動いておらずともしなやかさと艶やかさが映える、腰の辺りまで伸びた黒髪。
 夜の闇よりも深く、それでいて輝きを滲ませるような闇を携えた大きめの瞳。
 温かさをほんの少しだけ宿した、鼻筋の通った美形の顔立ち。
 黒ずくめの布地に至高のシルエットを提供する、スレンダーな体型。
 そして――――彼女のトレードマークでもある頭頂部を隠す三角帽子。
「……ま、無事でいるとは思ってたけどな」
 ついさっきまで目にしていたルインのその姿を、それでも安堵と微かな懐かしさを
 覚えながらアウロスは視界に収めていた。
「で、一応聞くけど……何もされなかっただろうな?」
「あら、心配してくれるの? 余所の国で他の女に現を抜かしていた
 男の風上にも置けない風下すら置く価値もない渡り鳥野郎が?」
「……頼むから、誤解なのをわかってて詰るのは止めてくれ。
 疲れてるんだ、こっちは」
「こっちだって同じよ。欲望の権化みたいな老害にネチネチと弱味を
 突かれて、精神的に汚染された気分」
 そのルインの嘆息交じりの言葉が、アウロスの読みが正しい事を示していた。
「やっぱりルンストロムに捕まってたのか」
「フン。ちょっと油断しただけよ」
 後ろめたさからか、ぷいっとそっぽを向くルインに、アウロスは
 かつて"魔女"と心の中で呼んでいた頃の面影を見て、
 思わず苦笑しそうになった。
 素直になって久しい彼女だが、まだ完全に落ち着く年齢でもない。
 負けん気や虚勢が消えていない事は、アウロスにとっても歓迎すべき事だった。
 その方がルインらしい――――そう感じていたから。
「脅しの材料は母親だったのか?」
「ええ。デウスと言ったかしら。あの男の弱味が母の口から世間へ
 漏れ出すように仕向けろと、それはもうネチネチと脅された。
 当然のように丁重にお断りしたのだけれど」
「丁重……ね」
 どのように断わったのかは想像に難くない。
 これでルンストロムとの抗争は確実となったが、元々向こうから
 殺されかけた事もあり、特に状況の変化はない。
「何? 私の判断にケチを付ける気?」
「いや。お前がそんな脅しに屈する訳ないから、予想通りの展開だ。
 それより、本当に何もされてないんだな?」
「クドい。私があんな老害に遅れを取るとでも?」
「いや……」
 実際、幾ら『人体実験を行った非人道的な女性』である事を公表したとはいえ、
 総大司教の地位にいるミルナの娘であるルインに手を出すほど
 ルンストロムの判断力が衰えているとは思えない。
 とはいえ、そんな計算めいた事を言うのは、なんとなく冷たい人間と
 思われそうだったので、アウロスは発言を控えた。
 冷たい人間と思われるのを忌避する事自体、アウロスにとっては
 異例中の異例ではあるが――――
「イチャイチャしてるところ、悪いんだが」 
 それを敏感に感じ取ったフレアが、瞼を四割落とした顔で挙手。
「別にイチャイチャしてはいないけど、何だ?」
「そっちの男は放置してていいのか? 確か……なんとかっていう
 デウスの部下だったと思うけど」
「デクステラだ。接する機会が少なかったとはいえ、名前くらいは覚えていて
 欲しいものだ、枢機卿の娘」
 そんなフレアに対し、デクステラは敵意を一切発せず、その場で口を開く。
 観念しているのか、或いは――――
「アウロス=エルガーデン。一つ聞きたい」
「聞くな。疲れてるんだから、無駄な問答はしたくない」
「……そう言うな。先程の自分との攻防……お前は確かに魔術を編綴途中で
 キャンセルして、物理結界を展開した」
 その結果、デクステラとアウロス双方の物理結界が衝突。
 互いに打ち消し合い、衝撃こそあったものの双方ほぼ無傷で
 空き屋の床に転がる事となった。
「それ以前に、一連の編綴は全てオートルーリングではなかった。 
 こちらの策を読み、敢えて普通の魔具を装備していたというのか?」
 否定されても食い下がるデクステラに、アウロスは仕方なくといった面持ちで頷く。
 実際には、最初から応じるつもりだった。
 この状況で情報収集は必須。
 会話によってそれが可能なら、疲れているなんて言ってはいられない。
 単に勿体振って"貸し"っぽく仕立てているだけの事だった。
「こっちは生みの親だ。オートルーリングの欠点くらいは常日頃考えてる。
 オートルーリング同士の闘いになればそこを突こうとするのは必然だし、
 そうなった時の対処を考えておくのも同じだ」
「欠点まで想定して闘う……か。随分と闘い慣れているのだな」
「本業じゃないんだけどな」
 それでも――――ルインを探す際に一度"かつての自分"に戻った事で、
 神経が研ぎ澄まされている自分を自覚してはいた。
 本分ではない。
 だが、闘いは自分の歩みの中の一部だという事実も消せはしない。
 どのようにして闘い、生き残ってきたか――――それは研究や実験と同じく
 アウロス=エルガーデンの記録そのものだ。
 それを認めているからこそ、準備は怠らない。
 自分で勝手に魔術をアレンジし、どうすれば相手が嫌がるか、
 どうすれば体力も魔力量もない自分が生き残れるかを模索し続けている。
 だから今日の闘いも決して特別ではない。
「で、そっちはどうするんだ? こっちは3人になったけど」
「そうだな……正直なところ、お前には一刻も早く消えて欲しいと思っている。
 テュルフィングの立場でも、お師の部下の立場でも、お前の存在は厄介極まりない。
 できる事なら、差し違えてでも……と思っていたが、どうやらそれも難しい」
 諦観の念もあったのだろう。
 だが、それ以上に何らかの感情が作用しているのか、
 デクステラは何処か清々しい顔をしていた。
「……俺の目的は、お師を監視する事にある。同時に、お師がこの国に
 革命をもたらす事も願いとしてある。アウロス=エルガーデン。お前は枢機卿と
 結託しているようだが、お師に牙を剥くつもりでいるのか?」
 そして――――アウロスと敵対する理由をハッキリ口にした。
 それはある程度想像はしていたが、こうして明確に公言された事で整理がついた。
 僅かな間とはいえ、同じ釜の飯を食った人物。
 そんな人間に理由が曖昧なまま敵意を向けられるのは、余りいい気がしない。
 尤も、曖昧な事はまだまだある。

 例えば――――果たしてデウスは本当に困っているのか?
 
 デクステラがこうして自由に動けている以上、四方教会の面々がゲオルギウスによって
 誘拐された可能性が揺らいできた。
 その点もできればデクステラ自身の口から聞き出したいところ。
 なるべくなら、穏便に事を運びたい。
 そう結論付けたアウロスは――――
「俺の目的はアウロス=エルガーデンの名前を残す事。その邪魔になるのなら
 デウスだろうと誰だろうと敵対する事もある」
 まずそう宣言。
 そして、反論を許さない速度で続ける。
「でも、敵対は障害物をすり抜ける手段の一つ。他に抜け道があって、そっちの方が
 合理性が高いのなら、そっちを選択する事もある」
「……状況によっては枢機卿を裏切るというのか?」
 アウロスの発言の真意をそう酌み取ったデクステラの言葉に、
 フレアがいち早く反応を示し、非難の目をアウロスへと向ける。
 尤も、それは言われのない非難だった。
「一つの分野、歴史に個人の名を残すってのは簡単じゃない。一面的でもダメだ。
 例えば、オートルーリングが今後この国に普及したとして、ならオートルーリングの
 生みの親、論文のファーストオーサーであれば確実に名前が残るかっていうと、
 そうとは限らない。誰かお偉い人に意図的に抹消されれば、そこで終わりだ。
 俺はそれを嫌な思いをする代償として学んだ」
 その実状を知るルインは、アウロスの発言を複雑な顔で聞いていた。
 自分の親が、その"お偉い人"に含まれている事もあって、少し耳が痛かった。
「だからと言って、長い物に巻かれるような生き方なら良いわけでもない。
 試行錯誤の日々だ。おかげで疲れて仕方ない」
「バランスが重要という訳か。ならばその苦悩、自分も少しは理解できる」
 魔術士と生物兵器の拮抗を保つ役目を担うテュルフィング。
 その名を背負うだけに、デクステラはアウロスの考えに理解を示さざるを得ない。
 もしアウロスを否定すれば、それは自分自身をも否定する事になる。
 そこまで意図して、アウロスは苦手な自分語りを披露していた。
「枢機卿を裏切るつもりはない以上、選挙戦で敵対しているお師との
 衝突は避けられまい。回避する抜け道があるというのか?」
「心当たりならある」
 そう断言したアウロスに、デクステラだけでなくルインとフレアも
 思わず目を見開いた。 
「……自分が、それを信じると思っているのか?」
「信じないのなら好きにしろ。邪魔するのなら退ける」
 デクステラに対し、感情の揺れなくそう断言したアウロスの目は
 既にこの空き屋を映してはいない。
 この夜、過労と引き換えに得た情報の断片をかき集めて
 これからすべき事を見定めている。
 その目を感じ取ったデクステラの顔が、逡巡で満ち溢れた。
「信じるに足る材料は乏しい……が、疑う根拠もまた乏しい。そして、もう時間だ。
 これ以上、代理に師の監視を任せてはおれまい」
 それは撤退を意味する発言だった。
 だが――――
「その代理ってのは、この子の事よね?」
 それを許さない声が、ルインの後ろから聞えてくる。
「はーい、その子でございますですよーだ」
 ラディと、その隣で拗ねた顔をしているチャーチの姿がそこにはあった。








  前へ                                                             次へ