融解魔術――――
 一切の防御方法を許さない、最強の攻撃性を有したこの魔術が邪術に指定されたのは必然だった。
 魔術は例外なく、研究と実験によって検証が行われる。
 近年開発された魔術だけではない。
 古代より使用されていた、古代ルーンを用いた魔術に関しても、実験は必ず行われる。
 安全性は元より、その魔術がどのような影響を使用者に、そして魔術士に与えるかという確かな
 情報がなければ、その魔術は使用すべきではない。
 そんな徹底管理があったからこそ、アランテス教会は全世界に普及した。
 当然、融解魔術も実験による検証は行われた。
「実験場所は、ここエルアグア。どれだけの規模の融解が可能か……実験は大々的に行われた。
 結果は、お前達がこの国で目にしてきた光景が全てだ」
 そのデウスの言葉は、アウロスとラディ、そしてチャーチを介して聴衆となっているフレアやルイン、
 更には――――マルテにまで向けられている。
 尤も、マルテは既に一度デウスの口から聞いている為、驚きはしていない。
 それでも、具合の悪そうな顔をしているのは、余りにもその話が壮絶かつ残酷だったからに他ならない。
「ちょ、ちょっと待ってよ。目にしてきた光景って……まさか」
「察しがいいな。アウロス、お前の仲間は随分と理解が早いようだ。教育者にでもなれば
 大成するんじゃないか?」
「演説中に個人へ向けて話すのはどうなんだ?」
 冷めた声のアウロスに、デウスは納得したかのように二度小刻みに頷いてみせた。
「もうわかっているようだが、このエルアグアが『水没都市』となったのは、実験による海面上昇が原因だ。
 この都市の一帯のあらゆる物が融解魔術によって溶かし尽くされ、液体へと変換され海水に混じった」
「……」
 ラディが思わず絶句する。
 実際にその光景を想像するのは困難を極めるが、地獄絵図だった事は間違いないだろう。
 正規に使用が認められている魔術の中に、都市一帯を消滅させるものなど存在しない。 
 魔術の枠を越えた、余りにも巨大な力だ。
「この実験を失敗と判断した当時の教皇は、融解魔術を邪術に指定し、使用だけでなく研究すら禁止した。
 次の代の教皇も同じだ。何の発展性も生まないその愚かな判断を、何の疑問も持たずに継続し続けた。
 いや……それは言い過ぎかもしれんな。葛藤の末に継続したのかもしれん」
「だとしても、その判断は支持できない。そう言いたいのか?」
 アウロスのそんな問いかけに、デウスが――――
「強大な力は、担い手の力量を問うもの。であるならば、歴代の教皇は自分自身、或いは
 デ・ラ・ペーニャという国を低く見ていたのだろう」
 答える前に、ゲオルギウスが介入してきた。
「融解魔術の実験は、先代……いや、先々代の代に行われた。その時に指揮をとったのが、
 このエルアグア教会の教区長、グランド=ノヴァ様だ」
「グランド=ノヴァ……」
 アウロスもこれまで、何度か耳にしてきた名前。
 デ・ラ・ペーニャにおける幹部位階4位、首座大司教の地位に就く大物だ。
 しかし現在は行方不明とされ、表に姿を表す事はない。
「ノヴァ様は実験の折、自ら実験体となり融解魔術によってその身を液体と化した」
「……!」
 その理由が――――予想外の真実として語られた。
 人体実験。
 アウロスはかつて、ルインの母であり現総大司教であるミルナ=シュバインタイガーの指導の下、
 その被験者として長らく肉体を蝕まれた。
 地獄の日々だった。
 自ら望んで、その実験の被験者となる人間がいる。
 その事実は、アウロスに少なからず衝撃を与えた。
「融解魔術が、融解した対象物の生命を保存させるという性質を持っている事がわかったのは、
 ノヴァ様の英断によるものだった。この検証の意義は余りに大きい。融解魔術の可能性を
 大きく広げたのだからな」
 融解された生命が生きているという事は、本質的な意味での破壊が行われているだけではない。
 例えば、一度溶かした物を別の形で再現、再構築できる可能性を秘めている事になる。
 応用すれば、怪我した部位を溶かして元に戻したり、全く違う外見に生まれ変わったりする事もできる。
 あらゆる意味で、魔術を、そして魔術士を進化させる事ができる。
「……だが、幾ら自分の両親が訴えても、教皇は封印を解かなかった。一度禁忌とした魔術を
 発展させるなど愚の骨頂と言わんばかりに。やがて両親が隠居し、姉と自分がこの教会の運営を
 行うようになっても、何も変わらなかった」
「そこに、俺が現れたって訳だ」
 待ってましたと言わんばかりに、デウスが話を引き継ぐ。
「俺なら、融解魔術を最大限利用できる。この国の為に、魔術士の為にな。偉大なグランド=ノヴァ氏の
 自己犠牲心、探求心に報い、融解魔術を他国への脅威として、同時に魔術の発展への基盤として、
 世界へと打って出る。尤も、準元老院はいい顔をしていないがな」
 準元老院――――選挙管理委員会に対し、デウスは苦言を吐いた。
 選挙中にそれを行うのは禁忌中の禁忌だが、本人は意にも介していない。
「この夥しい数のルーンが、融解魔術を構成するルーンなのか」
 アウロスの視界には、広大な壁一面に敷き詰められたルーンが何処か寂しげに映っていた。
 己の存在意義をなくし、ただ壁面の紋様と化してしまったルーンの羅列。
 魔術士にとって、その光景はある意味、自己投影の空間と言えた。
「そうだ。これだけのルーンを用いなければ発動しない。それほど巨大な力が融解魔術には必要とされる。
 当然、膨大な量の魔力も必要だ。並の魔術士どころか、一流と呼ばれる連中でも使用はできない」
 ルーンの数は、必ずしも必要魔力量に比例する訳ではない。
 複雑な構成の魔術は、それだけルーンの数を要する事もある。
 それでも、明らかに数千、或いはそれ以上の数のルーンが並んでいるこの全てをルーリングする
 魔術が、並の魔力量で使用できる筈がない事は魔術士なら誰でもわかる。
 封印された理由の一つがそれだと、アウロスはそう理解した。
「だが、俺ならできる。俺の魔力なら、この融解魔術を使いこなせるだろう。恐らくな」
 デウスは自信満々の口調でそう断言した。
 デウスの魔術士としての力量がどれほどなのか、アウロスはまだ完全には把握できていない。
 アルマセン大空洞での一幕も、デウスの底力を把握するまでには至らなかった。
 なので、この言葉を信じるか否かはアウロスの主観も含まれる。
「……その証明は?」
 アウロスは、少なくともそう問うだけの可能性をデウスに感じていた。
 研究者であるアウロスは、臨戦魔術士至上主義のデウスとは根本的に相容れない。
 それでも、デウスの持つ魔術士としての力量は、底知れないものがあると認識している。
「お前次第だ、アウロス=エルガーデン」
 これからようやく主題――――そう言わんばかりに、デウスの目に光が宿った。
「幾ら俺が融解魔術を利用できる器と魔力を持っていても、これだけ膨大な数のルーンを自力で
 編綴するとなると、実戦は勿論、周囲への圧力としても機能しないだろう。事実上、戦場外の
 魔術にしかならん」
 ならば、どうすれば実戦に使える?
 理由は明白だ。
 アウロスにそれを問うならば、尚更。
「だがお前は、この封印された魔術を現代に適用できる技術を持っている。そうだな?」
 すなわち――――オートルーリング。
「オートルーリングの技術が実用化されると知った俺のはしゃぎっぷりは、自分自身でも
 呆れるくらいだった。その技術を凝縮した論文をどうしても欲しかった。幸い、ルンストロムより
 俺がより高い売値が付けた事で、お前の上司は俺を仕事仲間に選んだ訳だ」
「らしくなく謙虚だな。『ルンストロムより俺の方が選挙で勝つ可能性が高いと判断された』が本音だろう」
 そんなアウロスの指摘に、デウスは不敵に微笑む。
「だが、論文だけでは足りない事がわかった。魔具の調達だ。オートルーリングを使用するには、
 特殊な材料で作った魔具が必要らしいな」
「ああ」
「最初は、お前の魔具を奪うつもりだった。ところがそれではダメだという事もわかった。
 古代ルーンには対応していないようだからな」
 ウェンブリー魔術学院大学でアウロスがウォルト=ベンゲルと共同開発した魔具は、あくまで
 現存する魔術に対応した物。
 古代ルーンを含む邪術は未対応だ。
「そこまでわかった所で、お前との取引が必須だと判明した。どうだ? 俺の演説を聴いて、
 少しは興味を持ったか? お前が協力すれば、お前の周囲の人間は皆、明るい未来が待っているぞ」
 演説前、デウスはルイン、フレアの二人に雇用を仄めかした。
 デウスが王となれば、彼女達の未来は安泰だ。
「融解魔術の利用にはオートルーリングが必須。そして、お前が俺に協力すれば、お前は協力者として
 名を残せる。それが目的なんだろう? しつこいようだが……再考を願いたいものだな」
 デウスの演説は、アウロスの現在の状況を完璧に把握し、アウロスの欲しい条件を全て呑んでいた。
「……」
 アウロスは――――

 









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