教皇選挙の期日が差し迫る中、各陣営にはそれぞれ独自の焦りがあった。
 ロベリア=カーディナリスにとっての悩みの種は、保守派が割れている点。
 本来、元教皇の意向を汲み、かつ第一聖地マラカナン出身である彼は大本命の筈だった。
 しかし、支持層の数割がルンストロムに流れている。
 それは、ルンストロムが準元老院と結託している可能性を示唆するものだった。
 教皇選挙には事実上、浮動票が存在しない。
 幹部位階四位以上の身分を有する者にのみ選挙権が与えられている為、
 ほぼ全ての有権者が何らかの派閥に属している。
 よって、支持層の動きによって、どの派閥がどのような動きをしているのか
 ある程度把握できるのだが、ここ数週間の動きは準元老院が票の取りまとめを
 しているとしか考えられないものだった。
 となると、ルンストロムが圧倒的有利――――の筈だが、実際には彼にそこまでの
 心の余裕はない。
 寧ろ、いつ裏切るかわからない狡猾な老人達に猜疑の目を向ける事が
 どれだけの心労を伴うか、実感している最中だ。
 だからこそ、ルンストロムは自分の手で更なる確実性を求めた。
 総大司教ミルナ=シュバインタイガーの娘、ルインを脅迫しているのもその一環。
 彼女はかつて、魔術の人体実験を進めていた。
 しかしそれは、彼女の意思ではない。
 別の誰かが、それも相当な権力者が指示していた可能性が極めて高い。
 ならば、その人物にとってミルナ=シュバインタイガーの存在は弱味となり得る。
 もし、彼女の口から自分の名前が漏れれば、査問会にかけられ責任を追及される
 可能性があるからだ。
 抑えておいて損はない。
 ルンストロムはこの日、最大の好機を得ていた。
 そしてもう一人、教皇選挙最大の大穴であり、ある種の本命とさえ言える男――――
 デウス=レオンレイもまた、焦りを抱いていた。
 とはいえ、他の二人とは根本的に異なる焦りでもある。
 今の彼にとって急務なのは、オートルーリングの調達。
 それは融解魔術を発動させる条件として必須だからだ。
 オートルーリングが実際に使える事、それを大量生産できる用意がある事。
 この二つを証明できれば、デウスは選挙に勝てると確信していた。
 戦争に敗れた国が、どうすれば自衛条件を満たせるか。
 他国の笑いものとなったこの国を、どのようにして復権させるか。
 たった一つの強力な魔術が、その全てを解決してくれる――――筈がない事を
 デウスはよく理解している。
 しかし、この色々と曰く付きの融解魔術がどれだけの人間に影響を及ぼすか、
 それもデウスは十分に理解していた。
 永遠の命が欲しい者。
 証拠を残さず消したい敵がいる者。
 絶対に見つからない方法で隠したい資料がある者。
 医療をはじめとした、魔術以外の分野と魔術とを結び付けたい者。
 融解魔術は、そのニーズに応えるポテンシャルがある。
 デウスがこの邪術に目を付けた理由の一つがそれだ。
 準元老院など、私欲の為なら平気で昨日言った事を忘れる老人ばかり。
 現時点で彼らが誰を支持するかなど、デウスは意にも介していない。
 問題は、どうやってオートルーリングを調達するかだが、それも既に
 最終段階に突入している。
 ミストの手を借り、ただし表向きにはそうでないと装う為に回りくどい
 方法を使い、論文を手に入れた。
 その論文を子飼いの研究所へ預け、専用の魔具を製造させ、ついに先日
 その試作品が完成した。
 試作品の中の一つをマルテから奪われたのも、特に問題はない。
 "それ自体は"問題ではない。
 新たな試作品を作る事に然程時間は要しない。
 ただ、別の意味で時間が差し迫っている事に、デウスは内心焦っていた。
 だからこそ――――危険な賭けに出た。
 世界最高峰の力を持つ魔術士でありながら、デウスは常に足枷を付けている。
 それも複数。
 その中で、常に余裕の表情を浮かべ、不安や焦燥など微塵も感じさせずに
 無敵の自分を作り上げた彼は、最早足枷すらも自分の一部としていた。
「ゲオルギウス。敢えてそう呼ぶぜ。お前が俺に勝つ要素は一つもねぇ。
 力で蹂躙したって構わないが、できればお前は五体満足のままでいて貰いたい。
 大人しく投降し、本当の意味で俺の部下になる気は……」
 デウスの言葉が終わる前に、ゲオルギウスは後ろへと跳んだ。
 その跳躍力は決して優れている訳ではなかったが、デウスの瞬きを見計らっての
 跳躍だった為、デウスは思わず感心を示す口笛を吹く。
「年の功、ってヤツか? 相当腕のある魔術士だったらしいな。
 お前の中に混ざってる老人は。ウチの部下共が一瞬でやられたようだが」
「……」
 着地と同時に、ルーリングが始まっている。
 その流れはこの上なく流暢。
 一流の使い手であっても、ここまで澱みのない編綴はそうはできない。
 デウスは、それでも余裕の笑みを消しはしない。
 実際、どんな魔術が来ようと防げる自信があった。
 持って生まれた魔術士としての才――――すなわち魔力量。
 他国を放浪し、数多の敵を嬲ってきた戦闘経験。
 何が来ようと問題はない。
 そのデウスの顔が、ゲオルギウスの誇りに触った。
「痴れ者が……ッ!」
 意識しているのか、いないのか。
 最早自分でも把握できていない言葉を吐き、綴り終えた魔術が発動する。
 
【雷槍】

 一直線に雷を出力する、シンプルにして最も回避が困難な黄魔術。
 デウスはその高速の雷光を――――
「……!」
 結界すら用いず、身を捻って回避した。
 その直後、背後の壁に雷光が直撃し、一部が欠損する。
 その壁はエルアグアの刻壁だった。
「こいつを破壊されるのは困る筈、だから結界で守る筈、ならばその結界を
 張った隙に違う属性の第二波で仕留める……ミエミエだぜ?」
「ぬ……」
「生憎、ルーン以外の情報も解析済みだ。歴史資料としての価値なんぞ
 俺には興味がねぇ。なんだったら、壁ごと全部崩して貰ってもいいぞ?」
 そう言い放つデウスとは対照的に、ゲオルギウスは歯軋りをしながら
 凄まじい形相でデウスを睨みつけていた。
 全ての思考を読まれていただけではない。
 先程出力した【雷槍】は、磨きに磨きをかけてきた自身最速の魔術。
 あっさりとそれを回避された事に、この上ないショックを受けていた。
 力の差は歴然。
 自覚以上の差が、そこにはあった。
 人質をとっておいて正解――――そう思わせる程に。
「ま、そんな訳だ。じっくり行こうぜ、お互いにな」
「……何だと?」
「知ってるだろうが。俺にお前は始末できねぇ。ま……その足枷も時間の問題だがな」
 しかし、その事実すらも看破されていた事を知り、
 ゲオルギウスの顔は大きく、大きく歪んでいった。
 底知れぬ敗北感。
 二つの人格が混ざり合った中、果たしてどちらがよりその衝撃を受けたのか。
「にしても、支配欲ってのは凄まじいな。気化してまで王座に就きたいかい?
 あ、今のはお前の中のグランド=ノヴァに言ってるんだけどよ。
 その辺の心理、お前にはわかるかい?」
「……」
「だんまりか。ま、無理もねぇな」
 デウスは別に、ゲオルギウスを小馬鹿にしている訳ではない。
 デウスには、彼をこの場に留めておく必要がある。
 その上で情報収集を試みているだけの事。
 しかし――――
「……お前とて、王を目指しているのだろう。なら、わからない筈がない。
 最も優れた魔術士が王となる。自然の摂理だ」
 予想外に、返事が返ってきた。
 デウスは笑みを浮かべ、首を横に振る。
「わからねぇな。確かに俺は王になるつもりだが……支配欲ってのとはちーとばかし
 違うからな」
「今更、綺麗事か? 支配以外に頂点を目指す動機があるというのか?」
 グランド=ノヴァの記憶はない。
 それは間違いない。
 しかし今のゲオルギウスがグランド=ノヴァの人格をより強く、より濃くしているのは
 間違いない。
 デウスはその事実を知り、笑みを消した。
「……それは、人それぞれってヤツだろうよ」
 ――――焦りは、更に加速した。

 


 そして、数多の決意と焦燥が撹拌されるかのような夜空の下、
 エルアグア教会周囲の市街地の一角において――――
「……来たか」
 アウロスは静かに、魔具をはめたその右腕を掲げた。









                                    ロスト=ストーリーは斯く綴れり
  
                    Chapter.10  ”research accomplishment ”








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