エルアグア教会には、隠された秘密が存在する。
 しかしそれは特別な事ではなく、教会という施設には少なからず
 何かしらの機密があるものであり、エルアグア教会もその一つに過ぎない。
 アランテス教会は、魔術の始祖アランテスを神と崇め、
 魔術の普及とその重要性を説く施設だが、同時に別の役目も担う。
 魔術国家デ・ラ・ペーニャが貯蔵する軍事力の隠匿だ。
 例えばそこに、世界の秩序すら破壊しかねないほど強力な魔術の
 ルーン配列を示した書物があるとする。
 その書物は当然、国家が責任を持って外部に晒さないよう厳重に保管する訳だが、
 それは持ち運びが容易にできる書物だから出来る。
 だが実際には、ルーン配列を記す媒体が紙とは限らない。
 寧ろ、紙がまだ普及する前に存在した古代の魔術も数多くあり、
 その多くは壁、柱、或いは地面などに刻まれている。
 では、そのルーン配列を書に写し、その後に破壊してしまえばいい――――
 そう安易に考える訳にはいかない。
 魔術はルーン配列だけで成り立っている訳ではないからだ。
 ルーンを綴る際に使用する魔力の微妙な出力具合、すなわり魔力配分もまた、
 魔術の使用には欠かせない技術であり、それなしにルーンを綴っても
 具現化は行われない。
 つまり、そのルーリングの際の魔力配分についても何処かに記録されている
 と推察される。
 通常、ルーン配列と魔力配分を分けて記録する事はない。
 紛らわしいし、どちらかが紛失すれば意味を成さない以上、
 リスクを増大させるだけになってしまうからだ。
 そして何より、紙媒体が一般化する前の古代魔術の記録というのは
 歴史的価値が極めて高く、それ自体が国宝といえる為、そもそも破壊する
 という選択肢自体があり得ない。
 当然、邪術指定しているような魔術のルーン配列及び魔力配合が
 他国に漏れるような事態は許されない。
 ならば、万が一諸外国に侵略を受けた場合に備え、防塞を構える必要がある。
 とはいえ、古代魔術を護っているとおおっぴらにするのは論外。
 ここを攻めてくれと言っているようなものだ。
 そこで、デ・ラ・ペーニャがとった対策が、教会の設置。
 アランテス教が誕生する以前から、世界各国に宗教は多数存在していた。
 そしてその宗教の拠点となるのが教会堂、すなわち教会だ。
 教会は神聖なものであり、何人たりとも侵す事は許されない――――
 その世界共通の不文律を、デ・ラ・ペーニャは活用する事にした。
 教会ならば、その建築物を護る為に人材を置くのも自然。
 何より、他国からの侵略対象にならない。
 アランテス教が世界一の巨大な宗教となった現代においても
 当然、それは変わらない。
 こういった背景から、必ずしも古代魔術の記録や手がかりがある場所に
 教会を設置している訳ではないものの、教会が古代魔術の容れ物と
 なっているケースは多い。
 そして、エルアグア教会の場合は無論――――融解魔術を覆う
 建物として、この地に建てられた。
 だが、そればかりではない。
 ここは、実験拠点としての機能も有している。
 融解魔術がどのような性質の魔術なのかを正確に調査する為の実験。
 融解範囲を調べる為の実験では、都市の広範囲が犠牲となった。
 融解できる物質の調査では、希少価値の高い宝石、鉱石も使用された。
 そしてその実験は『最高齢の首座大司教の延命』という形をもって
 更なる段階へと進んだ。
 融解する事で、その物質の状態が保存されると仮定した場合、
 一度融解した物質を再構築できる場合、そしてその物質の中に
 人体が含まれる場合――――人間が長期に亘って延命できる可能性を
 この魔術は秘めている事になる。
 それだけではない。
 再構築の際に負傷や病気を取り除ければ究極の回復手段となるし、
 あらゆる物質を溶かし完全な形で再生できれば、国家機密級の
 書類や物品を完璧に隠蔽できる。
 融解状態で意思の疎通ができれば、事実上の『永遠の命』を得られる。
 これほど人間の抱いてきた理想に近付いた技術は、魔術という範疇を超え、
 この世の歴史上他に存在しないと言える。
 つまり、融解魔術の価値はデ・ラ・ペーニャという国家そのものすら
 凌駕する可能性を孕んでいる。
 無論、その為には幾つもの都合の良い過程を全て満たす必要があり、
 邪教指定されているこの魔術を研究するには相当な時間と費用と秘匿性が
 必要である為、現在この世界に生きている人間が生存している間に
 融解魔術の価値を正しく導き出せる可能性は、今のところない。
 それでも、もし――――融解魔術によって原型を失ったグランド=ノヴァを復元できたならば、
 また彼の意思が融解中に外部とコンタクトをとれると判明すれば
 大きな前進と捉える事ができる。
 尤も、そのような壮大な夢を含有した実験ではあるものの、
 デ・ラ・ペーニャの中核を担う魔術士達には余り関心がない
 というのが現状だ。
 一番の理由は、彼らが存命の内に『永遠の命』『究極の隠蔽手段』
『回復魔術の確立』といった実証が完璧な形で行われる可能性が
 絶望的である事。
 また、邪術という扱いの困難な魔術である点も、
 関心を持たれない理由の一つだ。
 では、抑止力の面ではどうか。
 融解魔術の攻撃性、殺傷能力は説明不要だろう。
 あらゆる物質を溶かす。
 その時点で最大級の威力なのは言うまでもない。
 どんな防具も防御方法も通用しないのだから。
 けれど、やはりここにも"邪術"が問題として現れる。
 使用する事を法律で禁じているだけでなく、強い罰をもって
 律している為、諸外国がどれほど脅威に捉えるか今一つ定かではない。
 デ・ラ・ペーニャという国が独裁国家で、その独裁者が
 国を守る為に何でもするような人物だと知れ渡っていれば話は別だが、
 そのような先入観は存在しない。
 このような理由から、融解魔術の存在は国家レベルでは関心外。
 実験はひっそりと、国の中核から外れたところで行われていた。
 実験の中心となっていた人物は、他ならぬグランド=ノヴァ。
 かつて臨戦魔術士としてマラカナンを守る為に戦っていた彼も
 年を取り、戦場に立てなくなった事で、次第にデスクワークへと
 人生の舞台を移していった。
 その中で巡り逢ったのが、エルアグア教会と融解魔術。
 マラカナン、そしてデ・ラ・ペーニャを守る為、そして
 魔術の更なる発展の為に融解魔術が必要と判断した彼は、
 残り僅かの人生を賭け、融解魔術の研究を開始した。
 とはいえ、臨戦魔術士として生きてきた人間が、何の支えも
 後ろ盾もなく邪術の研究に没頭できる筈がない。
 その彼に手を差し伸べたのが――――
「他ならぬ貴殿の母上、ミルナ=シュバインタイガーなのですよ。
 死神を狩る者……ルイン=リッジウェア」
 そこまで説明し終え、老人は甘い息を宿の一室に吐き出す。
 今し方食べ終えたばかりの料理は、殆どが果実をふんだんに使った
 高級料理。
 指を鳴らし、それを使用人に運ばせる。
 一方、ルインに出された食事は一切、手が付けられていない。
 この部屋に"自らの意思で"足を運んでから、ルインは一度も
 口を開ける事なく、目の前の老人――――ルンストロム=ハリステウスの
 顔を睨んでいた。


 




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