ある意味、魔術戦以上に疲弊するデウスとの舌戦を終え、翌日――――
「……フレアはまだ起きてないのか」
 眠気の残る目元を擦りながら、応接室を訪れたアウロスの目には
 既に身支度を整えたロベリアだけが座していた。
 枢機卿の朝は早い。
 まして次期教皇に立候補している以上、睡眠時間を削る作業は必須だ。
「ぐっすり寝ていたのでな。起こすのは憚られた」
「甘やかし過ぎだと思うけどな」
 呆れ気味にため息を吐き、アウロスは書類に目を通しているロベリアの
 対面に腰かける。
 まだ老齢という訳ではないものの、ロベリアの顔には年季の入った
 皺が刻まれてた。
 長年の心労に加え、現在の状況が皺の陰をより濃くしているのは、言うまでもない。
「あの子は逞しく育ってくれたが、繊細な面は昔から変わっていない。
 幼少期に愛情を注いで貰えなかった子供特有のものだ。少しずつ、
 時間をかけて律するところは律するつもりだよ」
「……成程。どうやら俺が口を挟む余地はないらしい」
 父親として、フレアに対しての教育方針が定まっているのなら、
 アウロスに出番はない。
 そもそもアウロスには、父親の記憶が皆無。
 当然自身も父親ではないのだから、父性とはまるで縁がない。
「とはいっても、これから忙しくなるだろう。フレアと直接話をする機会は激減する。
 やっぱり起こしてこよう」
「いや、その気持ちはありがたいが……あの子がいない方が好都合だ」
「……俺と話がある、そう言いたいのか?」
 腰を上げようとしたアウロスは、書類を机に置き頷くロベリアに従いその場に留まった。
 アウロス自身、早めに起きてここへ来たのも、ロベリアが発つ前に
 聞いていきたいことがあった為。
 思惑が一致したところで、先に口を開いたのは――――
「率直に聞きたい。私に教皇としての資質があると思うかね?」
 険しい顔つきのロベリア。
 余りにも漠然とした、それでいて重い質問だった。
「……聞く相手を間違えてないか?」
「君には随分と素に近い顔を見せてきた。公人としての私しか知らない者よりは
 忌憚ない意見が期待できると思ってね」
 無論、アウロスの意見を自分の行動指針や自覚に反映させるような立場の人間ではない。
 それでもこんな質問をしてきたのは、迷いがあるからなのか、それとも――――
「俺にわかるはずがない。そもそも、教皇の資質自体知りようがないからな」
 いずれにしても、アウロスは答えを持たなかった。
「なら、角度を変えよう。上に立つ者として、私は相応しい人間だと思うかね?」
「……」
 わざわざアウロスの目線にまで下がってきてまで、ロベリアは質問を続けた。
 ここまでされては、何らかの回答をせざるを得ない。
「上司に求める人間像は、人それぞれだろうが……魔術士である以上、魔術士としての
 力を誇示できるだけの能力は必要だ。研究、臨戦、啓蒙……なんでもいい。
 魔術士として優れている面がなければ、魔術士からの尊敬は集まらない」
 デ・ラ・ペーニャは魔術国家。
 国民の多くは非魔術士であり、アランテス教徒でない者も相当数いるものの、
 その冠は魔術士ではない人間にとっても、他国の人間にとっても目につく。
 教皇は魔術国家のシンボル。
 魔術士としての力がなければ、責務は果たせない。
「……とはいえ、これは最低条件だし、仮にも立候補者が魔術士としての
 実績、能力に不足しているとは考えられない。俺に枢機卿ロベリア=カーディナリスに
 その能力が備わっているかどうかの判断は不可能だけど、立候補している時点で
 条件は満たしていると判断する」
 ここまでは、誰もが考える正論の範疇。
 ここからはアウロスの考える上司像だ。
「それに加えて……言葉の軽い人間は、俺は嫌いだ」
「言葉の軽い人間、か。嘘は嫌いかね? 昨日ハッタリを言ったばかりではないか」
「嘘をもって言葉が軽いなんて、枢機卿らしくもない考えだな。言葉の重みに
 真実も虚実もない。どれだけ言葉に背景と意味と意義を乗せているか。それが重みだ」
 アウロスは何より合理性を重要視している。
 目的への最短距離を導き出し、そこへ移動する為のあらゆる方法論は、
 合理性によってのみ算出されると信じている。
 それは、以前より若干ながら視野が広くなった今も変わらない。
「経験の裏打ちもなく、動機も見通しもない言葉ばかりを吐く人間は、
 上に立つべきじゃない。そういう人間が質の悪い愚かな存在とは思わないけど、
 上に立つ以上は常に言葉を重くしておくべきだ」
「騎士が常に鎧を身にまとい、その威厳を保持しているように……か。確かに魔術士で
 あるならば、鎧は少々重すぎる。魔術と言葉での誇示が妥当かもしれんな」
 ロベリアは一定の理解と納得を得たらしく、微かに顔を綻ばせた。
「では、例えばデウスはどうかね? 彼に人の上に立つ資質はあると思うか?」
「ああ。あの男は常に自分の利を考えて喋ってる。重要なのは、利を優先してる訳じゃないって
 ところだ。ある一面だけを切り取れば道化のようで、別の一面を見れば支配的でもありながら、
 実際には複数の角度で物事を推し進めているように思う。あの男は、上に立つ人間だろう」
「同感だ。性格的には相容れないものが多すぎるが、その点は私も認めている」
「それに……あの男が執拗に『教皇』じゃなく『王』にこだわっている理由が
 昨日見えたような気がした。嫌いにはなれない理由だ」
「ほう……どんな理由かね?」
 アウロスは、話すべきかどうか一瞬迷い、あくまでも自分の見解だと念押しした上で――――
「父親だから、だと思う」
 そう、理由を口にした。
 敢えて全てを語らなかったが、ロベリアは一瞬でアウロスの言葉を正確に理解したらしく、
 深く頷き、同時に懐疑的な苦笑も浮かべていた。
「あの男に、そんな考えがあるのだとしたら、もう少し謙虚になれると思うのだがな」
「その辺は、俺にはよくわからない領域だから何とも言いようがない。父親という
 立場にいるアンタの方が真実に近い場所にいるだろう」
「父親……私にそう言える資格があるのかどうか」
 既にアウロスも知っているように、ロベリアはフレアの本当の父親ではない。
 その事を言っているのだろうと推察したアウロスは、それを否定する言葉を
 頭の中で用意したが――――
「私はあの子に支えられて生きているようなものだからな」
 ロベリアの本音は、アウロスの想像とは違っていた。
「あの子は、権力の権化だった私を随分人間らしくしてくれた。あの子を引き取らなければ、
 私は今頃ルンストロムのようになっていたかもしれん」
「……随分と嫌われてるみたいですね。あの首座大司教」
「己の野心の為に、平気で味方を切り捨てる割り切りはある意味尊敬に値する。
 その計算力は上に行ける人間の条件かもしれん。だが、あの男は品性がない。
 何より、集団を己の所有物と信じている節がある。とても教皇にはさせられんよ。
 私が次期教皇に立候補した理由の一つが、あの男の就任を阻止する為だ」
 決して口が悪い訳ではないロベリアだったが、ルンストロムへの悪態には躊躇がなかった。
 アウロス自身、ルンストロムに殺されかけたばかり。
 当然彼にいい印象はない。
「流石に、アンタがああなる姿は想像できないが……」
「わからぬよ。総大司教ですら、戦争という大義を前にして過ちを犯した」
 総大司教――――それがルインの母、ミルナ=シュバインタイガーを指していることは
 即座に理解できた。
 同時に、ロベリアの持論が一瞬で納得いくものとなった。
 あれほどの人格者でも、道を間違えることはある。
 そして、教皇という立場の人間が道を間違えばどうなるか、想像は余りに容易い。
 だとするならば、上に立つ人間の資格というのは無意味な空論なのかもしれない。
「私は、今の私ならば教皇としての責務を果たせると信じている。だからこそ立候補した。
 敗戦国となったこのデ・ラ・ペーニャを立ち直らせる新政策にも自信がある。
 同時に、この国が積み上げて来た歴史を重んじる気持ちも、他の候補者にはないものだと
 確信している。しかし……それでも、道を誤らないとは限らないのが世の常だ」
「監視役を立てればいい。信頼する人間に、自分を監視させておく。道を誤っても、
 その人間がそれとなく方向転換してくれるなら、大過なく務められるだろう」
 そう論じるアウロスに、ロベリアはゆっくり瞑目した。
「善き王に善き参謀あり。優れた右腕を選出する目を持つことこそが、王の資質。
 昔から言われていることだが……やはり、そこに落ち着くか」
 自分の望んでいた答えに辿り着いた満足感か、それとも堂々巡りからの
 脱却が叶わなかった不満か――――ロベリアの声には疲労が滲んでいた。
「随分と参考になった。感謝する」
「大して役には立たなかったと思うけど」
「さて。それはこれからわかることだ」
「……?」
 気持ちを切り替えたのか、ロベリアは心持ち機敏に立ち上がる。
 アウロスはその満ち足りた姿と要領を得ない言葉に疑問を抱きつつも、
 思考を今日の行動に切り替えようとし――――

《アウロスさん! ボクだよ! 聞こえる?》

 唐突に出現した幻聴に、思わず身を竦ませた。









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