翌日――――
「……」
 顔色の悪いアウロスとフレアは、一切言葉を交わさないまま馬車に揺られ
 アウロスにとっては何度か足を運んだ、フレアにとっては何度も足を運んだ
 ロベリアの屋敷へと向かう。
 なお、緊張感が原因ではない。
 明らかに昨日食べた夕食の何かによる体調不良だった。
「……着いたな」 
 それでも、屋敷に辿り着く頃にはどうにか回復。
 脂汗を拭いながら、アウロスは屋敷の扉を叩いた。
 上空に浮かぶ陽は、既にかなり傾いている。
 午前中は一切動けなかったので、致し方ないところだ。
 教皇選挙が始まった今、ロベリアが日中ここへ帰ることはまずない。
 一日中帰ってこない可能性もある。
 それでも、今は待つしかない。
 これからは選挙活動の為、各聖地を飛び回る生活が予想され、
 日が経つにつれ会える可能性は低くなっていく。
 この時期が最後の好機だ。
「まだ帰っては来てないだろうから、今から緊張しなくてもいい。力抜け」
「別に緊張なんてしてない。父に会うのに緊張なんてしない」
 そう答えつつも、フレアの顔は堅い。
 幾らロベリアから温かい言葉を貰っても、そう簡単に意識は変えられない――――
 そんな悲鳴が聞こえてきそうなほどに。
「……難しいんだな。親子ってのは」
 呟きながら、アウロスはルインの親子を頭に浮かべていた。
 アウロスには決して実感できない、極めて厄介な問題。
 親子の関係がギクシャクしている家庭など、どこにだってある。
 ただ、ルインにしろフレアにしろ、親が偉過ぎる故に子が苦労している
 という点では共通している。
 そして、今ここにはいないマルテに至っては尚更面倒な問題だ。
 とはいえ、根本にあるのは単なる肉親同士の気持ちのすれ違い、
 意思疎通のなさ、思いやりの欠如など。
 石を投げれば当たりそうなほど、あちこちに存在している身内のゴタゴタだ。
 想像するだけなら、親のいないアウロスにもできる。
 だが、親と子の関係特有の『頭でわかっていても心が納得しない』
 もどかしさについては、どれだけ理屈で把握しようと真の意味で理解はできない。
 そういう意味では、実の親子ではないフレアとロベリアの間にある問題も、
 実のところアウロスが抱えている欠落感に近いのかもしれない。
「難しい。闘いで傷つくよりずっと痛い思いをする」
「……そうか」
 決して難解さを含まないはずのフレアの言葉が、どんな論文の問題提起よりも
 深く感じてしまうのは、果たして正解なのか否か。
 アウロスは頭痛がしそうな頭を抱えるように、屋敷の入り口の扉を叩いた。
 使用人くらいはいるだろうと踏んでいたが――――
「生憎、この家の主はいないぜ。わかっちゃいたんだけどな」
 誤算は二つ。
 背後から突然、フレアも反応できずに声を掛けられたこと。
 そして、声を掛けた相手が――――
「本格的に選挙が始まる前に、一度サシで話がしたかったんだが……」
 よりにもよって、最も会いたくない人物だったこと。
「……非常識にも程があるな。選挙で戦う相手を本人が直接訪問とは」
 心底呆れながら、アウロスが振り向いた先には――――
 デウス=レオンレイの姿があった。
「仕方がないだろう。部下を使う、手紙を書く、情報屋を雇って代弁させる……
 その全てが無意味だ。選挙前だからこそ無意味になる。違うか?」
 デウスは以前となんら変わらない、快活な笑みを浮かべている。
 同時に、隣のフレアが一瞬殺気を膨張させた。
 接近に気付かなかったことへの羞恥を排除し、自分の役割を果たすための責任感を
 満たすには、目の前の男を仕留めるしか――――
「……!」
 刹那、ブルッとフレアの全身が震える。
 アウロスの右手の指が、フレアの首筋をそっとなぞったからだ。
 本来なら頭をはたくか蹴りの一つでも入れて頭を冷やすよう促すところだが、
 周囲が女性ばかりになったことで、暴力的な行為は控えるべきと判断し
 極力殺傷力を抑えた形での抑制となった。
「……うう」
 結果、かなり効果があったらしく、フレアは肌を粟立て縮こまる。
 ただし、アウロスを睨むその目は明らかに敵意を込めていた。
「そこまで考えるのなら、面会を拒否される展開くらい考えつくだろう」
 それをサラッと無視し、デウスへ向かって当然の内容を言い放つ。
 立候補者が公の場以外で話をするなど、論外中の論外だ。
「ま、その通りだ。本音を言えば、お前に会う為だ。ここにいればお前が来ると思っていた」
「寝言は寝室で気怠げに呟け」
 当然、デウスの発言が真実であるはずもなく、アウロスの目が半眼になる。
 実際のところは、本格的に選挙が始まる前にロベリア陣営をかき回して
 おきたかったのだろう――――そう結論付け、アウロスはデウスに背を向けた。
「勝手に入るのか? 仮にも枢機卿の使っている屋敷だぞ?」
「こっちにはその家の関係者がいるんでな。客じゃないんだ」
「……なるほど。それなら、俺もその関係者の関係者ということにして貰おうか」
 フレアがまだゾワゾワとしたまま立ち尽くしている中、アウロスに続き
 デウスも屋敷の中へと入っていく。
「ちょ、ちょっと待て。私の家に勝手に入るな!」
 最後尾をこの家の主の娘が追いかけるという何とも締まらない空気の中――――
 アウロスとデウスは何度目かの再会を果たした。

 


「ではフレア様。何かありましたら、いつでもお呼びつけ下さいませ」
「わ、わかった」
 応接室へ案内した使用人が深々と頭を下げ、部屋から出て行くのを
 フレアだけが口をへの字にして眺めている。
 一方、デウスとアウロスは――――
「随分と高そうな机だな。この椅子にしても……国の上に立つ人間が
 贅を尽くすというのは、如何なモノかと思うがな」
「応接室を安く済ますのが得策とは思えないが。それよりも色合いの方が問題だ。
 こういう交渉の場では、明るい色合いの方が心理的に有効だと思う」
 それぞれ言いたい放題ケチを付けていた。
「……父の選んだ家具に文句を言うな。切り刻むぞ」
 先刻の怒りもあってか、フレアが小型円月輪をアウロスの首筋に当てる。
 既にデウスも目にしている武器なので、隠す意味もないという
 冷静な判断がフレアにできているかどうかはともかく、目は据わっていた。
「悪かった。で……どうするんだ? まさか今日はここに泊まるなんて
 惚けたことを言う訳じゃないだろうな」
 素直に謝罪したことで、首筋の冷たさから開放されたアウロスに対し、
 デウスは大げさに肩を竦めてみせる。
「そうだな。とりあえずは……」
 だが、次の瞬間――――
「裏切り者に、死を」
 獰猛な獣のような目で、アウロスを睨んだ。
 当事者ではないフレアが息を呑むほどの迫力。
 そして、当事者は――――
「……裏切るも何も、俺はお前の味方だったことは一度もない」
 冷めた目で、デウスの脅しを聞き流していた。
「チッ。つれないヤツだな」
 渾身の脅迫が不発に終わったことへの不満か、自分が最初から一切
 信用されていなかったことへの皮肉か。
 デウスは舌打ちしながら、目つきを一瞬で元に戻した。
 同時に、フレアはいつの間にか力の入っていた首や肩を慌てて脱力させる。
 この手の駆け引きに慣れていない為、何が本気で何が遊びなのか
 全くわかっていないようだ。
「お前とは、常に腹の探り合いをしてきた。言葉にしなくても俺たちは
 いつだって意見交換と意思の疎通を繰り返してきた。お互いの目的が明瞭である以上、
 その一助となれば協力を、邪魔となれば離脱と排除を。そうだな?」
「少し気持ちが悪いが、否定はしない」
 自身の言葉に片目を瞑ったアウロスに対し、デウスは満足げに微笑む。
「なら、裏切りもクソもない。『誘拐事件』以降のお前の行動も、その一環だ。
 お前は俺が責めるつもりはないと知っているし、俺もお前が怯えているとは思っていない。
 そして俺らがこうして対峙している以上、次に交わすのは……」
「これからのこと」
「そうだ。目的へと向かう為、お互いに何が必要か。その為に何を利用できるか、
 できないのか。俺が話したいのは『未来』だ」
 先程非難した机に右肘を乗せ、デウスは断言する。
 利用。
 それは、一切の飾り気がない、それでいて明確な客観的意思表示。
 同時に、アウロスが好む言葉でもある。
「だが、その前に少しだけ過去を語っておきたい」
「……」
「そう睨むな。意味のない脱線じゃない。お前の元上司に関係している話だ」
 元上司――――それが当てはまる人間は極めて少ない。
 そして、デウスとの接点を考えれば、該当する人物は一人。
「もう気付いているだろうが……俺がお前の論文、オートルーリングに
 興味を持ったのは、ミスト=シュロスベル絡みだ」
 既に確信を持っていた答えが、デウス本人の口から能動的に語られた。
 アウロスは、そっと警戒を強めた。








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