オートルーリングという技術には限界がある。 
 編綴する文字数を大幅に短縮するという技術である以上、
 編綴する必要はあるという点。
 つまり、編綴できないようにされてしまうと、役に立たない。
 右手と右肩を貫かれたアウロスは、窓に背を向け
 激痛に抗いつつ立ち続けていた。
 肩口から滴り落ちる血で、右腕を覆う袖は黒く染まっている。
 普段よりかなり腕が重く感じ、指も痺れて動かせない。
 アウロスは右手での編綴が不可能だと理解した。
 ダラリと下がったままの右腕を背に隠し、小さく息を吐く。
 ここに至るまで、数多の苦難があった。
 数多の失敗があった。
 たった一つの目的の為に、試行錯誤と挫折を繰り返す。
 それが研究者の宿命。
 とはいえ――――余りにも体たらくが過ぎる。
 下手くそ。
 間違いだらけ。
 不出来な代行人。
 そんな荒れた言葉が心の中をかき回す。
 悪態を幾ら自分についたところで、意味などないというのに。
 それでも、仕方がない。
 アウロス=エルガーデンを名乗る人物は、最早この世に一人しかいないのだから。
 他の優秀な人材、才能ある研究者、権力を有した魔術士に
 代わって貰うわけにはいかない。
 アウロス=エルガーデンはこの世に一人。
 それは自分ではない。
 けれど、アウロス=エルガーデンを稀代の成功者とできるのは、自分だけ。
 何より、そう望んでいるのは他ならぬ自分。
 ならば、目的は更に単純化される。
 この場において必要なのは、目的の達成のため生き延びること。
 方法はある。
 あるが――――実行は容易ではない。
「一人で窓から逃げる算段をしているようですね。確か報告によると、
 ウェンブリーの教会に侵入した時にも『崖から飛び降りて逃走した』とありました。
 ここは二階ですから、崖に比べれば飛び降りるなど造作もないでしょう」
 そう告げるルンストロムの顔から、笑みが消えた。
 フレアの素性を知っていることからも明らかだが、ルンストロムの情報収集範囲は
 かなり広く、慎重な性格を裏付けるている。
 獰猛でありながら警戒心が相当に強く、時に臆病ともいえるほど周囲を気にする
 肉食動物とよく似ていた。
 ミストはここまで慎重さを表には出さない。
 人生経験の差か、性格の差か――――
「捕えなさい。四肢を斬り落としても構いません」
 ルンストロムの指示に従い、オールバックの男、クワトロ=パラディーノが
 鞘に収めていた剣を抜き、下段の構えを作った。
 機動力たる脚が狙い。
 アクシス・ムンディは護衛の専門集団という話だったが、確かに
 プロフェッショナルだとアウロスは感心すら覚えていた。
 これまでの敵とは性質がまるで違う。
 事実――――
「あ……」 
 フレアは、一切言葉を発せずに始動したクワトロに対し
 何の反応もできずに棒立ちになっていた。
 予備動作は皆無。
 床を蹴る音すら微弱。
 加速も常軌を逸しており、一歩目の時点でフレアの最高速を上回っていた。
 そのクワトロが、フレアの横を素通りし――――アウロスへと接近。
 身体能力ではフレアにも及ばないアウロスが反応できるはずもない。
 しかも、クワトロの狙いは脚。
 飛び上がって避けるなど、アウロスには不可能。
 できるのはせいぜい、身をよじらせる程度。
 それを実行したところで、躱せる理由はない。
 ただ、物事を正確に描写する必要があるとするならば――――
 
 躱せる理由は要らなかった。

「……!?」
 それは、奇襲だった。
 そう呼ぶしかない、耳を劈くような轟音だった。
 だが、襲撃の主役は音ではなかった。
「ぐはっ……!」
 アウロスを切り刻むはずだったクワトロの剣は、本人もろとも後方へ吹き飛ぶ。
 風弾――――敢えて表現するなら、そんなところか。
 圧縮された風の塊が突如現れ、クワトロの胸元に直撃した。
 同時に感知される、魔力の霧散現象。
 緑魔術による攻撃だった。
 作戦の遂行を確信していたルンストロムは、感情を抑えながらも
 信じ難いという表情で、後方の壁に叩き付けられたクワトロではなく
 息も絶え絶えのアウロスを凝視していた。
 アウロスのオートルーリングに対しては、細心の注意を払っていた。
 だからこそ、不意打ちのスペシャリストであるピート=シュピオーンを
 この場に抜擢した。
 事実、現在のアウロスはたとえ一文字でもルーンを綴れる状況にはない。
 何より、この空間内において編綴は全くされていない。
 ルーンはどこにも綴られてはいない。
 フレアへの警戒も怠っていなかったが、怪しい動きは皆無。
 この状況で考えられる奇襲の出所は、一つしかない。
「周囲に怪しい人物はいなかったと、そう言っていた筈ですが」
 強張った声でそう問いかけるルンストロムに対し、問われた鎧娘チトルが
 反論を返そうとするが――――
「はわっ!」
 再び発生した大音にチトルは反射的に仰け反り、尻餅をついてしまう。
 魔術による風弾が、再度部屋を襲ってきた。
 今度は直撃こそなかったが、卓上の花瓶をなぎ倒し、壁を軋ませる。
「窓の外からです!」
 聖輦軍の髭面の男が叫んだ通り――――風弾はアウロスの傍にある
 窓から飛び込んで来ていた。
 身をよじり、窓の僅か右側に移動していたアウロスの顔に
 驚きや動揺は見られない。
 そしてその表情のまま――――
「フレア!」
 それだけを叫ぶ。
 それだけで、フレアは自分が今すべきことを理解した。
 窓から逃げても、扉から逃げても背後から狙い撃ちされるこの状況で
 危機を脱する方法は――――
「全員動くな。動けば首を切る」
 人質の確保。
 直ぐ傍にいるチャーチの首元に、小型円月輪を突きつける。
「この女が死んだら、えーと……いろいろ困るんじゃないのか?」
 詳しい説明はできなかったものの、フレアはほぼアウロスの意図を
 正確に把握していた。
 チャーチが死ねば、グオギギ誘拐事件はグオギギが殺される以上に
 凶悪な事件となり、防げなかったアクシス・ムンディや聖輦軍への非難は免れない。
 ルンストロムにとっても、それは痛手となる。
「人質なんてヒキョーですひきょー!」
「罠にはめておいて言う言葉か」
 チトルとフレアの言い合いを余所に、人質となったチャーチは押し黙ったまま。
 抵抗する意思も怯える様子もなく、むしろ堂々としている。
「おじさま」
 そのチャーチが、ルンストロムに向かって首を左右に振った。
 命乞いにしては、余りに落ち着いている。
 自分の死が意味するところを理解し、それは得策ではない――――そう
 諭しているかのよう。
 少女の外見とはかけ離れた姿に、アウロスは心中で感嘆のため息を漏らしていた。
「……いいでしょう。お逃げなさい。貴女を室外に避難させることを
 怠った、私の不手際です」
 ため息混じりにそう告げ、ルンストロムはより深く椅子に背中を預ける。

 刹那――――

「逃げられればの話ですが」
 ルンストロムは顔色一つ変えず、そう呟いた。
 だがそんな表情とは裏腹に、事態は一変。
 鈍い破壊音と同時に、アウロスの真上にある天井が突然崩れ出す!
 こういうケースも想定していた――――ルンストロムの顔は、そう物語っていた。
 一方、アウロスはというと。
「なら、遠慮なく」
 目を見開き口を半開きにしたまま硬直するフレアとチャーチ、更には
 アクシス・ムンディや聖輦軍の面々とは対照的に、崩れ落ちてくる瓦礫を
 身もしないまま、編綴し終えた魔術を発動させる。

 ――――左手で。

「……む」
 ルンストロムが初めて、動揺を表に出す。
 それでも眉を僅かに潜める程度だったのは、アウロスにとって計算外だったが――――
 相手が相手だと納得しながら、指輪をはめた左手を掲げ、自分やフレアの頭上に
 平面型の結界を発現させた。
 同時に――――
「フレア! チャーチ! しゃがめ!」
 叫ぶ。
 結界に崩壊した天井が落ちてきたのと同時に、
 三度窓から飛び込んで来た風弾が、アウロスの頬を掠めた。
 衝撃音に紛れ、風弾の音は認識不可能。
 しかも、ついさっきまでフレアとチャーチのいた場所を通過し襲って来る。
 三度目でありながら、今度こそ完璧な奇襲となった。
「む……!?」
 思わず顔を背け、ルンストロムは椅子から転げ落ちる。
 その椅子が次の瞬間、風弾によって派手に破壊された。
「ルンストロム様!?」
「あわわ。何事なのですなにー」
 アクシス・ムンディの3人が、守護すべき人物の転倒に動揺する中、
 アウロスはしゃがんでいたフレアとチャーチに近寄り、素早く立ち上がらせる。
 指示は不要。
 誰が見ても、この隙に逃げる以外の選択肢はない。
「……」
 だが、一つの関門が残っていた。
 聖輦軍の髭面の男だけは、部屋の扉の前に立ち、アウロスの動向に目を光らせていた。








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