「ところで……ここって、何するトコなの?」
 今、マルテたちはエルアグア教会の中にいる。
 地下二階の最奥。
 以前、アウロスがデウスやトリスティとグオギギ誘拐の件の打ち合わせをした拷問部屋より更に下。
 本来ならば、クリオネとゲオルギウスだけが入ることを許されている、封術によって封印された階層だ。
 部屋でも通路でもないその空間の天井は高く、明らかに地下一階の高さまでそびえている壁がある。
 そこには――――夥しい数の文字の羅列が刻まれていた。
 デウスは終始、その壁を眺めている。
「うむ。ここは……」
「エルアグアの刻壁。失われし物語の眠りし場所、だ」
 サニアの言葉に覆い被せるようにして、デウスが割り込む。
「失われし物語……?」
「ここ魔術国家では、数多くの魔術が生み出されてきた。だが中には、この世に誕生しながら
 様々な理由で歴史から名を消した魔術、或いは魔術士が少なからず存在している。
 その中の一つが、ここに眠っている」
「一つってことは……魔術?」
「鋭いな。その通り、ここには邪術と呼ばれている使用禁止の魔術が眠っている。
 その中でも特に、扱いに困るような『とびきりのヤツ』がな」
 デウスは、まるで玩具を前にした子供のような屈託ない笑みを浮かべる。
 しかし――――ここに眠る魔術は、玩具と呼ぶには余りにも過激なものだった。
「何故、このエルアグアが水没都市になったのか、知ってるか?」
 突然のデウスの問いかけに、マルテは思わず驚き身を竦める。
 その上、質問の内容も突飛なものだった。
「さ、さあ……考えたこともないですけど」
「考えても無意味だ。自然現象ではないのだからな」
「……え?」
 一瞬、言葉の意味が理解できず、マルテは間の抜けた声をあげた。
「このエルアグアを浸す水は、海水が大半を占めている。それは事実だ。
 しかし、その中には海水以外の液体も混じっている」
「な、何を言って……」
「融解魔術」
 突然――――デウスでも四方教会の面々でもない声が、地下に響きわたった。
「全ての有機質、無機質を融解するという絶対的な攻撃性を持つ一方で、
『身体を溶かし凝固させる』事で、回復や蘇生の可能性をも併せ持つ、究極の魔術。
 現在は使用されていない古代のルーンを用いているため、禁止するまでもなく
 現代の魔術士の理解と認識の外にある、まさに魔術士にとって切り札となる邪術。
 その壁に刻まれている文字は、その融解魔術のルーン配列。授けられた名は
【エルアグアの刻壁】……」
 声の主は女性だった。
 そして、その声はマルテにも聞き覚えのあるものだった。
「それを何故、貴方が知っているのですか。デウス=レオンレイ」
「答える義務はないが、説明には感謝を。クリオネ=ミラー」
 本来ならば、彼女こそがこの場所に入るべき人物。
 つまり、デウス等は招かれざる客だ。
「【エルアグアの刻壁】の存在は、ごく限られた有識者にのみ知らされているのです。
 教皇の血筋とはいえ、庶子たる貴方に知る機会があるとは思えません」
「そうでもないぜ。こういう論文だって出回ってやがる。尤も、余りにも
 ブッ飛んだ内容なんで、誰も相手にしてくれやしないみたいだが」
 そう笑いながら、デウスは脇に抱えていた書物を掲げて見せる。

【融解と凝固による人体修復魔術】

 表紙にはそう記されていた。
「中身はデララメだ。恐らく、こういう論文を定期的にバラまいて、情報が
 漏れていないかチェックしてるんだろう。漏れていれば、融解魔術の存在を
 知る誰かがこの論文に食いつく訳だから、口封じの相手を探す手間が省ける」
「……そんな突拍子もない想像で、刻壁の存在を探り当てたとでも言うのですか」
「存在そのものの噂は第五聖地あたりにも転がってたぜ。どれだけ隠そうとしても
 何処かに漏れちまうものなんだよ、こういう禁忌ってのは」
 不敵なデウスの笑みに対し、クリオネの表情には余裕がない。
 知られたくない相手に知られてしまった――――そういう情報を露骨に漏らしている。
 だが、普通の人間ならそれは失態とは言わない。
 実際、マルテも驚きを隠せずにいる。
「何でも融かす魔術って……ムチャクチャだ」
「そう。ムチャクチャだ。例えば一国を滅ぼすなど造作もないほどにな。
 この魔術の存在を知れば、どの国も魔術国家を恐れるさ。つっても、
 同時に全ての国を敵に回すがね。そういう意味では、扱いが難しい」
「難しいどころの話ではありません!」
 ヒステリックな声でクリオネが叫ぶ。
 そんな彼女の一挙手一投足を、四方教会の四人は刺すような目で凝視していた。
 もし襲いかかってくるようなら――――という意識で。
「存在を小出しにするだけで、現在のデ・ラ・ペーニャの地位を回復できるほどの
 影響力がある邪術です。しかし一歩間違えば、この国そのものが崩壊しかねません。
 かつて行われた大規模な実験では制御を失し、、第一聖地の一都市の大半が融解され、
 液体と化しました」
「へ……」
 余りにも非現実的なクリオネの言葉に、マルテだけでなく四方教会の面々も
 驚きの顔を隠せない。
 デウスはその事実を、彼らに話していなかった。
「その一都市の消失が、エルアグアの水没の理由だ。つまり……このエルアグア
 そのものが、失われた物語の中ってことだ」
「そ、そんな……」
「だが、上手く扱えば世界を牛耳ることもできる。当然、この国の王になる
 ことなんぞ造作もない。融解魔術を扱えることさえできれば、な」
 だが――――それは今はできない。
 デウスの言葉は、そういう含みを持っていた。
「そうです。融解魔術は現在は使用されていない古代のルーンを一部使用しています。
 なので、扱うことは不可能。あくまでも、そういう魔術があると誇示することで
 交渉の道具としたり、抑止力としたりするのが正しい使い方なのです」
 そんなクリオネの補足に対し――――
「そうだな」
 デウスは言葉少なに肯定した。
「もし使えれば無敵なんだがな」
「無敵になりたかったのですか? 貴方は十分にその部類に入る魔術士でしょう」
「この先、どんな強敵が待ち構えているかわからないからな。無敵に越したことはない」
 そう告げ、デウスは最後に高くそびえる壁を軽く小突き、踵を返す。
 見つかった以上、クリオネとの確執は避けられない。
 尤も、三者会談が終わった時点で袂を別つのは想定済み。
 デウスにとっては、順調とさえ言える出来事だった。
「貴方とはゆっくり話をする必要があります。後日、その場を設けます」
「お好きにどうぞ」
 そう答えつつ、デウスは四方教会の面々に向かってチョイチョイと
 人差し指を動かした。
 出るぞ、ついて来い――――そういう合図。
 警戒と敵意を剥き出しにしたまま、ティアたちはその指示に従った。
 通路の途中――――
「本当に使えないのかな……」
 ポツリと、誰にともなくマルテが漏らす。
 その声に、デウスが反応した。
 何処か愉快そうに。
「古代のルーンそのものは、資料を見れば載っている。融解魔術のルーン配列は
 さっき見たあの刻壁に刻まれてる通りだ。問題は『調整と制御』だ」
 魔術は、魔具と魔力さえあれば使えるという術ではない。
 ルーリングの際に行う魔力の調整と制御は、例えるなら楽器を演奏する際に一切音程を外さず、
 かつ音量を間違えないような繊細な技術を必要とする。
 その上で、古代のルーンを使用している魔術を行使するというのは、
 扱ったことのない音楽記号が沢山混じっている曲を完璧に演奏するようなもの。
 少しでも失敗すれば、たちまち魔術は消失する。
 そして、古代ルーンの調整と制御を実践できる魔術士は、現世にはいない。
 クリオネが不可能と断じたのは、そんな理由からだ。
「つまり、この調整と制御を人為的にしなくてもいい技術さえあれば、
 融解魔術は使用できる。そんな技術があれば、な」
「……あ」
 ふと、マルテは気付いた。
 そして当然、それにデウスも気付いていることにも。
 何より、デウスの表情が物語っていた。
「そうだ。お前の『兄』が実用化した、あの一攫千金論文だ」











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