「貴殿の母上は、あの生物兵器を生み出した忌々しい連中……
 トゥールト族と、魔術士との力関係を一定に保とうとしている
 テュルフィングとかいう集団と交際していたのですよ。
 おっと、交際というのは男女交際を意味するものではありませんよ。
 単に親しくしているというだけです」
「……」
 明らかに挑発しようとしているルンストロムの発言に、
 ルインはそれでも表面上の感情を動かさない。
 母を侮辱された屈辱を心の刃で切り刻みつつ、ただ静かに
 老人の話を聞いている。
 それが最適な姿勢だと信じて。
 だがそれでも、老人の顔に失望や怒りなどの感情変化は見られない。
 百戦錬磨。
 あのアウロスですら、舌戦で付け入る隙がなかったほどの相手。
 ルインの心中は、決して穏やかではない。
「私にとって、貴殿の母上は目上……つまり立場上では部下、
 と言えます。総大司教は幹部位階3位、首座大司教は4位ですからね。
 魔術士として、私が貴殿の母上を脅したり貶めたりする事はありません。
 その点、御安心願いたいですね。余りそう、警戒しないで頂けるとありがたい」
 どの口で――――だから本人ではなく私に声をかけたのでしょう――――
 ルインは喉元まで湧き上がってきた声を、無表情で押さえ付ける。
 それでも、限界は近い。
 表情は兎も角、言語規制は苦手。
 何故なら、ルインは何かを強いられる人生を歩んでいないからだ。
 幼少期は総大司教の娘として何不自由ない暮らし。
 死神を狩る者としては、独りでの生活。
 例え大学に属していても、その本質に違いはない。
 奔放、そして運命に隷従する者。
 ルインの発する言葉には、常にそんな人生観が含まれている。
「さて……取り敢えず、私の知っている情報の一部を貴殿に開示しました。
 誰一人傷付けず、大人しく私との対面に応じた事、まずは感謝します。
 やはりこのような面談は、事前にアポイントメントを取り付けているに限りますね。
 不手際があった際に直ぐ中断するようでは困りますから」
 以前、他の教皇立候補者との三者面談が潰れた事を引き合いに出し、
 ルンストロムは全身を揺するようにして笑った。
 アポイントメントが取り付けられたのは、アウロスとルンストロムがやり合った直後。
 アウロスを支援した際、その姿を何者かに見られていたらしい。
 ルンストロムの関係者と名乗る人物から『母親の件である情報を握っている』事、
『話をする機会を設けたい』事 そして『追い打ちの意思はない』事を告げられていた。
 だから、ルインは四方教会の元拠点でアウロス不在時に襲撃を受けた際、
 当初は自分への忠告は油断させる為の虚言だと思い、自分の所為で襲撃を受けたと思っていた。
 だからこそ、積極的に撃退したのだが――――実際にはデウスの仕組んだ罠だと判明した。
 つまり、『母親の件でルンストロムが話したがっている』件も真実の可能性が高い。
 だからこそ、ルインは先程――――アウロス達に先駆け監視者を締め上げようとした際、
 その敵の中にいた『ルンストロムの関係者』の声に耳を傾けた。

『ルンストロム様の元へ案内する。貴殿の味方に危害は加えない』

 逆に言えば、逆らうなら危害を加えるという脅しでもある。
 加えて、母親に関する情報も気になる。
 ルインは熟考の後、黙って指示に従う事を選択した。
 エルアグア教会の監視役の正体が、以前アウロスと一悶着あったあの
 ルンストロムの部下であるなら、事を荒立てるのは得策ではない。
 それが、一番の理由だった。
「これ以外の情報に関しては、こちらの要求を呑んで頂ければ提示しましょう。
 何、難しい事ではありません。貴殿にこの私……ルンストロム=ハリステウスの
 元で働いて頂くだけの、実に簡単な要求です」
「……なんですって?」
 その声は自発的にではなく、反射的に出てしまった声。
 ルインは舌打ちしたい衝動に駆られ、顔をしかめた。
「ようやく、お声を聞かせて頂けましたね。実に美しい。その姿同様にね。
 貴殿の母上の若い頃によく似ている」
「……っ」
 まるで視姦されたかのように、ルインは歯を食いしばり嫌悪感を露わにした。
 あらゆる感情を押し殺す努力も、この老獪さの前では意味を成さない。
 他者の急所を突く能力に長けた老人。
 この世に、これほど厄介な存在は他にいない。
「私に……人質になれと言うの? 目的は教皇選挙。そうなんでしょう?」
「流石は総大司教の実子。聡明でいらっしゃる」
 臆面もなく、ルンストロムは肯定を口にした。
 そう――――全ては選挙の為。
 野望の為のシナリオだった。
 教皇選挙に立候補した他の二名と比較し、ルンストロム=ハリステウスの
 持つ優位性は決して少なくはない。
 例えば、準元老院の後ろ盾。
 教皇選挙管理委員会である彼らの後援は、それだけで優位性どころか
 実質的な勝者と誰もが認めるだけの材料だろう。
 だが、ルンストロムの認識に"絶対"はない。
 何事においても、確定は存在しない――――それが持論だからだ。
 準元老院の老人達は保身と自己肯定感の充足の為だけに生きている。
 ならば、彼らの次期教皇の確約など、まるで意味のないものだと直ぐにわかる。
 もし、彼ら自身にとって他の候補者を推す方が有益となれば、
 他に何の理由がなくともそちらに移行するのが必然なのだから。
 ルンストロムは準元老院の傀儡に過ぎない――――そう見える構図にあって、
 それでもこの老人は安堵どころか猜疑をもって四方八方を注視していた。
 準元老院は利用すべき存在であって、それ以上のものではない。
 ならば、より選挙での勝率を上げるには、他に何が必要か。
 決まっている。
 準元老院の保身をより強化する材料だ。
 最高議長タナトス=ネクロニアはかつて幹部位階2位の枢機卿として
 活躍していた。
 現職としてその枢機卿の地位にいるのは、立候補者の一人である
 ロベリア=カーディナリス。
 タナトスの直接の部下ではないが、同じ地位に就いた者に自分の影響力を
 残し院政を行おうとするのはよくある事で、タナトスもまたロベリアに対し
 便宜を図る過程で少なからず良質な人間関係を構築した事は想像に難くない。
 枢機卿として教皇を支え続けた実績を考えれば、元教皇の実子である
 デウス=レオンレイとの接点も無視は出来ない。
 もしデウスに政治能力も素養もなければ、彼を傀儡とし実質的に国権を握るという
 野望もあったのかもしれない。
 だが実際には、デウスは魔術士として申し分ない資質を持ち、
 尚且つ自ら国の頂点に立とうとしている野心家に育った。
 まして、国の構造すらも変貌させようとしている。
 保身を望む面々にとってはこの上ない厄介者であり、準元老院が彼を推す事は
 確実にあり得ない。
 あり得ないからこそ――――何を仕掛けてくるかわからない恐ろしさがある。
 準元老院が敵だと明確に認識している以上、思い切った手を打ちやすくもある。
 事実、デウスの動きはロベリアとは比較にならないほど活発だった。
 魔術士としての格も遥か上。
 そんな判断から、ルンストロムはロベリアを『準元老院を巡る競争相手』に
 留めているのに対し、デウスは『壮大な仕掛けを準備している強敵』と目していた。
 そしてその認識は、自身がウェンブリーで進めていた計画に介入された事で
 より明確なものとなった。
 
 大学教授ミスト=シュロスベルの引き抜き――――

 ルンストロムは、ウェンブリー支部教会で彼と初めて会合を果たした時から
 密かにその計画を実行に移していた。
 教皇選挙に勝利する為に必要な材料は数多存在するが、その中でも特に
 ルンストロムが重視していたのは『右腕』の存在だ。
 ただ単に優秀なだけでは、右腕は任せられない。
 自分と同じ価値観を持ち、自分と同じ目線で仕事ができる人材。
 選挙の際には、そういった人間がどうしても必要だ。
 というのも、選挙活動は行動力が問われる面もあり、一人でも多くの
 関係者と直接対面する必要性がある為、本拠地である拠点を離れる事が多い。
 まして、ルンストロムはウェンブリーの魔術士。
 マラカナンでの選挙戦をする上で、ウェンブリーにどうしても
 自分と同等の判断力を持った人間が必要となる。
 ミストは、その性質と能力を有した稀有な人材。
 ルンストロムは、若くして教授に登り詰めた彼の手腕と、
 目的の為に身内を切る事を厭わない性格をそう評価していた。
 ルンストロムにとって、オートルーリングはそれほど興味の対象ではなかった。
 彼は臨戦魔術士ではない。
 オートルーリングの恩恵を得られる存在ではない。
 だから、ミストが偽の論文の流出対策に行った『論文漂流』によって
 オートルーリングの論文を寄与する旨を知らせてきた際も、
 ミストが自分を頼っている、すなわち教会移籍への窓口としようとしている
 事への興味はあっても、論文そのものへの興味は薄かった。
 
 ――――その後、ミストが別の人物へと鞍替えするまでは。


 




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