「どうしたものかな……」
 決して声には出さないものの、アウロスは思わず心中で
 そう漏らしてしまうほどの苦境に陥っていた。
 負傷した訳ではないし、追い詰められている状況でもない。
 まだ戦闘の真っ直中だ。
 現在、アウロスはエルアグア教会の周辺の市街地、
 その一角にあった空き屋に逃げ込んでいた。
 二対一、しかも一人はオートルーリングの使い手。
 自分に優位性がない状況では、正面からやり合っても仕方がない。
 市街地という戦場の特性を利用し、敵前逃亡の後、今は
 空き家に身を潜めつつ心身を整えている。
 しかし中々それが上手く行かない。
 原因は言うまでもなく、突然現れたあのマルテだ。

 ――――幾つかの違和感はあった。

 例えば、出会って間もなくの出来事。
 エルアグアにそびえる【フォン・デルマ】と呼ばれる巨大な塔での一幕だ。
 アウロスの論文を見つけた直後に現れた五人の人物に対し、マルテはこう漏らしていた。

『わ、わわっ……あの紋様……聖輦軍だ』

 特殊部隊であり、一般人の目に触れる機会はまずない
 聖輦軍の紋様などマルテが本来知り得る筈がない。
 マルテがその血筋通り、王宮暮らしをしていたのならともかく
 彼はずっと庶民として生きてきたのだから。
 他にもある。
 四方教会所属時、サニアと共に三人でエルアグアの南西部にある
 教区へと見まわりに行った時の事。

『みんな、殺されたよ。友達のピートも、少し好きだったミランダも……母さんもね』

 それは陰惨極まりない、九年前に起こったガーナッツ戦争での一幕。
 無論、この述懐にも違和感を覚えない筈がない。

 何故――――マルテは生き残れたのか。

 この時、マルテは左腕を失ったという。
 そんな絶望的な状況で、なんの力もないマルテが敵兵相手に
 逃げ切れる可能性は全くないと言っていい。
 あるとすれば、誰かから助けられた場合のみ。
 しかしマルテの説明の中に、そういった事実は含まれていなかった。

 不可解な点はまだある。

 マルテがエルアグア教会の連中に誘拐された際、何故司祭室に
 監禁されていたのか。
 デウスはどうして息子であるマルテに対してあそこまで
 他人のように接していたのか。

 細部まで目を向ければ、枚挙に暇がない。
 しかしこれらは、違和感以上のものではなく、
 今でこそ首を捻るという程度の事。
 マルテに対し、なんらかの疑念を抱くまでは至らない。
 それだけに、アウロスは心中で頭を抱えていた。
 あの、かつての自分を重ねもしたあどけない少年は、
 果たして何者なのか。
 敵なのは間違いない。
 オートルーリング用の魔具を用いている以上、本人の言葉通り
 エルアグア教会の連中と懇意にしていた事も事実なのだろう。
 しかし、それ以上の事は現時点ではわからない。
 苦慮の理由はもう一つ。
 市街戦をアウロスは決して得意とはしていない点が挙げられる。
 不意打ちなら、市街だろうと山中だろうと特に変わりはない。
 障害物の性質が変わる程度だ。
 しかしお互いが敵を認識している上での戦いとなると、
 市街戦は高確率で長期戦となり得る。
 隠れる場所が多い事、余り派手に攻撃できない事が主な理由だ。
 当然、一般市民を巻き添えには出来ない。
 制限が多い中、魔術を小出しにしていけば自然と魔力は尽きていく。
 アウロスの魔力量が際立って低いのは、今更自覚するまでもない弱点。
 敵の素性と戦場――――その両方がアウロスを苦しめていた。
 とはいえ、全く光がない訳ではない。
 フレアの存在だ。
 先陣を切ったルインは、アウロスの想像通りならば今頃
 ルンストロムによって拘束されている。
 拘束といっても、ルインは総大司教の娘。
 物理的な意味での拘束はされていないだろうし、酷い目に
 遭わされている可能性はないと判断できる。
 ルンストロムはウェンブリーの首座大司教。
 腹の中はともかく、表立って総大司教の娘に危害を加えるような
 愚行に手を染めるような人物ではないと、アウロスは確信していた。
 たった一度、僅かの時間舌戦を繰り広げただけだが、それで
 十分にルンストロムの性質は理解できている。
 慎重、かつ野心的。
 ミストと似たタイプ。
 ならば、例えばウェバー=クラスラードやウェンデル=クラスラードといった
 ウェンブリーの教会の面々が見せたような短絡的な行動は絶対にとらない。
 脅すのなら、いくつかの搦め手を用意し、反抗できない
 状況を組み立て、その上で決して傷付けずに目的を果たす。
 だから、今のこの状況――――アウロスが別勢力と戦闘を起こす状況を
 想定した上で、ルインを絡め取ったと見なすのが妥当だ。
 となれば、テュルフィングとルンストロムは連携し合っている
 という考えも妥当性を帯びるのだが、もしそうなら見張り役は
 どちらかだけでもいい筈。
 何より、テュルフィングは魔術士の間引きを行うような連中。
 寧ろ敵対しているか、ルンストロムが一方的に嫌っているかの
 どちらかが適切な関係と言えそうだ。
「……」
 アウロスはいつの間にか、心身の整理が上手くいっている事を自覚した。
 マルテの真意を測りかねている中でも、気付けば状況の解析や
 考察を重ね、それによって心が落ち着いている。
 研究者の習性だ。
 そしてもう一つ、アウロスはその習性を利用しようとしていた。
 発想の転換だ。
 研究者は行き詰まった時、それまで常識としていた先入観を
 敢えて反転させる習性がある。
 大部分において、それは余り意味がない。
 常識は常識であり、それが覆る事はないのだから。
 だが、反転させた事で視点が変わり、その視点変更によって
 これまで見えてこなかった部分が見えてくる事がある。
 発想とは、そうして生まれゆくものだ。
 今、アウロスの前に立ち塞がっている敵は二人。
 テュルフィングと判明したデクステラと、
 元教皇の孫でありデウスの息子、マルテ。
 彼らが仲間となっている事は間違いないし、デクステラが
 監視役でありながらデウスを師事しているのも事実だろう。
 正体を露見した状態で嘘を吐いても意味がない。
 マルテがデウスの息子というのも、複数の人物が証言しているのだから
 虚実ではあり得ない。
 だとしたら、この二人の関係は『デウス』を介している事は
 容易に想像できる。
 だが――――もし、これらの先入観を反転したら?
 デクステラのデウスへの経緯が虚実なら?
 マルテがデウスの息子でないなら?
 両者の関係がデウスとは無関係なところで結ばれているとしたら?
「……」
 アウロスは、その発想の反転から一つの視点を見出した。
 そして、自分の体力がほぼ回復した事も自覚した。
 心と身体は密接に関わっている。
 あれこれ思案を練っている内に、心が充実し身体も回復力を早めた。
 残念ながら、魔力は睡眠をとらなければ回復しないので
 依然として厳しい状況だが――――取り敢えず、反撃の体勢は整った。
 後は、自分と一緒に戦場へと没入したもう一人の存在――――
 フレアがどこでどうしているか。
 彼女もルインと一緒に拘束されたという可能性もある。
 既にマルテに倒されている事も考えられる。
 現状で、彼女を戦力として計算するのは難しい。
 とはいえ、数的不利をなくすには、彼女の存在が不可欠。
 まさかフレアまでマルテのように敵として現れやしないか――――
 そう疑いの目を持つ事すら許されない。
 賭けだ。
 そもそも、自分の人生自体、賭けの連続だった。
 アウロスは何よりも合理性を好む。
 少しでも確率を上げ、失敗が少なくなるように努める。
 けれど、十割ではない選択には、どうしても賭けの要素が生まれてくる。
 運頼りを忌避したところで、その点は変わらない。
 そう思うと、自分が如何に滑稽な生き方をしているか、
 自嘲したくもなる。
 これもまた研究者の習性なのだろう。
 アウロスはそう嘯きながら、貴重な魔力を消費しルーンを綴った。

 数秒後、空き家の天井が音を立てて崩れていった。

 それは――――

 アウロス=エルガーデンを名乗る少年が、

 アウロス=エルガーデンである事を守り続けてきた青年が、



 その外殻を内側から破壊する合図でもあった。
 

 






                           ロスト=ストーリーは斯く綴れり 第九章 了





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