「……どうしたのかね?」
 ビクッと身体を震わせたアウロスを、ロベリアが怪訝な顔で見下ろしている。
 奇行とは縁遠い人格とあって、余計に不気味に映ったのだろう。
「いや、疲れてるのか、まだ頭が起きてないのか……幻聴が」

《幻聴じゃないよ! ボクだよ! チャーチ=イェデン!
 アウロスさんの将来のお嫁さんだよ!》

 チャーチ――――その名前で、アウロスは彼女の不可思議な能力を思い出し、
 同時に納得した。
 神杖ケリュケイオンという杖を使った、規格外の魔術。
 遠く離れた場所にいる人間に話しかけるという、魔術のメカニズムからは
 考えられない技術だ。

《この『伝声遠応』は、ケリュケイオンに登録した魔具を媒体として、声の交信を行う
 技術なんだよ。黙って登録させて貰ったけど、いずれ夫婦になる仲だし問題ないよね!》

「……ない訳がない」
 いつの間にか、自分の魔具に得体の知れない役割が追加されたことに
 アウロスは不快感を禁じ得なかった。
 一方で――――
「ふむ……『幻聴がない訳がない』とは驚いたな。そこまで疲労しているとは」
 伝声遠応とやらは、当人以外には聞こえないらしく、
 ロベリアに奇妙な印象を与えてしまった。
「……そう解釈されても仕方のない発言だったとはいえ、そこはもう少し
 疑いを持って欲しかったところだ」
「では、幻聴ではないと?」
「ああ。実は……」
 信じて貰えるかどうかは微妙なところだったが、隠したところで
 大した意味もないと判断し、アウロスはチャーチのことを素直に話した。
 幸い、ロベリアはチャーチのことを知っていたらしく、直ぐに理解を示した。
「……あのグオギギ=イェデンの玄孫がケリュケイオンを相続していたとはな」
「あの杖も知ってたのか」
「あれはデ・ラ・ペーニャに紛れ込んでいた邪教の一味が魔術士の
 技術を盗んで開発したとされる、呪われた杖と聞いている。
 ある意味、邪術と似たようなものかも知れぬな」
「邪術と似たようなもの、だそうだ。お前の杖は」

《心外だよ! ボクの杖は神の杖だし! 神々しい存在感とか最先端の技術とか、
 ボクに相応しい杖だとアウロスさんも思うよね?》

 チャーチの異論がアウロスの口からロベリアに伝えられることはなかった。

《って、それより大変だよ! 非常事態発生!》

「……何があった?」
 切羽詰まった感はないものの、非常事態という言葉は無視できない。
 身構えたアウロスの耳に届いた内容は――――

《拠点がルン爺にバレたみたい! 刺客がどっと押し寄せてきた!》

 非常事態の範疇すら超える、最悪の事態だった。
「まさか、誰か負傷したのか?」

《ううん。っていうか、ルインさんが瞬殺したから、ボク出番なし》

 死神を狩る者――――その異名は伊達ではない。
 アウロスは安堵の息を吐きつつ、なんとなく帰るのが怖くなった。

《でも、ここにいるとまた刺客がやって来そうだし、厳しいかも。ルン爺、かなーり本気だよ。
 取り逃がして恥かいたってのもあるけど、ボク達を捕まえてウチのジジイの居場所を
 吐かせるとか、アウロスさんのオートルーリングの技術を盗むとか、色々画策してるっぽい》

「だろうな……」
 アウロス達は、ルンストロムにとって『デウスの弱味を握る上で格好の標的』。
 グオギギ=イェデンの拉致がデウスの仕業とわかれば、デウスを失脚させるのは
 余りに容易い。
 グオギギが何処に監禁されているかがわかれば、それを公表しつつ調査の名目で
 乗り込めばいい。
「わかった。次の潜伏場所を確保するまで、適当に移動しておいてくれ。
 連絡は定期的に頼む。時間帯は……」
「待ちたまえ、アウロス」
 チャーチに指示するアウロスに対し、ロベリアが落ち着き払った顔で割り込んでくる。
 一瞬躊躇したが、アウロスはロベリアの話に耳を傾けた。
「負傷、潜伏場所という言葉から察するに、身を隠している場所が敵に暴かれた。そうだな?」
「ええ。ルンストロム首座大司教と少しいざこざがありまして」
「やはりか……道理で今朝、このような怪文書が届いた訳だ」
 ロベリアは顔色を変えず、先程まで目を通していた書類を拾い上げ、アウロスに見せる。
 そこには荒い字体で脅迫文が記されていた。
「御令嬢が次期教皇立候補者ルンストロム=ハリステウスを襲撃したことを知っている。
 立候補を取り下げなければ、この事実が公になることを覚悟すべし……か」
 フレアはロベリアの娘ではあるが、同時に『魔術士殺し』でもある。
 ロベリアの敵となり得るのは当然、魔術士。
 その魔術士からロベリアを守る為、フレアは暗殺者まがいの技術を身につけた。
 当然、そのような娘がいると公表できる筈がない。
 ロベリアはフレアという娘がいると大っぴらにはしていないだろう。
 それが今回、大きく影響した。
 ロベリアの娘がルンストロムを襲った――――という事実を上手く利用する為には
 この件をロベリアにではなく、選挙管理委員会のメンバーにこそ伝えるべきだ。
 だがその場合『ロベリアには貰い娘がいて、その娘が自分を襲った』という
 二重に信じ難い事実を伝えなければならず、報告が却って不審に思われかねない。
 例え調査に乗り出されても、フレアが身を隠せばそれで済む。
 ルンストロム以外はロベリアの娘の存在自体知らなかったのだから、
 宿の一室でルンストロムと対峙したアウロスの傍にいた少女が、ロベリアの娘だという
 確たる客観的証拠は何処にもない。
 だから、苦肉の策としてロベリア本人への脅迫に打って出た――――
 そんな苛立ちが筆跡にも滲み出ている。
「仮に、選挙で勝ち目がないとなれば、玉砕覚悟で私を潰しに来るかも知れぬが、
 現状では危ない橋は渡るまい。委員会の心証を悪くしかねない」
「俺もそう思う。この脅迫状は気にする必要はないだろう」
「うむ。だが、万が一ということもある。私としては、君達がルンストロムに
 捕えられるという最悪の事態は回避したい。そこで、この屋敷だ」
 ロベリアは応接室の空間を親指で差す。
 まるで若者のような、何処か活き活きした所作だった。
「ここなら、ルンストロムは迂闊に手出しはできぬ。仮にも枢機卿である私の
 所持する屋敷だ。デウスのような傍若無人、その上聖下の御子息という立場の人間には
 利かぬが、ルンストロムには私の権力が通用する」
 ルンストロムは幹部位階4位、首座大司教。
 ロベリアは幹部位階2位、枢機卿。
 同じ立候補者でも、現時点での地位はロベリアが上だ。
 そもそも枢機卿より上の位は教皇しかなく、ロベリアはデ・ラ・ペーニャで二番目の地位にある。
 実際に二番目に偉いかというと、例えば『元枢機卿』といった人物も健在とあって
 話はそう単純ではないのだが、国の中核を担うほど偉いのは間違いない。
「……いいのか?」
 そんな地位の自分に終始敬語を使わないアウロスに対し、ロベリアはニコリと微笑んだ。
「ただし、ここを隠れ家とする意味は理解して欲しい。私の協力者となって貰うことになる」
 つまり、教皇選挙においてロベリア=カーディナリスを支持する立場につくことを意味する。
 当然、アウロス達が仲間になったところで、ロベリアに政治的メリットは何もない。
 あるとすれば――――
「お前の知恵を借りたい。頼む」
 アウロスという人間に見出したメリット。
 ロベリアは、枢機卿という立場にいる稀代の魔術士は、アウロスに躊躇なく頭を下げた。
「……そういうのが一番困る。取り敢えず、頭は上げてくれ」
 他人からの敬意に慣れていないアウロスは、心底苦心した面持ちでそう促した。
 それに、答えはもう出ている。
「俺は自分の目的の為に行動してる。その目的に直結しない以上、誰が教皇になろうと
 俺の知ったこっちゃない。ただ、それはそれとして、これまで会ってきた三人の中では……」
 アウロスは素直に、それを口にした。
「ロベリア=カーディナリスが教皇になるのが一番、この国にとって有益だと思う」
「……そうか」
 ロベリアは染み入るようなアウロスの声に、浅く頷いた。
 それは両者にとって、契約の締結を意味した。

《もしもーし! おっかしーなー、もしかして交信、切れちゃった?》

 斯くして――――アウロスは新たな拠点を得た。









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