「……賢聖、ときたか」
 もう100年近く実在していない、幻の称号。
 デウスが暫く閉口していたのも、無理のない話だった。
 とはいえ、呆れ返ってはいない。
 依然として、アウロスの言葉に対し真剣に向き合っている。
 一方、デウス以上に『賢聖』という称号をよく知るロベリアは
 あからさまに引きつった顔を覗かせていた。
 そんな周囲の反応を観察し終え、アウロスは遠くに向けていた視線を
 応接室の入り口、扉へと向ける。
「今からミスト以上の研究者になるよりは可能性があると思わないか?」
 そして、大胆不敵にもそう告げた。
 賢聖の称号を授与するのは国、つまりは教皇だ。
 デウスが王となった場合は、王が授けることになる。
 逆に言えば、いくら100年近く眠ったままの称号であっても、
 国の長が首を縦に振れば確実に得られるものではある。
 勿論、実現可能であることと、実際に授かる未来の間には大きな、
 とてつもなく大きな隔たりがある。
「……何故、賢聖がこの94年もの間不在だったのか。それを考えないお前ではないだろう」
 デウスの言葉通り、それには明確な理由がある。
 アウロスも十分にそれは理解している。
 仮に、デウスが王になったとして、アウロスがデウスの下についた場合――――
「俺なら、賢聖の称号は与えない。お前にという訳ではなく、誰に対してもな」
 確実に、その発言通りの未来が待っているだろう。
 デウスは王制を望んでいる。
 一族の権力によって国を統轄することを。
 そこに賢聖という、一般人にとっての英雄であり、わかりやすい象徴が
 生まれてしまえば、果たしてどうなるか。
「そいつを担ぎ上げ、王権を奪おうという動きが確実に生まれる。
 敗戦国からの脱却を目指す、この疲弊した国内で、内戦の火種を作るなど
 言語道断だ。俺だけじゃない。そこにいるロベリアも、もう一人の候補者も
 同じ意見だろうよ」
 デウスの意見は、余りにも簡単な理屈だった。
 もしここで『よし、お前が俺の元に来るなら賢聖にしてやろう』とデウスが言えば、
 その瞬間に器の程度が知れるほどに。
 そんな当然といえば当然の反応に対し――――
「そうか? わからないと思うが」
 アウロスは、真っ向から反論した。
 だが、その理由までは言及しない。
 暫く、睨み合いが続く。
 口火を切ったのは――――
「……既に、俺以外の候補者から約束を取り付けたのか」
 デウスの憶測だった。
 アウロスのあり得ない発言と、賢聖という余りにも不釣り合いな言葉が
 その推察を生んだ。
 真実でなければ、賢聖などという既に消え去ったとさえ言える称号を
 選択肢の中にいれるはずがない、そもそも発想さえないだろう、と。
「だとしたら、俺の勧誘は茶番以外の何者でもないな」
「なら、お帰りはあっちだ」
 今度はアウロスが、スッと指を伸ばす。
 先程から見据えていた扉へ向かって。
 デウスは苦笑しつつ、踵を返す。
 ここにはもう用はない――――そう判断したらしい。
「……アウロス」
 一歩踏み出す前に、デウスは口を開く。
「この交渉、勝ったのはお前か? 俺か?」
 アウロスは淀みなく――――
「お前だよ。ここにお前がいるとは想像もしなかった。大した行動力だ」
 そう回答した。
「……そうかい。それなら、今日から俺とお前は正式な敵同士だ」
「俺にその気はないけどな」
「眼中にないか? 俺は」
 顔を扉に向けたまま、デウスは少しだけ声を細め、そう問う。
 また、即答だった。
「本当に俺の目の前からいなくなってくれるのならありがたい。
 お前には、別にいるべき場所があるはずだからな」
「それは、玉座だ」
 最後にそう答え、デウスは応接間を後にした。
 心持ち、早足だった。
「……ふう」
 扉の閉まる音と同時に、そんなため息を吐いて――――ロベリアが首を左右に振る。
 途中から当事者ではなかったはずだが、彼が一番疲れていた。
「賢聖とはな……ルンストロムの入れ知恵かね?」
 呆れ気味にそう尋ねながら、ロベリアはアウロスの対面に歩み寄り、深く腰かける。
 フレアはその様子に若干戸惑っていた。
 怒っているように見えたのだろう。
「あ、あの、コイツは別にそのナントカってヤツとは……」
「ルンストロムは敵だ」
 慌てて父親に説明しようとしたフレアを遮り、アウロスがキッパリ断言。
 いよいよ不可解という顔をしたロベリアは、その数秒後にようやく事態を飲み込んだ。
「……ハッタリか!」
「そういうことだ」
 少し考えれば、誰にでもわかる。
 しかし、デウスにとって、或いはロベリアにとってもそうなのだろうが、
 ルンストロムという人物は相当な悪だというのは言動からも明らか。
 アウロスは、そこを突いた。
 ルンストロムならやりかねない――――と。
「だが、幾らなんでも騙し続けることはできないぞ。デウスは決して……」
「バカじゃない。寧ろ切れる。当然、虚実の可能性は頭に入ってるだろう。
 その上で、ああいう対応ができる辺りは大したモンだと思うよ。
 道化になることへの躊躇がない」
 それは、ミストとは大きく異なる点。
 デウスは敢えて、完全に騙されている振りをしてこの場を去った。
 アウロスはそう判断していた。
「でも、確実にハッタリだという結論には到らない。名前を呼ぶのも
 イヤなくらい、ルンストロムを毛嫌いしてるみたいだしな」
「それは……確かだろう。水と油というくらい、考え方も生き方も真逆だ」
 ロベリアは疲労感を漂わせ、再びため息。
 フレアは怒気が抜けたと思ったらしく、安堵した様子で胸を撫で下ろしていた。
「なら、ありがたい。実際に賢聖になんてなれるものじゃないけど、
 俺が賢聖を目指している、賢聖になるツテがあると頭の片隅にでも入っていれば、
 必ずそれがミストに伝わる」
「ミスト? 何でそうなるんだ?」
 突然出て来た脈絡のない名前に、フレアは不可解だと首を捻る。
「デウスはオートルーリング用の魔具を欲している。俺がそれを譲渡しないと
 わかった以上、ミストとの交渉材料が欲しいはずだ。万が一、俺が賢聖になれば
 ミストは困る。この情報は、交渉の武器になり得る」
「……よくわからんけど、そうなるんだろうな。お前が言うなら」
 生返事をするフレアとは対照的に、ロベリアはまるで絶望したかのように
 両手で顔を覆った。
 そして、暫く俯いた後に失笑。
「おぞましいほどの悪知恵の持ち主だな」
 最高の褒め言葉を添えて。
「……枢機卿にそこまで言われると、いよいよ来るとこまで来たと思えるな」
 アウロスは割と傷ついた。
「しかし、本当にあれでよかったのか? 一部始終を聞いていた訳ではないが、
 お前の目的がデウスの持つ論文の奪取だと言うのなら、デウスの下に
 ついた方がやりようがあったのではないか?」
「論文を取り戻すっていうのは、単に論文そのものを手に入れるって
 意味じゃないからな。そういう意味では、俺の敵はデウスじゃない。
 俺の論文の一番上に、自分の名前を厚かましくも記したどこぞの教授だ」
「こわい」
 無表情で殺気を放つアウロスに、フレアは素直に怖がっていた。
「それに、敵じゃないとはいってもデウスをこの国の頂上に据える手助けはできないな。
 あの男は嫌いじゃないが、研究者を軽んじているのが気に入らない。
 アイツが王になれば、研究者の立場が悪くなりそうだ」
 アウロスは自分で発言しながら、研究者としての自分を強く自覚した。
 自分は魔術士ではない、と常に言い放ってきたが、魔術やそのシステムを
 生み出す研究者としての自分には、誇りのようなものがあるのかもしれない。
 そう考えると、今後のアウロスでない自分の人生は
 余り明るいものにはなりそうにない。
 尤も、そこまで考えたことはこれまで一度もないし、
 考える余裕などあるはずもないのだが――――
「……そうか」
 ロベリアは納得したように頷き、口元に手を置く。
 何かを思案しているようだ。
 沈黙は続き、熟考にまで及ぶ。
 そして、ようやく口にしたのは――――
「ところで、ウチの娘をよろしくと言っておいたのだが……
 よろしくしてくれる決心はついたのかね。式は早い方が望ましいぞ、父としては」
「おい」
「おい」
 年寄りの寒い冗談だった。









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