ミストの野心を量り間違えた訳ではない。
 少なくとも、その野心を擽るには十分な材料をルンストロムは
 確かに提示してみせた。
 自身が魔術国家デ・ラ・ペーニャの長たる教皇になる可能性の高さ。
 選挙で勝利した際には、段階を経てミストをアランテス教会の
 幹部に招くという確約。
 ゆくゆくは、自身の懐刀として働いて貰うつもりだという展望。
 当然ながら、確約と銘打っているだけで実際に確約ではないし
 お互いに値踏みしている事はルンストロムも承知していた。
 ミストという人間と対峙した時点で、ルンストロムは自分の
 若い頃とよく似ているといった感想すら抱いていた。
 溢れる野心の上澄み液だけを抽出し、言葉と態度に混ぜる。
 そういう生き方をしている人間なのだと、ルンストロムはミストを評していた。
 だから手元に置くと決めた。
 似ているなら、操りやすい。
 基本思考が同じなら、読みやすい。
 その上優秀となれば、この上ない右腕だ。
 しかしルンストロムの思惑は、ミストの行動のみで脆くも崩れ去った。
 ミストはルンストロムよりもデウスの将来性を買った。
 ルンストロムに上納される筈だったオートルーリングの技術は
 デウスへと流れ着く事になった。
 その事実を知った際、ルンストロムは――――
「正直言いますとね、少し焦ったのですよ。デウスが私の
 知り得ない、選挙で勝利する為の材料を手に入れた、若しくは
 手に入れる目処が立ったのではないか、とね」
 実に謙虚な考えで、その事実を受け止めた。
 ルンストロムは決して、謙虚な性格ではない。
 それでは魔術士の中核たるアランテス教会の首座大司教など
 到底務まらない事を知っているからだ。
 だが、そんなルンストロムであっても、教皇選挙という
 人生の集大成に関しては、神の前に跪く人間のように慎み深くなる。
 勝つ可能性をほんの少しでも上げる為。
「そして残念ながら、その予感は的中してしまいました。
 あの男は確かに、私の戦力を上回りかねない重大な機密を握っていた。
 前教皇の影響力を残したくないという風潮すら吹き飛ばすほどの」
「生憎、私には一切興味がない話なのだけれど」
 ルインの冷めた目が、ルンストロムを射抜く。
 それでも、老人の顔は揺るがない。
 深く刻まれた眉間の皺が、そのままの深さで色を濃くしていく。
「つまり、今の私はそれなりに追い詰められているのですよ。
 依然として半数以上を占める保守派、切り札を得た教皇の実子……
 幾ら選挙を管理する準元老院の約束を取り付けたところで、
 彼らは眩しい光から目を背けずにいられるほど若くはない。今はただ、
 私の光がちょうど目に優しいから私に視線が注がれているに過ぎないのです。
 しかし、それだけでは選挙には勝てない事を私は知っています」
 教皇選挙は、国の長を決める選挙であり、誰を頂点に据えれば
 国が豊かになるか、という観点で語られるべき事。
 けれど実状がそれだけではないのはどの時代であっても、
 どの国であっても同じ。
 これまで国を支えてきた老骨に対し、居心地の良い骨壺を
 提供してやる事が必要となる――――が、魔術国家の長になるには
 それだけでもまだ足りない。
 他国への影響力。
 教皇にはそれが望まれる。
 何故なら、アランテス教という世界最大の宗教こそが
 魔術国家そのものと言えるからだ。
 アランテス教の権威を失墜させてはならない。
 少なくとも、外面上において教皇はクリーンでなければならない。
 実はこれが非常に厄介だ。
 証明する手立てが殊の外少ない。
 自分はこれだけ清らかだ、と誇示しても、それは主観に過ぎない。
 客観性をもって自己主張する事は突き詰めれば、どれだけ工夫を凝らしても
 ほぼ不可能と言える。
 ならば、相対性を加味しなければならない。
 すなわち、敵の闇をどれだけ表に引きずり出すか。
 選挙がとりわけ、敵を罵り足を引っ張り合う構図になるのは
 こういった事情が少なからず影響している。
 だからルンストロムは常に、他の立候補者の闇を探していた。
 枢機卿ロベリア=カーディナリスに関しては、直ぐに見つかった。
 ガーナッツ戦争時、敵国の娘を保護した事実。
 しかもロベリアは彼女を『魔術士殺し』として育てた。
 当然、そこにはそうするだけの理由が存在しているのは
 想像に難くないが、ロベリアの家庭事情がどうあろうと
 魔術国家への反逆行為と言われても反論するのは難しいだろう。
 国内外にとっての闇を、ロベリアは抱えている事になる。
 しかし、デウスの方は中々致命的と見なせる闇が存在しなかった。
 元教皇の庶子で、魔術士最高峰の実力者。
 自身がそうである為か、身分に対する潔癖さは一切なく、
 実力主義を貫いている為、優れた臨戦魔術士に甘く、
 研究を生業とする魔術士には厳しい傾向がある。
 元臨戦魔術士の多い準元老院にとっては、扱いやすい人物像だ。
 それでも準元老院がデウスを支持しない理由を、ルンストロムは知っている。
 国家の改革者となろうとしている彼は、自身の実力をもって
 準元老院を物理的な意味で破壊する事ができる。
 現状を変えたい、という魔術士はこの国にごまんといるが、
 準元老院の中にそれを望む人物はほぼいない。
 だからデウスはこの国の長にはなり得ない。
 事実、準元老院の面々はデウスの野望に対し誹毀していた――――
 などと考えてしまうところだが、実際にはそうではない。
「準元老院は、恐れているのですよ。デウス=レオンレイが
 教皇になる事を、単純に恐れているに過ぎない。だから私が推されている」
 ルンストロムは第一聖地マラカナンの出身ではない。
 臨戦魔術士としての力もないに等しく、強力な兵隊を持っている訳でもない。
 例え名家の出であっても、それ以上の権力者が大勢いるのだから、
 恐れる理由は何もない。
 だが――――
「貴方が恐れられていないのは理解できるとして」
「はっはっは。手厳しいですね」
「あの男が恐れられている理由って何? 臨戦魔術士としての
 腕とは言わないのでしょう?」
「無論です。例えば、死神を狩る者。貴女は私より遥かに強いのでしょう。
 ですが私は貴女を恐れない。それと同じ事だと、そう言いたいのですよね?」
「……」
 ルインは敢えて肯定する事もなく、沈黙によって答えを促した。
「デウスには、準元老院……というよりも、魔術国家デ・ラ・ペーニャ
 そのものを恐怖させる材料がある、と私は睨んでいます。
 そしてそれは、あのエルアグア教会の中にある。
 それが、私があの教会を監視していた理由です。そして、
 貴女を引き入れたい理由でもあります」
「その話題に持ってくるまでに、随分と遠回りしたものね」
「説明は重要なのですよ。不足すると後後の尻拭いの手間が
 十倍以上かかりかねませんのでね」
 苛立たしげに皮肉るルインに、ルンストロムは己の人生観を
 諭すような口調で語った。
 刹那、宿の一室に稲光が走り、その直後に雷鳴が轟く。
 ルインが黄魔術を放った――――訳ではない。
 雷鳴は外から聞こえたものだった。
 窓から見える小さな景色に雨は降っていない。
「テュルフィングと貴女の母上との交際は、先程申し上げた通りです。
 両者の間がどれほどの太さのパイプで繋がっていたかは存じ上げませんが、
 少なくとも無関係ではない。そして……デウスとも」
 窓の方に目だけを向けていたルンストロムは、その視線を室内に戻し
 ルインの双眸を瞳へ閉じ込めた。
「デウスの元に、テュルフィングの人間がついている。
 これは確かな情報です。テュルフィングという連中は世界中に
 点在し、暗躍を続けている。実質、魔術士の敵として」
「敵でも味方でもない、と聞いているけれど」
「ところが敵なのですよ。あの連中は魔術と生物兵器の双方ともが
 世界の均衡を脅かさないよう仕向けている。であるならば、
 魔術士の進化、魔術の更なる発展を妨げる存在であり、すなわち敵なのです。
 ですが、魔術士と敵対する勢力にとっても敵と言える存在。
 敵でも味方でもない、ではないのです。全てにおいて連中は敵なのですよ」
 そしてそのテュルフィングをデウスが引き入れているのであれば、
 それは魔術国家にとっても、魔術国家と敵対する勢力にとっても
 闇という事になる。
 ルンストロムが欲しているのは、その闇だった。
「貴女の母上ならば、両者の接点をご存じでしょう。いや、貴女の母上こそが
 証人となり得るのかもしれません。どうかここは一つ、魔術国家の為に
 一肌脱いで下さいませんかね」
 紛れもなく――――それは脅迫だった。


 




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