「……思ったより厄介な存在になりそうだ」
 フレアの"黒い決意"を敏感に察知したデクステラが、緊張感を
 含んだ声でそう呟く。
 標的はアウロス=エルガーデン。
 変更はない。
 しかしその標的を仕留める上で、邪魔をする人物は無視できない。
 いや、無視できるのならばしてもよかった。
 だが緑魔術を専攻するデクステラには、それができない。
 風を操る魔術士だからといって、風が友達だとか、風を自在に操れるとか、
 そういう特技はない。
 あくまでも、魔力によって作り出された擬似的な風を操っているに
 過ぎないのだから、当然だ。
 しかし、魔術としての風だけではなく、自然の風とも相性の良い人間は
 存在し、その人間が緑魔術を得意とするケースは少なからず散見される。
 デクステラはその一人だ。
 だから彼は、緑魔術を極めた。
 自分の嗜好ではなく、素養によって磨くべき対象を選んだ。
 デクステラの性格を示す事実と言える。
 そんな彼は、気配を察知する能力に長けていた。
 長けている――――というより、異能的に秀でていると言った方がより正確だ。
 そしてその異能は、風との相性と無関係ではない。
 風は気配を運ぶからだ。
 気配を察知できる範囲は、通常だとせいぜい半径20m。
 しかし、風向きと風速次第ではその範囲が倍近く伸びる事がある。
 加えて、人の気配だけでなく、気配の種類も読み取れる。
 まるで風が気配を分解しているかのように。
 今も、フレアがどの場所にいて、どのような精神状態にあるのかが
 手に取るようにわかる。
 わかるからこそ、無視できない。
 デクステラにとって、その能力は生命線でもあった。
 戦闘力が際立って高い訳ではない。
 魔力量は平均より高いが、飛び抜けた数値でもない。
 そんな彼がテュルフィングとして生きていく上で活用しているのは、
 情報処理能力だ。
 いずれは、攻撃魔術だけではなく情報の取得を可能とする
 魔術が生まれないか――――そんな期待をしつつ、敵の情報収集、
 戦場における察知、把握、洞察を常に磨いてきた。
 そしてそれは、デウスの監視役となってからも変わらない。
 何よりデウスがそれを望んだ。
 自らが監視されている事を自覚していても尚、だ。
 その器の大きさを目の前に、どうして無視などできるだろうか。
 テュルフィングという役割を担いながら、デウスを師事した
 デクステラの判断は、それが正しいか否かは別として、
 決して誤りとは誰も言えないだろう。
 だが、その事実が彼を窮地に追いやっている事も確かだ。
 八方美人がいつまでも許されるほど、甘い世界の筈がない。
 テュルフィングとして、魔術世界のバランサーとして生きるなら、
 デウスという明らかに均衡を破る怪物を放置する訳にはいかない。
 何らかの方策を立て、無力化とまでは言わないものの
 弱体化、或いは足枷を付ける必要がある。
 が――――デウスは既に、幾つもの足枷を付けていた。
 自分もその一人。
 そして他にも三人。
 ティア=クレメン、サニア=インビディア、トリスティ=モデスト――――
 いずれも訳アリの魔術士だ。
 ティアはかつて、メイドとしての教育を受けていた。
 教育していたのは、フローラという女性だった。
 暖かく、包容力のある綺麗な女性だった。
 憧れの存在だった。
 彼女がこの世にいない事を知ったのは、その死から一年が経過した日の事だった。
 ティアが魔術士の道を選んだのは、その半年後。
 根拠があったかなかったか、ティアは語ろうとはしなかった。
 サニアは幼い頃から魔術士としての訓練を受けていた。
 一見すると多重人格者かと思うほど、好戦的な人格になる理由は
 余りに単純明快。
 そうしなければ生きられなかったからだ。
 魔術を暗殺技能として昇華させる事を謳った養成所――――
 余りに何度も名を変える為、どれが正しい名前なのか誰にもわからない
 その養成所は、二束三文で売りに出された彼女に赤魔術を叩き込んだ。
 燃やす事。
 ただ燃やす事だけを教え込まれた。
 魔術を使い、如何に効率的に建物を燃やすか。
 如何に効率的に証拠隠滅を行うか。
 そういう意味で、彼女は『暗殺補助』という技能を身につけた事になる。
 好戦的な性格は、炎に臆さない為。
 呆けたような性格は、本来の役割を隠す為。
 どちらも、本来の性格ではない。
 彼女には、既に本来の人格は存在しないのかもしれない。
 あるのは暗殺を補助する技能のみ。
 尤も、その技能が陽の目を見る事はなく、サニアはデウスによって
 引き取られた。
 トリスティに関しては、数多の情報を処理してきたデクステラですらも
 吐き気を催すような過去を持っている。
 しかし彼自身は、それを知らない。
 彼には記憶がない。
 あるのは、まるで氷のように凍てついた"深層"。
 神経を集中させた時のトリスティは、デクステラ以上に冷静沈着、
 そして冷徹な判断を下す。
 とても13歳とは思えないほどに。
 そしてそれは、ある意味当然だった。
 彼は――――その男からは、ほんの僅かに死臭がしているのだから。
 例えば、その臭いにつられ鳥が集まってくる程に。
 尤も、死人ではなく死を目前に控えた人物の欠片がそこに
 混ざっているだけに過ぎないのだが。
「どう厄介なのさ?」
 仲間という外殻を仮面とは違う形で身につけた三人に思いを馳せていた
 デクステラに、マルテが真剣な表情で問いかける。
 彼がトリスティと同類である事を、デクステラは知っている。
 だからこそ、本来遥か年下の筈の少年の暴言を意に介さずにいた。
 尤も、今のマルテは先程とは打って変わり、狩人のような目をしている。
 食えない老人と純粋無垢な少年の混合。
 それが非常に厄介な存在である事は、トリスティで体験済みだった。
「悲壮な覚悟が感じられる。単に死を覚悟している、死を恐れないというのなら
 問題はないが、死を招こうとしているような……狂気とも違う闇だ」
「回りくどい説明だけど、警戒に値するのはわかったよ」
 つい先程までは、デクステラを軽視するかのような発言に徹していたマルテだったが、
 アウロスが姿を消してからは寧ろ協力者として歓迎するかのような振る舞い。
 アウロスに、自分の人格を誤解させる為なのか、それとも今はマルテの人格が
 濃く出ているのか――――デクステラには判断できなかった。
「その上でアンタに聞こう。さっきの音、何だと思う? 魔術が空に放たれたみたいだけど」
「……自分はここにいると示す事で、強制的に"かくれんぼ"を"追いかけっこ"に
 しようとしているかもしれない」
「それはないよ。彼、体力ないから。寧ろ"かくれんぼ"の方が得意なタイプだね」
「ならば、味方に自分の位置を知らせる為」
「わかってて可能性の低い方を先に挙げるの、良くないよ?」
 マルテは怒りも呆れもせず、寧ろ嬉々として次案を支持した。
 はぐれている仲間――――フレア、或いはルインに自分の位置を知らせる為。
 十分に考えられる行動だ。
「さて、意見がまとまったところで……一つ質問。どうすれば、安全かつ確実に
 アウロスのお兄さんを始末できると思う?」
「……その呼び方でそう聞くか」
 空恐ろしいものを感じつつも、デクステラは次の瞬間には答えを模索していた。
 テュルフィングの立場に拘るなら、アウロスの始末は優先順位としては高くない。
 寧ろ、必要のない事だ。
 デクステラ自身が、彼を危険人物と判断しているに過ぎない。
 魔術の可能性を、とてつもない方向に広げかねない存在だと。
 そしてそれは、今マルテが持っているオートルーリング用の魔具が証明する可能性がある。
 オートルーリングは、単に戦闘時の魔術発動速度および精度の上昇だけに留まらない。
 使用不可能とされてきた一部の邪術を"解放"する役割を担う可能性がある。
 実際、融解魔術はそのモデルケースとなりつつある。
 そのような技術を、誰もが使用できるようになるとなれば、バランスの崩壊は免れない。
 それをわかっていながら、平然と見逃している同胞もいるようだが――――
「長期戦……と言いたいところだが、お師の監視をいつまでも代理に任せるのは
 心許ない。貴方が自分より格上である事が前提だが……」
「問題ないよ」
 デクステラには、その意思がない。
 それをマルテに示すかのように、一つ頷いた。
「自分が標的の気配を探りつつ囮になる。そして貴方がオートルーリングによる
 魔術でトドメを刺す。その際、自分を巻き込んでも構わない。寧ろ、それがより確実だ」
「面白いね」
 了承は一瞬だった。
 マルテにとって――――"グランド=ノヴァの一部"にとって、デクステラの
 身を案じる必要性は微塵もない。
「でも、まだ不十分かな」
「フレアという少女の存在だな」
「うん。多分、アウロスのお兄さんを襲撃する隙を狙って闇に紛れてるよ、彼女は」
「問題ない。厄介な存在だからこそ……先に始末する」
「成程。明日は随分と教会が忙しくなりそうだ」
 また一つ、闇夜の下に死の予約が入った。







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