デクステラに向けて投げられた金属がフレアの円月輪である事は
 明白だったが、アウロスはそれを視認する事ができなかった。
 アウロスの目は、落下してくるデクステラ一点に定まっていたからだ。
 だが、視認はできなくとも気付く事はできた。
 今にも魔術を放とうとしていたデクステラが、その魔術をキャンセルしたからだ。
 そして代わりに、アウロスへ向かって落下しながら結界を張る。
 物理結界。
 もしそのまま結界が完成しアウロスにぶつかれば、結界で人を押し潰す
 という、中々斬新な攻撃手段が成立する。
 とはいえ、それが目的ではないのは明白。
 デクステラの結界は、フレアの円月輪を防ぐ為のもの――――
 アウロスはそう確信していた。
 そして次の瞬間、落下速度を最大値としたデクステラの身体が
 アウロスに迫り――――
「……!」
 不快極まりない、鈍く低い衝突音が空き家に響きわたり、
 二つの身体がほぼ同時に床に倒れ込む。
 そして、暫しの沈黙が空き家内を支配した。
 元々、雑音の殆ど聞こえて来ない時間帯。
 静まり返った街並みの、まるで凍り付いたかのような一刻が
 小さな、囀りにも似た衣服の擦れる音のみを拾う。
「どうやら、差し違えるまでもなかったね」
 しかしその微かな音を蹂躙するかのように、その声は幼さを含む高さで
 室内に響きわたった。
 程なくして、その声の主であるマルテが入り口から堂々と入ってくる。
 そのマルテの右手に掴まれる形で、フレアは捕らえられていた。
 とても少年の力とは思えないほどの握力によって拘束されたフレアは
 混乱した面持ちで引きずられるように室内へと入ってくる。
 マルテの狙い通り、フレアはデクステラがアウロスを襲う瞬間を狙い
 攻撃を仕掛けた。
 死をも覚悟し、本来自分を守るべき円月輪をアウロスを救う為に投じた。
 だがそれは、敵の掌の上での出来事に過ぎなかった。
 尤も、その事実がフレアを動揺させているのではない。
「……なんで……お前」
 顔面蒼白でそう問うのが精一杯だった。
 どれだけの決意を胸に秘めようと、全く予想だにしない出来事が、
 それも最悪の出来事が目の前で繰り広げられれば、狼狽してしまう。
 それは人間として当たり前の反応であり、フレアが未熟であるとは言えない。
 マルテを信頼していたからこそ、その衝撃は大きかった。
 一方、マルテの方は得意げにフレアへ笑みを向ける。
 とはいえ油断はない。
 そこに、本来ある筈の少年のあどけなさや青さは微塵もなかった。
「ゴメンね、 フレアお姉さん。"僕"はずっと隠れてたんだ。
 隠れながら、ずっとアンタを見てたよ。もう一人の僕を通して」
「……?」
 マルテの言葉を理解できず、フレアは不安だけを募らせる。
 洗脳――――そんな言葉がまず、フレアの頭をよぎった。
 暗殺者として育成されたフレアにとって、洗脳は身近な技術の一つだったからだ。
 尤も、彼女自身はその施行方法を教わってはいなかったが。
「ま、"僕"の方には説明する義理もないし……取り敢えず、これで目的は
 果たした訳だ。オートルーリングの欠点もしっかり確認できたし」
「……欠点、か」
 そう弱々しく呟きながら立ち上がったのは――――デクステラ。
 物理結界によって落下の衝撃は吸収してあるので、ダメージはない。
 それでも、衝撃によって頭が揺れた分、立ち上がるのに時間を要していた。
「そう、欠点。確かにオートルーリングはスゴい。いい技術だよ。
 でも『自動編綴』故に一度ルーリングが始まるとキャンセルができない。
 一度出力した魔術は消せても、出力する過程ではやり直しがきかない。
 ルーンの編綴から魔術の出力までが高速なのはいいけど、その高速で
 処理される間に予想外の対応をされると、対処ができないんだよね」
 デクステラは天井からアウロスを襲った際、当初は攻撃魔術を放とうとした。
 それに対し、アウロスは結界ではなく攻撃魔術で迎え撃った。
 だが落下の途中、それをキャンセルし結界に変えた。
 オートルーリングの場合、その結界を視認したとしても、攻撃を
 途中でキャンセルする事はできない。
 勿論、デクステラが実際に張ったのは物理結界であり、魔術を打ち消すものではない。
 デクステラが狙ったのは、物理結界による体当たり。
 それはつい先程、アウロスがデクステラに対し結界を放り投げたことをヒントに
 思いついた攻撃方法だった。
 攻撃魔術を食らえば、物理結界はすり抜け自分に直撃する。
 しかしそこで気を失いさえしなければ、物理結界は消失せず、結界をまとった状態で
 アウロスと衝突する事になる。
 もし、アウロスが攻撃ではなく結界で魔術を防御する事を選んだ場合も結果は同じ。
 結果が異なるのは、アウロスが攻撃でも結界でもなく回避を選んだ場合だ。
 その可能性も当然考慮していた。
 物理結界をまとったデクステラは、仮にアウロスが避けて空き家の床に
 衝突したとしても、結界によって衝撃を抑えられる。
 直ぐに立ち上がり、アウロスに飛びついて身体にしがみつけば魔術を綴られる事もない。
 あとは、フレアが近付いてくる様子を空き家の外から監視していたマルテが
 空き家へ向かって攻撃魔術を放ち、デクステラごとアウロスを討つだけ。 
 フレアはその後にでも十分始末できる。
 そういう予定だった。
 結果的に、アウロスは攻撃を選択した為、マルテはフレアの拘束を優先した。
 "始末"ではなく"拘束"した理由は――――
「別にここで殺してもいいんだけど、よく考えたら枢機卿の娘だから利用価値があるよね。
 あの男の手から融解魔術を取り戻すには、あの男に選挙で負けて貰うのが一番いい。
 予定ではルンストロムに勝たせる手筈だったけど……保険として取っておいてもよさそうだよ。
 君もそう思うだろう? デクステラ」
「……」
 フレアの記憶にない、口の端を歪ませたマルテの笑み。
 それを向けられたデクステラは、小さく息を吐き、そして微かに瞼を落とした。
「そういえば、先程自分の事を無様と言っていたが……」
「ん、気にしてたかい? "出来損ないのテュルフィング"とも言ったね。
 そうだね……一応役に立ったし、訂正してもいいかな」
「必要はない。成程、確かに自分は無様だったようだ」
 もう一度、息を吐く。
 今度は嘆息だった。
「俺は無様とまでは思わないけどな。寧ろ優秀だと思う。落下しながら攻撃魔術を
 結界に切り替える時、顔色を変えなかった」
 その声に――――マルテの笑みが消える。
「中々、できない事だ」
「お前なら眉一つ動かさないだろうがな。アウロス=エルガーデン」
「どうだろうな。やってみないとわからないけど……」
 そんな会話をしながら、床に横たわっていたもう一つの身体――――
 アウロスの身体がスッと起き上がった。
「……え?」
「別に今度は死んだフリじゃない。脳震盪で具合が悪かったんで、
 暫く休んでただけだ。そうしたら、随分と貴重な情報が漏れ聞こえてきた。
 相変わらず、エリート連中は自分が有利になると油断してくれる」
 そうマルテに言い放ち、首を左右に回るアウロスに目立った負傷はない。
 つまり――――ノーダメージ。
 その事実に驚愕を覚え、マルテは一歩後退した。
「どうやら、お前はマルテじゃないみたいだな。一体何者なのか……
 それを聞く前に、フレアを離して貰うとするか」
「な、何言ってんのさ! こうなったらフレアお姉さんは人質だ!
 お姉さんがどうなってもいいの!?」
「痛っ……」
 突如、余裕を失ったマルテがフレアの左手首を離し、右手をその首筋にあてる。
「頸動脈を親指の爪で切る。片腕でもそれくらいはできるさ」
「多分」
「……?」
「多分、を最後につけて頼りない感じにすれば、更にマルテっぽかったな。
 でも今のお前には随分とマルテらしさがある。さっきまでとは別人だ」
 そのアウロスの指摘もまた、マルテを動揺させる為の手立て。
 そしてそれは――――
「な、何を……」
「その辺も踏まえて、お前が何者なのかを吐かせたいところだ。
 だからルイン、ルーリングを止めろ」
「!?」
 一瞬、身体をビクッと震わせたマルテは、次の瞬間に大げさな笑顔を覗かせ――――
「そ、そっか! そうやって隙を作ってオートルーリングで攻撃してくるつもりだ!
 アウロスのお兄さん、そういう抜け目のないところあるよね!」
「確かに、そういう所は多々あるかしら」
「!――――」
 その声が誰のものなのか、理解する前に――――マルテは"落ちた"。
 すっかりフレアへの意識が弱まった事により、そのフレアの肘打ちを脇腹に受けて。
「……こいつ、本当にマルテじゃないのか? お前の言うことを信じて全力で
 肘をぶつけてみたが」
「少なくとも言動はマルテのものじゃなかった。"あの男"ってのはデウスの事だろうが、
 マルテがデウスをそう呼ぶ筈ないからな。けど、確証はない。洗脳かもしれないし、
 若しくは……」
「誰かに命じられて演技をしている、といった所ね」
 ジト目でアウロスを睨んでいるフレアの後ろ、声は先程より少し近付いている。
 フレアが振り返ると、そこには――――
「尤も、演技しているようには見えなかったけれど」
 疲労感を滲ませたルインの姿があった。









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