……」
 そしてそこに、不敵な笑みが浮かぶ。
 情報屋の先輩にやり込められたとはいえ、素質十分の少女は既に核心へと迫っていた。
「デウスは、ジジイを教会の地下にどうしても連れて行きたかったみたいだね」

 ――――夜が陰りを見せ始めた。








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