現在、アウロスがすべき事は余りに多い。
 まずは、自分の目的である『論文の回収』。
 しかも、本物の論文と偽の論文、二つを回収する必要がある。
 次に、デウスに課せられた命令。
 彼が王となる為の手伝いだ。
 その為には、皇位継承争いの中に加わる為に推薦者を見つける必要があり、
 デウスはそれをアウロスに託した。
 更には、デウスとの命令とは別に、エルアグア教会での雑用を仰せつかっている。
 教会に所属している以上、仕事を無視する訳にはいかない。
 上司であるデウスの指示も同様だ。
 もし無視すれば、仮宿すらも失う事になるし、なによりフレアの治療が継続して受けられない。
 命の危険は去ったとはいえ、今後のケア次第で予後に大きな影響が出るのは
 言うまでないだろう。
 更に言えば、マルテの存在が最も大きい。
 エルアグア教会に背を向ける事になれば、マルテの無事は保証外となる。
 教皇の孫は、反教皇派にとって格好の人質。
 抱え込んでいる今だからこそ安全が保証されているものの、敵対すれば
 どうなるかは想像に難くないだろう。
「……それと、父と戦う事とどう結びつくんだ」
 教会の廊下を歩きながら、フレアは納得行かない顔でアウロスに詰め寄る。
「見てればわかる。時間はかからない」
「今言え。場合によっては、私は一抜けする」
「もし、お前の目的と俺の行動が全く交わらないなら、遠慮なくそうすればいい。
 マルテ。お前も」
 最後尾を歩くマルテに向け、アウロスは振り返らずに告げる。
「つまり……僕達の目的も、ちゃんと加味してくれてるって事だよね?」
「加味じゃない。最低条件だ」
 断言しつつ、アウロスは立ち止まる。
 視線の先には――――執務室。
 クリオネ=ミラーの弟、ゲオルギウスが実務を行う部屋だ。
 現在、この教会の長であるグランド=ノヴァ首座大司教は姿を見せていないので
 彼の代理として、神官であるクリオネが実質的な主権を握っている。
 そのクリオネが教会の長として立ち回る一方で、弟であるゲオルギウスは
 人事をはじめとした様々な実務を行っている。
 アウロスは執務室の部屋をノックし、返事と同時にその扉を開けた。
「……雑用係が何の用だ」
 あからさまに見下しながら、ゲオルギウスが本棚の前で背を向けたまま顔だけを向ける。
 アウロスは特に気に留めるでもなく、入り口に立ったまま部屋の主を睨んだ。
「外出の許可を得たい」
「理由は?」
「備品の補充だ。油が切れている。油売りと接触したい」
 フレアとマルテの不可解という目が背中に集中するのを感じつつ、
 スラスラと述べた理由に対し――――
「……デウス様の指示か?」
 ゲオルギウスの声が、わかり易いくらいにトーンを下げた。
「それを問うのは、立場上よくないんじゃないか」
「小間遣い風情が……なかなか鋭い指摘だな」
 読んでいた本を閉じ、ゲオルギウスは振り向いた。
 アウロスに対し、取り敢えず存在を認めたという事らしい。
「外出を許可する。ただし、常識の範囲でだ」
「どうも」
 話は終わり、アウロスは即座に部屋を出る。
 そのまま早歩きで廊下を進むその背中を、フレアとマルテは慌てて追った。
「な、なんだったの? 油の補充なんて、僕ら以外の雑用係がやってるんじゃないの?」
「それはそうだろう。消費物なんだから」
「なら、なんで申し出る必要があるのさ」
 バタバタと足音を立てながら隣に並んだマルテを横目に、アウロスは小さく息を落とした。
「あのな――――」
「油売りは、怠け者のことだ。怠け者というのは、動かない者の事だから『見張り役』
 の隠語として使われる事がある。さっきこいつが言ったのは、そっちの意味だ」
 アウロスの声を遮り、フレアが説明した。
「……そ、そうだったの? って事は、見張り役の人に会うようデウスさんから指示されてたの?
 って、何を見張ってるのかもわかんないんだけど」
「いや。違う」
 すんなり否定。
 フレアにマルテの疑惑の目が向けられる。
「……嘘は言ってない」
「間違えたんだから、そこは素直に認めようよ。フレアお姉さん」
 ついに反撃の時を得た、と言わんばかりにマルテがニヤニヤしていたが――――
「いや。フレアは間違えてない」
 アウロスの言葉に、ガクンと身体が沈む。
「え……ええええ? もしかして僕、罠にハメられた……?」
「そんな無意味な事をしてどうする。フレアの説明は正しいけど、お前の発言が間違ってたんだ」
 歩きながら説明するアウロスの後ろで、フレアはこっそり安堵の息を漏らした。
「って事は……デウスさんから指示された、っていうのが嘘?」
「嘘はついてないけどな。俺は一言も肯定の言葉は使ってない」
 実際、ゲオルギウスがそう勝手に解釈しただけだ。
「人間ってのは不思議なもので、言葉の印象でその正否を勝手に判断する。
 隠語を使えば、その言葉には嘘や誘導が含まれていないと思い込んでしまう」
 つまり――――ゲオルギウスの判断は、アウロスによって誘導された、という事。
 フレアは話を聞きながら、アウロスの話術に若干引いていた。
「お前、詐欺師の才能があるな」
「うるさいな。それよりマルテ。デウスはお前の父親なんだから、さん付けする必要はないだろ」
 地味にイヤな指摘を少しだけ気にしつつ、アウロスの視線はマルテに向く。 
「そんな実感ないよ。まだアウロスのお兄さんからそう言われただけで、
 本人とは一度もそんな話してないんだし」
「そういうものか」
 親と接した経験がないアウロスは、イマイチ実感を持てずに首を傾げた。
「で……外出する理由は何なんだ? 父との件と関係あるのか?」
 フレアの問いに、アウロスは首の位置を戻し、端的に答える。
「ああ。これから、お前の父親に会いに行く」
 何気ないトーンの宣告に、フレアは全身をピシッと軋ませた。

 

 

 デウスにとって、アウロスは王となる為の過程で使い道のある道具。
 それは、お互いに利用し合う事を確認している時点で了承済みだ。
 だから、アウロスはデウスを利用する上で協力はしても、デウスが王になる事を
 優先させる必要はない。
 それが何を意味するのか。
 
 ――――皇位継承争いにおいて、デウス以外の勢力と協力するという選択肢がある

 とはいえ、これが直接デウスやエルアグア教会にとって害となれば、アウロスは
 仮宿を失うばかりか、裏切り者とみなされ無駄に敵を増やす事になるだろう。
 ただ、『最終的にデウスおよびエルアグア教会が自分達にとって利となると
 判断できるような状況さえ作れば、他の勢力と協力する事は可能』という事になる。
 これは、もし一対一の争いならば成立しないだろう。
 現時点で三つ巴となっているからこそ、あり得る選択肢。
 要するに、協力をする相手とデウス&エルアグア教会の二勢力にプラスになる――――
 逆に言えば、残り一つの勢力にとってマイナスとなる行動であれば、問題はない。
「……だったら、父と一戦交えるという事は、父をその残り一つの勢力にするという事か」 
 馬車の荷台上でいきり立つフレアに対し、久々に日中外に出られたアウロスは、太陽の光を
 手で覆いつつ、首を横に振った。
 現在、アウロス達は荷馬車の荷台に乗って移動している。
 辻馬車での移動も選択肢としては考えられたが、アウロスは荷馬車の御者に頼んで
 乗せていってもらう事にした。
 幸いにも、御者はすんなりと受託し、現在に到る。
「一戦交えるっていうのは、そういう意味じゃない。さっきも言っただろ。
 お前とマルテの目的は、俺の行動の最低条件なんだ。つまり、枢機卿と敵になるような
 事はしない。お前は、父親の足枷になっている現状を打破するのが目的だろ?」
「そ、そうだ」
「今から、それをしに行くんだよ。ま、最初は聞く耳持たないくらい怒り狂うだろうけどな」
「……そういう事か」
 フレアは納得すると同時に、青ざめた。
 自分がエルアグア教会に助けられた事は、父ロベリアにとって痛恨の極み。
 大きな貸しだからだ。
 この貸しを早めに清算しない事には、動き辛い。
 その清算を、アウロス達はこれからしに行く。
「えっと……実際には、どうやって清算するの?」
 説明を受けたマルテが、素朴な疑問を告げる。
「簡単だ。弱味を握られたのなら、握り返せばいい」
「って事は……エルアグア教会の弱味をフレアお姉さんのお父さんに教えるの?」
「そういう事だ」
「弱味なんていつ握ったのさ」
「幾らでもある」
 そう断言しながら、アウロスは馬車の荷台の上から、揺れる景色に目を向けた。
 街中を突き進む馬車は、一瞬で周りの光景を背後へと流す。
「フレア。ここからお前の家までどれくらいかかる?」
「半日くらいで着く。お前も一度行っただろう」
「この辺りの地理にはまだ慣れてないからな……半日あるのなら寝とこう。
 フレア、お前も寝ておけ。マルテ、お前は別に寝なくてもいい」
「わざわざ僕だけ仲間はずれにする理由は!?」
 半泣きで不平を訴えるマルテを無視し、アウロスはゴロンと横になった。
 その直後、沿道で馬車が止まる。
「暫く馬を休ませる。30分後、再出発だ」
 御者がそう告げ、馬車から降り、馬に指示を出して最寄りの建物へと入って行く。
 馬は素直にその場に留まっていた。
「食事かな」
「……」
 マルテの呟きを背景に、アウロスは少し上体を起こして御者の入った建物を眺めた。
 レンガ造りの建築物。
 この辺りは水没しない地域なので、高床式という訳でもなく、外見の際立った特徴はない。
 強いて言えば、窓がない事くらいだ。
 アウロスはそれだけ確認し、再び寝転がった。
「マルテ」
「何?」
「やっぱり寝てもいい。好きにしろ」
「……なんなのさ、一体」
 疲労感たっぷりに呟くマルテを尻目に、アウロスは瞼を閉じた。








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