「……なんつーか、頭が痛くなるよね」
 ラディは心底呆れたという顔で頭を押さえ、大げさにため息をついた。
「僕なんて、話の半分も理解してないよ」
「説明が下手で悪かったな。つまり、今回の手紙のバラ撒きで俺がやりたかったのは、
 論文の流れ着く可能性のある場所の特定と、デウスがオートルーリングに
 執着してる理由を知る為だ」
「まあ、それだけ聞けばわかりやすいけどさ……で、わかったの?
 その論文が流れ着きそうな場所って」
「ああ」
 アウロスは自信を持って断言した。
 そして、机に置いてあった資料を手に取り、掲げる。
 そこには、ラディが調べた『手紙をバラ撒いた相手のここ最近の行動』
 が書かれている。
 ただ、直接彼らがこうどうを起こす可能性は殆どない。
 手紙をバラ撒いたのは後継争いの関係者なのだから、高い身分の者ばかり。
 自分が動くより、人を動かす立場の人間だ。
 それに、ラディ一人で調べられる行動は限られる。
 全員分を一気に調査する為には、特定の場所で行う特定の行動に絞り、
 その場所に現れるのを待つ、という方法しかない。
 アウロスがラディに指示したのは――――
「ベリー=ベルベットと接触したのは、ここ一週間で四人だけ。間違いないな?」
 ミストにマラカナンの情報を流してる情報屋の監視だった。
「ええ。そこの資料に書いてある通り。外見の特徴から歩き方までぜーんぶ
 書いてるでしょ? 向こうはこっちの事知ってるから、変装して監視したんだぜー。
 さすがに話してる内容までは聞こえなかったけど」
「情報屋って本当に変装とかするんだね。スゴいや」
「はっはっは。素直な男はモテるにょーん」
 妙な所に感心するマルテを、ラディは機嫌よさげにナデナデした。
「この情報屋が、ウェンブリーに情報網を持っているってのは
 俺が手紙をバラ撒いた連中なら知っててもおかしくない。皇位継承争いを
 やっていれば、情報屋に詳しくなるのは必然だ」
「まーね。つまり、このウェンブリーとつながってる情報屋に関心を示した四人は、
 ロス君の罠に引っかかったって事ね」
「手紙の差出人がウェンブリーの人間だと判断し、情報を集めようとしたんだろう。
 ロベリアと魔術士殺しのとの関係の信憑性、手紙を出した張本人の洗い出し。
 どの派閥の人間でも知っておきたい情報の筈だ」
 穏健派――――ロベリア派なら、手紙の差出人を突き止めたい。
 革命派――――デウス派なら、ロベリアと魔術士殺しの関係の証拠として
 この手紙が有効かどうかを確かめたい。
 ルンストロム派なら、どちらも知っておいて損はない。
「でも、その四人が誰の指示で情報屋と接触したかわからないと意味ないんじゃ……」
「そうそう。いくら外見とか喋り方調べても、そいつの素性までわかる訳じゃないし。
 大体、情報屋と接触するような奴、下っ端の下っ端じゃね? いや、言ってて空しいけどさー」
 マルテの疑問に、ラディが同調。
 それにはアウロスも異論はなかった。
「下っ端の下っ端だからこそ、わかる事がある」
 代わりに、そう告げる。
 アウロスの目の前の二人は、共に疑問符を顔に浮かべたまま固まっていた。
「時間と距離だ」
「へ……?」
 今度は二人同時に間の抜けた返事。
 アウロスは構わず説明を続ける。
「ラディに頼んだ手紙が、各人の手元に届くまでの距離。その人物のいる場所から、
 ベリー=ベルベットのいる酒場まで移動する距離。そして、手紙を出してから
 情報屋と接触するまでの時間。これらから、接触した四人が誰の使いかを
 割り出す事が出来る。何しろ下っ端の下っ端だ。一刻も早く仕事をしなくちゃ
 ならない立場だろうから、ボケッとしてる暇はない。最短時間で情報屋と
 接触するだろう」
 つまり――――ベリー=ベルベットと接触した人物が『いつ』接触したかで、
 どの人物の使いかを推測するという訳だ。
 当然、早い段階で接触した下っ端の下っ端は、より酒場に近い場所にいる人物の使い
 という事になる。
 移動手段さえ割り出せば、もっと確実な情報となり得るだろう。
「と言うわけで、ラディ。よろしく頼む」
「……」
 説明を聞き終えたラディは、瞼を引きつらせるようにピクピク動かしたのち、
 首を左右に振った。
「ロス君。なんかここに来てから、性格悪くなった?」
「……どういう意味だ」
「いや、なんかもー悪魔の知恵みたいに感じるっていうか、怨念じみたモノを感じるんだけど」
 苦笑いのラディに、アウロスは仏頂面で後頭部をかく。
「ま、悪魔に魂を売ってでもこの名前を後世に残す気ではあるけど……
 別に大した事をした訳じゃない。手紙をバラ撒いただけだ」
「それだけで、こんな幾つも情報を得ようとするんだから、バケモノよね。ホント」
 そう呟きつつも、ラディはどこか楽しげだった。
 あの、絶対に不可能と言われていた論文【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】を
 完成させる為、知恵を絞ってあれこれと試行錯誤していた大学時代。
 その頃の感覚を、アウロスは再び取りもどしつつあった。
「よっしゃ、任せなさいな。すぐ調べてくるぜい!」
 瞳を燃やし、ラディはひょいっと窓から飛び下りる。
 その様子を眺めていたマルテは、しばらく黙ったままその場に立ち尽くしていた。
「どうした?」
 その背中にアウロスが問いかけると、マルテは俯いたまま振り向く。
「……スゴいよね、アウロスのお兄さん。頭いいし、一つの事にここまで
 執念を燃やすって、なんかカッコいいよ」
「気持ちが悪い事を言うな。窓から捨てるぞ」
「……そういう口の悪い所はどうかと思うけど、スゴいよ。僕なんて、
 未だに教皇様の孫とかデウスさんの息子とか、そういう境遇にすら
 ピンときてないのに。お兄さんはどんどん前に進んでいくよね……」
 隻腕の少年は、寂しげに呟く。
「なんか、自分がどんどんちっぽけに思てくるよ。お兄さんといると」
「俺に劣等感を感じるくらいなら、父親に感じたらどうだ。俺より
 よっぽどわかりやすく前のめりに生きてる」
「まあね……でも、あの人はなんか、遠くの人って感じなんだよ。
 父親って言われてもピンとこないもん。アウロスのお兄さんは、なんか
 身近……っていうと失礼かもだけど、ホントにお兄さん、って感じするしさ」
 それなのに、まるで違う。
 その事実が、マルテを苦しめていた。
「お前は……」
 お前、と言おうとして、アウロスは口を閉ざす。
 どれだけ頭を使おうと、こういう時にかける言葉は空虚。
 それなら――――
「何かやりたい事はないのか?」
「え?」
 アウロスは自分で聞いておいて、マルテの驚いた顔以上に自分で驚いていた。
 年下の少年にこんな事を聞く自分など、今まで記憶になかったからだ。
「……例えば仕事でもいいし、作りたい物とか行きたい場所とか、なんでもいい。
 何かやりたい事はないのか?」
「僕は……だって、かたっぽだし。やれる事なんて……」
「やれる事、じゃない。やりたい事を聞いてる」
 強い言葉をぶつけるアウロスに、マルテは怯む。
 だが――――それでも、口元を引き締め、顔を上げた。
「……お兄さんを手伝いたい、かな。僕なんて役に立たないけどさ」
「役に立つかどうかは、未来が決める。現在や過去が決めるわけじゃない」
「え?」
「……なんとなく、だ。偉人の言葉を引用したとか、そういう訳じゃない」
 マルテの表情から次の言葉を予測し、アウロスはそんな言い訳じみた
 物言いでそっぽを向いた。
「俺を手伝いたいと思ってくれてるのなら、お前は十分前に進んでる。
 俺の目的にはそれなりに近づいているはずだからな」
「でも、僕何の役にも立ってないけど……」
「お前がいなかったら、俺は今ごろ凍死してたかもしれない」
「へ?」
 全く予想してなかった回答だったのか、マルテの目が点になった。
「忘れたのか? お前が見つけたんだろ。あの闇市場にあった
 偽論文の写し。あれがなかったら、俺はずっとこのエルアグアの街を彷徨い
 歩いて、最終的には凍死だ」
「そ、そんな訳ないよ。アウロスのお兄さんならいずれ見つけて……」
「そうとは限らない」
 アウロスは不意に――――マルテの頭を撫でた。
 自分でも不思議なくらい、自然に。
「お前が見つけてくれた俺の未来が、現在だ。役に立ってないとか、
 訳のわからない事言うな。お前が俺をここに導いたんだからな」
 マルテは、キョトンとしていた。
 途方に暮れているかのように、ただ呆然としていた。
「だから、もうしばらく頼む。お前のやりたい他の何かが見つかるまでは」
「……」
 返事もできず、頷きさえもできず。
 マルテはしばらく、思いにならない思いを胸に、ただ顔を崩していた。








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