通常、地下という空間は気温が低い。
 しかしエルアグア教会の場合、寒冷地という事もあり
 外気に晒されない建物内は比較的温暖とさえ言える。
 にも拘らず、エルアグア教会の地下はまるで凍えんばかりの
 寒々しい空気に包まれていた。
「さて……そろそろいいだろう。お前の正体について話そうじゃねぇか」
 デウス=レオンレイは問いかける。
 目の前にいる、自らの部下を"自称"する男に。
「正体……とは、一体どういう意味でしょう?」
「惚けるだけ時間のムダだぜ。お前がゲオルギウス=ミラーじゃ
 ねぇ事はとっくにわかってるんだよ。そしてお前自身も
 自分がゲオルギウス=ミラーじゃねぇって事を自覚している。そうだろ?」
「……」
「だんまりもムダだ。情報は嫌でも入ってくるんだよ。
 選挙活動なんてやってると、ムダに人間関係が増えちまうんでな」
「……いつから、わかっていた?」
 そう問いかける人物の姿は、先程からそこにいた人物となんら
 変わる事なく、ゲオルギウスそのもの。
 しかしデウスはそれを否定し、本人も今、問いかける事で
 事実上肯定の意を示した。
「最初からに決まってるだろう? 俺には優秀な情報の専門家がついているんでね。
 エルアグア教会を拠点にすると決めた時から、ここに在籍してる連中の
 情報は全て洗い出してるって訳だ。特にこれ、融解魔術と密接に
 関わってる連中に関してはな」
 直ぐ傍でそびえるエルアグアの刻壁を小突き、
 デウスは笑顔を作らずに口の端を吊り上げる。
 素直に感情を表に出す事の少ないデウスにしては、珍しく
 その胸の内を面持ちに表していた。
「見た目とは違って、随分と繊細なのだな。貴方は」
 声もゲオルギウスのまま。
 しかし口調は上司に対してのそれとはやや異なっている。
「……確かに自分は、ゲオルギウス=ミラーではないのだろう。
 その違和感は常に抱えていた。だが、最早何者であるかもわからないのが
 正直なところだ」
 自分が何者なのかわからない――――比喩として度々用いられる表現。
 だがデウスの目の前に佇む青年は、本当に自己同一性を失っていた。
 そしてデウスも、それが演技の類ではない事を知っていた。
「時間もない事だし、説明してやるとするか。だがその前に……
 おい、聞いてるんだろう? グオギギの玄孫」
 何もない虚空に向かって発せられたデウスの声に――――
 
《勿論だよ! ボクの一番の興味はアウロスさんだけど、
 二番目はそこにいるゲオルギウス=ミラーの正体だからね》

 教会の外に出たチャーチが直ぐさま反応を示す。
 
「誰の差し金かは知らねぇが、お前も色んな所に顔を出すヤツだな」

《そうかな? 八方美人のつもりはないけど》

 悪びれもせず、チャーチは断言する。
 だがデウスは一切動じず、肩を竦めてゲオルギウスの姿をした
 青年にその精悍な目を向けた。

「ま、語り手が二人いた方が信憑性が増す、って思って貰えばいい。
 その程度の事だ。最初はグオギギ=イェデンにこの役を任せようと
 思っていたんだが、年齢相応に弱っていてな。玄孫がその代役だ」
「……どういう事だ?」
「お前の正体を知る人間がいた方が説得力がある、って事だ。
 グランド=ノヴァ」
 デウスは眼前の青年に向かって、はっきりとそう告げた。
 本来ならば齢100に達している筈の、首座大司教の名を。
「何を言っている……?」
「混乱するのも無理はねぇ。どうやら記憶はないようだからな。
 或いは、"向こう"が全部持っていっちまったのかもしれねぇが」
 嘆息交じりに告げるデウスに対し、青年の顔は怯えにすら似た
 陰りを覗かせ、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「この件を語るには、どうしても邪魔な連中がいてな。
 そいつらを教会の周りから追い出すには、連中――――テュルフィングの
 欲しがってるモノと、テュルフィングを監視してやがるルンストロムの
 欲しがってるモノ、両方を一度に認識させ、そして餌撒きをする必要があったんだよ。
 そうすれば、ヤツは自然とその餌に食いつくだろうからな」
「……?」
「ま、この件はおいおい理解すりゃいい。自慢話は嫌いじゃないが、
 今は説明優先だ。さっきも言ったが時間がない。テュルフィングは
 ともかく、ルンストロムの野郎は油断ならねぇからな。
 魔術士としては二流だが、情報戦に関しては厄介な相手だ」
 これまで散々コキ下ろしてきた相手に対し、デウスは最大限の
 賛辞に近い言葉を使って表現した。
 尤も、それが本音とは限らないが――――
「……全ては、このエルアグア教会で実施された融解魔術に関する実験が
 始まりだった。首謀者はお前、グランド=ノヴァ。協力者は現総大司教、
 ミルナ=シュバインタイガー。人体実験の第一人者だ。尤も、それを
 命じていたのは生物兵器を恐れる元老院の連中だろうがな。恐らく、
 タナトスあたりか」
 元枢機卿、元選挙管理委員会最高議長の名をデウスはあっさりと呼び捨てた。
「融解魔術は言うまでもなく邪術。表向きには不可侵の魔術だが、
 もし実用化できるならこんな強力な魔術はねぇ。特に……
 人間にも有効なら尚更な」

《怖いよねー。その魔術が"使える"事を証明するには、誰かしら
 人間を融かさないとダメなんだから》

 人体実験においても、このような所謂『死に至る魔術』を
 扱うケースはまずない。
 そもそも死に至る魔術自体が極めて稀な存在だからだ。
 加えて、実験効率の悪さ。
 実験する度に検体が消えるようでは、詳細なデータは中々得られない。
 倫理観や道徳観を抜きにしても、困難な研究なのは明白だ。
「そこでグランド=ノヴァはこう考えたそうだ。『実験のあらゆる意図や
 必要性を理解した人物が検体となれば、かなりの確率で成果が得られる』
 ……とな」
 デウスの発言は、俄かに信じ難いものだった。
 死に至る魔術において、自らが実験体となる。
 それだけでも驚くべき事だが、何より凄まじいのは
 当時彼が既に老人であった点。
 融解魔術がもしも『意識の保存』『肉体の再形成』を
 可能とするならば、永遠の命だけでなく、若返る事もできる。
 老人となったグランド=ノヴァは若返りを賭けて
 自ら融解魔術の実験体となった――――誰もがそう思うところだが、
 実はそうではない。

《うちのジジイが何度か相談受けてたみたいでさー。本当か
 どうかは知らないけど、若返りたいとか生き長らえたいとか、
 そういうつもりじゃなかったみたいなんだよね》

「恐らくは事実だ。若返りたいだけならば、まずは他の老人を
 検体にすればいい。そして上手くいった場合に自分が実行。
 普通はその経緯を辿る。だがグランド=ノヴァはそうしなかった。
 実験効率の為だと判断する材料としては十分だ」
 幾ら老い先短いとはいえ、老人を一人融解魔術で融解し
 そこから『肉体の再形成』が可能かを判断するのにはそれほどの時間は必要ない。
 それすらも行わずに自らが検体となった事実は、本人の言葉を
 支持するものだ。
「斯くして、実験は行われた。グランド=ノヴァの肉体は融解され、
 このエルアグア教会の本人の部屋……司祭室に保存された。
 その液体がどのように変遷していくか、何年もかけて観察されたって事だ。
 当然、厳重な箝口令を敷いてな」

《その監視役がミラー家だったって訳だね!》

 そして、エルアグア教会そのものの役割だった。
 融解魔術の存在を覆い、実験の存在も覆い尽くす。
 教会という箱に与えられた使命は、余りにも無機質だった。
「どうやら毎日の確認は弟……ゲオルギウスが行っていたらしいな。
 だから、お前……正確には"お前だったヤツ"だけが影響を受けたそうだ」
「……影響?」
 何処か不安げにその言葉をなぞった青年に、デウスは
 笑みを作らず、静かに頷く――――


 




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