「右手の魔具を左手に持ち替えていたと推測。一撃目の外部奇襲の時分?」
 お前なら何かやると思っていた――――そう言いたげな顔で、問いかけてくる。
 それに対し、アウロスの返答は一つ。
「答える必要はないな」
「……」
 スッと、アウロスは左手を掲げ、ルーリングを示唆する。
 髭面の男は魔術士。
 正面切って闘うならば、オートルーリングの優位性は絶対だ。
「ルンストロム様のお考えは理解不能。チャーチ様を人質に取られている以上
 阻害する意思は皆無」
 だが、その優位性を見せつけるまでもなく、髭面の男は道を空けた。
 特に返答もせず、アウロスは先陣を切って部屋を出る。
 廊下側に、他のアクシス・ムンディや聖輦軍の面々がいることも予想されたが、
 そういった姿はなく――――
「い、一体どうなされたんですか!? 先程から大きな音がそちらから……」
 血相を変えて近づいてくる宿の主人を無視し、アウロス、フレア、そしてチャーチの
 三人は一階へと下りる。
 当然、そこには玄関口で見張っていた聖輦軍の二人、細めの男と頭髪に恵まれない男が
 いる筈だったが、姿が見えない。
 いや――――姿はあった。
 外に出て直ぐ、うつ伏せになって倒れている二人の姿が。
 体型と頭部に特徴がある為、顔が隠れていてもすぐわかる。
 二人とも、何かで殴られたかのように頭が腫れており、その傍の地面には
 濡れたような跡が見受けられた。
「……どうなってるんだ? 誰の仕業だ」
「それは――――」
 返答しようとアウロスが顔を上げた刹那。
 先程の風弾とは質の違う風の音が、周囲に鳴り響く。
 唸るような音ではなく、削り上げるような、或いは叩き付けるような巨大な音。
 その音を、アウロスは知っていた。
 最初に聞いたのは――――ウェンブリーの教会、バルコニー上でのこと。
 その時に見た光景を思い出しながら、あらためて音源を眺める。
 先程までいた宿の向かいにある、薄汚れた木造一階建ての建物の屋根から
 優雅に舞い降りる、竜巻のような上昇気流。
「……」
 その中心に――――彼女はいた。
 あの時と変わらない容姿と服装で。
「代わった帽子を被ってるな。お前の知り合いか?」
「お前も会ったことがあるだろ。エルアグア教会の医療室で」
「……思い出した」
 フレアは、黒の三角帽子を抑えながら地面へと降りてくる女性の姿に
 ようやく記憶の断片を捕まえた。
「お前の嫁か」
「嫁……?」
 静観していたチャーチが、背後から割り込んでくる。
「嫁ってどういうこと? ボクというものがありながら、まさか二股……?」
「二股じゃないだろ。お前の横恋慕だ」
「むっかー! ボクは横恋慕なんかじゃないよ! 中恋慕だよ!」
 正論と放論の殴り合いが続く姦しい二人を背にしつつ、
 アウロスは風の渦に乗ってゆっくりと着地したその女性に向け、
 微かな困り顔を浮かべる。
 意味不明な離婚発言以来の再会。
 尤も、気配は察知していた。
 エルアグア教会から宿へと移動する際に。
 フレアすらも把握できないほどの、完璧な気配断ちではあったが、
 アウロスにはその気配はわかる。
 そこに理屈があるとすれば、やはり特別な存在ということになる。
「ルイン……」
 微かに吊り上がった美しい双眸が、アウロス――――の背後にいる
 二人の少女を映し出す。
 反射的に、アウロスは息を呑んだ。
 いくつかの逡巡ののち――――
「助かった。ありがとう」
 まずはお礼を素直に述べる選択を選ぶ。
 エルアグア教会で彼女の気配を感じた時、アウロスはルインが
 何らかの手助けをしてくれると信じ、行き先を敢えて口にした。
 宿の部屋でも、窓の外の様子を数度確認したりもした。
 それでも、戦術の中にルインの援護を組み込むのは、賭けに近かった。
 アウロスの必要なタイミングで、必要な攻撃を、それも二階の小さな窓を通して
 仕掛けて貰うというのは、入念な打ち合わせをしていても容易ではない。
 言葉を交わさず、二階にアウロス達がいるということも知らせずに
 これを敢行できたの理由は――――
「私が貴方を助けるのは当たり前」
 ルインのその言葉に全てが集約されていた。
 アウロスがルインの気配をわかるように、ルインもアウロスの気配はわかる。
 アウロスの狙いも。
 助けるのが当たり前の存在が危機に瀕しているのだから、
 あとは助けるべき手順と段階を踏むだけ。
 そして――――アウロスは、それを信じるだけだった。
「それより、随分と厄介なことに首を突っ込んでいるのね。
 大学の教授選の次は皇位継承争い? 貴方もしかして、選挙管理委員会にでも
 憧れている極めて奇異な将来設計を描く人間なのかしら?」
「実際憧れてる人もいるだろ……失礼なこと言うな」
「フン」
 アウロスの指摘を受けても、まるで動じず攻撃的な目をしたまま。
 ルイン=リッジウェアは健在だった。
「この際、新しい女が増えた件に関しては後回しにしましょう。
 というより、この件に関しては腰を据えてじっくりねっちりつらつら
 解明させていくから、覚悟しておきなさい。血祭りにしてあげる」
「……はい」
 もう反論する元気もなく、アウロスは半開きの目でそう答えた。
「その前に、血祭りになってるその腕をどうにかしないとね」
 嘆息しつつ、ルインはアウロスの直ぐ傍まで近付き、
 肩と手の傷に弱い青魔術――――要は冷却を行った。
 貫通しているだけに、決して軽い怪我ではない。
 出血の量も、袖が血を吸っている分極端に多くは見えないが、
 実際にはかなりのものだ。
「そういえば……あの時も右肩だったかしら。デスクワーク担当、が口癖の割に
 怪我の多い男。逞しさが足りないと思うのだけれど」
 そう呟くルインの応急処置を受けるアウロスを――――
 先刻まで醜く言い争っていたフレアとチャーチがじっと眺めていた。
「絵になるでしょ? アイツ等。もー、イラってくるくらい」
 その二人の肩に、ポンと気やすく手を置く女性が一名。
 チャーチはビクッと身を震わせたが、フレアは気配を察知していた為
 驚くことなく振り向いた。
「そ、そちらさまのお知り合い?」
「会ったことある女だ……誰だったか忘れたけど」
「ヒドッ! 言葉では否定しながらもホントはなついてくれてるんでしょ、って
 本気で思ってたのに!」
 さめざめと泣き真似をする女性――――ラディの姿に、フレアはポン、と
 手で判を押した。
「情報屋の女だ。思い出した」
「泣いてる姿で思い出さないで欲しいんだけどね……ただでさえ最近
 自分が女々しい女だって思ったりしてるのに」
 ブツブツ呟きつつ、ラディは二人の背中を押す。
「さ、それよりここをとっとと離れないと。人質がいるって言っても、
 いつまでも連中の近くにいたら危ないかもしれないでしょ?」
「どうして人質のことを?」
 驚くチャーチに、ラディは口角をやたら上げ、ニンマリと微笑む。
「森羅万象の情報屋、このラディアンス=ルマーニュにかかれば
 あらゆる情報は筒抜けなの。勿論、アナタが何者かも知ってるのよん?
 それに私、あっちでデレッとしてる男の専属情報屋だし」
「別にデレっとはしてないみたいに見えるぞ。なんか照れてはいるけど」
 真顔でアウロス達を指差すフレアに、ラディは肩を竦めため息を吐いた。
「外見には出ない内面を覗いてこその情報屋ってことよ。さ、無駄口はここまで。
 おーい、依頼人。早くここ離れましょう」
 そうラディが叫ぶと――――
「了解。応急処置はもう終わったから、そうしましょう」
 依頼人という言葉に反応したのは、アウロスではなくルインだった。
「……ラディを雇ったのか? お前が?」
 眉を潜めるアウロスの右肩から手を放したルインは、素直に頷く。
「彼女、貴方の女性関係を把握しているらしいから」
「…………勘弁してくれ」
 割と本気でそう請求したアウロスへの返事は、氷よりも冷たい微笑だった。









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