「ど、どうしたのフレアちゃん」
 驚いた様子でフレアに近付くラディ。
 その足が一瞬、竦む。
 大量に流れ出るフレアの冷や汗を見て。
「気配が……増えた。一気に10……それ以上」
 それは、絶望的状況を示す言葉だった。
 罠――――というより、最初から対デウスを想定した配置だったと見なすしかない。
 万が一、デウスがゲオルギウスを無視して監視を捕らえようとした場合、
 監視が二人同時に捕らえられる可能性もある。
 それほどデウスの戦闘力は高い。
 なら、監視を逃がす為に戦闘要員を揃え、デウスが監視に接近した場合に備える。
 勝てなくても、監視を逃がす事なら十分可能。
 そして重要なのは、その戦闘要員が『監視の所属する勢力とは異なる存在』である事。
 デウスに捕まっても情報が漏れ出さない『護衛団』である事――――
「しまった……!」
 それに考えが至らなかった自分に腹立たしさを覚えつつ、アウロスは吠える。
 監視に護衛をつける――――普通ではあり得ない事だ。
 見つからない事を前提とするのが監視なのだから。
 だが、それでもやはりルインを一人で行かせるべきではなかった。
 その後悔が、頭にまとわりついてくる。
 万が一。
 万が一、ルインが返り討ちにあってしまったら――――
「お前らは近くの宿に避難しててくれ」
 その自責の念を強引に押さえ付けようと、アウロスは両手の拳を握り締め、静かにそう伝える。
 掌に食い込む爪は、それでも深々とは刺さらない。
 筋力のないアウロスは、自分を思い通り責める事もできずにいた。
 だが――――そんな事を嘆いても始まらない。
 いつだってそうだ。
 完璧ではない。
 完璧な事などあり得ない。
 まして、魔術士としての才能もないのに魔術を使い、魔術を研究しここまで来た人間。
 今更何を嘆くというのか。
 やるべき事は一つしかない。
 今は、本来その『やるべき事』としてずっと追いかけてきた事すらも頭から切り離さなければならない。
 監視を捕らえれば、待望の論文原本が入手できる――――
 その事すらも、忘れる必要がある。
 今すべき事、それは――――
「フレア、すまん。手を貸してくれ」
「あの魔女を助けるんだな?」
「……魔女?」
 かつて、大学で初めて出会った時、アウロスが抱いた印象と全く同じ言葉をフレアは用いた。
「あの魔女は怖いけどいい人だ。さっき、そこのボクボクうるさい女と三人でいた時も、
 私が何かされないかずっと気を配ってくれてた」
 でも"魔女"なんだな――――
「だから、お前に言われるまでもなく手伝う」
 そう心中で苦笑しつつ、アウロスは感謝の念を込め頷く。
 ずっと、魔女だった。
 それは打ち解けても、過去の接点を知っても、このマラカナンの地で再会した時も変わらない。
 ずっと、変わらずにいた。
 さっき厳しい言葉と共に監視を捕らえる役目を買って出たのも危険の芽を察知していたから。
 あの日、地下室にある牢獄に自ら謝りに来たあの日から何も変わっていない。
 最初から――――厳しさの中に優しさを持った魔女だった。
「助かる」
 アウロスはそんな彼女を救う為、フレアに頭を下げた。
 居丈高ではないが、人に頭を下げる事は殆どない。
 そんなアウロスの姿に、フレアは少し戸惑っていた。
「ラディ。二人を頼む」
「あいよ。私たちがさっさと避難すれば、後方に憂いなしってヤツなのよね?」
「そういう事だ」
 そのやり取りを合図とし――――アウロスとフレアはルインの向かった方向へ駆け出した。
「監視を除いた敵の数は12。魔女の気配は……こっちだ。忙しなく動いてる」
「戦闘……真っ直……中、か。距離……は?」
「まだ遠い。魔術で仕掛ける気か?」
「と……いうより……」
 息を切れ切れにしつつ、アウロスは少しずつ、少しずつ目を細めていった。
「……昔の自分を思い出す」
 それは――――地下の牢獄から解放され、外に出た後の体験。
 ガーナッツ戦争時に所属した部隊での、己の役割。
 アウロスは、それを思い出す作業に没頭した。
「現時点でいい。12人の気配の場所を教えてくれ」
「……わ、わかった」
 急に息切れのなくなったアウロスの言葉に戸惑いつつ、フレアはアウロスの指示に従う。
 ここに来て突然、アウロスの体力が増した――――訳ではない。
 単に呼吸を荒くするのを止めた、それだけの事。
 当然、その負担は体内の様々な箇所に及ぶ。
 かつて――――戦争時に言われた言葉。

『元奴隷は誰の為の命でもなく、武器に過ぎぬ』

 鮮明に覚えている事は、決して多くない頃の話。
 アウロスはその頃の記憶を、殆ど身体で覚えていた。
 視界を狭めるのも、負荷を内側に向け集中させるのも、その記憶の断片。
 そうする事で、武器としての自分を作り上げていく。
 ずっと、封印していた作業だった。
 酒場に雇われ、大学に入り、大学を移り、その新たな大学に所属している間も。
 敵は少なくなかった。
 聖輦軍。
 魔術士殺し。
 教会の狗。
 傭兵まがいの魔術士。
 テュルフィングと名乗る魔術士。
 明らかにアウロスを上回る戦闘力の敵も沢山いた。
 だが、その全ては誰かの為に動いていた。
 目的があって、その為にアウロスを仕留めようとしてきた。
 だが――――戦場の敵は違う。
 目的など、あってないようなもの。
 自国を勝たせるという意思など、あの戦争にはなかった。
 蹂躙する為の戦い。
 弱者をいたぶる為の略奪。
 そこにあったのは、ただの――――悪意。
 そしてその悪意は、敵ではなく味方となるべき存在からも漂っていた。
 子供の自分を捨て駒にする隊員達。
 子供はおだてていれば働いてくれると嘲笑う"仲間"。
 全て、周囲は敵だった。
 アウロスは、その悪意から自分を守る為に己を武器とした。
 人間は、どれだけ物質に近付けるか――――
 決してそう意識してはいなかったが、結果的にはそれを目指した。
 集中。
 集中する事で、感覚を鋭敏にし、整理する。
 あらゆる視界から必要な景色だけを選び。
 あらゆる外音から必要な音だけを選び。
 それ以外は全て別の活力へつぎ込む。
 魔術を綴る指先と、駆け抜ける脚へと注ぎ込む。
 今この時が、あの戦場と同じ訳ではない。
 まして、戦う目的が全く違う。
 だが――――共通している事が一つ。
 その時、自分が一番大切に思っているものを守る。
 あらゆる悪意と殺意から、守る。
 その為に、経験を活かそう。
 まるで頭では覚えていない、戦場での記憶をも。
「……これで12人、おおよその位置は言ったぞ。これからどうするんだ?」
「フレア」
 もう直ぐ言葉すら発しなくなる自分を予見し、アウロスは共闘する相手へ必要事項を伝えた。
「ルインを頼む」
 自分はこれから12人の敵に向かって行き、自分に意識を集中させる――――
 そういう意思を込めた言葉を、フレアは直ぐに察した。
 彼女もまた、沢山の戦場を見てきた子供だから。
「わかった、任せろ。ただし死ぬなよ」
「当然だ。お前もな」
「私も当然だ」
 その頼もしさを受け取り、アウロスは――――久々に戦場を駆けた。


 




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