「……これは」
 扉を開いた先に見えた景色は『閉ざされた解放感』という矛盾めいたものだった。
 地下という圧迫感のある場所において、吹き抜けの空間を表現するならばそう言うしかない。
 だが、アウロスが思わず声に出して驚きを表面化した理由は、
 天井が高く広々としている事が理由ではない。

 羅列。

 目の前にそびえる高い壁に、すさまじい数のルーンが刻まれている。
 まるで古代文明の紋様のような緻密さと不気味さを兼ね備えた情景は、
 美意識の個性が問われるものだった。
「うっわ、気持ちワル! 何コレ」
 ラディの美的感覚には合わなかったらしく、肌を粟立て身震いしている。
 一方、アウロスは対照的に、吸い寄せられるかのようにその壁へと近付いて行った。
 壁は縦だけでなく横にも広く、その幅は光の届く範囲だけに留まらない。
「……」
 その時点で、アウロスはこの部屋に灯りがある事をようやく不自然に思った。
 あらためて壁の前に目を向けると、長い脚のランプと短い脚のランプが交互にかなりの数並んでいる。
 壁の高所のルーンまでハッキリ見えるのは、光源が高い位置にもあるからだ。
「ね、ねえ。ランプに火が点いてるんですけど。これって……」
 ラディも気付いたらしく、ぼんやりとした光に包まれたその顔が若干青ざめている。
 ランプに火が灯っている。
 つまり、そう遠くない過去にここを訪れた誰かがいる。
 そしてその人物はまだここに――――
「ようやく、ここへ招く事が出来たな」
 足音が混ざる事なく、その声はアウロスの耳に届いた。
 案の定、とも言うべき男の声。
「デウスか」
「驚きもしないあたりは流石と言っておこう。俺がいる事は想定していたみたいだな」
 魔術士とは思えないほどの巨躯。
 自信と気品に満ちた精悍な顔。
 野心を漲らせ膨張した全身。
 ランプの灯りの効果か、これまで以上にその姿は大きく見える。
「あらためて、挨拶をしよう。四方教会教区長、デウス=レオンレイだ」
 既にデ・ラ・ペーニャの教皇選挙に立候補している身でありながら、デウスは四方教会の名を使った。
 そこには強い拘りがあるのか、別の理由があるのか。
 現時点ではアウロスにはわからない。
「そして……」
「アウロスのお兄さん!」
 そして――――デウスの隣にいる、隻腕の少年。
 マルテの身体は父親との対比の所為か、これまで以上に小さく見えた。
「マルテ。ここにいたのか。見つかってよかった」
「お兄さん……」
 実際のところ、デウスの傍にいるのは想定内だった為、驚きはない。
 それでもアウロスは、安堵する自分を心中で自覚していた。
 ここに至るまで、随分と変わったものだ――――そんな苦笑混じりの自虐と共に。
「えっと、これってもしかして、親玉と遭遇した? 最後の闘いが今から始まるとか、そんな状況?
 私もしかして修羅場に片足突っ込んだ?」
「安心しろ。頭までドップリだ」
「う、嘘でしょ!? 心の準備全然できてないし、そもそも私そんな危ない場所にいる
 立場の人間違うから! 私は裏でコソコソ暗躍して、事が終わったら『この件は私の
 心の中に留めておく。情報屋だからといって、何でも公にする訳じゃないのよ』とかニヒルに
 言ってのける、そんな立場の筈でしょ!?」
「現実を受け入れろ。それに……」
 喚くラディにアウロスは一度も視線を向けず、デウスの全身を観察していた。
 筋肉の動き、視線の動き。
 臨戦態勢への移行を一瞬でも見逃せば、それが致命的となる相手だ。
「招き入れたと言った以上、俺らは客人だ。荒っぽい事をされる展開は懸念しなくてもよさそうだ」
「その割に、警戒は怠っていないようだが」
「当然だろう。先手を打たれた時点で手に負えないのはわかりきってる」
 実力差を認める発言は、それが戦士同士、魔術士同士であれば卑屈ともとれる。
 だがアウロスは研究者であり、目的を達成する為に生きている"愚直者"。
 力関係など、数ある情報と状況の一つに過ぎない。
「招待の全容、何処までわかっている?」
「全部……と言いたいところだが、この壁の意味はわからない。これは何だ?」
 視線で差したその先には、ルーンが大量に刻まれた壁。
 デウスは満足したように微笑み、身体ごと壁の方へと向いた。
「これは【エルアグアの刻壁】だ。招待客の中でこれの存在を知らないのはお前だけだったから、
 一足早く来て貰った」
「え……? もしかしてルイルイ達も来るの?」
 ルイルイという呼び名が通じるとでも思ったのか、ラディはそんな問い掛けをデウスへと投げる。
「さて、そんな名前は予定になかったが……それ以前に、お前は"招かれざる客"なんだがな。
 この国の人間か?」
「フッ、そう言えば自己紹介がまだたったっけ。いいでしょう、挨拶がてらブッこんでやるぜい」
「これはウェンブリーの情報屋だ」
「最少文字数で紹介された!? おいコラ、人の見せ場を奪ってんじゃないよ!」
 アウロスに"これ"扱いされたラディが非難を訴えるも、アウロスは【エルアグアの刻壁】を凝視したまま。
 思案顔で何かを探っている。
「これが何を意味する壁かわかるか?」
「邪術だろう。地下への封印、ルーンの文字数、見覚えのないルーン……他に選択の余地はない」
「うわ……合ってるよ。やっぱりお兄さん、スゴいや」
「ま、今更驚きはしないがな」
 マルテのキョトンとした顔の遥か頭上で、デウスは口角を更一つ上げた。
「ついでにもう一つ聞こう。招待の全容をほぼわかっているという口振りだったが……俺が何故お前を
 ここにおびき出せたか、わかるか?」
「これも選択肢は一つしかない。チャーチ=イェデンだろう」
「へ……?」
 驚いた顔を見せたのは――――ラディとマルテの二人のみ。
 デウスは肩を竦め、降参のポーズをとったものの表情は砕けたままだ。
「あのボクっ子、この筋肉質のオヤジの間者だったの?」
「間者なのかどうかはわからない。ただ、彼女はグオギギ=イェデンの玄孫で、グオギギは
 そこの筋肉質が拉致監禁している。そして彼女は例の魔術でグオギギと意思の疎通ができる。
 なら、デウスと繋がっていても不思議じゃない」
 それを承知で、アウロスはチャーチが自分の傍に留まる事を許していた。
 自分達の行動が筒抜けになる代わりに、『自分達の行動を把握している状態のデウス』という
 確かな情報を得る。
 この方が、デウスの動き方を読みやすい。
 アウロスが一番困るのは、デウスに武力行使でこられる事。
 勿論、現時点でアウロスがデウスに暴力を振われる理由は何もないが、人と人の関係は
 理屈ばかりではない。
 気に入らない、というただの生理的嫌悪で険悪になる事もあるし、命のやり取りに
 発展することだってある。
 良好な関係と思われた二人がある日突然袂を別つ事など珍しくもない。
 志半ばで倒れる訳にはいかないアウロスにとって、デウスの存在は極めて厄介だ。
 この人物の行動は把握できている、脅威ではない――――そう思われておけば、取り敢えず
 最悪の事態は回避できる。
 そういう考えもあって、アウロスはチャーチを半ば放置していた。
「成程。あの『伝声遠応』を俺への牽制……とは真逆の意味で利用した訳か」
「チャーチの意見や行動を観察しておけば、逆にそっちの動きも読めるしな。少なくとも、
 俺に危害を加えるつもりはないらしい。自分達の拠点だった所に俺達が留まっていた時も、
 音沙汰がなかったからな」
「その代わり、別の勢力から襲われたらしいな。相変わらず品のない策を講じる老害だ」
 デウスはそう吐き捨て、笑みを消した。 
「さて、挨拶はここまでだ。お前がこの教会に忍び込む事はわかっていた。俺の持つ『オートルーリングの
 論文』が目的らしいからな。だが、この論文は手渡せんね。俺には必要な物だ」
「その理由を話す為に、俺をここへ招いたんだろう?」
「そしてお前は取引の余地があると見てここへ来た。そうだな?」
 アウロスとデウスは真顔のまま睨み合う。
 長い長い化かし合いを経て、ここまで来た。
 後に引く気はどちらにもないし、目的へと続く道を譲るつもりもない。
 しかし、一人しか通れない道ではない。
 合流するメリットがあるならば、何度でも接点を作り、そして話し合いを試みる。
 アウロスは研究者だ。
 研究者にとって、このような利害関係における試行錯誤もまた業務の一つ。
 そこに躊躇の理由はない。
「次の客人が来たみたいだな」
 アウロスから視線を外さず、デウスが告げる。
 ラディは、扉を潜り現れたその人物が何者なのか、全くわからずに狼狽えていた。
 現れたのは二人。
 一人は、このエルアグア教会に勤める細身の魔術士、ゲオルギウス=ミラー。
 そしてもう一人は、ゲオルギウスに背負われた老人。
 今にも朽ちてしまいそうな肉体が痛々しい。 
「グオギギ=イェデン……?」
 顔だけで振り向いたアウロスの目には、かつてチャーチに背負われこの教会へ赴いた齢100を越える
 尊翁が映った。
「魔術士最高齢の生ける伝説……そう紹介されているのだろう、世間には」
「違うの?」
 余り状況をわかっていないラディの問いに、デウスは答えない。
 その代わりに、戯謔的な仕草でそこに机でもあるかのように両手を下に向け腰の高さに留め、告げた。
「では、始めよう。俺の所信表明演説会をな」








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