赤く揺らめく炎に照らされた地下の廊下は、木製の床板が露見した
 質素な造りだった。
 二階の廊下より明らかに狭く、絨毯や装飾も一切ない通路としての機能に特化したもの。
 誰かに誇示する、見せるということを考慮しない造りになっている。
 当然、地下にまで煌びやかさを徹底する建築物自体、まず目にすることは
 ないのだが、あらためて上の建物の持つ過度な装飾性に内心苦笑を
 禁じ得ず、アウロスは小さく溜息を吐いた。
「壁は石造りなんだ。扉は三つ、四つ……あ、消えた」
 ラディが全て確認する前に、松明に灯った炎が消える。
 一方、アウロスは既に先程の光景を頭に焼き付け終わっていた為、
 暗澹の中、何の躊躇もなく最寄りの扉に手をかけた。
 頑強な扉ではあるが、封術は施されていない。
「誰かいるか?」
 そして、日常会話と同じ声でそう問いかける。
 返事はない。
 封術も施錠もない時点で予想できたことだが、最も手前の部屋は空室だった。
「中々当たりが引けないねえ。ロス君ってくじ運悪いタイプ?」
「運はよかったり悪かったりだと思うが……」
 それは素直な自己批評だった。
 幸運な人生を歩んで来たつもりはないが、自分よりも運のない人間だって
 世の中にはごまんといる。
 それなりに信用できる人間と数人出会えただけでも、決して悪いだけとは言えない。
「ま、そんなモンかもね……で、話は変わるけど。どうしてルイルイたちに
 地下のこと言っておかなかったの?」
 本当に何の脈絡もなくムリヤリ話を連結させてくるラディに辟易しつつも、
 アウロスは赤魔術を綴りながら返答した。
「地下を大人数で探しても仕方がない。俺たちだけが探せばいいし、
 それなら伝える必要性はない」
「ふーん……ま、いいけどさ」
 珍しく反論も深追いもせず、ラディは話を区切るかのように顔を逸らした。
 実際のところ、事情はそう単純ではない。
 アウロスの生い立ちに関連する部分だ。
 ルインにとって『地下』という言葉は余り健全なものではない。
 それはアウロスにとっても同じ。
 尤も、二人の出会いの場所でもあったのだが――――
 それをいい思い出とするには、まだまだ相当な時間が必要だ。
「で? 本当のところは?」
 話を切ったと思われたラディが、顔を背けたまま再度問いかけてくる。
 鋭い――――
「正直に仰いな。私と地下に潜って何をするつもりだったのか。
 ここだったら、私がどれだけ大声で叫んでも、一階の見張りには
 幽霊の囁きくらいにしか聞こえない感じだし……うっわ、やらしー!
 ロス君ムッツリやらしー! つーか犯罪者の手口じゃん!」
 ――――訳ではなかった。
 地下という空間が生み出す緊張感を緩和させるための冗談だという
 意図を見抜きつつ、アウロスは指先に浮かした【炎の球体】を
 ラディの方にそっと放った。
「え? え? え!? ちょっ、冗だ……ヤだ嘘でしょ!? 焼ける!
 私のお肌が燃えちゃうって! イヤッ、これ以上は……」
 目を摘むってバタバタ暴れるラディの直ぐ前で、炎の球体は消えた。
【炎の球体】の出力直後にアウロスが編綴し、放った【氷塊】が
【炎の球体】に追いつき、衝突し霧散した形で。
「……熱っつ!」
 だが水蒸気までは消えず、結果的にラディは熱を帯びた水蒸気を
 顔面に食らって悶えていた。
 当然、火傷しない程度ではあるが。
「うう……ロス君、嫌がらせの魔術に磨きがかかってない……?」
「誰かさんの所為でな」
 険しい顔で漏らし、アウロスは空室を出て――――行こうとした刹那。

「――――」

 微かな音が、アウロスの鼓膜を揺らす。
「……?」
 物音というよりは、人間の呻き声のような――――
「い、今の何? あ、あれでしょ。チャーちゅんの伝なんちゃら……」
「いや違う。チャーチの声じゃない」
『伝声遠応』はもっとハッキリと声が聞こえる。
 今の声は、かなり音量が小さい上、部屋の中というよりは外から
 聞こえて来たような声だった。
「……隣の部屋?」
 ラディの指摘に、アウロスは同意した。
 ただ、アウロスの記憶が確かならこの隣は――――
「拷問室だな」
「……げ。マジで?」
 もし隣の部屋からの声なら、拷問室から漏れ出た呻き声ということになる。
 尤も、実際に呻いているとは限らないが。
「……こっちに人が来る様子はない。行ってみるしかないか」
「うわ、イヤだなー……もし誰かがボロッボロにされてるの見たら
 思いっきり凹みそう……」
「お前にそんな繊細な心はないから大丈夫だ。先に行って見てきてくれ」
「おい! 幾らなんでもそりゃねーでしょ!? 乙女! 私まだ女の子!」
 もう18歳になった筈の女がそう主張してくる。
 実に不快だった。
 とはいえ、非戦闘員のラディを本気で前に行かせるはずもなく、
 アウロスは沈黙のまま部屋を出て、その隣にあった扉の位置を
 頭の中で反芻する。
 加えて、この拷問室には施錠と封術の両方がなされていたことも思い出す。
 封術を先に解き、攻撃魔術で扉の施錠部位を破壊しなくてはならない。
 ただその場合、加減を誤ると取っ手まで破壊してしまいかねない。
 それに加え、下手をすれば中にいる(であろう)人物に怪我を負わせるハメになる。
 仮に扉の前に人がいた場合は、更に難易度が増す。
「……無駄に魔力を消費したくないんだけどな」
 そうボヤきつつも、アウロスは即刻扉破壊プランを練った。
 まずは封術の解除。
 これは以前、デウスが解除していたのを見ていた上、
 簡単な解術で問題ないことがわかっている為問題なし。
 程なく、扉に施された封術が解除される。
「おー、さすがさすが」
 いつの間にか隣に来ていたラディが露骨におべっかを唱えるが、無視。
 問題は――――次だ。
 鍵は外付けの錠前がある訳ではなく、扉そのものの内部に鍵を差し込む型。
 その部分に穴を開けるくらいの攻撃魔術を放てば、扉を貫いた攻撃魔術が
 中にいる人間を直撃する可能性がある。
 力加減がかなり難しい。
 しかも重厚な扉だけに、壊すにはそれなりの殺傷力が必要。
 アウロスの苦手分野だ。
「おい! 誰か中にいるのか?」
 当然、その前に声かけ。
 反応してくれれば何の問題もない。
 だが、既にラディが大声を出している中、呻き声以外の反応が
 なかった時点で、その可能性はほぼゼロだ。
 案の定、返答はない。
 呻き声すら聞こえて来ない。
 壁の方が扉より薄い可能性もあるが、いずれにせよ不気味な状況だ。
「……仕方ない。やるか」
「がんばれー」
 これから行う高度な破壊行動など知る由もないラディの気の抜けた声援を受け、
 アウロスは脱力しながら扉と向き合った。
 選択した魔術は、雷を基調とした黄魔術。
【雷槌】という、黄魔術の基本的な魔術だ。
 掌から、貫通力のある細い雷を水平方向に発するだけの単純な構造。
 ただし、威力は【炎の球体】や【氷塊】といった他の分野の攻撃魔術より
 やや高めだ。
 とはいえ、分厚い扉を貫くには、それなりに魔力を積む必要がある。
 当然、威力を増しすぎれば中に被害が発生しかねない。
 アウロスはオートルーリング用の魔具を外し、旧式の魔具をはめ、
 慎重にルーンを綴った。
 この繊細な作業は、オートルーリングではまだ行えない。
「さて……」
 編綴完了。
 上手く行くか否か――――アウロスの手から、雷が解き放たれた。
「わわっ!」
 成果は一瞬で判明。
 小さい音と共に、扉の施錠部分が抉られていた。
 穴は空いているが、貫通までは至っていない。
 ――――成功だ。
「よし」
 特に達成感を味わうでもなく、アウロスは直ぐに扉を開く。
 だが――――
「……人、いないんじゃない?」
 ラディが後ろからそう指摘するように、人の気配はない。
 赤魔術を使い、部屋の中を照らしてみるが――――
 以前見た拷問室が広がっているのみで、人っ子一人見当たらない。
「じゃ、じゃあさっきの……もしかして……ゆ、幽霊? そ、そんな
 訳ないよね。そんな訳ないじゃないこのご時世。ば、ばっかばかしい。
 私もう大人の女よ? 幽霊なんてそんな、そんな御伽噺信じてる訳ないし……」
「さっきまで乙女とか言ってなかったか?」
「何へーぜんとしてんのよ! 声がしたのに誰もいなかったのよ!?
 フツーはビビるでしょーが! そんな私を誰も責めることはできないでしょーが!」
 ガタガタ震えながら頭を抱えるラディとは対照的に、
 アウロスは至って冷静。
 何故なら、以前同じようなことを体験しているからだ。
「……グランド=ノヴァか?」
 ポツリと、その名を呟いた瞬間――――

「下……だ。この……下に……ある」

 そんな、確かな『声』が拷問室に響きわたった。









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